生きがい



「たーだいまー」
「ちょ、やだ!ナイルくっさ!」
「そりゃ40年近く生きてたら多少香ばしくもなるわ」
「加齢臭はともかく、アルコールの匂いがするって言ってんの!」

いくら憲兵団が暇だの平和ボケしてるだの言われても、師団長はちゃんと働いてるはずなんだけど…

仕事が夜遅くまでかかることも珍しくないから、今日も一人でご飯を食べて片付けてお風呂に入って、今から寝ようという時に旦那様のご帰還だ。
そう、旦那様の。

ぐでぐでに酔うなんて、あまりないことなのに。
仕事の流れで飲んだとしたなら、役職的にどうなんだろう。
それでも家まで帰ってこれたのは褒めてあげたい。

「ナマエー愛してるぞー」
「わー嬉しい。寝ようかなー、おやすみー」
「おいちょっと待てや、お前はいつからそんな1.6m級みたいな目つきになった?」
「それ、兵長のこと言ってるんだったら削ぐからね」
「…今、タマがひゅんってなった」
「いっぺん壁外行くか?おっさん」

下品にも程があるだろうが。
本当に、なんでこんなのと結婚したんだろう。

そういえば、結婚についてはエルヴィン団長に散々言われたような気もする。
ちゃんと聞いておけば、こんな下ネタばっかのおっさんと結婚することもなかったのかも。

「ナマエちゃーん、拗ねんなよー」
「ちゃん付けしないで、気持ちが悪い」
「え、あ!お前っ!寝室に鍵かける新妻がどこにいるんだよ!」
「ここかなー?おやすみ、ドーク師団長様」
「ふざけんなよー!お前だってドークなんだからな!」

防犯のために付けた寝室の鍵をかけて、ベッドに潜り込んだ。
開けろだのなんだのと騒がしい声が聞こえたのも最初のうちだけ。

おっさん特有のイビキが始まったのを確認して、ドアを開けた。


案の定ナイルはソファで溶けていた。
ジャケットを脱がしてベルトを緩め、肩まで毛布をかけてあげる。
なんだかんだ言って、この人が好きで一緒になったわけだし、今はこの人に養ってもらってる身だし。
あと、内地の平和はこの身体で守っているんだから風邪なんてひかせられない。

「お疲れ様、ナイル」

ちゅ、とハリの無い頬に唇を落として髪を撫でると、その手を軽く掴まれる。
そしてそのまま指先にキスを落とされて、一言、

「なんだよエリー…お前も可愛いことすんのな」

エリー…?
ナイルの周りにそんな兵士いたかな?
いや、補佐官以外は全て男性で…彼女もエリーなんて名前ではなかったはず。

っていうか誰と間違えてるんだ。
場合によってはマジで削ぐ。

「エリー、俺の気持ちは無視か?」

エリー…
私の名前と似ているか?
いや、そんなことは…
仮に似ていたとしてもこのはっきりとした発音では言い逃れできないだろう。

「お前が必要だエリー。俺と憲兵団に来てくれ」

私じゃない、誰かを口説いている。
調査兵団に所属していて、最近は休暇でこの家に篭りきりの私には知り得ない女の名前だ。

「クソヒゲ…ふざけんな…」

そう吐き出すのが精一杯で、視界はぼやけるし手は震えるし何もいいことなんてない。
ほぼ添えられているだけの手を振り払って、耳を引っ張ってやった。

「いてて…エリー、暴力は無しだって前に約束しただろう?」
「エリーちゃんじゃなくて悪かったわね…」
「ってぇ!ナマエ!?ど、どうした?なんで泣いてんだよ」
「死ね!」

ばちん、といい音で頬をぶった。
ナイルは訳がわからないといった顔だけど、私だってわからない。

「ナイルが死なないなら私が死んであげるから、大好きなエリーちゃんと一緒になればいいわ」
「は?エリー?なんであいつが?」
「ずーっと私のことエリーエリーエリーって。ふざけんな、じゃあなんで私なんかと結婚したのよ!」
「なんかって言うなよ、俺の嫁に向かってその言い方はねぇだろ」

私が怒りに任せて捲し立てている間に、ナイルの目は覚めたらしい。
そらそうだ、こんな大声をこの距離で聞かされたらそうだろうね。

「なんでって、そりゃ好きだと思ったからだろ。そうでもなきゃ俺は今頃貴族の娘とでも結婚してるだろうさ」
「じゃあ、エリーって誰よ?そのお貴族様じゃないの?」
「エリーのことはお前もよく知ってるだろう?」

そんなことを言われても、私の周りにエリーなんて女の子はいない。
かろうじてエレンの響きが似ていないこともない…?
いや、あれは女の子じゃない。

「エリーは訓練兵の時の同期でよ、すんげえ美人だったんだわ。金髪碧眼で成績優秀、穏やかな性格のやつだった。もう昔の話だがな」

もしかして、昔に好きだった人、だったのだろうか。
ナイルの同期なら生き残っている兵士を数えた方が早い。

憲兵団に誘うということは、駐屯兵団か調査兵団へ所属していた、となると生存率はかなり低い。
だとしたら、大変なことを聞いてしまったのだ。

「ごめん、変なこと聞いて…エリーさん、きっとナイルのことも」
「なあ、エリーのフルネーム、知ってるか?」
「知らない…っていうか、私まだ喋ってる途中」
「エルヴィン・スミスって言うんだよ、エリーちゃん」
「…はあ?」

エルヴィン・スミス
…私の上司の名前だ。
調査兵団の団長で、確かにナイルとは同期の金髪碧眼のすんごい美人。

「俺がからかってエリーちゃんって呼ぶとあの涼しげな顔が歪んですげえ罵ってきて面白いんだが、お前、知らなかったっけ?」
「えっと、その、エルヴィン団長に私は嫉妬していたと…?」
「お前も案外可愛いことするのな」
「う、るさい!」
「暴れるなって、腹に障ったらどうすんだボケ」

ひょいと抱えられて、ソファに座るナイルのそのまた膝の上に座らされた。
後ろからまわる両手はお腹に当てられて、肩には顎が乗っかった。

「あとお前、冗談でも死ぬとか言うな」
「うん…」
「いいか、調査兵団の班長くらい3年ありゃ代わりは育つ。憲兵団の師団長も10年やってりゃ順番が回ってくるけどな。だけどお前は一人しかいないし、俺が好きだと思えるのも一人しかいないし、お前が死んだらこいつも道連れだろうが」

あ、怒ってる。
ナイルが淡々と物事を話すそれはエルヴィン団長ですら怖いと言う。

言葉のアヤとは言え、確かに配慮に欠けた一言だったと思う。

「俺はエルヴィンみたいに人類に心臓捧げて働いてねぇけどな、こいつのためなら捧げても悪くないと思ってる。お前が内地の一番安全なところで俺に守られて俺の子供産んで、その間にエルヴィンたちがなんとかするだろ」
「なんとかって…簡単に言うけどね、」
「エリーちゃんならなんとかできると思ってるぜ?」
「ああ、そう…」
「だからもう二度と馬鹿なこと考えたり言ったりすんな。お前とこいつは師団長様を真面目に働かせる為の唯一のエサだからな」

きつくない程度に抱き締められて、肩の重みが離れて首や耳にキスが落ちてくる。
くすぐったくて身を捩ると、くるりと向かい合う形になった。

そのまま肩を抱かれて唇を重ねる。
薄くて、お世辞にも柔らかいとかぷるぷるとは言えない唇。
だけど、いちばんやさしい唇。

舌も絡み合う頃になると、手も肩を抱くのではなく髪を混ぜて引き寄せる品の無いものになってきた。
ふと後頭部の力が弱まったから、ゆっくり離れると唇を結ぶ糸を舐め取られる。


「やべえ、勃った」
「はあ?」

本当に、この人にムードを求める私が悪いんだろうけど。
もう少し配慮が無いと私だって辛い。

「言っておくが俺は紳士だ、腹ボテの嫁さん捕まえて突っ込む野郎じゃねぇぜ?」
「その言葉のセンスが紳士の師団長様だわ」
「だろ?だからな、ちょっと見ててくれ」
「は?…えっ、ちょっと!ねえ!ナイル!脱ぐな、やめろ…!」
「大丈夫だ、見てるだけでいいから」

一瞬でもこのおっさんに胸をときめかせたのは内緒だ。
もう墓場まで持って行くしかない。

必死な顔で自身を握り込む旦那様を見ながら、それも悪くないと思った。






GLAY/生きがい