僕は人間的に言えば吹雪という名前らしい。
鼻でお母さんを探していた頃、無理矢理連れ出された箱の外でそう名付けられた。
吹雪、と名付けたのはあいつだ。
外が吹雪だったとかその時吹雪饅頭を食べていたとか理由があるならともかく、僕が生まれたのは春だし、和菓子が嫌いなあいつは吹雪饅頭なんて食べていない。
吹雪なんて名前をあいつがどこから取ったのか、僕には全然解らないでいる。
僕にはお母さんに付けて貰った名前があったのに、あいつがあまりにも吹雪吹雪と呼ぶからその名前はとっくの昔に忘れてしまった。
だから僕は吹雪と呼ばれれば一応返事をする。ベンギジョウというやつだ。
あいつは吹雪の名前で総てを済まそうとするから、こちらが利口にならないと大変だ。
皿を持ちながらの吹雪だとご飯、手を叩きながらだとこっちに来い、キョロキョロしながらだとあいつどこ行ったと僕の事を探している。
怒りながら探している時は悪戯が見つかった時だから、僕は隠れて出て行かない。
そんな僕は、感情を隠そうとしないあいつよりきっと利口なのだ。
あいつにも一応ツガイがいる。
いつも甘ったるい匂いをさせている小柄な白い塊だ。
僕はそのツガイが結構好きだ。
いつもと違うご飯をくれるし、太陽のような匂いも時々持ってくるし、僕が呼べば近づいて撫でてくれるし。
ちなみにあいつは僕が呼んだって「トイレか?」しか言わない。
ツガイは全然来なかったり、毎日来たりする。
でもそろそろ来そうだなぁという気配は簡単にわかる。あいつがソワソワしだすからだ。
「吹雪、お留守番お疲れ様。久しぶりだね、元気だった?」
ツガイが2週間ぶりに来たのは、日も落ちそうな夕暮れだった。
あいつはまだ帰って来ていない。あいつが部屋にいないと玄関は開かない筈なのに、ツガイはいつも勝手に入ってくる。不思議な奴だ。
「染岡君はまだ帰って来てないんだね」
ツガイは室内を見回して、「ホントあんな顔してキレイ好きなんだから」と呟いた。
「下着とか洗ってみたいんだけどなぁ……まぁいいけど。それじゃ愛妻ご飯でも作りますかね。吹雪にも美味しいの買ってきたからいい子で待っててね」
僕の頭を撫でて、ツガイは台所で何かをやり始めた。
いい香りが漂い始めたのと、あいつが帰ってきたのは同じくらいだった。
「うわっ、何してんだお前」
「おかえり染岡君。見てわかんないかな?夕飯作ってるの。もうちょっとで出来るからそこで吹雪と大人しく待っててよ」
「吹雪と大人しくって…餓鬼扱いかよ」
「餓鬼扱いなんてしてないよ。ほら、子供にビールは用意しないでしょ。なんかつまむ?作るよ?」
「ん…いいわ。夕飯食いながら飲む」
「はいはい」
あいつはツガイの言葉通りにしたかったのか、クッションの上でウトウトしていた僕を歩きざまにがしりと掴むと、そのままこたつの中に突っ込んだ。
僕をあぐらをかいた膝の上に乗せているのだ。逃げたいのに逃げられない。だから僕はこいつが嫌いなんだ。
でももともと眠りかけていたのだから眠ってしまうのは致し方ない事で、食事の音を聞きながら僕は寝てしまった。
食べ物の匂いと、ビールとかいう飲み物の匂いもする。テレビの音がして、二人の会話がずっと続いている。眠い。暖かい。眠い。眠い。
眠り込んでくぷくぷ鼻が鳴っていい気分になっていたのに、急に温度が離れてひやりと身震いしたら、僕がこたつの外に置かれたのに気付いた。
僕は眠いのに!と不満たらたらで二人のいる方を睨むと、あいつがツガイにのしかかる所だった。
「…あーあ、染岡君があんな所に置くから…きっと寒いんだよ。吹雪がこっち見てる」
「うるせー。お前はこっち見てればいいんだよ」
「ねぇ染岡君。僕床やだ。お風呂入りたい。歯磨きしたい。全部終わったら全部したげるから、ちょっとだけ盛るの待ってくれないかな。ね?」
「…………うるせ」
まぁ二人はツガイなのだから、営むのは当たり前だ。僕にはまだ早いけれどツガイとはそういう物だと理解している。
でも僕をないがしろにするのは許さない。
だから文句の代わりに噛み付いてやった。
あいつはツガイばかり見ていたから、僕の歯と爪が右手首に見事ぐさりだった。
「――ってぇ!てめぇ吹雪っ!」
「え?僕何もしてな………ってウソ、そっちの吹雪?うわー凄いガジガジしてる…これが噂の猫キック?」
「…………こいつ離さねぇし」
「ふふっ、全く可愛いったらないね。飼い主さんを取られてヤキモチなのかな」
「いやこれは逆じゃねーか…?」
くすくすと笑うツガイの上で、あいつはぐいぐいと僕の頭を押しながら「吹雪!」と怒鳴った。
ほら、あいつはまた僕の名前だけ呼んで済まそうとするんだ。
ホント利口じゃないよね!