青春時代真っ直中のこの歳に、バレンタインデーに並々ならぬ興味があるというのは有益な事なのか無益な事なのか。

とにもかくにも当人ではない沢田綱吉は六道骸を哀れに思い、近所のスーパーで買った大手メーカーの板チョコを握りしめながら、自宅の台所に立っていた。
目の前には湯煎の準備を整えたボール、左前方には失敗したときのための予備の板チョコが数枚、右には何ともファンシーで可愛らしい装丁の、綱吉では絶対に手を出せない『今年こそ本命☆チョコレシピ』という本があった。
こんな本、男が買ったら店員は絶対に引くと綱吉は断言出来た。もちろんこの本は自分で買った訳ではなく、既に試作品を数パターン作り上げていったハルに借りた物だ。バレンタインデーの数日前に行われる試作品も、当日沢山の人に配られる完成品も、最近は沢田家で作り上げていくのがここ数年の通例になっているらしい。
 まぁ好きな女の子が家に来てくれるのは、例え理由が自分ではなくとも嬉しいものなのだけれど。

 今年もハルは京子ちゃんと二人で沢田家のチャイムを鳴らし、ビアンキを師と仰ぎながら各々持ち寄ったレシピ本をきゃいきゃい見比べて、数種類の試作品を作り上げていった。
しかしビアンキの恐ろしさを身をもって知っている綱吉だからこそ、その女子三人が開いている料理教室はサバトのようにも思えた。
いつ救急車を呼ばなければならない事態に陥るかと、普通の知らない人が見たら微笑ましいだけの光景をひやひや眺めていたが、ビアンキはただ助言をしていただけで食べ物には一切手を触れていなかったので、試食役に指名されたランボやイーピン、母さんにも安心して食べさせる事が出来た。
皆美味しそうに食べていて、綱吉は今年も死者も出ずに無事に済んでよかったと心からほっとした。
 「ツナさんには当日あげますから! ラッピングも含めてバレンタインなんですぅ」とハルがずずいと顔を寄せてきたので綱吉はお腹が空いているにも関わらず食物に有りつけなかったが、子供達、母さん、そして舌が肥えたリボーンすら味を褒めていたので期待はしていいらしい。
 甘い物が特に好きだ、という訳ではないが美味しい物は好きだ。素直に楽しみだった。



 綱吉はあまりバレンタインデーに縁のない中学生だった。
 当日に今年こそはとソワソワする事も、今年も家族からしか貰えなかったと落胆する事もない。それは周りが起因しているからかもしれなかった。

 綱吉の周りにいる人物は、大抵、何故かモテている。並盛校内にファンクラブがある獄寺君や山本を筆頭に、雲雀さんだってあの人を拒絶しますオーラがなければ物凄いか数のチョコを貰えるだろうし、京子ちゃんのお兄さんだって極限! と叫んでいなければ格好いい。だって京子ちゃんのお兄さんなのだ。黙っていれば、顔の品の良さは折紙付きだ。
 それに昨年の獄寺君や山本のチョコの量は、実際それを眺めているだけで呆然と棒立ちになるぐらい凄かった。
休み時間毎に来るダース単位の女子の呼び出し、呼び出し、呼び出し。机は満腹すぎて大量のチョコレートを吐きだしているし、靴箱なんて女子同士の争いが凄すぎて、昇降口に設置されているゴミ箱はチョコレートで一杯になっていた。多分密やかに暗鬱に、女子同士の静かな諍いがあったのだろう。
 周りのチョコレートの流通量が激しすぎると、感心するならいざ知らず、オレもあんなに沢山貰ってみたいなぁなんて思う事はない。元々諦め気質であるし、自分の好きな子から貰える事は確定していたら他に何か望む事なんてあるだろうか。いいやない。なんたる幸せ! 愛が数に勝る事なんてない。

 そんなこんなで、綱吉はハル達が帰宅した後に台所にあった忘れ物のレシピ本を発見した時、「女の子は大変だなぁ」ぐらいの気持ちで、その九十ページくらいの本をぱらぱらと片手で捲った。
 メルティ、フィナンシェ、ココアゼリー、ムース、ケーキ、クッキー。まさに多種多様のお菓子が、全てチョコレート色に染まっているように綱吉には見えた。それはただの茶色い固まりで、ぱっと見全部一緒に見えるよな、なんて言ったらハルに殺されるのだろうか。
 綱吉は冷蔵庫から取り出した魚肉ソーセージを直食いしながら、本を引き連れて椅子に腰掛けた。肘をついてそのページを気怠げに捲る。
 綱吉はスナック菓子が好きだ。基本的に口に残る甘い物より、ゲームの時につまんで食事の代わりになるような味が濃い物の方が有り難い。そりゃ出されれば食べるけれども、コンビニに行った時には間違っても甘いお菓子は買わないし、外食をした時にデザートを頼む事もない。別に男が甘い物なんて、と格好つけている訳ではないが、数少ないお小遣いを甘い物に使うなら他の物を買いたいし、外食の時は恥ずかしながら、主食で胃が一杯になってしまうのだ。自分でも小食だなぁ、と凹んでしまうぐらいに綱吉は食べる量が少ない。
 甘い物なんて別腹だと女の子は言うけれど、綱吉にはそもそも別腹という部分がないように思えた。

 でも確か、男でチョコレートが好きな人がいたような気がした。
 いつの事だったか…確か、あまりにも意外で驚いた記憶があった気が…

「あぁ、そうだ」

 綱吉はむぐむぐとソーセージを租借しながら、数週間前に出会った少女を思い出した。
 髑髏の絵の付いた眼帯を右目に付けた少女、クローム髑髏。その冗談みたいな名前を名乗る少女は、実際得体のしれない存在をその身に宿していた。



「クロームは麦チョコが好きなの?」

 こくり、と小さく頷くクロームと会ったのは一月の末、休日の並盛商店街で綱吉が母親に頼まれた買い物リストを持ちながら、スーパーの中でカートにランボ達用のお菓子を突っこんでいる時だった。
 子供用のお菓子がカラフルな棚に押し込まれている駄菓子コーナーに黒曜生が座り込んでいるのを見て、綱吉は「不良!」と身構えたのだが、その頭にある特徴を見た後は、恐る恐る近づける程度までにはその恐怖心は薄らいでいた。
「……………クローム?」
「………ボス」
 そこには綱吉の予想と違わず、クローム髑髏その人が、休日にも関わらずあの濃緑の制服を着て、短いスカートなのも気にせずお菓子を凝視していた。
「並盛まで買い物に来たの?」
「うん……。ここのね、麦チョコが好きなの。でも黒曜にはないから……」
 そう言いながらクロームが手に取っていたのは、世に言う自社メーカーの製品だった。黒曜にチェーン店がもしかしたらないのかもしれない。あんまり売れてるとは言い難い会社だからなぁ、と綱吉は他人事のように思う。
「クロームは麦チョコが好きなの?」
 少女はこくりと頷いた。確か犬は駄菓子屋でガムを箱買いしていたし、千種もチューペットを呑んでいる所を見た事がある。駄菓子が好きな人たちなのかもしれない。
「一番…好き…」
「じゃあこっちのイチゴ麦チョコとかは? だめ?」
「ダメ……それ、麦チョコじゃない……」
 クロームは少し眉を顰めた。地雷だったらしい。
 牛乳大好きな山本がコーヒー牛乳は邪道だ! と高らかに宣言した時のように、それを好きな人にとっては何かしら拘りがあるのかもしれない。綱吉にはよく解らないけれども。
「だったらクローム、あっちにバレンタインコーナーがあったよ? あっちの方がチョコレート沢山ない?」
 言うとクロームはふるふると首を振った。
「私…チョコより、麦チョコの方がいいの」
「そ、そうなんだ。おせっかい言ってごめんね」
「ううん…いいの。後で行ってみる。チョコは、骸様が大好きだから」
「………え、骸が?」
 きょとんとして問い返すと、クロームは無表情に肯定した。
「うん。骸様ね、チョコが大好きなの。辛い物はダメなんだけど…。この間、日本のバレンタインデーはチョコを贈るの、って教えてあげたらとっても喜んでた。だから私も、骸様に贈るの」
「へぇ……いいね、チョコレート。骸もきっと喜ぶよ」
 ほんのり顔を赤らめるクロームに何だか綱吉は自分まで嬉しくなるような温かさを感じたのだが、クロームは何を思ったのか小首を傾げて綱吉を見上げた。
「……ボスにもあげようか?」
「うえっ、い、いいよいいよ! 気にしないで!」
「……うん…」
 それが肯定なのかは綱吉には解らなかった。こういう時超直感は役に立たない。
「…そうだ。ボスも…良かったら骸様にチョコ、渡してあげて……」
「へ?」
 突飛な発言にさすがの綱吉も訝しんだ。
 日本のバレンタインデーは女子から男子に上げる告白デーという意味合いの方が強い。
そりゃ今の時代義理チョコどころか自分チョコ、友チョコや、果ては男子から贈る逆チョコなるものも存在しているが、それも男子から女子への話だ。男子から男子になど気持ち悪いとしか思えない。それに獄寺君や山本になら冗談として通じるが、六道骸にそんな事をしたら挑発にしかならないのではないか。綱吉はまだ死にたくなかった。
 その綱吉の葛藤を知ってか知らずか、クロームはまたぽつりと呟いた。
「骸様が教えてくれたの。外国ではね、性別は関係ないんだって」
「……へぇ」
「だからね、骸様にたくさんチョコを食べて欲しいの。でも私、あんまりお小遣いがないから……」
 ダメなの、としょぼんと肩を落とす一歳年下のクロームを見て、父性愛ばりばりの綱吉はあわあわしながら必死に言葉を紡いだ。
「あっ、そ、そうだよね! 沢山食べて欲しいんだよね! でも骸には、愛がこもったクロームからのチョコがあるからそれで十分だと思うよ! うん!」
「……骸様は質より量なの……」
 一蹴。
 それはまぁ、言ってしまえば簡単だが、自分にあげようとしている女の子に「質より量だ」と言い放つ男はどうかと思う。六道骸、顔は良いけれどきっと女心なんて理解していない。
「う、……い、板チョコで、いいならオレも骸にあげるよ。ね? それでいいかな?」
 それを聞いたクロームは頬を赤くして目をキラキラさせた。
「ほんと?」
「う、うん。多分」
(忘れなければ)

 最後の言葉は流石に言わなかったが、恐らく自分のこの言葉はその場限りで、絶対に忘れるんだろうなぁという自覚があった。その予想通り、綱吉は今の今まですっかり忘れていたのだが。



「骸がチョコ好き、っていうのが意外だよなぁ」

 六道骸。パイナップルヘアーの、結構前に戦った敵。今は交換条件で仲間になっているらしいが、綱吉にとってあんまり会いたくない人間だった。
 今は直接攻撃される事はないと解っていても、以前拳を叩き付けた相手と「さぁ仲良くしようぜ!」といえる程綱吉は図太くない。
戦いは向こうから挑んできた物だったとしても原因は幼少時からのマフィアに対しての憎しみだったし、少なからずマフィアと関係している自分は憎まれていると思っている。自分から自分を嫌いだと解っている人間に会って自らの心を傷つけるなどマゾのする事だ。
 クロームの事はそう思わないんだけどな、とため息を吐く。


「なら交流だ」
 
 突然現れたのはショコラティエの格好をしたリボーンだった。
 白く清潔感溢れた制服に赤いネクタイ。小さく伸びた口髭がくるりと巻かれており、手に持っているのは泡立て器だった。

「うあっ、突然なんだよ!」
「人と人が交流しようとする時……アイテムとは重要な物である……チョコレート…バレンタイン…そうです。バレンタインデーとは守護者☆ボス☆交流デーの略なのです!」
「違うっ! 絶対略してないだろっ!」

 綱吉の激しいツッコミが炸裂するも、既に慣れきっているリボーンは食卓の上でくるりと回転しただけで、綱吉の苛立ちの目線は軽くスルーした。

「バレンタインデーを契機に何だかうやむやーっとしているいやーな感じをどうにかしやがれ。六道骸が苦手? いずれお前はあいつを従わせる立場になるんだぞ。そんな部下の顔色見てへーこらへーこら態度を変えるボスなんていやしねぇぞ」
「従わせ……っつーかチョコあげて機嫌取ろうってのがもうすでにへーこらしてるんじゃないかなぁ!?」
「違いますー機嫌取ろうとしてるんじゃありませんー」
「じゃあ何だって言うんだよ!」
「こう…なんか優越感? みたいな?」
 リボーンはこてっ、と大きな黒目をきゃるきゃるさせながら可愛らしく小首を傾げた。
「最悪だ!」
「とにかく、だ」
 びしりと突きつけた紅葉の指先。
 リボーンの黒くて丸い目が、きらりと光った。

「守護者用のチョコを作れ」

 そして冒頭に戻る。




「チョコレート……ってどうやって作ればいいんだ」

 まず普通の料理すら作った事がないのに、なぜお菓子作りをしなければいけないのかが、ほとほと疑問な部分だ。
綱吉はレシピ本の数ページ目、初心者ステップワン・カステラチョコケーキ☆のページを見て、まぁかけるだけならオレにも…と、決めたレシピを確認して、本を閉じた。
 初心者にありがちな「まぁ見なくても出来るだろ。だってかけるだけだし、机の上に開いといちゃ邪魔だし」というミスである。

 市販のカステラを四センチ角に切る。出来上がったそれは、綱吉の性格を反映したようで、大小様々な物がクッキングペーパーの上に転がる形になった。
 まな板の上でガンガン板チョコを砕くのは楽しかったが、あまりにも調子に乗りすぎて自分の左手中指四oの所に刃がいった時は流石に心臓が止まった。チョコの中に鮮血を混じらせるなど一種の魔術である。その後の綱吉は、非常に大人しく、優しくチョコレートを細かく刻んだ。
 板チョコ十枚を見るも無惨な姿にした次は、ボールにお湯を注ぎその上にワンサイズ小さいボールを浮かばせる。ボールの中に細かく砕いたチョコを三分の一くらいいれ、ゴムべらでぐるぐると回した。少しずつ溶けていく中、甘ったるい匂いが台所中に立ちこめる。甘い。自分の体が鼻から甘くなりそうだ。
「う、うぐぅ」
 沢田家にマスクがあっただろうか。いやただの布でもタオルでも構わないと真剣に考える綱吉の頭の中に、そんな光景でお菓子作りをしているのは衛生面に気を付ける業者だけで、自宅で作る人間が「甘いから」を理由にマスクを付ける様子など見た事がないという考えは浮かばない。
 とにかく綱吉にとってこのチョコレートの香りの強襲は地獄だった。ココアの香りはすぐに消えるのに、この溶かす作業の匂いは一向に消えてくれない。それもそのはず、チョコレートは現在進行形で溶け、匂いはその場で作りだされていくのだから当たり前だ。
「ふぅ…全部溶けた……」
 溶けたチョコをスプーンで人さじすくい、クッキングペーパーの上に丸く薄く伸ばす。後々の飾り用だ。薄く伸ばしすぎて下が見えたり、楕円どころかアメーバのように四方八方に腕を伸ばした形もあったが別に構わない。食べられればいいのだ。
 とりあえずその円? と疑問符がつきそうな飾りは数枚余分に作り、綱吉はあらかじめ火にかけておいた牛乳を見た。
「………あ、」
 完全に放っておいたら沸騰していた。見事に。ぐつぐつと。膜がはり、臭みが凄い。
「………まぁ……平気だろ」
 綱吉は一瞥しただけで火を止めた。
 そして湯煎し終わったボールをお湯からあげ、テーブルの上に置いた中に、牛乳をそのまま投入する。普通ならここで適温まで冷ましたり、材料の量を計ったりしただろう。しかし綱吉はそんな事はしない。初心者だからだ。
 どばー、っと分量より大分多めに入ったボールを、綱吉は再びぐるんぐるんゴムべらで混ぜる。ココアのような色合いになり、綱吉はそれを見て満足だった。そこまでは美味しそうだったのだ。
 そして混ざりきったソレをカステラの上にかける。本来では多少の粘りがあるチョコがカステラにかかり、固まるまで冷蔵庫で冷やし完成、になるのだが、綱吉の手で生まれたソレはカステラが少しぶよぶよになっただけの、チョコケーキとは言えない物体だった。
「あれぇ? なんか写真と違う?」
 綱吉はここで、調理を開始して初めてレシピ本を開けた。
 写真の中のチョコケーキはつやつやとしたチョコをまとい、おまけに金粉と粉砂糖まで飾られているのに、綱吉の目の前にあるのはふやけたカステラだけだった。べっちょりとしていて、どうラッピングしていいのか解らない。
「……………生もの?」
 綱吉は首を傾げた。自分の調理に失敗した点はないと思っているからだ。
 その四角い物体を口に運ぶ。カステラの甘さが強く、チョコレートケーキなんていう名目を掲げている癖にチョコレートの味なんてあまりしない。
 それは本当にただの「ココアにひたしたカステラ」だった。
「う、うーん…? 平気…かなぁ」
 流石の綱吉もまずったかなぁ、と冷や汗をかいていたのだが、痛さを伴うツッコミは後ろから不意打ちで襲いかかった。
「言い訳ねぇだろっ」
「いてぇっ!」
 リボーンの土踏まずが後頭部に見事にフィットした。
 綱吉は危うくそのチョコケーキもどきに顔面から突っこむところだったが、最近養われ始めた反射神経によってその最悪の結果は回避した。
「あ……あぶね……っ」
「そのまま顔面突っこんでぐしゃぐしゃにしちまえばよかったものを」
「なんでそんな事言うんだ! こっ、これでも一生懸命作ったのに!」
「まぁいいか≠ナ済ませられる一生懸命は一生懸命じゃねぇ、このダメツナが」
「う……っていうか全部見てたんなら手順教えろよ! お前こういうの得意なんだろう!?」
 リボーンはあからさまに馬鹿にしたように、はっ、と鼻で笑った。
「他の奴の手が入ったバレンタインチョコなんて男が喜ぶ筈ねぇだろ。ほんとにお前は男の癖に男心がま、っ、た、く、わかんねぇ奴だな。ほんとに男なのか? シャマルが間違えたくらいだ、女だったとしてもオレは驚かねぇぞ」
「ひでっ、知ってるくせに!」
 綱吉は憤慨するが、リボーンは意に介さないようで、チョコケーキもどきをなめらかな仕草で奪い取りながら、綱吉の顔面にびしりと指先を突きつけた。

「お菓子作り初心者にありがちな、過信、大雑把、いい加減は今から一切するな。難しい事は言わねぇ。食える物を作れ=v

 うぐ、と言いたい言葉を遮られながら綱吉は思う。
 ――だったら買ってきた方が絶対に早いし、絶対に美味しいと。



「……………なんですか、コレ」

 六道骸の反応を見た瞬間、綱吉はやっぱりなぁ、不愉快だろうなぁ、と現実から目を一気に背けたくなった。
 手の中にあるのは薄茶のドット模様に赤いリボンが巻かれた、この時期に見れば「あぁバレンタインね」と一目瞭然な箱が一つ。その中には確かにチョコレートは入っており、綱吉は既に数人に配った後だった。

 獄寺君は「きょ、恐縮です嬉しいです冷凍保存して永久に保管し続けます!」などと言って食べる事をさりげなく拒否されたし、山本には「おっサンキューな、今から部活始まるから後で大切に食うぜ!」と非常食扱いされた。ランボには「ツナが作ったの〜? うっげー食えんのかなぁ」と目の前で馬鹿にされた。お兄さんは「極限!」と寒風吹く中ランニングをしている所をどうしても捕まえられず京子ちゃんにお願いし、ヒバリさんに至っては挑む事すらせず草壁さんに預けた。校内でカップルを襲撃しているのを目撃したからだ。きっとバレンタインはヒバリさんの中で風紀を乱す物に分類されているのだろう。

「………あ、あのチョ……チョコなんだけど……」
「は? チョコ?」
「うっ……いや、……クロームから聞いてない……?」
「何も聞いていませんが」

 骸はいつも以上に攻撃的に見えた。不機嫌そうに眉根を寄せて、綱吉の方を一切見ようとしない。二月の空気の中に身を浸すには骸の制服だけというスタイルは何とも寒そうで、耳を真っ赤にする程寒いならコートでも着ればいいのにと綱吉は思う。
「コートは着ないの?」と言わないのは理由が「お金がないので」だったら言葉に詰まるからだ。

「と、とりあえずこれ骸の分だから。受け取ってほしい…なぁ」
「…………僕の分って事は他の人にも配るんですか?」
「う、うん。他の人にはもう配ったんだ」
「僕が最後なんですか」
「うん。……あ、いや、だって骸が一番遠かったから! ごめんねこんな寒い中で待たせちゃって!」
「寒いのは別に構わないんですが……」

 骸の雰囲気は綱吉が解る程に一瞬ぴりっと電撃のような物が走った。綱吉は焦る。六道骸のこういう所が苦手だ。自分の行動のどこが骸の怒りに触れるかなど予想がつかないのだ。

「ま、まずくはないと思うんだよ? 一応リボーンに試食して貰ったし、母さんにもお墨付きを貰ったし、自分でも何個か食べてみたけどまぁまぁかなぁって」
「…………皆食べてるんですね」
「え? う、うん。皆に配ったから……」
「中身も一緒?」
「一緒だけど………」

 それが何? とばかりに骸をおどおどと見上げれば、骸は逸らしていた目を綱吉に向け、その手の中にある箱をじっと見つめた。

「チョコ」
「は、」
「僕はいりません」
「え!?」
「食べたくありません」

 ぷい、と今度は完全に体を向けた骸に、綱吉の体は強ばった。
 誰だ。一体誰のせいでこんな苦労をしたと思っているんだ。そりゃ言い始めたのはリボーンだけれど、そもそもの話、骸がチョコレート好きなんて話がなければこんなお菓子作りはしなくてよかったんだ。なのにその元凶がいらない? 食べたくない?
 努力を、無碍にされた。
 
 綱吉は俯きながら骸にチョコを押しやった。骸がさらにちょっと嫌な顔をするがおかまいなしだ。

「…………………わかった。いらないんだったらクロームにあげて。オレが持って帰っても仕方ないから」
「いらないと言っているでしょう。クロームだって別に食べたくありませんよ、ダイエット中なんですから」
「だったら犬か千種さんか、それかゴミ箱にでも捨ててよ。オレは持って帰りたくないから」
「捨てる……ってそれは…………」

 骸がは、と目を丸くした。

「君、何で泣くんですか?」
「…………泣いてない」
「今服の袖で拭ったでしょう」
「鼻水が出たんだよ。風邪気味だから」
「鼻み、………解りました。鼻水でいいですから、早く拭いて下さい。ハンカチは貸してあげます」
「う、うぅうううぅう」

 綱吉は骸に手渡された真っ白なハンカチが、クロームの持ち物でない事を祈りながら目に押し当てた。洗剤の香りか香水の香りか、はたまた骸の香りか。少しだけ柑橘系の匂いがした。

「……何で泣くんですか」

 骸が凄く落ち着いた声で理由を問う。
 優しくない言葉を吐きながら、そんなに優しく声をかけるな。理由はお前だ。

「ば、ひ、お、オレが、こんな、事にぃいい、骸がっ、なっ、う、うぅううううー」
「………あー、はい。えーと、何を言っているのか、僕にはさっぱり」
「骸の馬鹿ぁああああ」
「それは解りました」

 骸は面倒臭そうに一度だけため息をついて、ぽつりと呟いた。

「チョコ、僕好きなんです」
「う、うぅうう」
「本当に好きなんです」
「う、けほっ」
「だから君からのチョコだってこの日じゃなかったら受け取ってました。でも、今日は、この日にだけは受け取りたくありません」
「……うえ?」
「バレンタインデーに、君からチョコは受け取りたくありません」
「……ん、なんで、?」
「解っていないからですよ」

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で見上げた綱吉の両目には、悔しそうに、はたまた悲しそうに眉尻を下げる骸の姿が映った。

「君が解ってないからです」

 そうして骸は結局受け取らずに去ってしまい、渡し損ねたチョコを抱えてすごすご家に帰れば、リボーンに物凄くいやーな顔をされた。何があったのかを所々端折りながら話したら益々嫌な顔をされて、「青い奴らだぜ」と鼻で笑われた。
 青い髪をしているのは骸だけだと、ラッピングをむちゃくちゃに破ったチョコを口に含みながら綱吉は怒った。

 チョコは美味しかった。
 でも少し、苦かった。


「随分進歩しましたよねぇ」

 近づく二月十四日。
 既に恒例と化している、ボンゴレボスによる部下に対してのチョコレートの配布を間近に控え、骸を試食者に据えての試作品作りが私室備え付けの簡易キッチンにて行われていた。
 山と積まれた多種多様のクーベルチュールチョコレート、小麦粉、卵、牛乳、フルーツ、マシュマロ、グラノーラ、ワイン、そこに並べられているのはショコラティエですら満足するであろう食材の山と、完璧に整理された道具だった。しかし中央で既に何種類か作っているのは一流のショコラティエではなく、マフィアのボス、ボンゴレ十代目その人であった。
 ボスによるチョコ配布はボンゴレ内での伝統行事になりつつあり、流石に下部構成員まで配りきれるものではないから、ボス手作りのチョコを口に出来る事は一種のステータスですらあった。
 配り始めたのは何年前の事だったか。
 初めて作ったのは十四の時で、確かその次の年くらいから「打倒六道骸!」でチョコ作りを本格的に開始したのだ。
 チョコのレベルを上げようと思ったのは、骸が綱吉の手作りチョコはまずくて、バレンタインという大切な日に口にしたくない代物だと考えていると思ったからだ。
 しかしそれから数年が経ち、どんな人物が口々に絶賛たとしても、骸はバレンタインの日には受け取らない。他の日の試作品は食べるにも関わらず、だ。

「昔は昔……だよっ、と。仕方ないだろ? 何にも知らなかったんだから」

 沢田綱吉はその細い腕に巨大なボールを抱えながら、一種の地獄であるホイップを手動でしていた。自動ももちろんあるにはあるのだが、綱吉は混ぜた、と実感が沸く手動の方が好きだった。
 いくら腱鞘炎になりそうな程疲れても、手動の方が手になじむ。

「作れば慣れるもんだよ」
「色々と、ですか?」
「色々とね」

 骸は積まれた果実のボールから苺を一つ、盗み食いした。

「もうちょっとでバレンタインデーだよ? 骸」
「そうですね。でもそれが?」
「……今年も受け取ってくれないの?」
「……さぁ。それは君次第ですよ」
「オレはお前次第だと思ってるけど」

 ボールを抱えながら綱吉がにや、と笑う。骸はそれを見て面食らった。
 流石の綱吉にだって解る事がある。
 自分より先に気づいた山本や獄寺君達に「俺達に配んのは十三日でいいんじゃね?」と気を遣わせてしまったのは申し訳なかったし、毎年毎年理由も解らないイヤーな目線を送ってくるリボーンやヒバリさんにも辟易していた所に、六道骸がバレンタインにチョコを受け取らない理由として落ちていた答えは、至極簡単な物だった。

「お前って本当意地っ張りのくせにプライドが高いっていうか、なんというか」
「……何を言わんとしているやら」
「今年はお前にしか渡さない、って言ってんの」
「は、」

 骸は目を丸くした。

「何を……今だって部下へ渡す物の試作品を作っているのに……」
「別に当日渡さなくたっていいだろ? 前日にでも渡そうかと思ってさ。だから、十四日にあげるのはお前だけ。お前にしか渡さない、お前専用のチョコレート。どう?」
「……………十年前に受け取らなかったからって……。君って結構根に持つタイプだったんですね」
「当たり前。っていうか他に言う事ないの? 他の奴と一緒にされるのが嫌だったとか、義理チョコなんて欲しくないとか」
「それを理解するのに十年もかかるなんて遅すぎです」
「う、……いや、まぁそれは、お前の気持ちには数年前から薄々気づいていたけど、自分の気持ちが解らなかったっていうか――って、その他に何か言う事は!?」

 骸はくふふ、と笑って綱吉に近づいた。
 伸ばした腕を綱吉の頬に触れ、嬉しそうに微笑む。

「君は僕の気持ちも、自分の気持ちも理解したと言った。だったらチョコを受け取った時点で君は僕の物になる。それは解ってますね?」
「わ、解ってるよ」
「離すつもりはありませんから。僕、甘い物大好きなんで」
「お前専属のショコラティエになれってか」
「違いますよ。以前から言っているでしょう」


 骸は綱吉の唇に、触れ合うだけの口付けを落とした。



「僕にとっての甘い物は君だけです」










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