good night


※動物の死体描写を含む、嫌がらせの表現が出てきます。
恐れ入りますが、自己責任でお願い致します。













お腹が膨らんできて、ようやく誰が見ても妊娠しているのがわかる状態になった。
ナイルの過保護は相変わらずだけど、このまま放っておいたら私は運動不足になるし、ナイルだって仕事に行く素振りすら見せなくなってきたので一度話し合いをしたら少し落ち着いた。
話し合いに立体機動装置は必要です。

今日もナイルを家から押し出して、一通りの家のことをしたあとに買い物に出かけた。
なるべく肉や卵を食べるようにと言われていて、散歩も兼ねてこうしてこまめに買いに行く。

お昼ご飯はどうしようか。
この子の為にも、面倒臭いだなんて言っていられない。

門をくぐり、玄関のドアに手をかけたとき、見慣れない物が視界に入る。
それが何なのかわかった瞬間、思わず叫んでしまった。





「ナマエっ!大丈夫か!!」

偶然近くを巡回していた憲兵が駆けつけて、そのうち一人がここが師団長宅であることに気付き…
ナイルが早退して帰宅するという事態に至る。

私だってあんなものくらいで叫ぶんじゃなかったと思いつつも、ナイルがこうして隣にいてくれるだけでずっと落ち着く。
巨人も遺体も見てきたけれど、あれはまた別次元の気持ち悪さだ。

「誰がこんなことしやがるんだよ…」

そう言って指先だけで汚らしく持ち上げたのは、ビニール袋。
その中には、使用済み・体液入りのコンドームが入っている。
あんなものがドアノブに絡まっていたら、動揺しても仕方ない。

どう考えても風で飛んできたなんてことは考えられないから、人為的なものであることは間違いないのだが、

「問題は、無差別な悪戯か、最初からナマエを狙っていたのかってことだよな…」

もし無差別でない場合は、私が出かけたことを確認しているということだし、ナイルが不在であることも知っているということでもある。
この瞬間も、もしかしたら見られているのかも知れない。

冷静に考えれば、そんなに不安になる要素なんてないはずだ。
両手の刃だけで己の身を守ってきたんだからそのくらいは自信を持たせてほしい。

でも、明日からナイルは兵団本部に泊まり込みになる。
頼りの調査兵団も、昨日から最後の壁外調査にでかけている。

ひとりになる。
自分の身を守るくらいならなんとでもなりそうだけれど、今はお腹の子がいる。
思い通りに身体が動かないし、そもそも激しい運動は厳禁だ。

なにより、この子だけはどうしても守りたい。

「…憲兵を何人か自宅周辺に配置する。まあ、シーナで事件があると珍しくない光景だから気にするな。職権乱用じゃない」
「うん…」
「まだ新兵だが、悲しいことにそいつらの方がずっと真面目だ。女性兵士も多めにしておくから、何かあれば自宅へ入れてもいい」
「うん…」
「大事な時にお前の側にいてやれないのが悔しいが、すぐに…」
「大丈夫だよ、絶対、この子を守るから」
「…ああ、頼む」

何か言いたげなナイルの口元は、ぎゅっと結ばれた。
人類の勝利が目前に迫っている状況で、師団長様の仕事が立て込んでいるのは知っているし、彼が職務を放棄することはありえない。
今、こうして抜け出してきてくれた分は、恐らく睡眠時間を削ってまで穴埋めするのであろう。

甘えたことは言っていられない。
私も戦わなければならない。







それから数日は穏やかな日が続いた。
新兵だというマルロくん、ヒッチちゃん、アニちゃんとは結構仲良くなれた。
マルロくんは最初、任務だからと言って頑に私語をしたがらなかったけれど、今では4人で食事をとったりお茶を飲むことも増えた。

私も兵団で大勢に囲まれて生活するのに慣れていたし、やっぱり食事は一人でとりたくない。
護衛のような意味も含まれていたのだろうけど、やっぱり誰かと一緒にいるというのは安心する。

「あ、もうこんな時間。ちょっと郵便受け見てくるね」
「りょーかいでーす。じゃああたしは片付けしておくから、アニは洗濯物ね。マルロは自宅周辺回ってきて」
「おい、班長は俺だぞ」
「いいよマルロ、さっさと行ってきな」

絶妙なバランスの3人だけど、仲良しみたいで良かった。

私はナイルからたまに手紙が届くのが楽しみで、郵便受けを確認するのが日課でもある。
簡単なサンダルを足に引っ掛けて庭を歩き、門の横に備え付けてあるそれの小窓を開けた。

途端に滴り落ちる赤黒い液体。
郵便受けには、そこに収まるようにと切断された猫の死体が詰め込まれていた。

また、情けない叫び声を上げる。
真っ先に来てくれたのがヒッチちゃんで、私の身体を支えながら目元に手を当てて隠してくれた。

「どうしたんだい!」
「アニ、こりゃあスゴいよ…ナマエさんを狙った説が最有力かな」
「おい、どうした!何があっ…た…」
「マルロ、すぐに第2巡回班に連絡を。うち一人は本部まで伝令を出すようにと」
「ああ、師団長室へ早馬だな」

気持ち悪い。
身体が震え出して止まらない。

「ナマエさん、目ぇ開けちゃダメだよ」

ヒッチちゃんに従って瞼に力を込める。
ふわりと身体が浮いて、抱き上げられたのだとわかった。

そこからはあまり覚えていない。








「本当にそれは師団長判断なのかい?」
「俺だって確認したさ!しかも、状況が状況だ…」
「ははっ、サイテーだねあのおっさん!奥さん孕ませたらもう用済みってこと?」
「ヒッチ!師団長が俺達を任命した時も仰っていただろう!」
「やめな二人とも。ナマエさんが起きるだろう…」

目を覚ますと辺りは真っ暗で、扉から漏れる光でようやくここが寝室だとわかった。
それにしても、何の話だろう。

「だってサイテーじゃん!いい旦那ぶってても仕事だって家に帰らないで、それで執務室に女連れ込むって、じゃあ他になんて表現したらいいのよ!」
「それは…」
「マルロだって昔の師団長がどんな野郎だったか聞いてるんだろっ!それにその女、頻繁に会ってるらしいじゃん!」
「ヒッチ、声を抑えて。本当にナマエさんが」
「起きてるよ。続けて頂戴?」

そんなに怖い顔をしてしまっただろうか?
みんな黙ってしまった。

「ナイルの過去も、その女の話も初耳なの。それに私達は浮気をされたら削いでいいルールだし」
「…俺達も、伝聞なので不明確なのですが……」

昔、ナイルは遊んでいたらしい。
大人の男が遊ぶといったら、つまりそういうことだ。

付き合いもあったのだろうが、上手いこと連れ込んでは関係を持って…
そんな毎日だったのに、ある日を境にそんなこともしなくなっていた。

…はずだったのに。
そのうちの一人と、最近頻繁に会っているらしい。

踊り子らしく華やかな容姿と派手な性格だという。
その女が、なぜ?

「先輩達は悪意どころか憧れの目でその話をするんです、あの師団長がある日を境にぱったりと遊びをやめたというところがミソというか…」
「つまり、あなたに出会ったその日からさ。みんな運命の出会いを夢見てるんだ」
「でも言いたくないけど、あの人は貴族のパーティーで再会してからその踊り子を連れ込んでるって…」
「うん、わかった。みんなありがとう。でもまだ確証は無いわけだ?」
「ナマエさんっ!あんな奴やめましょうよ!」
「ごめんねヒッチちゃん…でも、本当に浮気なら私の手で握り潰すから」

マルロくんが開いていた足を瞬時に閉じた。
あらやだ、ナニを、とは言ってないのに。

「だから、少し協力してくれない?」









定期的にお腹の様子を診てもらっているのだが、今日はその帰りに憲兵団本部に泊まらせてもらおうという魂胆だ。
もし毎日執務室に女を招き入れているのが本当ならば、本来いるはずのない私を見たら何かボロを出すだろう。

何かあれば憲兵団本部にある私室を使って構わない、とは言われている。
ギリギリ合法だろうか。

モラルの問題を持ち出されると不安だけれど、それを言うなら職場に女を連れ込む師団長の方が気に病むべきだ。
3人はそれぞれ何か言っていたが、結局は賛同してくれた。


「師団長のお部屋はこちらです」
「へえ、掃除は行き届いてるみたいね」
「…師団長に見つかるのは時間の問題です」
「見つかって叱られるのが私であることを願うわ」

ナイルの私室はまるでホテルのように片付いていて、手入れも行き届いていた。
女どころか彼が寝泊まりしている形跡すらない。

「あら?どちら様?」
「誰だっ!ここは師団長私室だぞ!」
「だからこそ、あなた方はどちら様なの?」

ノックもせずに入ってきたのはとても綺麗な女性だった。
美人なだけでなく、髪も肌も綺麗で、スタイルだって同じ女だと思えないくらいに整っている。
服だって華やかで、その曲線美を更に引き立てるものだ。

「初めまして、ナマエ・ドークと申します」
「ドーク?ああ、あなたが!」
「おい!ナマエ夫人に近付くな!」
「お会いしたいと思っていましたの」

そんなこと言われても、この人とは初対面だ。
馴れ馴れしく私の手を両手で包み込むと、恍惚の表情で見てくる。

「ナイルから伺っておりました。子を成せない私の為に、代わりに産んでくださるのよね?」

頭を鈍器で殴られたようだった。
なんだそれは、ちょっと待って。

まず、知らない女が私の旦那を名前で呼んだこと。
それに私は、私とナイルの子を育てているつもりだ。
なんだそれ、なにそれ、ちょっと待って、聞いてない。

「出来る限りナイルに似せて産んでくださいね」

重なった手から寒気が伝わる。
ここから消えてしまいたい。
そう思ったら、あとは走るだけだった。

「ナマエさんっ!走るなんて危ないです!」
「っ!」

もともと上手く走れていなかった。
慣れないツルツルとした底の靴を履いてきたものだから、それも重なって足を滑らせてしまった。

危ないと思ったところに後ろから腕が伸びてきて、なんとか支えられた。
胸とお腹の間に腕が回っていて、苦しくないし痛くない。

「ナマエさん、もう少し自覚を持ったらどうですか?」
「ナイルが、ナイルが…っ」
「浮気なんてしていないって、信じているからここに来たんでしょうが!」
「やだ…っ、もうやだ…」

その腕を振りほどいてマルロくんに正面から抱き着く。
何かに縋っていないと立っていられないくらいだった。

「旦那の職場で男漁りとはまた大胆だな、ナマエ」

よく考えたら、ここは師団長私室近くの廊下だ。
こんなことも考えられなかったわけじゃない。

「お前も普通、上官の嫁に手を出すか?」
「師団長っ!違います!そもそもあなたが」
「マルロくん!」
「…なんだよ、そういうことかよ」

違う、元はと言えばナイルが。
さっきの女は何なの?
信用してくれないの?

頭が痛くて視界がぐらぐら揺れる。
ナイルに手を伸ばしたところで、また意識が遠のいた。





「倒れるの、何回目だ」
「…ナイル?」
「少しは自分の体調くらい把握しておいたらどうだ?元々貧血気味だったんなら、人より気にしろ」

目を覚まして第一声がそれか。
霞む目でも、ナイルが怒っているのはわかる。

「大事な子だもんね、ごめんね」
「なあナマエ、お前最近そればっか言うけどな、」
「ナイル、こんなところで何してるの?」

ナイルが何か言いかけた時、部屋のドアが開いてあの女が現れた。
すぐに彼の顔が強張ったのを、私が見逃すはずもない。

「あなたも、ナイルを心配させないでくれる?」
「お前、いい加減にしろよ…」
「どうして?私の代わりにこの女に産ませるんでしょう?」
「違う!何度言えば理解するんだ!俺は、俺とこいつの子供だけが欲しい!」
「どうして素直に言わないの?ナイルは私のこと、好きだって言ったじゃない!」
「何年も昔の話だろうが!今は本当にナマエだけしか考えられないとずっと言っている!」
「私のこと綺麗だって、この体型が崩れるからこの女に産ませるんでしょう?」
「この腹の中には、俺とナマエを半分ずつ受け継いだ子供がいるんだぞ。世界で一番美しい姿に決まってんだろ」

ナイルはベッドを背に、まるで私を守るみたいに立っているから表情はよく見えない。
でも、あの女の顔から察するに、相当怖い顔をしているのだろう。

「そういえば、お前の店のお得意サンはスミスだったよな?」
「…だから、何よ」
「いや?ただ、スミスの坊ちゃんがこいつのこと溺愛してたから、こんなことが知れたらもう食っていけなくなるなと思って」
「でも、私はあなたさえいれば」
「俺はスミス団長殿と違って貴族じゃないからな、もっとえげつないこともするぜ。二度とナマエに近付くなよ」

なんの話をしているのか。
飲み込めない、わからない。

ちょっと頭がオカシイ感じだけど、大好きな人に捨てられたとしたら私だってああなる自信はある。
少しだけ同情したけど、あのナイルが女性相手に遠回しにでも殺すと伝えたということは、余程のことだろう。

泣きながら出て行く女を見届けた後、ナイルは横になったままの私に抱きついた。
もう覆い被さっていると言ってもいいくらいだけど、お腹に一切の圧力を感じないのは流石だ。

「最近ずっと続いていた嫌がらせ、あいつのせいだった」
「え…?」
「どうせあいつらから昔の話くらい聞いてるんだろ?その時の一人だ」


今までも大きなパーティーには仕事として何度も参加して、それでナイルに付きまとっていたという。
昔はお互い割り切って遊んでいたらしいけれど、最近になって彼女が心底惚れていた男に捨てられたらしい。

パーティーで見かける「昔のお友達」に手当たり次第声を掛け続けていたそうだけど、誰にもまったく相手にされず、焦りや不安からかついには正気ですらなくなってしまったらしい。

自分が夢見ていた通りの生活を送るナイルに嫉妬を覚えたのも束の間、なぜかその矛先が私に向いた。
手に入れられなかった幸せがどうしても憎くて、あれこれと嫌がらせをしていたと。
コンドームと猫以外にも色々あったようだが、巡回班の憲兵達が先に発見しては片付けてくれていたらしい。

何しろ気が振れているので下手に取り押さえることもできず、しかしナイルの前でだけは全てを話す。
自分の罪や犯行動機を吐かせる為に何度も師団長室に入れたことは間違いないが、精神鑑定士やその他の憲兵が何人も同席していたことも違いないと言う。
ただ、彼女にはナイルしか見えていなかっただけで。

「なんか、その…ちょっとだけ、あの人の気持ちもわかるかもしれない」
「ん?」
「私もナイルに捨てられたらおかしくなっちゃうと思う、から…」
「お前のその相手の立場になって物事を考えられるところもいいと思うが、その仮説は成り立たない。捨てるとかそんなもん、あり得ねぇだろ」
「うーん、そう、かな…」
「それに元々の原因はあいつが彼氏の親友と浮気したことなんだぜ?同情の余地は無いと思うが…」
「あー、そりゃ駄目だわ!」

久しぶりにナイルの笑った顔を見た気がする。
私も自然に声を上げて笑えた。

もうこの人は私の臓器の一部になっていて、揃わないと呼吸ができないんじゃないかとさえ思う。
ナイルにとってもそう感じて貰える人になりたいなんて、絶対に言わないけれど。

「何にせよ、お前が無事で良かった」
「あの子達にも感謝しないとね。この子もちゃんと守ってもらえたし」
「…それについてなんだが、その、」
「な、何…?」
「あー、いや…んー、その…」
「失礼します、師団長、総統からお手紙が届いています」
「わかった。ナマエ、しばらく大人しくしてろよ」

前髪の生え際をくしゃくしゃに混ぜられたと思ったら、ナイルはジャケットを羽織ってそのまま出て行った。
そうだった、ナイルは元々忙しい人だった。
さっき彼を呼びにきた声はアニちゃんのものだったし、憲兵団もやっぱり忙しいんじゃないか。

ふと影が差して、窓を見たらヒッチちゃんとマルロくんが身を乗り出して顔を覗かせていた。
満面の笑顔の彼女と、頬を赤らめてもじもじしている彼に、驚きつつもやっぱり笑顔が溢れた。

「へえ、ナマエさん、本気で笑うとそんな感じなんだ?やっぱり旦那のお陰だったら悔しいなー」
「コラお前、なんてこと言うんだ」
「悔しいついでに一ついいこと教えてあげる。さっき師団長が言いかけたこと、気にならない?」
「気になる…!」
「あの人ね、私たちを任命して一つだけ、『もしもの時は母体を守ってほしい』って言ったの」
「勿論、師団長にとってもお子様はとても大切な存在だと伺っています。それを踏まえた上で、その指示を出した師団長の判断なのでどうか責めないでください」
「おっと、旦那様が帰ってきちゃうから、私たちはこれで」
「おいおい、アニは本当に手紙渡しただけか」

喋るだけ喋って、二人はすぐに離れていった。
私はろくな受け答えもできないままで、またすぐにノックと共にナイルが帰ってくる。

「すまない、ジジイが…ん?なんだ、寝てんのか…」

なんで寝たフリなんてしてしまったんだろう。
ナイルに背を向けて寝ているにしても、バレたら恥ずかしいどころじゃない。
でも、どんな顔をすればいいのかわからない。

「さっきの続きだけどな、お前がこいつを一番大事にしてるは知ってるし、俺にとっても間違いなく大事なんだが、その一割でいいから自分のことも大事にしてやってもらえないか?ナマエが全力でこいつを守るから、俺は全力でナマエを守らなきゃならん。俺にもこいつを守らせてほしい」

布団の上からお腹を撫でられて、随分と長い独り言を聞かされた。
お陰様で、起き上がるタイミングを逃してしまった。

いや、もうここまで来たら開き直ってやろうか。

お腹の上をくるくる行ったり来たりしている手を、そっと捕まえる。
これがまた面白いくらいに跳ねる。

「うおっ、え…あ、ナマエ…?」
「大事にする…この子も私も、ナイルのことも…」
「…ぜひそうしてください……あとこっち向くなよ」
「ナイルも、こっち見ないでね…」

全身の血液が顔に集まっているのがよく分かる。
重ねた手の震源は私か彼か。






J/good night