赤茶色の煉瓦による外壁で外国を意識したような、周囲から少し背の高さで群を抜いた十五階建てのマンション。高級感溢れる街灯は転々と道路を照らし、部屋番号独自に決められたオートロックシステムを難なく看破した吹雪は、エントランスホールからエレベーターに乗り込んで十三階のボタンを押した。

 目当ての部屋のチャイムを押ししばし待つ。そして部屋の主が扉を開けた瞬間、その主の姿を見た吹雪は呆れた。

 寝癖で乱れた頭髪をかきながら、無意識の内に寝ましたが皺にならないようにシャツだけは脱ぎましたよ、とばかりの裸の上半身にくたびれた黒のジーンズ姿。
 一応院内でも院外でもイケメンで通っている筈の従兄弟の姿を、吹雪はため息混じりに見返すしかなかった。寝ぼけ眼の主は未だに視線がふらついていて、注意などなんの意味もない。
「修也先生そんな格好で扉を開けたりして。僕がもし変質者とか恥女だったらどうするの」
「……平気だ。インターホンで確認している」
「もしかして無害そうだったらその格好で出てるの? 宅配便とか?」
「あぁ。出…………いや、出てない」
 豪炎寺は言ってから気づいたのか、吹雪の怒りが出ないように言葉を変えようとしたがそんな事で誤魔化されたりしない。
 ――出てるな。寝起きの豪炎寺は余り頭の回転がよろしくないのだ。
「とりあえず、はい。一応頼まれてたのは買ってきたよ。から揚げと、ケチャップ煮と、煮付けと白米ね。あとバランス悪いと思ってシラスのサラダも買ってきたから、野菜も食べるんだよ? あとこれおつり」
「ん、悪い」
 お金と食べ物を受け取ってから直ぐに、惰眠を貪りたいのか豪炎寺は盛大なあくびをした。
 吹雪はそれを見て、自分より一回りも年上の男性を見て抱く感情ではないと解っているのだが、全く、と思ってしまう。夕香ちゃんがオチオチ結婚出来ない訳だよね。平時は格好いいのに、吹雪の目から見ても、豪炎寺の寝起きは頼りない。
 そんな事を吹雪が考えているなど知ってか知らずか、豪炎寺が首を傾げた。
「オカラのクッキーはどうしたんだ。焼いたって言ってなかったか?」
「残念。今日はないよ、他の人にあげちゃった」
「そうか……」
 豪炎寺が残念そうに眉根を寄せる。実は吹雪の作ったお菓子が好物と言ってもいいぐらい、味覚に合致しているのだ。クッキーを作っていると電話で言っていた時から密かに楽しみにしていたのだが、持ってきてくれると事前に言っていた訳ではないので、残念がる事自体が間違っていると自分自身で唸る。
 しかし吹雪は豪炎寺の無言の中に何かを読みとったのか、くすりと微笑んだ。
「そういう顔しないで。後で何か作るから。何がいい?」
 一瞬思案顔になってから、豪炎寺は真剣に言った。
「ニンジンケーキ」
「クリームついた奴ね。いつになるかわからないけど、作った時には持ってくるから」
「あぁ」
 そんなやり取りをしながら、吹雪は玄関先に見慣れぬ靴がある事に気がついた。豪炎寺の趣味ではないから、恐らく客人が来ているのであろう。
 ならば玄関先で長話をするのは良くない。吹雪は豪炎寺を見上げた。
「誰か来てるの?」
「あぁ半田が来てる。教授から六時間オーバーのオペ映像を何本か借りて、今日は珍しく休みが合ったから、昨日は仕事帰りに直接こっちに来て、ぶっ通しで見ていて……今は潰れてリビングで寝てる」
「じゃあ僕は帰った方がいいね。半田さんと、勝也伯父さんによろしく」
「あぁわかった。こっちもまた何かあったら頼むかもしれない」
「夕香ちゃんも彼氏が出来てからはお兄ちゃん最優先じゃなくなっちゃったからね」
「………」
「ふふ、じゃまた何かあったらメールか電話してよ」
 ひらひらと手を振って別れを告げる吹雪を玄関先にもたれて見送って、吹雪が乗ったエレベーターが閉まったのを確認してから、豪炎寺は惣菜を持ってリビングに戻る。
 すると寝ていた筈の半田が目を覚まし、腕を伸ばしながらソファーに座っていた。
 起こしてしまったようだ。あれだけ話していたら仕方ないかもしれない。
「……あー、誰か来たのか?っておぉ飯だ、やったぁ食おうぜ!お前の家ってマジ冷蔵庫ん中何もねぇんだもん。……って来たの彼女さんだった?俺いちゃまずい?」
「違う、従兄弟だ。父さんの弟の息子」
「豪炎寺部長に弟なんていたんだな。まぁ興味もないけどさ。さていっただっきまーす」
「俺の飯……」
「この量が一人前一食分の訳ないだろ。それにどうせ寝起きだとお前食えないじゃないか、とっといてやるから先に俺の腹を満腹にさせてくれよ」
 近くにコンビニがあるのだからそこまで行って弁当でも買って来いと言いたかったのだが、豪炎寺は何も言わず、惣菜を奪われて軽くなった身を力なくソファーに落とした。半田に言われた通り今すぐ何かを口に出来るような胃の作りはしておらず、そもそも寝起きでは戦う力がない。
 オペ映像が網膜に焼きついたように目の前をちらちらと渡る。疲れ目で霞んでいるかもしれない。やはり実際オペ室に立つのと、手元の映像だけを見続けるのは種類の違う疲れがあった。
「しかしあれだな、染岡の話だけどさ。なんでわざわざそっちに行っちゃったって感じだよなぁ」
「まぁそうだな」
 豪炎寺はテーブルに放ったままで、少し温くなってしまったミネラルウォーターのペットボトルを呷ってから、同意を示した。
「染岡は俺なんかモテないっていつも言ってるけどさ。ありゃ自覚ないだけだよなぁ」
「染岡は基本的にどれだけ好意を示されたって、自分好みの女しか目に入らない性質だからな。理想も自分が言っている以上に無自覚に高いし」
「勿体無いよなぁ。ほらこの間の合コンの那加ちゃん。髪長くってルフィリアの指輪つけた子、俺あの子狙いだったのにがっつり染岡の事見てんの! あん時はマジがっかりしたね!」
「……良くそんな指輪のブランドまで覚えているな、お前は」
「女の子は髪型とか服とかはもちろんだけど、細かいセンスを褒めても喜ぶんだよ。ま、あんまりブランド小物に詳しすぎても引かれるから加減が難しいんだけどな」
「そうか」
 顔でモテるのが豪炎寺で、会話でモテるのが半田である。

 そしてその時豪炎寺の携帯が鳴った。仕事用ではなくプライベート用の黒い携帯のサブウィンドが、先ほどまで訪れていた人の名前を光輝かせる。豪炎寺は通話ボタンを押した。
『あ、修也先生? 今大丈夫?』
 やはり吹雪だった。ちらりと半田を見ると手を振って、俺に構わず話せよと目配せしてくる。ならばこのままここで話しても問題はないだろう。
「なんだ? 忘れ物か?」
『忘れ物っていうか伝え忘れたっていうか。修也先生って産婦人科の染岡先生と仲いい?』
「同期の同僚だし、話すぐらいには仲は悪くないが」
『だったら暇な時でいいから、タッパー預かって貰っちゃダメかな。今日あのお惣菜屋さんで会って、ごめんね、あのクッキー染岡先生にあげちゃったんだ』
「それは構わないが……なんで染岡? 知り合いだったか?」
『うん。この間ちょっとお世話になってね』
 この時豪炎寺の頭には嫌な予感があった。
 直感というか虫の知らせというか、とりあえず全身が怖気立つような、本気で遠慮したい感覚だった。

「――っお前か!」
 電話口で叫ぶと、こちら側にいる半田もそうだが、相手である吹雪も驚いたようだった。
『え、え、何が?』
「お前この間産婦人科に来たのか」
『うん行ったけど……別に僕がかかった訳じゃないよ?』
「そんな事は解っている」
 問題は自分の従兄弟に、染岡がそうとは知らず恋をした事だ。
「タッパーは預かっておくが……染岡にはあまり近づくな。いいな?」
『……なんかあれだね。夕香ちゃんに言うみたいな事を僕に言ってるね』
「……とにかくだ。出来る限り、だ。解ったな」
『はーい』
 通話音が切れた携帯を、豪炎寺は直ぐに畳む事が出来なかった。
 なんとなく言葉の切れ端で内容を汲み取った半田が、恐る恐る声をかける。

「もしかしてその電話の従兄弟君って……――吹雪士郎君?」
「名前を……名前を先に聞いておけば良かったんだ」
 ぶつぶつと独り言のように何かを念じ出す豪炎寺に半田は若干引きながらも、豪炎寺の言葉を待った。
 豪炎寺は一通り呟いてから、何かに目覚めたような、決心をした顔で宣言するように半田を見た。

「半田、俺は自分の感情を優先する。俺は士郎が心配だ。だから染岡との恋なんて許さないぞ」

 妹にも過保護過ぎだったが、従兄弟にもそうだったのか。半田はご愁傷様と思いつつ、苦笑いで「好きにしろよ」と返事をする。

 さぁて、可哀相で面白い事になってしまったなと半田はソファーに頭をぶつけた。


 結局、同僚の力を得たとて、染岡の恋は更に前途多難になるだけなのである。










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