朝、家を出る時に弟に顔が怖いと言われた。

今からデートと言う戦地に赴く女子に何て失礼な事を!と怒ろうとしたが、自他共に認めるシスコンの弟に言われてしまうぐらいだ。
鏡で確認は出来なかったが、表情に滲み出てしまうぐらい感情が強かったのだろう。

恋人との三週間ぶりのデートの日。

吹雪の人生で初めての恋人は、十七の頃に告白されてからもう三年の付き合いになる。

出会いはアルバイト先でのしつこいナンパだった。

しつこいナンパを追い払って貰い、それに対してなんて紳士的でカッコいい人だとときめいたのなら友達にも話しやすいのだが、この男はナンパをする方の男だった。
呆れるぐらい、とにかくしつこかった。

高校の同級生でアルバイト仲間でもある男友達数人に頼み、奴と話を付けて貰おうと思ったら警察が呼ばれる間際の喧嘩になるし、しっかりとお付き合い出来ないと伝えても、好きでいるのは構わないだろ?との返事で今考えても立派なストーカーの思考具合だ。

しかしこうして今付き合っているのは、しつこさに吹雪が折れたからだ。

男は何度だって挑戦して、何度断られたって絶対に諦めなかった。

吹雪はモテる方で、告白だって何度も受けた事がある。でもここまで食い下がってきた人間は始めてだった。

ここまで思ってくれるのなら、自分に優しくしてくれるだろう。

そう考え直し、しつこさに根負けして付き合い始めたらこの男、なんと雑誌などでも特集を組まれた事のある若手サッカー選手だった。



吹雪の今日の服装は、外気温に合わせているのだとしたら少し厚めの格好だ。靴もヒールがある物を止め、靴底の薄い物を選んだ。

戦地、に出向く兵士はこんな気持ちなのだろうか。

吹雪は本日この秋晴れの晴天の下、もしかしたら振られるかもしれないのだ。



待ち合わせ場所に行くと珍しく男のほうが先に着いていた。
吹雪の姿を見つけるとジャケットに突っ込んでいた手を上げ、こちらに向かって大きく振る。
「ごめん、待たせたかな」
「待ってねーよ。つーかまだ時間前だしな」
駅前の時計を見てみれば、確かに吹雪が指定した時間の5分前だった。
吹雪は何時も通りだったが、男が珍しい行動を取ったのだ。
「珍しいね、南雲君が遅刻しないの」
「いつも遅刻してるような言い方すんなよ、ちゃんと来てるだろーが」
「そう?基山君達が言ってたよ?晴矢は試合にも遅刻するって」
「……お前、俺の知らない間に俺のダチと連絡取り合うの止めろよ…」
南雲晴矢。東京ライオネスと言うJ1のサッカーチームで、若くしてスタメンを任されている実力者だ。
弟の敦也もサッカー選手としての南雲は知っていたのだが、姉を困らせる男の正体がそいつだと知って、憧れと嫌悪が交錯しながらも憤慨していた記憶がある。

彼がよくつるんでいる基山ヒロトと涼野風介とも南雲繋がりで親交があるのだが、南雲抜きでも意外と気が合ったりしているので友人として普通に付き合っている。
しかし話題に上げると不機嫌になるので、こっそり食事に行ったりしているのは南雲に秘密なのだ。
「つーかとりあえず移動するか。どこがいい?何か見たいもんとかあるか?」
「んー…あのさ、ちょっと話したい事があるから、どこか落ち着いて座れる所がいいな」
「話?…じゃあ先に飯にすっか。この間いい飯屋教えて貰ったんだよな」

にかっと笑って、先導するように歩き始めた。
南雲は初対面の人間を怯ませる程に敵意むき出しで、言葉遣いも悪いが心根は優しい。
初めて基山に会った時も「口は悪いけど悪い奴じゃないから、よろしくしてあげてよ」と言われた。
涼野に至っては無表情で「まだ最悪ではない」と断言して、基山に頭を叩かれていた。

確かに南雲は誰彼構わずこの口調なのでもちろん嫌な空気になる時もあるのだが、そこは彼のキャラクターか周囲の人間の努力か、そこまで問題視される事はなかった。
もちろん本当に必要な場でのフォーマルさを南雲が理解していると言うのも一つの重要な部分だろう。

南雲が人から教えて貰った場所は、駅前より脇道に反れた小さな洋食屋だった。
お昼時より少し前に時間がずれているからか、店内に居る客は吹雪達の他には三組いるだけだった。
店は年月が経った故の味のある木の作りで、メニュー表は青い万年筆のインクで書かれたシンプルな物だ。
店内には染み込むようにジャズが流れていて、ガラスケースにディスプレイされたデザート用のケーキが甘く香る。

細工に凝った椅子に座れば、臙脂色のエプロンをつけた年配の女性が水を運んで来た。一口飲めば、それがカルキを抜いた水道水でないのが良く解る。
わざわざミネラルウォーターを給仕してくれているのだろう。良い店だと紹介した気持ちが解った気がした。

「とりあえずオリジナルブレンドのコーヒーと、ミルクティーで。食事はまた後から頼みます」
水を持ってきた女性に飲み物だけ頼んだ南雲は、「コーヒーが美味いって教わったんだ」と笑った。
「ほらメニュー表。軽食もデザートも美味いって言ってたぜ」
吹雪にメニュー表を手渡す。
こういう時もレディーファーストなんだよな、とぼんやり思いながら吹雪は自分のお腹と相談する事にした。

正直お腹はまだあまり空いていない。でもガラスケースに入っていたデザートは充分脳と視覚に刺激を与える物があったので、とりあえずデザートを注文する事にした。
南雲は軽食を選び、「食べたくなったら遠慮なく俺のつまむか新しく頼めよ」と、飲み物を持ってきてくれた店員にそのまま注文した。

「で、話って?」
南雲はブラックのままのコーヒーを飲んだ所で口を開いた。
吹雪も目の前に置かれたティーカップをこくりと飲み干して、まっすぐにこちらを見る南雲に視線を返す。
「話……」
「あるって言ったじゃん。そもそも俺が先に来てたのが珍しいって言ったけどな、お前からデートしたいって電話くれるのも相当珍しい事だったぞ」

確かに今回呼び出したのは吹雪だった。
何処に行きたいな、あれが食べたいなと言う事はあっても、「じゃあ行くか」と計画するのはいつも南雲だから、吹雪から言い出したのは珍しい所か、初めての事だったかもしれない。
吹雪は緊張気味にカップを置いた。
「あのさ……」
「うん」
「……」
「何だよ、言えよ」
「…急かされると言いづらいなぁ」
吹雪は眉を顰めるが、南雲はそれ以上に不愉快そうだ。
常に不満の方にメーターが傾いているとは言っても、これでは不安になってしまう。
「まぁちょっと、驚かないで聞いて欲しいんだけど…南雲君は今二十三だよね」
「後三ヶ月で二十四だな」
「僕は二十歳な訳だけど」
「それは知ってる。だから何なんだって」
「これ、見て欲しいんだけど」
吹雪が鞄から取り出したのは一枚の白黒の写真だった。
写真、とは言っても普通のL版の硬い写真用紙などではなく、もっとぺらぺらとした紙だ。
印字がされている方の片面がつるつるしており、その裏には何も書かれていない。
描かれている面には、一体何なのか、扇状の黒の中に白い模様がいくつも浮かんでいた。
「なんだこれ。写真か?」
「うん、写真だよ。超音波」
「超音波?」
「赤ちゃんの写真だよ」

――南雲が、止まった。

「昨日行って来たんだ。一応きちんと子宮内に着床しててね、五週だって言われたよ」
「………」
「……それでね、お医者さんにパートナーの方と相談しなさいって言われた。産むか…おろすかの話なんだけど」
不安そうな吹雪の声に、南雲が少し俯きながら応えた。
「…吹雪、何で俺に言わないで一人で病院行ったんだよ」
「……ごめん」
「俺も行きたかったのに」
「……は?」
吹雪は目を丸くした。
「他の奴にはまだ言ってないよな?」
「うん、まだ誰にも言ってはいないけど…」
「俺に最初に言ったのならまぁいいか。おめでとう吹雪、でかした!」
南雲の両手手放しの大声での歓喜に、カウンターの中にいた店長やスタッフが驚いた。
しかも他のお客さんには会話が筒抜けだったらしく「兄ちゃんおめでとう!」と拍手される始末である。
吹雪はこっちの身が恥ずかしくなり、身を竦めて赤くなった。
「とりあえず、え、となんだろ。産んでいいって事?」
「いいに決まってんだろ。何だお前、そんな事心配してたのか」
「するよそりゃ……まだ若いし、南雲君だってまだ選手としてこれからなのに、いいのかなって思って」
「奥さんと子供一人増えたぐらいで俺の能力が下がる訳ないだろ。むしろやる気が上がるってもんだ」
「……奥さん?」
「お前の事に決まってんだろ」
南雲は上着のポケットからパールホワイトのケースを取り出し、吹雪の目の前で開けた。
中に入っていたのはプラチナの細身の指輪だった。
「こんな風に使うつもりで今日持ってきた訳じゃなかったんだけどな」
「どういう事?」
「お前があんまり深刻な声で電話してくるから別れ話かと思ったんだよ。で、別れて欲しくないからすがろうと思ってさ。緊張して柄にもなく早く着いちまうし」
「……そういう事は言わなくたっていいのに」
「いいだろ。それにその心配は半分だけだ」
「もう半分は?」
「…お前が、おろしたいって言うのかと思って」
「……知ってたの?」
「確信はなかったけど、してるかもなぁぐらいには思ってた。お前、あんまり自分の生理周期把握してないだろ」
「……」

確信犯か、と吹雪は顔面を殴りたくなった。
自分が今まで心配してきたこの期間は何だったんだ。それこそ胎児に悪影響を及ぼしているかもしれないのに。
吹雪は本気で拳を握り締めたが、止めた。
この手は指輪を嵌める指でありいつかは子供を抱く手だ。殴ってはいけない。

「指輪、嵌めてもいいか?」

それにいきなり黙りこんだ吹雪を心配してか南雲が恐る恐る聞いてきて、吹雪は噴出しそうになる。
なんて情けない顔だろう、これでは怒る気力もなくなる。

きっかけはあれだが愛しているのも本当だし、それにこの男の笑顔が見れて、安心しきってしまっている自分が居るのも事実なのだ。


「幸せにしてね」
「バカ、当たり前の事言うな」










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