「一回だけでいいから、僕の事抱いてみてよ」
俊敏さがあり、華奢な体つきのくせにパワフルなプレイを見せる、嘘偽りなく未来のサッカー界を牽引するであろう、己のライバルにして最良のサッカー仲間――吹雪士郎がそんな事を言い出したのは、淀んだ雲がついに泣き出した、湿気が纏いつく放課後のグラウンドだった。
肩にかけたスポーツタオルで頬の汗を拭うと、既にユニフォームからジャージに着替え終えた吹雪が、後ろに手を組んでこちらを見ている。
染岡も黙って見返す。
黙して、待つ。何か日常にそぐわない、可笑しな台詞が耳に入ったような気がするのだが。
「性病予防はきちんとするから」
「何言ってんだお前は」
心底呆れたような声が出たのだろう。
意味が解らないという疑問符を前面に押し出して眉をしかめると、吹雪はこちらもまた呆れ気味にため息を吐いた。
「思うけどさ、染岡君って本当に思考能力に柔軟性がないよね。堅物って言うか……昭和レベル?」
「しょ…。まぁそんなぶっ飛んだ発想にはなかなかならないけどな」
吹雪は時々全く思いつかない奇想天外な事を言う。目金が渾名す所の電波という奴だ。
電波な台詞はあまり深く考え込んでも答えが出る物ではない。電波など目に見える物でも、感じ取れる物でもないのだ。
「僕ね、染岡君の事が好きなんだよ」
「はぁ?だからなんだよ」
言っておくがこれは好意を示される事に慣れている訳ではない。
ただこの吹雪士郎という人間の台詞を、真っ向から受け止めようとすると多大に心が疲弊するので、受け止めないという自己防衛策を講じているだけだ。
「僕に好かれ慣れてるってのも腹が立つけど……とにかく僕は君の事は好きだけど、それがloveかlikeか解らないんだよ。女の子に抱く感情とは違うのは解ってるんだけど」
無駄に発音良く話した感情問答は、本当に吹雪が疑問に思っている事のようだった。
じとりと不信な気持ちで吹雪の顔を見返していると、変に勘違いしたらしい吹雪がにこりと笑う。
「……あ、もしかしてラブの方だと思ってる?」
「お前はライクでそんな事を言い出すのか」
「言うかもね。だって周りの女の子達だってそんなものじゃない?上辺だけの優しさ、見掛けだけの好みで一目惚れもないと思うんだけど。僕は」
女子の気持ちをどう心得ているのか。
白恋中だけでなく、キャラバンで行った先々で女子に好かれていた男は、簡単にそう断じた。
好かれるとは所詮こんなものなのだろうか。
女子の告白心境の事は置いておいて、染岡は自分の現状にため息をつく。
「俺にされている所を想像して、マスかけたら本物だけどな」
「……」
吹雪が唐突に黙った。
「……したのか」
「……ふふ」
「したんだな!」
「顔が真っ赤だよ染岡君。僕がよがる所でも想像した?――…やっ、あっ、染岡く…っ…」
「変な声出すな!何言ってんだよお前はぁ!」
「あれ?脳天直撃しない?定番の台詞だけど」
「何の定番だよ!」
エロ漫画の定番である。
染岡は指で首筋をかいて、その後にがしがしと後頭部をかいた。
「それでお前はさ、もしその…抱く云々を俺が承諾したとして、ラブだって解ったらどうするつもりなんだよ」
吹雪はそれこそ馬鹿な台詞を聞いたかのように、聞き返すのも面倒臭いとばかりに小首を傾げた。
「それこそそれは染岡君の問題でしょ」
その通りである。
同性間であるものの、これは告白する側とされる側の決着しかつけられない。
答えを出すも、そもそも回答をする事から逃げるのも、それは染岡の選択次第だ。
「……つーかライクだった場合はどうするんだよ。俺はお前が『ごめんやっぱり違うみたい』とか言い出しても、抱いたら好きになるかもしんねぇぞ」
「性交渉を持ったら好きになるだなんて随分即物的だね」
「お前に即物的呼ばわりされたくねぇよ」
「でもそっか。具合が良くて好きになってくれる可能性が上がるなら、僕頑張ろうかなぁ」
吹雪がにこりと微笑む。
あんな下世話で突拍子もない台詞を言った後でも、吹雪の表情だけはいつもと変わらない天使のようだった。
「まぁ、とにかくしてみたらいいんじゃないかな」
答えなんてその後だよ。
呟いた後に香ったのは、グラウンド脇の水呑場で吹雪が使った洗顔料の匂いだったのだろうか。
それすらも男らしくあるのに、相手が男である事は重々承知しているのに、染岡の口は次の休日の事を話そうとしている。
脳天直撃だなんて、そんな。
何日前に抜いたか解らない禁欲生活の中学生にとって、そちらに直接響いてしまい、脳内で無駄に九々を思い出して平静を装うとするのは、その若くて猛々しい欲を治める手段としては致し方ない事なのである。