もしも愛なら紛い物で


兵士、というのは死と隣り合わせの職業だ。
だからこそ福利厚生はそんじょそこらの比じゃないんだけどね。

この度、何の因果かナマエ・ドークとなりました。
お察しの通り、スカスカの薄らヒゲと結婚したということです。


調査兵団に所属している私にも例外なく兵士としての特別休暇が与えられる。
在籍期間にもよるけれど、長すぎる休暇だ。

女性兵士は大体この間に妊娠して退役するのが暗黙の了解だ。
憲兵団以外はいつだって人手不足だから、次世代の兵士を生むための休暇。

兵士の子供は兵士になりやすいし身体も平均以上に育つ可能性が高い。
でもまあ流石にナイルの長期休暇は許されなかったんだけどね。

まったく合理的すぎて涙が出る休暇だ。


私も夫の職場があり住まいもあるウォール・シーナで暮らすことになった。
身体を鍛えることは忘れないけど、家事もそこそこしているつもり。

目的が何であれ好きな人と一緒に暮らせるのだから、楽しまない方が損だろう。
それに、意外と包丁も悪くない。


蜜月とも比喩される甘いはずのこの期間に、まさかこんなことで悩まされる日が来るとは思わなかった。



「ナイル、寒い」
「はあ?まだ何も言ってねぇぞ」
「違う、そうじゃなくて…」

夜、ベッドの中で背中に抱き着いてみた結果がコレだ。
確かに彼の冗談は年齢相応に悪寒を感じるものだけど、今言いたいのはそっちじゃない。

「んー?…バッカ、お前なあ!こんな薄着だから寒いんだろうが」
「え?いや、そうじゃなくて」
「ほらよ、これ使え。で、寝ろ」

誰が好き好んでこんな薄い生地の寝間着を選ぶのか。
なのに彼はそのままベッドサイドに置いてあった自分のカーディガンを私に着せて寝ろと言う。

ナイルは意外と頭がいい。
少なくとも、この程度の誘いが理解できないほどではない。

結婚して一緒に暮らし始めてから、もう一度も抱いてもらえていない。

ナイルの匂いがする、上等な毛糸に包まれて眠る。
暖かいけれど、欲しいのはこれじゃない。







「ナイル、ちょっと話があるんだけど」
「あー?俺、明日の朝早いんだけど」
「じゃあ聞くだけでいいからちょっと耳貸して」
「手短にな」

私だってそんなに気が長い方じゃない。
いつものように私に背を向けて寝ようとしたナイルをなんとか起こす。

それはそれは眠そうで、不機嫌を隠そうともしていない。
仮にも新妻に向かってそれはどうなんだろう。

「私、子供が欲しいんだけど」
「…そうか」
「いやいやいや、そうか、じゃないでしょ!?」
「話がそれだけなら、俺は寝る」
「ちょっ…と、待ってよ…どういうこと?」
「足りないオツムで考えやがれ」

早く寝ろよ、と吐き捨ててまた私に背を向けた。

付き合い始めて、そういう行為をしてこなかったわけじゃない。
私も彼も立派な大人だし、二人で夜を過ごしたことももう数えきれないくらいに。

回数は一晩に一回だけ。
それ以上続けることは難しい。
大人になりすぎた彼の、切実な事情。

それでもその一回がとんでもなく濃密で、あんなの2回もされたら死んでしまう。

ナイルは毎晩でも抱きたいと言ってくれていたけれど、それはなかなか叶わなかった。
調査兵団の私はそもそも内地に訪れることすら難しい。
かと言って師団長殿はもっと多忙だし、二人の休みが重なることなんてほとんど無い。

壁外遠征の前後、少しだけ与えられる連休を利用してナイルの家まで転がり込む。
簡単に聞こえるけれど、そうでもなかった。


彼は私に調査兵団を辞めるよう、冗談めかしていつも言っていた。
既成事実を作ってしまいたいとも言っていたけれど、そこは割と紳士だったようで。
私がまだ前線に居たいと言っているうちは見事に避妊してくれていた。

だけど、結婚しようと言ってくれて、これで解禁だなっておっさんらしい下品な言葉も吐いて、私はそれを罵りながらも嬉しく思っていた。
好きな人の真っ直ぐな愛と欲をぶつけられて、悪い気はしないだろう。


それなのに、休暇を取って内地に引っ越してきたその日から、ナイルは私に触れない。





休暇は残り2週間。
今月末には兵団の本部へ帰らないといけない。

これを逃したら、次はいつ会えるかわからない。
子供の為だけに結婚したわけではない。
でも、妙な焦りだけが募る。


今晩、ナイルの帰りは遅い。
むしろ帰らない可能性の方が高い。
職業柄、パーティーに参加することも多いし、こういうのは慣れた。

ご飯を作るのも面倒臭い。
あれは自分以外に食べてくれる人がいるから頑張れるのだと思う。

久しぶりに出かけてみるか。
まだ恋人だった時代にナイルが贈ってくれたワンピースは内地の夜を出歩くのにもぴったりだ。
少なくとも調査兵団には見えない、はず。

髪を結い上げて、きちんと化粧もする。


家から少し歩けば、壁の中で一番の繁華街。
その中でもナイルが連れて来てくれた、とびきりおいしいレストラン。

夜景も綺麗だけどどこか味気ない。
気持ち良く眠るためだけのお酒を飲んで、帰ってしまおう。


「なあ、ナイル師団長、次は誰だと思う?」
「そりゃあの商会のご令嬢だろ?」
「今月で3ヶ月だしな、今日のパーティーは凄かったよな」
「ナイル師団長って意外とモテるもんな」

突然聞こえてきた旦那の名前に、ワインが喉に詰まる。
あの様子だと、憲兵団の若手兵士ってところか。

次は誰だ、って、なんの話?
商会のご令嬢って誰のこと?

「だって師団長優しいじゃん。ずっと付き合ってた調査兵団と結婚って」
「確かに、いずれ近いうちに食われちまうなら後腐れないようにって配慮だろうな。そうじゃないと理由が見つからないだろ」
「エリートだもんな、貴族と結婚しておきゃ3代後まで安泰だぜ」
「あー、だからもう期限近いのに子供もまだなんだ」
「再婚するのに子供は一番邪魔だからな」

確かに、憲兵団の出世に一番手っ取り早いのは貴族との繋がりを作ることだ。
兵士と結婚したがる人なんて滅多にいないけれど、師団長クラスとなれば話は別だ。

ナイルがザックレー総統の後任を狙っているなら、なんとしてでも貴族と繋がりを作っておきたいだろう。

私がいつ死んでも大丈夫なように、思い出や情けだけのために結婚してくれたとしたら。
子供を頑なに拒む理由とも一つの線で結ばれる。

「大体、その奥様とやらの紹介がまだなんだからそれが一番の理由だろ?」
「あー、確かに。調査兵団の班長してるってだけで後は顔も名前も知らされないなんて変だよな」
「そうそう。よっぽど今回の結婚を知らせたくないんだろ。ってことは、次はやっぱご令嬢だな」


ナイルは、自分の側近の部下とザックレー総統、ピクシス司令くらいにしか紹介してくれなかった。
それもほとんどが上司のエルヴィン団長も同行しての挨拶だったから、下手したら私が団長と結婚したと思われていても仕方ないくらいだった気がする。

いちいち全員に紹介してたら何ヶ月かかると思ってるんだとも言われて、私もそれが普通だと思っていたけど、これはおかしいことだったのだろうか。

家から出るなとは言われていない。
買い物や食事だって自由にできるけれど、知り合いがいない私がそれを好むはずもなく。

服だって内地で生活するときに周りから浮かないようにとあれこれ見繕ってくれた。
このワンピースだって例外じゃない。

それが全て計算のうちだったとしたら。


胃と頭がぐるぐるして気持ち悪い。
早く家に帰ろう、それしかなかった。






「おい、今何時だと思ってやがる」
「あ…ごめんなさい、外で食事したくて」
「一人でか?」
「一緒に食べてくれる人なんていないよ」

家に帰ると、今日に限ってナイルが帰ってきていた。
普段は朝帰りばかりだから気を抜いていた。

「俺がいない間は毎回そうなのか?」
「ううん、今日が初めて。でももうしない。一人で食べても美味しくなかった」
「別に外で食うなとは言わないが、こんな時間に一人で出歩くのは関心しない…んだよ、酒飲んできたのかよ」
「少し」
「…お前、少しは自覚を持てよ」
「ああ、やっぱり師団長夫人には相応しくない?商会のお嬢様の方がよっぽど素敵だと思うわ」
「なんでそうなる…ナマエ、少し飲み過ぎだ」
「大丈夫だよ、私、死んでもナイルのこと恨まないよ?」
「何の話だ」
「別に、ナイルが引け目を感じて結婚したんだったら可哀想だなって思っただけ」

駄目だ、目が熱くなって涙が出そうだ。
だけど目の前のナイルの顔を見たら負けてしまいそう。

「ごめんね、貴族でもなんでもなくて。ナイルに何にもあげられない。でも、そのうち巨人に食われて死んじゃうから、」
「その例え話は不快だ。さっきから何だよ、貴族がどうのこうのって」
「私が貴族のお嬢様だったら喜んで結婚してくれた?子供だって生ませてくれた?」
「子供の話か…それについてだけどな、一度きちんと話をしたい。休暇も今月までだろ?」
「…ナイル、抱いて」

ナイルも私も、脈絡の無い話し方は嫌いだ。
その嫌いなものに、私がなっている。

挙句の果てには抱いてなんて、頭がおかしくなったみたいだ。
そうだよ、内地での生活は私には合わないみたいだ。

「抱くだけだぞ」

それは私には死刑宣告と同じ意味の言葉だった。







「…っ、ナイル、来て…」
「ああ、ちょっと待ってろ」
「やだぁ!ゴム、つけないで…」
「孕ませる気は無いと言ったはずだが?」

酷い、こんな状況でも彼は理性を失わない。
私が今どんな状態かをきちんと理解した上でこんな言葉をかけてくる。

薄い薄い膜を一枚隔てて、ナイルが入ってくる。
欲しいのはこれじゃないのに。

「やだ…ナイルの赤ちゃ…欲し、っ…」
「っ、少し黙れ」
「嫌だ、こんなの…やだ、ぁ…」

腕を伸ばして胸板を押しても、髪を引っ張っても、何をしても止まらない。
瞬きで涙を押し出して見上げる彼は、辛そうに思い詰めた顔をしている。




「なあ、お前、楽しいか?」
「最悪の気分よ」
「奇遇だな、俺もだ」


無理を言ってまでするものじゃなかった。
口を縛って、薄紙に包んで捨てられるゴムを見ていた。

そんなものに吐き出すくらいなら、どうして…
そんなこと、少し考えれば答えは行き着く。

「ナイル、私のこと好き?」
「嫌いだったら結婚するかよ」
「じゃあどうして子供を拒むの?」
「…子供の為だけに結婚したわけじゃないからな」
「休暇のことだけど、」
「俺もその話をしようと思ってたところだ。多分同じ事を考えている」

こんな状況で生活なんてできない。
あと2週間の休暇を切り上げて本部に戻ろうと思っていた。

ナイルも同じ考えだったら話は早い。

「帰る」
「あ?帰るってどこへ帰る気だ」
「私を必要としてくれるところよ」
「ちょっと待て、俺がお前を必要としてないみたいな言い方だな」
「そう聞こえるように言ったつもりだからね」

もう、なんとでもなればいい。
ベッドから抜け出して、その辺りに落ちていたナイルのマフラーを掴んで外へ出た。

ナイルは追って来れない。
あんなに体力を使った後だし、素っ裸だし。

…追ってくる意味も無いし。


とにかくここから離れたくて、街の灯りがある方へ走った。



最悪だ、夢中で走るうちに靴が片方脱げてしまった。
そこそこヒールのある靴だったけれど、それにもかかわらず脱げたことに気付かないなんて相当だ。

「お姉さん、いくら?」

変なのにも捕まった。
乱れた髪と涙化粧、ワンピースも脱げかけで勘違いされない方がおかしいか。

「そういうのじゃないんで、放っておいてくれませんか?」
「俺、憲兵だよ?お姉さんも憲兵団専門の売り子だろ?」
「だから、そういうのじゃないんです」
「その格好にキスマークばっかりベタベタつけて、挙句そのマフラーは憲兵団の支給品だ。そうじゃなかったらなんなんだよ」

肩をしっかり掴まれるとなかなか動けない。
腐っても憲兵団。
成績上位者だけが志願できるだけあって、力の使い方や強さも心得ている。

だけどこっちは毎日毎日訓練を欠かさないし、実技だってこいつらに負けるくらいのレベルならとっくに死んでいる。
拳を握って軽く後ろに引くと、すっと手が押えられた。

「おや、ナマエ。久しぶりだね」
「エルヴィン団長…」
「ああ、旦那の部下と世間話かい?」
「そんなところです」
「え、あ…スミス団長…?旦那?」
「君は上司の奥方様も知らないのか?ナマエ・ドーク、師団長夫人だよ」
「し、失礼しました!!」

逃げ足が早いところは流石だ。
そりゃそうか、こんなところにエルヴィン・スミスがいるし、自分が引っ掛けようとしていた女が上司の妻だったなんて逃げたくもなる。

「で、その格好はナイルと喧嘩したと捉えてもいいだろうか?」
「…私が一人で出て来ただけです」
「分かった、ナイルが悪いんだな?」
「そんな…っ」
「こういう時、新妻が帰るのは実家と相場が決まっている」

話をあまり聞かないところはナイルの親友なだけある。
だけどこの強引さが今の私には心地よかった。





そのまま馬車に乗って、久しぶりに兵団本部へと帰ってきた。
聞けば、今日ナイルが参加していたパーティーにエルヴィン団長も招待されていたらしい。

草木も眠る丑三つ時。
誰も起こさないように静かに入って、団長執務室へと通される。

「君の部屋はまだ用意していなくてね。申し訳ないんだけれど、私の部屋でいいだろうか?」
「えっと、あの、押し掛けたのは私ですし、どう考えても団長のお部屋をお借りするわけには…」
「でも、女性にベッドを譲るのは当然だろう?ああ、ナイルに勘違いされても困るし、私はそこで寝るから鍵を掛けてお休み」
「あ、あの!」
「寝なさい。奥にシャワールームがあるから使って欲しい。さあ早く鍵を掛けて」

執務室の奥にある、私室へと押し込められたら最後、中から鍵をかけろと言う。
逆らえるはずなんてないから、従うと足音が離れていった。


そういえばたっぷり酒を飲んだことや、そのあと激しい運動をしたこと、ここに来てとても落ち着いたことなど、色々なことが重なって急に眠くなる。
何よりもこのマフラーの匂いに眠気を誘われたのは不本意だ。

ベッドに倒れ込んだら最後、そのまま意識を手放してしまった。






次に目を覚ますと、見慣れない部屋だった。
ぼんやりする頭で思い出すと、そういえば本部へ帰ってきて……エルヴィン団長の部屋で寝てしまった。

上司からベッドを奪ってしまった後悔に襲われつつも、流石にこんな身体で会いに行ったら謝罪どころじゃなくなる。
昨日は暗かったし酔っていたけれど、今はそのどちらでもない。
せめて身なりだけは整えて謝りに行こう。



「おはようございます…」
「ああ、おはよう。よく眠れたみたいだね」
「すみません!私、あの、」
「私が強引に連れ帰ってきたんだから寝室や浴室を用意するのは当然だろう?」
「ありがとうございます…」
「ほら、こちらへおいで。朝食はきちんと用意できたから」

執務室のすみの応接用のテーブルで食事を摂った。
内地に比べれば質素すぎる食事だったけれど、食べ慣れた味は安心した。

「で、何があったかは聞かせてくれるかな?」
「…その、ナイ…師団長が不本意な結婚をしたのではないかと」
「ははっ、ナイル呼びで構わないよ。そういうことなら私は彼の友達として話を聞くからね」

そう笑ってくれるエルヴィン団長に安心して、この休暇中のことを伝えた。
子供を頑に拒むこと、昨日の夜に聞いたこと、ナイルから言われたこと、全てを吐き出した。


「なるほど、それはナイルが悪い」
「悪いのはどちらでも無いんです。ただ、もし望まない結婚であったなら早く別れてここへ戻りたいです」
「戻ってきてくれるのは嬉しいけれど、あいつはそんな器用な男じゃないよ。そんな理由で結婚するなんてあり得ない」
「でも、確かに戸籍に傷は付きますが、死別したと言えば再婚もスムーズですから」
「ナイルのことだ、きっと私たちより多くのことを考えているはずだよ。あれはああ見えて頭が良いんだ。卒業試験は主席だったくらいだし」
「あくまで中立なんですね、団長は」
「君のことは大切な部下だけれど、ナイルもまた大切な親友で同期なんだ。狡いけれど、私はどちらかと言うと彼の肩を持つかも知れない…さて、お迎えが来たようだよ」
「へ?」

間抜けな声を漏らしたのも束の間、いくつかの足音が近付いてきて、ドアの前が騒がしくなる。

「ドーク師団長、困ります!団長は本日、休暇なんです!」
「ああ?じゃあただの同期として休暇中に遊びにきてやったことにする。おいエルヴィン!居るんだろ?」
「居るよ、わかったからドアを蹴るのは止めてくれないか。すまないがナイルだけ通して、しばらく団長室には近寄らないように」

ガンッと大きな音とともにドアが開かれた。
お上品にも足で蹴って下さったようだ。

「修繕費は憲兵団宛でいいかな?」
「経理部に直接回しておいてくれ。さてエルヴィン、何か弁解は?」
「無いよ。私が君の可愛らしい奥様を連れ攫った。部下の報告通りだろう?」
「間違いないな。おいナマエ、帰るぞ」
「…やだ、帰らない。このまま職場復帰する」

団長がソファのスペースを少し譲ると、それが当然かのように腰掛けた。
背もたれに腕を乗せて、正面の私を睨んでくる。

「お前の休暇はまだ残っているだろうが」
「だから、それを返上するって昨日言ったじゃない。ナイルだって同じ意見だって」
「はあ?いつ俺がそんなこと同意した……っ、なあエルヴィン、頼んでおいた件はどうなった」
「彼女の有給休暇は約3ヶ月ってところかな。本人が望むなら受理しよう」
「望まないわけが無い。決まりだ、こいつの休暇は延長する。帰るぞ」
「ちょっと待ってよ、何の話?」
「うっせぇな…ちったぁ察しろよ」

頭をボリボリと掻いて、怠そうでしかも偉そう。
なんでこの人はこんな態度がとれるんだろう。
というか、休暇の延長なんて聞いてない。

「ナイル、私は今回君の味方をするけれど、その言葉の足りなさはどうにかした方がいい。彼女は君が望まない結婚をしたと勘違いしているよ?」
「なんだそれ」
「ほらナマエ、言った通りだろう?この男は大事なところがコレなんだ。さて、どうせ馬車でも待たせているんだろう?帰ったらどうだい?」
「待て、あと一つ。軍医はいるか?」
「いるよ。診察が終わったら本当に帰ってくれよ?私だって久しぶりの休みなんだから」

ああ、ナマエはいつだって来てくれて構わないんだからね。
そう言われても、軍医って、診察ってなんだろう。
私、どこも悪くないはずだけれど。


団長室を追い出されるとすぐに医務室に連れて行かれて、あれよあれよと言う間にシーナの自宅だ。
道中、馬車に乗っているあいだは一言も会話が交わされることもなく気まずいどころの話じゃなかった。







「順を追って話せばいいか?」
「ぜひ、お願いします」
「まず最初に言っておく。俺は子供が欲しい。お前との間にだけだ。ただ、早すぎると思っていた」

調査兵団に長く在籍していた私の身体は、時々生理が止まるくらいに酷使されていた。
結婚後の特別休暇の前の検診で、月経不順の項目がチェックされていたのを思い出した。

出産に失敗するのは、珍しくない話だ。
かなりの負担が身体にかかるから、母体が耐えきれなくなって親子ともども亡くなることもある。

ナイルはそれを恐れていたらしい。
だから、最初から休暇の延長を申請しておいて、身体を休ませることを優先してくれていたと言う。

「えっと…じゃあ、その、あんまり周りに紹介してくれなかったりとか、次の奥さんとかって…」
「お前なあ、仮にも師団長夫人だぞ。変に狙われる危険を考えたらなるべく伏せておいた方がいいだろうが。それに次の嫁なんてものは探していない」
「だって、私、貴族じゃない…ナイルの出世とか、協力してあげられない…」
「俺を見くびるのも大概にしとけよアホ。俺だって貴族の出身じゃねぇがこの身一つでここまでのし上がってきたんだ。ザックレーのジジイの後釜だってイケんだろ。つーか、帰って来て、家にお前がいれば多分そんだけでかなり頑張れるわ」

なんだそれ、初耳すぎる。
それじゃあまるで私が一人でくるくる空回っていたみたいじゃないか。

「あークソ。おっさんにこんなこと言わせるなよ恥ずかしい」
「だ、っ…て…ナイルが…」
「ーっ!!悪かった!泣くな!俺の言葉が足りなかった!エルヴィンの言うこともちゃんと聞いときゃよかったんだよな!そうだよな!悪かったから!!」

鼻水と涙でぐっちゃぐちゃになった顔を、自分のシャツの裾で拭ってくれる。
相変わらず私が泣くとすぐ狼狽えるのは直した方がいい。

どさくさに紛れてエルヴィン団長に相談していたことまで白状してくれて、ご丁寧に。
あからさまにナイルの肩ばかりを持っていた団長の態度がやっと理解できた。

それでも、私の前で情けないところを曝け出すこの人が愛おしい。
可愛い、不惑間近のおっさんを捕まえてその表現はどうかと思うけど、可愛い。

「あー…その、だな…今日の検診の結果がそれなりに良かったんだが、ナマエが良ければ、その…」
「まさかその続きを私に言わせるつもり?」

いつもの自信たっぷりに誘ってくるナイルが、実は結構好きだ。
だから変に気を遣ってほしくなかったんだけどな。

ナイルは髪を掻きむしって、小さく息を吸い込んだ。
そして肩を掴んで私を向き合わせて

「休憩挟んで2回までならできる気がする」

本当に、もっと言葉があっただろうに。
でもまあ、せいぜい頑張っていただこうと思う。






hide/beauty&stupid