個人病院より大きくて、大学病院よりは少し小さい昔からある地域の病院。そういった住民の認識がある病院が染岡の職場だった。


「染岡は何で頭を抱えているんだ?」

 豪炎寺が外科外来での診療を終え、飲みかけの缶コーヒーを片手に歩いてくると、染岡が自分の机で頭を抱えて唸っていた。
 診療で何か患者とトラブルでもあったのかと、豪炎寺が心配して声をかけると、やけにニヤニヤ笑った半田が「違う違う」と手を振って染岡の代わりに否定した。
「染岡な、今頭の中が春なんだよ」
「春?何を言っているんだ。今は秋だぞ」
「あーもー、季節の話じゃないって。恋の話だよ、こいのはなし」
「恋だって?」
 年代よりは若いとは言っても、三十も過ぎて随分可愛らしい表現をするな、と思ったら染岡にとってもそれが不本意だったらしく、背中から怒りが溢れ始めた。
「恋じゃねぇよ!」
「恋だろ。お前の話聞いてる限りそうとしか思えないって。いーねー、何か最近こんな純粋な話聞いてなかったかもな。昔を思い出すぜ」
 うんうん、と頷く半田の隣で話が全く解らない豪炎寺は眉根を寄せた。
「結局どういう事なんだ?恋の相談に……は乗れないかもしれないが、話ぐらいは聞くぞ」
 恋愛に関しては父親に朴念仁と言われ、妹にすら「お兄ちゃんと結婚する人は読心術がなくちゃダメね!それかエスパー!」と言われてしまう豪炎寺だ。もし相談として言われても明確な返事など出来る訳がないし、もしそれを染岡が求めているのなら豪炎寺は携帯で妹を呼び出した方が正答を言える可能性は確実に上がる。
 まぁ、染岡が二十代の女子にそんな相談が出来るかどうかもまた別問題だが。
 染岡は恥ずかしいのか照れているのか、そもそもこの話を半田にした事を後悔しているのか完全に黙ってしまい、豪炎寺への返答はまたしても半田が引き継いだ。
 他の人の話を半田がするのもどうかと思ったが、目の前にいる染岡が止めないのだ。自分で言うのは恥ずかしいが、聞いてもらいたいという気持ちがあるのだろう。
 豪炎寺も黙って耳を傾けた。
「三日ぐらい前さ、受付の前で大泣きしている女子中学生がいたって話誰かから聞かなかったか?」
「あぁ…看護師がそんな話していたかもしれないな。いきなり女の子が泣き始めて、外救の看護師が痛みか吐き気かと慌てて行ったらパニックを起こしていただけで、別に容態が悪かった訳ではなかったから受付の事務が診療科に案内して、それで事は済んだと聞いたが」
「まぁ大体そんなトコだな。それで案内されたのが産婦人科だったって訳だ。女子中学生、パニック、産婦人科と三拍子揃ったら想像つくだろう」
 豪炎寺も小さく頷いた。
「妊娠か」
「そ。五週だって」
「九月だからな……夏休みが終わって、時期が時期か。最終月経が八月の頭って所か。でもそれぐらいで気づいたんなら偉いんじゃないか?この間救急で運ばれてきた子宮口全開の妊婦は、陣痛をただの腹痛だと言い張って、妊娠してる事に全く気がついていなかったらしいぞ」
「……まぁそれもあんまりいないタイプの患者だけどな。とにかくそれを染岡が診察したんだけど、ひたすらすぐに中絶したい、って事しか言わなかったんだと。でもまだ五週だからそもそもアウス出来ないし、心拍もまだだし外妊かどうかも解らないだろ?だから一週間後に診察に来るように言って帰したんだ。確認をした後でもアウスは間に合う週数だし、お金もかかる事だから親御さんとよく相談しなさい、って。未産だから入院になるしな」
「……というか染岡の恋の話でその話題が出るって事は……もしや……」
 豪炎寺の頭の中を嫌な想像が過ぎり、まさかといった気持ちで呟くと、今度は今まで黙していた染岡が思い切り否定した。
「違う!患者じゃなくて付き添いで来た方だ!」
 あまりにも居た堪れなくなったのか染岡が怒鳴ったが、一瞬言ってしまったと固まってから、直ぐにまたあの頭を抱えたポーズに戻る。
「……という訳だ。結論。アウス希望で来た患者の付き添いの子が、美人で可愛くて小さくて優しそうでふわふわしていて美味しそうで染岡のモロ好みなので、もうどうにも忘れられないらしい」
「っ……!そんな事言ってねぇ……!」
「染岡語、翻訳者俺ね」
 半田の言葉は多少おふざけが混じっているだろうが、それを抜きにしても本筋はおおよそ変わらないだろう。
 医師である染岡が、患者の付き添いに、恋をした、と。
「付き添いの子だと名前だって解らないだろう。患者の名前はカルテに書いてあるから解るだろうが」
「……名前は知ってる」
 何故知っていると疑念に表情を曇らせたのが解ったのだろう。半田は自分自身を指差した。
「俺が調べたの。制服着てればまだ簡単だったのに私服だったからさ。カルテ見て現住所見たら結構離れてる所だったんだけど、学区は解るだろう?そしたらたまたまその学区内の中学校に俺の友達の弟がいてさ、容姿とか伝えたら一発で名前が解った訳。有名な子で助かったぜ。あっその患者本人の妊娠云々はもちろん言ってないぜ!個人情報保護法を俺は守る!」
「カルテを使った時点で職権乱用だけどな……」
 半田のあっけらかんとして、俺は何も悪い事はしていませんよ、という態度に豪炎寺は頭が痛くなった。
「でもなぁ、俺が折角調べてやったのに、本人がこうなんだもん。やんなっちゃうよな」
 こう、とは己の気持ちを恋と納得しない、豪炎寺の目の前にいる男の姿だ。
「違う、違う、恋なんかじゃない、だってあいつは」
「……素直に認めたらどうだ、染岡。出会いは少し異質だが、そこまで悩むのだから恋にしろ恋ではないにしろ、気になっている事は確かなんだろう。半田が協力してくれているんだ。少しは前向きに行動したらどうだ?」
「豪炎寺……」
 豪炎寺の言葉に染岡はやっと顔を上げ、
「お前までそんな事を言うのか」と悲壮な顔をした。
「は……?」
「俺は認められねぇんだ。畜生、だってあいつは、」
 その言葉を引き継ぐように半田は首をすくめた。
「あはは、あのな。実はその子、――男の子なんだよ」
 男の子。その言葉を聞いた瞬間豪炎寺は嫌悪ではなく、聞き間違いかという気持ちで眉を顰め、染岡はあぁ聞かれちまったとばかりにごん、と机に頭を落とした。

 豪炎寺は思った。
 ――それじゃ付き添いじゃなくて、その子の相手だろう。










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