ALL STANDARD IS YOU


※ミケナナが結婚している上に子持ちです。










ナイルが家に帰って来なくなって、もうどれだけ経ったんだろう?

普通に考えれば今までが「普通じゃない」状態だったとはいえ、ナイルのいる生活が当然になっていた分がより重みを増してのしかかる。
巨人がいなくなった世界では内地の秩序が以前より乱れやすくなっていて、憲兵団がまともに仕事をしなければならなくなった。

それまでも割と働いていた師団長は、多忙を極めて職場からそう遠くない自宅へすらも帰れない。
時々ナイルの部下が着替えを取りにくるから、その時に彼の好きだった焼き菓子を忍ばせたり、近況をきいたりする。

たったそれだけしか接点がなくなってしまった。
下手したら出会ったばかりの頃の方がよっぽど会えていたんじゃないか。


「まま、ぱぱは?」
「ジュニア…」

一悶着あったけれど、無事に授かることのできた待望の男の子。
喋るか泣くかの賑やかで元気な子だけれど、流石に私も限界が近い。

今までなら、ナイルがいればミルク以外なんだってしてくれて、少しでも寝かせてくれたけれど…
眠れないと脳までじゃなくて身体もちゃんとおかしくなるみたいだ。


さっき、ナイルのお使いにきてくれた彼の部下が運んできた荷物を解体する。
几帳面に畳まれた洗濯物の中から小さく折られたメモが出てきた。

「石鹸がなくなりそう」

そんなもの買ってきなさいよ、と思っても、それが出来ないから部下を使っているわけだし、ナイルの愛用している石鹸は私と同じ石鹸…つまり女性向けに作られたもの。
確かにこれは部下にも頼めないわ。

最近は外にも出ていなかったし、散歩がてら石鹸を届けに行くのもいいかな。
洗面所からストックを用意して、マザーズバッグに放り込んだ。

「ジュニア、パパに会いに行こうね!」
「ぱぱ!」

生まれてからもう2年経ったこの子は、まるでナイルが小さくなっただけみたいだと言われるほどに似ている。
可愛い、素直にそう思う。






「あれっ、ナマエさんじゃーん!」
「ヒッチちゃん!」
「どうしたの?師団長なら総統と密談中ですよ?」
「総統と?」
「ここ2週間くらい、毎日ずっと…はーいジュニア!相変わらずイイ男ね」

そんなの、誰も教えてくれなかったけれど…

ジュニアを妊娠している間に護衛としてついてくれた新兵のうち、彼女を含めてアニちゃんとマルロくんの3人とはとても仲良くなった。
104期は調査兵団に来た子も優秀だったけれど、憲兵団もいい子が多そうだ。

「師団長もかなり困ってますよ、これさえ無ければ一度くらい家に帰れたのにって。でも、相手が総統だから断れなくて」
「いや、総統自ら話を持ってくるなんて凄いじゃん…よっぽど大事な案件なのかな?」
「それが、誰にも内容を知らせないんだ…隠していると言ってもいいくらいに」

マルロくん、アニちゃんも寄ってきてくれて、ヒッチちゃんはジュニアを抱いてあやしてくれる。
その口ぶりからして、これはかなり珍しいことのようだ。

「本人にはしばらく会えないかもしれませんが、私室で休まれますか?」
「そう…だね、忘れ物を届けにきたんだけど、ついでに掃除くらいしていってあげようかな」
「喜びますよ、きっと」

案内された先は、何度か訪れたことのある部屋。
前回と違うのは、ちゃんと生活感が溢れていることくらいだろうか。

ベッドはシーツが乱れているし、着替えもタオルもあちこちに投げてある。
浴室とベッドの中間にバスローブが落ちているのもなんだか笑えてしまう。

それでも汚れが割と少ないところや食器の類いが見当たらないのは、時々業者でも入れているのだろう。
浮気を疑っているわけではないけれど、そこはまあ、信頼という便利な言葉で蓋をしてしまう。

ジュニアをベッドに転がしておくと、懐かしい匂いに安心したのかすぐに眠ってしまった。
彼が寝ている間に家事をこなすなんて、もう慣れた。

洗濯物を拾い集めて、浴槽も磨いてしまう。
落ちているのは黒くて短い髪ばかりだ…なんてついチェックして自己嫌悪に至った。


ナイルの私室の奥には扉が一つあって、そこは師団長室の奥の部屋と繋がっている。
…と、聞いたことがある。

重厚すぎる扉だけれど、今日は無防備にも少し開いている。
恐らく慌てて着替えて出て行ったのだろう。
ドアがシャツを噛んでいて、それ以上開きも締まりもしない。

「私の愛娘だ、君にとっても悪くない話だと思うがな」
「総統の仰ることもごもっともですが、我が家にはまだ小さな子供もいます」
「君にそっくりな男の子だったな…もうそろそろ2歳くらいか?新しい家族にもすぐ馴染めるさ。尚更、早い決断を勧めるが」

総統の愛娘、新しい家族、嫌な予感ばかりが蠢く。
私達が結婚した時も、ジュニアが生まれた時も、総統にご挨拶しているから私の存在を知らないはずはない。

いや、あの口ぶりだと知っていても自分の娘を勧めているのだ。
ナイルが強く出られないのをわかっていて、そうしている。
次期総統の話でも出ているのだろうか?

ナイルなら、他のどんな女よりも私を選んでくれるという自信があった。
でも、彼は出世の為に顔すら知らない女と結婚しようとしていた過去もある。

信じたい、でも、信じきれない。

「本当に可愛らしい…私もこういう子は好きですが、妻が頷いてくれるかどうか…」
「彼女は一人息子の幸せを願ってくれないのか?」

吐き気がする。
目の前がぐるぐる回り出す。







ただでさえ仕事が山積みなのに、毎日のようにザックレーのジジイが長居して、たまったもんじゃない。
あれさえ無ければ、もう少し段取りもついて半日だけでも家に帰れたかも知れないのに。

会えない時間が愛を育む…なんて甘いことは言っていられない。
まだ幼いジュニアの面倒をナマエ一人に任せきりだ。
昼も夜も見境なく泣き出すあいつのために、きっとナマエはまともに眠れていないはず。

今日は久々に家に部下をやる日だから、その報告だけを楽しみに書類に目を通す。
ナマエの匂いの洗濯物に、たまに手作りの菓子なんかも入っていて…

寂しいなんて言わないナマエに甘えてばかりいるが、少しくらい会いたいと我儘を言ってもらえないものか。
会いたいのは俺だけで、ナマエはジュニアさえいればいいのだろうか。

俺の予想だともうそろそろ弱音を吐くはずだから、この書類の山が消えたら半日だけ帰宅しよう。
絶対に驚くだろうな、できる限り寝かせてやりたいけれど、我慢できるだろうか。
ここに来てから一度も自分で慰める暇なんてなかったからな。


「師団長!ただいま戻りました!」
「ご苦労。で、二人の様子は?」
「いえ、それがお留守だったようで、出来る限り待ってみたのですが…」

夜に出歩くほど、俺の嫁は不用心ではない。
妙だと思いペンを持つ手を止めると、一緒に執務していた部下達がちらほら顔を上げる。

「前回、俺が伺った時は普通でしたけどね…あ、でも実家に帰りたいとは言ってました」
「そうそう、最近はずっとそう仰ってばかりでしたよ」
「そういえば、昨日新兵達が、奥様がご両親に会いに行きたいって仰っていたと」

嫌な予感というのはいつも当たる。

「帰る」
「し、師団長!」
「奥様だってたまにはご実家で休みたい時もありますよ!」
「あいつの言う実家は調査兵団本部だ。ご両親は、もうずっと前に亡くなっている」

実家に帰りたい、までは分かる。
が、両親に会いたいというのは意味が異なってくる。

何を言いたいのか察してくれたところは、やはり俺が選んだ奴らだからこそだ。







馬を走らせて自宅に帰ると、明かり一つついていなかった。

中は綺麗に片付けられていて、だけどどこか違和感がある。
カーテンも同じ、ソファやカーペットも何も変わらない。

とにかく、まずは落ち着こうとシンクで水を一杯飲んでようやく気付いた。
手をついたダイニングテーブルには、子供用の椅子と、もう一人分のランチョンマット。
添えられているカップは俺の物で、色違いで揃えたはずのナマエのカップが無い。

寝室だって大きく変わった所は無い。
綺麗に整えられた俺達のベッドに、ベビーベッドにはジュニアのおもちゃがある。

なのに、ドレッサーには何一つ物が置かれていない。
クローゼットを開けると、見事にナマエの服だけがなくなっていた。

探しても探しても、この家にあるのは俺とジュニアの物ばかり。
あとは来客用の物もそのまま残っていた。

まるで昔からナマエがいなかったかのように、
最初から俺とジュニアだけで生活していたかのように。

家中を歩いて回って、もう一度寝室に戻ってきた。
真っ白なシーツの上に、一瞬だけ光るものが見える。

近付いて、手に取って、それが何か確認できたところで強烈な目眩がした。
いつもナマエの薬指に嵌まっていたはずのゴールドが、どうしてここにあるんだ。

あいつは元々、弱音も不満も溜め込んで潰れるタイプの人間だった。
でも、何年も過ごすうちにそれも吐き出せるようになってくれた。

と、思っていたのに。

過ぎた信頼は妄想と同じだ。
俺は頭の中で、ナマエのことを都合良く理解していたのかも知れない。

とにかく、物騒なことを言っていたのだから、一刻も早く探しに行かないと。
寝室を出ると、近くで足音がしていた。

「ナマエっ!」
「なんだ、帰ってくる余裕はあるんじゃないか」

慌てて玄関を開けると、愛しいナマエと、ナマエを抱き上げているエルヴィン。

「エルヴィン…?ナマエは、」
「静かに。ようやく眠れたところなんだよ。それと、ジュニアはミケとナナバの家で預かっている」
「ナマエ…」

エルヴィンの腕で眠るナマエは、見たことがないくらいに疲れていて、月明かりだけでも分かるほどに濃い隈がある。
こんなになるまで、どうして何も言わなかったんだ。

「ナイル、ナマエは君と別れると言っていたが、親権に関してはよく話し合うといい」
「そんなこと、一言も聞いてねぇぞ」
「言えなかったんだろうね、彼女のことだから。そんな環境を作ったのは誰だ?こんなにボロボロになるまで追い詰めたのは誰だ?」
「俺だと、言わせたいのか?」
「別に。ただ、ナマエを幸せにできないなら他の男に託したらどうだ?まだ若いし、仕事も家事もこなせて愛嬌もある。バツとコブのひとつずつくらいついたって引く手数多だろうさ」

淡々と話すエルヴィンを久しぶりに見た。
俺とジュニアを随分と汚ない言葉で表現してくれたようだが、これは本気で怒っている。

「例えば私なら、ナマエもジュニアも今よりずっと幸せにしてやる自信がある。私が養子縁組ではなく後見人になることを選んだ理由を、もう一度考え直すといい」

エルヴィンの腕から預かったナマエは、驚くほどに軽かった。

ベッドに寝かせると、一回り小さくなったような気がする。
俺の好きだった柔らかな厚みはなく、手首なんて折れてしまいそうだ。

縋るように握った手には、やはり指輪がなかった。

エルヴィンの言う通り、ナマエは俺と別れるつもりなのだろう。
ここまで荷物を整理していったということは、計画的な行動であることも読み取れる。
どう考えても、今朝思い立っていきなり準備できる範囲じゃない。

いつから、と言われても、もう何ヶ月も会っていない状態では見当もつかない。
部下の報告では、特に変わった様子はなかったはずだが、他人にそんなことを悟られるような奴でもなかった。

もう限界だと、助けてほしいと、ひとこと言ってくれさえすればこんなことにはならなかったのに。
いや、彼女が何も言わなかったことに甘えて帰宅しなかったのは俺だ。
今日みたいに、帰ろうと本気で思えばできたはず。
それをしなかったのは、俺だ。

眠るナマエの頬を撫でると、くすぐったそうに眉を寄せた。
笑わないんだな。
せめて眠っている間だけでも、苦痛から解放してやれないものか。

「ナイル…」

絞り出すような声で俺を呼ぶ。
ここまで追い詰めてしまったのは俺だが、それでもナマエを手放したくないと思うのはエゴが過ぎるだろうか。

「ナマエ…」
「ん、う…ナイル?」

うっすらと目を開けたナマエは、力無く俺を見る。
何度か瞬きを繰り返して、状況を飲み込むと寝返りを打って背を向けた。

「ナマエ、」
「ごめんなさい、すぐ出て行くから」
「なあ、俺はまだお前から何も聞いてない。どういうつもりなのか、聞かせてくれないか?」
「私と…別れてください」

実際に言われると、呼吸が止まる程の威力だな。
震える肩を掴んで揺さぶって、先ほどの発言を撤回させることもできる。
が、それは今すべきことではない。

「理由は?」
「…疲れたの」
「それだけか?なら改善の余地がある。却下する」
「じゃあ何?他に好きな人が出来たとでも言えばいいの?」
「何人そんなのが現れても潰す。俺が頷かない限りは死ぬまでこの婚姻関係は続く」
「お願い、もう許して…私、ナイルのこと信じられない。好きじゃない」

どれだけ法的な関係で縛り付けても、心が離れたら何の意味もなさない。
ナマエが、俺を、好きじゃない、とは。
嫌いだと、そう言いたいのか。

恐れていたことが現実になる。
ナマエが俺の前からいなくなってしまう。

肩を掴んで、こちらを向かせる。
ぐしゃぐしゃに顔を濡らして泣いている。

こんな顔をさせているのは、俺なのか。

「ナイルのこと、好きにならなきゃよかった…こんなことなら、出会いたくなかった」
「ふ、ざけるなよ…」

軽く、だとは思うが、つい頬を打ってしまった。
ナマエも吃驚しているが、俺だってそうだ。

どんな理由であれ、女性に手を上げるなんて最低だ。
それが好きな女なら尚更。

そのくらい分かっているのに、頭がうまく整理できない。
言いたいことは山ほどあるのに、適切な言葉が選べない。

「俺達が一緒に過ごしてきた時間は、無駄だったと言いたいのか?」
「…そうよ、まだ間に合うから、ここで私と別れて」
「なんでだよ…」

みっともないと笑われてもいい。
布団の上からナマエに覆い被さって縋りつく。

抵抗されないのをいいことに、更にきつく抱き締めた。
首筋に顔を埋めて、そこに見慣れないものを見付けた。

赤くて丸い、鬱血。
赤いということは、つけられて間も無いということだ。
三ヶ月前に俺が付けたものが、今も残っているはずがない。

視線を動かして探して行けば、耳の後ろ、うなじ、鎖骨、どこもかしこも跡が付いている。

なんだ、そういうことか。

「残念だったな、あと少しで折れるところだったが、相変わらずお前はツメが甘いんだよ」
「…何の話?」

例えば、俺に最初から助けを求めていればこんなことにはならなかった。
なのに、ナマエが救いを求めたのは俺ではなくエルヴィンだった。

珍しく挑発的な態度のエルヴィンと、珍しく要求を通そうとばかりしているナマエ。
二人が組んで、計画を立てていたとしたなら頷ける。

そうだ、そうだった。
こいつは出会ったときから現在に至るまで、何かあればすぐエルヴィンの背中に隠れたがった。

最初からナマエはエルヴィンを好きで、エルヴィンもナマエが好きで、二人して俺をからかっていただけか。
俺だけが蚊帳の外でお花畑を作っていたのか。







「楽しかったか?年甲斐もなく若い女に夢中になってるのは、そんなに面白いものだったか?」

何を言っているのかは分からなかったけど、耳元から聞こえてくるそれは震えている。
若い女…ああ、ザックレー総統のご令嬢か。
夢中になってる、だなんて私の前でよく言えたものだと感心する。

「楽しくも面白くもないわよ、別に」
「最初からそのつもりだったのか?どうして素直にエルヴィンと一緒にならなかった?」
「一緒?何のこと…?」
「そうだよな、お前は最初からエルヴィンが大好きだったもんなあ…好きでもない男と何年も一緒にいて、子供まで作って、何が目的だったんだよ」
「ちょっと待って、ナイ…っ!」

ゆっくりと身体を起こしたナイルは、見たことが無い色の瞳をしている。

「これ見よがしに指輪まで置いて行きやがって。この左手を、俺がどんな気持ちで握っていたか分かるか?」

痛みを感じるくらい強く手を握られたと思ったら、頭上で纏められて、手首にギチギチと何かが巻きつく。
縛られた手を目の前まで持ってくると、さっきまでナイルの胸にあったはずのループタイが食い込んでいた。

「ナ、イル…?」
「そんなに怯えるなよ、ああ、エルヴィンの野郎はもっと優しくしてくれるってか?」
「何それ、っ!ん!」

ハンカチのような、小さめの布を丸めて口の中に入れられると、口を閉じられなくなった上に母音しか話せない。
さっきのこともあるし、もしかしたら殺されるのかも知れないと思う。

ゆるゆると手が首元に伸ばされて、覚悟して目を瞑る。
が、実際に掴まれたのは襟元だったようで、しかしボタンが飛び散るほどの勢いでブラウスが引き裂かれた。

「相変わらず冗談みたいにでけぇ胸しやがって…どこもかしこも痩せ細ったのにここはこんなんで、もしかしてエルヴィンのためか?」
「ふっ、う…」
「いいこと教えてやるよ、あいつはケツの大きな年上が好きなんだ。無駄な努力だったな」
「い、っ!う…」

さっきから、どうしてそこでエルヴィン団長が出てくるのか。
そんなことを考えられたのも一瞬だけで、強く胸を握られる。

痛みしか感じなくて、ナイルもそれは分かっているはずなのにやめようとしない。
千切れそうなほど強く先端を摘ままれて思わず目を瞑ってしまうが、顎に添えられた手が食い込んでそれを許さない。

「目を開けてちゃんと見ろ。エルヴィンじゃなくて、俺だからな」

そんなことを言わなくても分かる。
そして、ようやく何を言いたいのかも理解できた。

ナイルは、私がエルヴィン団長と関係を持っていると思っている。
自分のことは棚に上げて、私のことは不貞を働いた妻の扱いか。

信用してもらえていないにも程がある。
いや、誤解を招くようなことなんて一つもしていない。

だとしたら、ナイルは本当に私と別れて再婚するつもりだ。
私から別れを告げさせたのも、不貞の疑惑を挙げられたのも、その方が都合がいいからだ。
それなら離婚しても風当たりは悪くないどころか、世間の同情を買えるし再婚も歓迎されるだろう。

こんなところで、その頭の良さを発揮しなくてもいいのに。
結局、私も手駒の一つでしかなかったのか。

「エルヴィンは優しく触ってくれるのか?いや、あいつのことだからねちっこく弄くり回すのか?」
「ふあ、っ…」
「俺に触られても反応するのかよ」

指先だけでくにくにと捏ねてくる仕草は、普段のものとは違う。
でも、開発した本人に触られたらこのくらい反応する。

「腰、揺れてんぞ」
「ーっ!」
「お前、何か勘違いしてるみたいだから教えてやるけどな。今からするのはセックスじゃねぇ、性的暴行だ」

私に跨るナイルは、そのまま襟元のボタンを一つ外した。

「いや、お前からしたら、今までもずっと暴行だったわけか」

涙が邪魔で、ナイルが見えない。








痛い。
乱暴に挿入されて、それでなくとも久々なのに中が擦れてひりひり痛む。

腰は指が食い込むほど強く掴まれて、突き上げられる度に背中が糊のきいたシーツに擦り付けられる。
脚はみっともなく開かれて、逆に痛くないところはどこだろうか。

「何か言いたいことはあるか?」

そう言って口の中のハンカチが出て行ったのも束の間、今度はナイルの指が二本入ってきた。
それぞれが奥歯に這わされている。

「噛めよ、指くらい無くなっても死にゃしねぇよ」

首を横に振って拒否を示すと、鼻で笑われる。

「お前、死にたいって漏らしてたらしいじゃねぇか。死んででも俺から逃げたかったんだろ?だったら俺を殺すつもりで抵抗してみろよ」

死にたいなんて、言ったことは無いし、思ったこともない。
私から逃げたかったのはナイルの方なのに。

「できないんだろ?流石に人殺しはスミスに相応しくないもんな」
「っ!ない、う!」
「まだ喋る余裕あんのか?」

背中に手が回ったかと思えば、ふわりと浮いた。
今度は私がナイルの上に跨る体位になってしまう。

身体を支えるのが精一杯で、縛られたままの手をナイルの胸につく。
私だけが全裸で乱されていて、ナイルはジャケットもベルトもつけたまま。

「なあナマエ、こんなもんじゃまだ足りないだろ?」
「ナイル…っ、も、やだ…」
「そんなことは聞いてないんだよ。が、足りなさそうだな」

ぐっ、と背中に回った手が腰を前に倒すように押してくる。
それに逆らわずにいたら、もう片方の手が髪を掴んで後ろに引っ張ってきた。

強制的に仰け反るような姿勢になった途端、電流のような快感が走る。
中に入ったままのナイルが、とてもいいところに当たる。

「ひああああっ!」
「何の為にココを開発してきたと思ってんだよ。この様子じゃエルヴィンにはしてもらえなかったようだな、可哀想に」
「ふ、あ!あああっ!」
「聞いてんのか?意識だけは手放すなよ」

達したばかりなのに、すぐにまた快感がせり上がってきて目の前がチカチカする。
なのにナイルは頬をぺちぺち叩いて現実に引き戻す。

「エルヴィンはこんなことしてくれないんだろ?」
「そんなにエルヴィンがいいのか?なあ、あいつのどこがそんなに好きだった?」
「なんでだよ、俺はもう要らないのか?」

自分の身体を支えるのすら難しいのに、ナイルは遠慮なく突き上げてくる。
腕が耐えられなくて胸に倒れこめば、そのまま抱きかかえられて今度は座位になって抽送が再開された。

「抱き潰して、エルヴィンなんかじゃ満足できねぇ身体にしてやる。流石のあいつも、他の男の精液がこびりついた女なんか抱けないだろうしな」
「はっ、あ…」
「ついでだ、コブ増やしといてやるよ。またお前は俺の子を孕むんだ、笑えるよな」

笑える、なんて言いながら、私の胸に落ちてくるこれは何?
どうしてナイルが泣いてるの?




真っ白な壁が見える。
あーあ、痛いなあ。

私の格好は相変わらず裸で、胸の下に腕が絡まっている。
脚だって、後ろから伸びてきている別の脚に絡め取られていて、完全にしがみつかれている状態だ。

「ナイル…?」

びっくりするような、枯れた声が出た。
でもちゃんと発音できていたようで、巻きついていた手足が、背中に密着した身体ごと跳ねた。

「嫌だ」
「は…?ナイル?」
「別れない」

ちょっと待って、いきなり否定の言葉から入られても困る。
それに、別れたいのはナイルの方じゃないの?

「ねえ、ナイル?私、あなたの足を引っ張りたくないよ」
「じゃあエルヴィンのことは諦めて、俺といてくれ」
「さっきからどうして団長が出てくるの?」
「ずっとエルヴィンが好きだったんだろ?」

確かにエルヴィン団長は好きだ。大好きだ。
でも、男の人として好きかと言われたら悩む。
魅力的であるのは間違いないけれど、家族という感覚に近い。
付き合う前にも結婚前にも、何度も何度も説明したはずだったのだけれど。

「だから、ナイルに向ける好きとはベクトルが違うんだけど…」
「でも俺のこと、好きじゃないって…」
「だってナイルが私と別れたがってて、その方が幸せになるなら、私は好きでいちゃ駄目じゃん」
「待て、俺はお前と別れたいなんて思ったこと、一瞬だって無いぞ」

先程から、なんだか話が噛み合わない。

「総統令嬢はどうするの?」
「どこでそれを…!」
「で?新しい奥様にでもするつもり?」
「はあ?お前、猫と結婚できるのかよ」
「…ねこ?」
「ジジイの家の猫が子供を産んだんだよ。で、そのうち一匹をうちで引き取らないかって」

総統閣下の愛娘は、愛猫だったってこと?

「ナイルにとっても悪い話じゃないって、ジュニアが幼いうちのがいいって」
「小さなうちから一緒に育つペットがいると、子供がある程度成長した頃に身を呈して死を教えてくれるんだと。情操教育だか道徳だか、なんだったか」
「で、私の許可が必要だと?」
「というのは口実で、実は俺が猫を好きじゃなくてだな…なんとか断りたかったというか…」

馬鹿馬鹿しい。勿論、私が。
ナイルが出世と引き換えに総統令嬢を娶るのかと思って、荷物をまとめて実家へ帰ってしまった。

そんなことをしたものだから、団長兵長分隊長まで大騒ぎになってしまった。
ミケ分隊長がジュニアを預かってくれて、それに甘えて久しぶりに眠って、団長と少し話をして、また眠って。
気付いたら自宅でひん剥かれていた。

「猫の話はいいんだよ、ナマエがエルヴィンとそういう関係じゃないなら、誰がキスマークなんてつけたんだ?」
「首周りのでしょ?ハンジ分隊長よ」
「ああ?あの奇行種が?」
「バツイチになった私に変な虫がつかないようにーって…まあ、3徹目だったらしいし、後でモブリットくんが平謝りだった」
「なんだそれ…」

そんなの、私だって言いたい。

「私が死にたがってたなんて言ったけど、そんなバカなこと考えもしないよ」
「新兵達に、ご両親に会いたいって言ってたって…」
「それ、ドークのご両親ね。ジュニアがよく喋るようになったからまた顔出しに行きたいなーって」

身体に巻き付くあれこれが緩んだから、振りほどいてナイルと向かい合う。
絶対泣いたんだろうなあ…瞼が腫れている。

「目、真っ赤…」
「誰のせいだと思ってんだよ」
「手が痛い腰が痛い足も痛い背中も痛い」
「…悪かった、すまない」

しょぼんとする顔が情けなくて可愛くて、つい意地悪してしまった。

「元はと言えば、私が誤解したところから始まるわけだし。ごめんね?」
「いや、俺が最近ちゃんと帰れなくて二人で話す時間もなかったからだろ」
「会いに行こうと思えば私がジュニアを連れて来ればよかったんだから。ナイルの仕事が優先事項なのは分かってたわけだもん」
「理由が何であれ、俺はお前の頬を打ったし乱暴もした。最低だろ…」
「それでもそんな最低なナイルが好きで好きで仕方ない私の立場も考えなさいよ」

なんだ、私達はもう戻れないところまで堕ちているんだ。
二人揃って、目も当てられない。

「ジュニア、迎えに行くか…」
「うん、そうだね」

ごめんなさいもありがとうも愛してるも、当てはまる言葉が見当たらない。










「ナマエっ!」
「ナナバ!」

翌朝、ナナバとミケ分隊長のお宅を訪ねた。
玄関を開けたナナバが私を抱き締めて、ふと離れた瞬間に隣に立っていたナイルを殴った。

「ナイル!え、ちょっと、ナナバ!」
「あんたねぇ、うちのナマエを嫁に貰っておきながらなんなの?何様のつもり?」
「違うの、ナナバ!私の誤解で、浮気なんてしていなくて…」
「あら、そうなの?」

そう言いながらもナナバはナイルの頬を打つ。
笑顔でそんなことをするあたりが恐ろしいけれど、黙って受け身も取らないナイルも怖い。

「どっちにしろナマエを泣かせたのに変わりないでしょ?」
「…ああ、弁解するつもりもねぇよ」
「ナナバ、そのあたりにしておけ」
「ミケ…でも…」

スンスンとナイルの首筋に鼻を寄せて、離れたかと思えば私の両頬を軽く摘まんだ。

「この世で一番怖いものは嫁の親友だが、男だって友達を泣かされたらこのくらいしたくなる」
「ミケ…でもナマエのほっぺ摘みすぎだからね」




「で、うちのチビはまだ寝てんのか?」
「ああ、うちの小さいの達と寝ているぞ」

小さいのたち、なんて言ったけれど、あの子たちは平均よりずっと大きいと思う。
それでもこの二人からしたら充分「小さいの」なのだろうか。

「パパ?」
「ジュニア!なんだ、起きたのか?」
「ん…ねむい…」

よたよたと歩いてきたジュニアをナイルが抱き上げて、鼻先を柔らかな頬にぐりぐり押し付けている。
以前、頬擦りしたらヒゲを理由に泣かれたのを今も気にしているみたいだ。

こうして同じ顔が並んでいるのを見ると、つい笑ってしまう。
よくクローンだの何だのと言われているけれど、まったくもってその通りだから。

「パパ、おしごとは?」
「今日はお休みだよ、ジュニアもパパに会いたかったもんね?」
「べつに…うー……」
「…そこは素直に頷けよ、ったく…あ、うわ、おわあああ!」

ジュニアの髪を撫でると、何故かナイルがあたふたしだす。
何事かと見れば、ジュニアがおもらししてしまっていたようでシャツがべちゃべちゃに濡れてしまっている。

「やだ…やだあああああ!!」
「ジュニア?どうした、パパが嫌か?」
「おかしいなぁ…最近はこんなことなかったのに…ナナバ、もしかして昨晩もやらかしちゃってた?」
「ううん、むしろちゃんとうちの子達のお兄ちゃんしててくれたよ?」
「やだあああ!お兄ちゃんやだああああ!!」

左手では髪を撫でていた私の手を掴んで、右手はナイルの胸を掴んでいる。
粗相した分は全てナイルのシャツに染み込んだし、ジュニアのものなら気にもならないのでナイルは抱きかかえたまま背中を摩る。
ザカリアス邸の玄関を汚さなかったのは不幸中の幸いだと思おう。

それにしても、そんなに一生懸命握らなくても、私達がこの子の手を振り解くことなんて無いのに。
トイレもちゃんとできるようになっていたのに、なぜ今このタイミングで…

「…ミケ、これは…あれかな?」
「ああ、おめでとうと言うべきだろうな」
「んだよ、俺にスカトロの気はねぇし開花もしてねぇよ…」
「うちも上の子が急にこうやって泣き出して赤ちゃんみたいになったことがあって、しばらくしてその頃から妊娠してたことが発覚して…」
「心当たり、あるんだろう?」

ナナバはともかく、ミケ分隊長に言われるとなんだかもういたたまれなくなる。

「とにかく、着替えを貸すから入ってくれ」
「シャワーの用意もしてくるからね、遠慮なく座ってて」

お言葉に甘えて上がらせて貰ったものの、ナイルは状態が状態なだけに座れない。

「大丈夫、パパもママもジュニアが大好きだからな」

泣いていたジュニアも大人しくなって、やっぱり眠かったのもあるのかな。
それでもナイルの胸元を握る手だけは健在だ。

小さくて一生懸命なその手に私の右手を重ねようとした時に、ナイルの頬が赤らんでいるのに気付いた。

「ジュニア、そこはパパの赤く熟れた果実ってこと知ってるか?パパのテクニックはちゃんと遺伝したし、将来有望だな」

…やっぱり実家に帰らせていただきます。







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