雪が朽ちかけてもしろは消えない




「―――……お、」

吹き抜けの天窓からの陽光。
駅構内から外界に出る二階分のエレベーターを上がった先には、人以上の美しさを持った女性がいた。

妖精、と言わずして何と言えばいいのだろう。

白一色の背景に、なんの装飾品も身につけず、薄布のドレス一枚に素足で佇む女性。

白梅鼠の髪には卯の花色のベールがかけられ、それによって片方だけ隠された山鳩色の瞳には真珠のような涙が浮かんでいる。

称賛の言葉すら飲み込んでしまう美しさという物に、人は出会える物なのだろうか。

染岡は駅前の巨大看板に貼られたたった一枚のポスターに、歩行観念の総てを奪われた。



『フェ・デ・ネージュ』

日本で今一番有名な、化粧品のシリーズ名である。

一ヶ月前。
日本最大の化粧品メーカーであるレニナルの企業モデルに抜擢されたのは、歳も出身も経歴も、ひいては名前すら公式発表がされない新人モデルだった。

しかし彼女が全メディアに注目されるのは、彼女が写されたポスターが観衆の行き交う場所に張り出され、女性ファッション誌の広告紙面に掲載されたすぐ後の事だ。

美しさ。
たったそれだけ、しかし他者を圧倒する程に純粋な、ただただ他人に好まれる容姿に特化された人間離れした美しさに、人々は心の底から魅了された。

男性のみならず女性も感嘆したのだ。有り体に言ってしまえばその性別問わずの過熱ぶりは異常だったろう。


彼女は自分がどれだけ連日テレビや雑誌で騒がれようが人前に出る事はせず、「彼女はCGだ」「ポスターに決まった時には既に亡くなっていた」とまことしやかに囁かれたりもしたが、その報道の終結のなさを見兼ねてか、満を持して登場したのはレニナルの社長であった。


社長は彼女がモデルになってから会社全体の売上が上昇した事に感謝を述べた後、簡素かつ謎めいた、意味深長な言葉を残した。


「彼女はこの日本の何処かで必ず存在しています。しかし彼女が我々の前に現れる事は二度とないでしょう」


業を煮やした記者の一人がもっと簡潔に、彼女は誰なんですか、と叫んだが、社長は前を見据えて一言を言い切るだけだった。


「彼女はポスターの中でしか生きられません。――…それに妖精を写してしまった我々は、罰せられるべきを酌量していただいた身です。我々はもう妖精には会えない、それだけが真実です」




ポスター撮りの写真家の前で見せたたった何パターンかの表情で、世間を魅力した謎の女性。

名前のない彼女は、フランス語で雪の妖精を意味するその化粧品のシリーズ名がそのまま代名詞となっている。


謎の女性は誰なのか。
それから一ヶ月。正体を知る人間は何れも黙したままである。





「そーめおーかクン」

肩を叩かれて振り向くと、少しだけ息を荒くした吹雪が立っていた。

その瞬間から染岡の聴覚が正常に戻り、周囲の雑音が一気に耳に入る。ざわり、と無音から休日のざわめきにBGMが変化した。


「ごめん。ちょっと遅刻した」

「は?……あー、マジだな」

ポケットに突っ込んでいた携帯を出して時間を確認すると、確かに待ち合わせ時刻を十分程回っていた。

しかし遅刻をした吹雪にというよりも、遅刻に気づかなかった自分自身に舌打ちをする。

自分は確か、待ち合わせ時間の少し前に着く電車に乗った筈だ。しかし今は十分後。つまりは駅構内で吹雪に声をかけられるまで、染岡は十分間立ち尽くしていたという事になる。
染岡は悪態のような顔で、内心の恥ずかしさに眉根を寄せた。

吹雪は吹雪で、あっさりとした染岡の返答に変な顔をする。

「何、どうしたの?いつもは遅刻したらしつっこいくらいに怒るくせに…」

「別に毎度怒ってねぇだろうが」

「ウソ。よく言うよ…」


吹雪は反論有りそうに首をすぼめたが、特に何か言い返す事はしなかった。

吹雪の遅刻が定番過ぎる程の定番なのは事実であるし、吹雪自身、染岡が人を待たせた事にではなく心配をかけさせた事に対して怒っているのを知っているからだ。

吹雪は目線を上げて、今の今まで染岡が見つめていたポスターを視界に入れた。


「……染岡君もネージュ好きなの?」

「好きっつーか…、なんかそう聞かれると微妙なんだけどな。こう…すげぇ、とかキレイだなとかそんぐらいだろ」

「ふーん…そう」

「…おい。なんでお前から聞いといてむくれんだよ。吹雪!」

「別にー」

吹雪は後ろで手を組んでくるりとそっぽを向いてしまい、染岡が見えるのは後頭部だけになった。

ふわふわと風に動く吹雪の灰色の髪はくせなのかセットなのか、いつも裾がはねている。でも傷んでいる訳ではないし、艶のある髪は手入れの行き届いた女子のような髪だ。

染岡はため息混じりに頭をかいてから、後ろ手で握られている吹雪の指にそっと触れた。

「………なに」

吹雪が振り向かずに答える。

「あー…なんだ、妬いたのか?いっちょ前に」

「………はぁ。だから染岡君はデリカシーがないって言われるんだよ。バカ。もっと僕が嬉しがる事言えばいいのに」

「嬉しがる事ってなんだよ」

「吹雪の方が…とか、もういいや。なんでもない…」

染岡の指を弱い力で二度三度握り返し、吹雪はまた向き直る。

何を言えばいいのか本気で解らない顔をしているの染岡に、吹雪は諦めなのか愛しさなのか、溶けるような不機嫌を感じた。恋は盲目とはよく言ったモノだ。


「…ま、吹雪が本当に妬いてくれてたら俺は嬉しいけどな」

「………うぅわぁ」

「なんだよ」

「なんか…なんだろ…うん。今すごいときめいた。あー…簡単だなぁ…僕…」

「よく解んねぇ奴」

染岡が笑いながら吹雪の髪を撫でた。
同い年だというのに一関節分も違う手の平は吹雪にとっては近くに寄る手段だ。少し皮膚が固くて節だった手を引いて吹雪は言う。

「それじゃ早く映画行こう。もう始まっちゃうかも」

「それはお前が遅刻したせいだろうが!」


春の陽気の暖かい事。
幸せなのはそのせいだけではきっとない。










「兄貴!今日のお土産はslushのシュガーランプだぜ!しかも幻のワンホール!」

アツヤが有名洋菓子店の箱を掲げながら大声を出してリビングに入って来た時、吹雪は雑誌をペラペラとめくっていたのだが、アツヤの存在を知ったそのままに黙読を続行した。

簡単に言えば無視である。
しかも蛇足するなら、この兄弟の会話は一ヶ月程皆無だったりする。

アツヤはよろよろと歩いて無言で箱をテーブルの上に置いてから、ばったりとカーペットの上に倒れた。

「…兄貴、本当もう心の底から反省してるから許してくれよ…同じ家に住んでる人間に無視られてんのきっついんだって。マジでさ」

「………」

「しょうがねぇだろ、まさかポラが目に留まるなんて思わなかったんだから。それに何度も言ってるけどカメラマンとしてのチャンスだったんだよ。そりゃ兄貴の女装写真が全国に張り出されて申し訳ないと思ってるけど…」

「………アツヤ?」


吹雪は寝そべっているアツヤの顔面の中央に拳を思い切り落とした。


「――――――っ!!!!」

「仕方ないからこれで許してあげる」


にっこり。
悪魔のような所業の後で、吹雪は天使のように微笑んだ。



つまり概要はこうである。

プロのカメラマンを目指すアツヤは日々カメラマンである叔父の元に通い、アシスタントのような仕事を低賃金で熟していた。

その代わりと言ってはなんだが暗室にある現像の薬品や紙は自由に使ってよいという事で、アツヤは被写体にこだわらず目に入った物には全てシャッターを押す癖をつけていた。

一番身近な兄は、その最たる被写体である。

そしてたまたま――アツヤが思うには自分よりこいつの方が悪いと思ってるのだが、叔父の事務所に出入りしている広告代理店の人間が、暗室にあった吹雪の写真に目をつけたのだ。ほぼ胸像であったため、女子と勘違いして。


そしてアツヤは兄の写真を撮って欲しいと広告代理店から頼まれ、それをこっそりと実行した。吹雪の方もいつもの事であったし、疑う事なくモデルをした。女装はまぁ、ヌードなどより薄布一枚ある分許容範囲内だった。

しかし吹雪がその写真がポスターとして使われた事を知ったのは張り出されてからであり、広告代理店やら化粧品メーカーに殴り込みに行ったのはまた別の話である。


「雪が朽ちかけてもしろは消えないとかさ、こんなキャッチコピー見る人が見たら気づくよ、僕の名前だって。雪としろはそのままだし、朽ちかけると口欠けるはかけてるみたいだけど」

「はいごもっともです…」

「アツヤは後で染岡君にお礼いいなよね」

「はぁ?なんで染岡に礼なんて言うんだよ」

「染岡君が言わなかったら許さなかったからだよ」



意味わかんねぇ!とクエスチョンマークを浮かべるアツヤに、吹雪はため息を吐いた。


まぁ、キレイって言葉は好きな人に言って貰わなきゃ意味がないなんて、アツヤには解らないか。










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