吹雪の妊娠・結婚騒動に、それこそ孕ませた相手である南雲を殺しかねない勢いで怒髪天を衝いたのは、弟である敦也と、吹雪の友人である豪炎寺・染岡の連合軍であった。
「はーいっ、ではこれよりっ南雲さんをどう××してやろうか会議を開催しますっ」
全力の笑顔で公共の電波放送ならば機械音を入れなければならない台詞をさらりと吐いたのは、名実共に虎ノ屋の主人となった宇都宮虎丸であった。
数年前から変わらない店内だが、メニューは定番物が増えつつある。
店主である虎丸が、定期的に新メニューの試食会を行い、人気があったものをどんどんメニューに追加しているせいだ。
虎ノ屋の客は以前よりぐっと増し、書き入れ時である休日の昼間などいつもなら客で溢れかえっているのだが、今日は暗い顔で黙り込んでいる豪炎寺・染岡と、既にソースカツ丼を平らげた円堂、渋い顔で唇を引き結んでいる鬼道、ピリピリしている吹雪敦也、そしてその中心にいながらも欠伸をかく南雲の姿しかなかった。
入り口には臨時休業日の札が下がり、時々客の「なんだー休みかー」と残念そうな声が聞こえてくる。
「虎丸てめぇ、俺ここにいんのに本人目の前にして××とか言うなよ」
「え、でも南雲さん、仕方ないんですよ。今日はそういう話し合いって事で集まったんですから」
南雲がこの集会に呼ばれたのは吹雪からメールが来たからなのだが、確かに何故集まっているのか理由を知らなかった。
それに着いてみればこの押し黙った面子が既に到着し、吹雪の姿はどこにもない。
「……吹雪から呼ばれたから来たのによ、何だこれ」
不満たらたらで呟くと、敦也ががたりと立ち上がり、南雲の顔を指差した。
「姉貴の携帯を勝手に使ってメール出したのは俺だよこのストーカー野郎…っ」
「ストーカー?未来の義兄に対して随分な言い草だなぁ、敦也」
「義兄とか言うなっ、俺は絶対に認めねぇからな!」
「別に認めるも認めないも…って何だお前ら、それで文句言いに来たのか」
ぐるりと見渡すと、円堂と鬼道以外の目から殺気が溢れた。
虎丸は司会進行と場所提供の役割らしく、参加する気はないらしい。
「いや…俺と円堂は、吹雪の結婚祝いに何を送ろうかと相談をしに来たつもりだったんだが…」
鬼道が視線を外しながら南雲の言葉を訂正すると、円堂もそうだぞ!と同意した。
「でも来たらこうだったんだ…」
「虎丸!イカ焼きが食べたい!」
「円堂さん、話の腰を折るのは止めましょうね」
円堂は完全に食事に来ており、鬼道は困惑しているようだった。
南雲が見る限り完全に二派に分かれている。
つまりは祝福する側と、しない側に。
「お前らさぁ、ここでんな文句言っても子供は生まれるし。別に出来たからって理由で訳でもねぇけど結婚もするぞ。俺には養える財力も蓄えもあるし、何より吹雪を愛してる。何に文句があるって言うんだ」
「「お前の存在だ!」」
異口同音。正に言葉の合唱だった。
「…お前ら…揃いも揃って年上に向かって…口の効き方から教えてやった方がいいみてぇだなぁ」
南雲が九割キレた状態で身を乗り出す。
残り一割は年長者としての人格と、吹雪を手に入れた事での優越感だ。
「おぅ上等じゃねぇか、やるってんなら相手になってやるよ。前みたいに警察に助けてもらえねぇように見ため人間だと解んなくしてやるぜ」
「……問題を起こしても俺達にはあまり関係ないしな。いい加減お前も試合出場停止にでもなれば懲りるだろう」
染岡と豪炎寺が揃って臨戦態勢を取り、その一触即発の雰囲気をひしと感じ取った鬼道が間で慌てる。
「何してるんだお前ら、止めろこんな所で!ほら円堂、お前も何か言ってやれ!」
「ん?何がだ。鬼道も何か虎丸に頼めばいいだろ」
「ほらお前ら!円堂が飽きてそもそもの理由すら忘れてしまってるじゃないか!」
元々熱気が強いFW陣だ。
相乗効果でヒートアップしていき、さぁ誰かが微動でもした乱戦になるぞ…という所で、もう一人の元凶が現れた。
吹雪士郎その人だ。
「こんにちはー…ってあれ、皆揃ってる」
「吹雪!」「姉貴!」
一瞬にして喧嘩の雰囲気は消え去る。
揃いも揃って、喧嘩が嫌いな吹雪の前では猫を被っているのだ。
「虎丸君こんにちは。お邪魔します」
「吹雪さんこんにちは。それにしてもどうしたんです?一応休業の札を出しておいたんですけど…」
「あっそうだった、別に食事に来た訳じゃなくて……」
室内を見渡して、目当ての顔を見つけた途端に吹雪は肩を怒らせた。
「こら敦也!僕の携帯勝手に使ったでしょ!」
「げっ、なんでばれたんだよ!」
「送信履歴は消しても、それに返信してきた南雲君からのメールは消してなかったからね。南雲君は必ずオウムメールを随分時間が経ってからくれるんだよ」
吹雪が言う所のオウムメールとは、何月何日何時に待ち合わせね、と吹雪がメールを送ると、何月何日何時に待ち合わせ。了解、と返信が来る事だ。
「南雲君は遅刻が多いから、僕からのメールには必ずそうするようにって言って、それからずっと守ってくれてるんだ」
「――吹雪、そういう事は言わなくていいから」
「なんで?」
「……いや、もういい」
南雲が恥ずかしそうに首を振った。
吹雪の前ではどんな狂犬の牙もたちどころに折られてしまう。
「…で、なんで今日は皆集まってるの?何かの行事?」
「いや…」
鬼道が言葉を濁したが、豪炎寺が一言で言い切った。
「男だけで話さなくちゃならない事があったんだ」
「そうなの?」
吹雪が聞くと染岡と敦也と南雲が頷き、鬼道は曖昧に笑った。
「じゃあ仕方ないか…」
「姉貴、どうかしたのか?」
「敦也を怒りついでに車を出して貰おうかと思ったんだけど、忙しいなら大丈夫」
「何だよ、どこ行きたいんだ」
敦也ではなく南雲が会話を引き継いで聞くと、吹雪がうん、と首を傾げた。
「隣町のスーパー。さっき木野さんから特売広告の写メを貰って」
「いいよ、俺が車出す」
南雲が席を立とうとすると、敦也が吼えた。
「姉貴は俺に頼みに来たんだ!」
「だってお前車で来てねーだろ。吹雪、ほら。そこのコンビニの所に停まってるから先に乗ってろ。車はわかんだろ?」
車の鍵を吹雪の方に柔らかく投げると、放物線を描いて掌にキャッチされた。
「ありがとう。でも本当にいいの?僕は後でも構わないよ?」
「いいよ。そもそも俺敦也に騙されて来ただけだし。後で怒っといてくれ」
「あっ、ひでぇ!」
「敦也…とりあえず保留だからね。逃げちゃ駄目だよ」
吹雪が敦也に念押ししながらピシャリとドアを閉める。
直後に溢れた空気はしん、と静まり返っていて、喧嘩の雰囲気は完全になくなっていた。
「――お前らさぁ、俺を認めないっつーけど誰なら認めるんだ?自分か?」
南雲が腰に手を当てながら言う。
「吹雪は俺を選んだ。努力した俺をだ。お前らはしたのか?まぁしてないだろうな。してたらこんな所でぐちぐち文句なんて言わねぇ」
「……!」
「お前らがそれだけだったって話だ、いいだろ。それに…」
ふてぶてしさを消して、南雲が自嘲気味に呟いた。
「俺だって…いつ見限られるかわかんねぇのに」
「…南雲……」
「――ま、飽きられないように色々考えてはいるけどな」
立ち上がり入り口の方へ歩いていく。
そして南雲が扉を閉め際、にやりと笑った。
「あっちの方とか」
各々が机に突っ伏す。
先輩達のそんな情けない姿を溜め息混じりに見た虎丸は、唯一冷静そうな鬼道に疑問を投げ掛けた。
「なんか南雲さんの圧勝って感じですね。これが大人の余裕って事ですか?」
「選ばれた者の余裕だろう…」
鬼道もこの一難に溜め息をつく。
とりあえずこの空気の中、鬼道は目の前の恋愛の敗者達が虎ノ屋で飲んだくれるだろう未来を見据えて、明日の自分のスケジュールの心配をした。