7.


臨也のマンションに入るのは初めてだった。
場所は知っていたが中に入ったことはない。
高級マンションなら弟の家や新羅の家で慣れていたが、臨也のマンションは事務所も兼ねている為に少し雰囲気が違う。

「こっちこっち」
キョロキョロと物珍しげにしていれば臨也に手招きされた。
「ここ居てね」
ソファーに座るように促され、素直に腰掛ける。
窓の外の風景はビルばかりで、ここも池袋も変わらない。
臨也がやがて戻って来ると、手にはケーキとフォークを持っていた。
「食べる?」
「…食べる」
静雄が頷けば、紅茶入れて来るねとまた立ち上がる。
「いらねえよ」
「じゃあ牛乳は?」
「怪我人がそんなに動いて大丈夫なのかよ」
「心配してくれるんだ?」
臨也が口端を吊り上げて笑えば、うざいと返してやった。
「まあ食べたら適当に部屋ん中見て回っていいよ。俺ちょっと仕事あるから」
臨也はそう言ってパソコンに向かう。
どうせろくでもないいつもの趣味なんだろう。
静雄は何も言わずケーキを口に運んだ。
本当に下らない臨也の趣味は、静雄の周囲にも被害を及ぼしている。
だが何を言っても無駄だろう。人が好きだとか言って、こいつは結局寂しがりなのだ。
その寂しさが埋まらない限り、この男はやめないに違いないから。
静雄は食べ終わると臨也に言われた通り、部屋を見て廻ることにした。
高級マンションだが、新羅の家よりは部屋数が少ない。一人暮らしなのだから当たり前か。
わけの分からない資料があったり、パソコンが何台もあったり。
あまり触れないようにしながら扉を開けていく。
一番奥の扉を開けると寝室だった。
臨也の匂いがするな、と思いながら部屋に入る。
真っ黒なベッド。同じく黒のシーツにタオル。本当に黒が好きな男だ、と半ば呆れた。
そう言えば昔の臨也の部屋も黒ずくめだったことを思い出す。
あの双子の妹たちは元気だろうか。もうすぐ高校生くらいか。
ベッドに腰掛けてみると、上等なスプリングが音も立てずに静雄の体を沈ませる。
「…でけえベッドだな」
どうせ一人で寝てはいないのだろう。
そんなことを考える自分に苦笑した。
空調が作動していないせいか少しだけ蒸し暑く、静雄は蝶ネクタイを外してワイシャツのボタンを緩める。
ベッドに腰掛けたまま窓から外を見れば、あちらの窓と同じくビルの風景が広がっている。駅の方に行くに連れ、繁華街が目立っていた。
「シズちゃん」
ぼんやりしていたせいか、声を掛けられて驚く。
振り返れば、臨也が入口に立っていた。
「ぼーっとしてどうしたの」
「いや…、仕事は?」
「メールチェックしただけだから」
寝室に二人きりだと言う事実に気付き、静雄は慌てて立ち上がる。
「悪い、ベッド…」
「疲れているなら休んでもいいよ?」
「いや、いい」
「そう」
臨也はそれ以上何も言わずに静雄の前を歩いて寝室を出た。
「真っ黒なんだな、部屋」
何か話そうと、静雄は見たままの感想を言う。
「黒が好きだからさ」
「シーツはやり過ぎだ」
「ははっ、そうかも」
事務所として使っている部屋に戻ると、臨也は今日はもう帰っていいよと言った。
「明日は池袋に行くから同行してよ」
「分かった」
頷いて、楽な仕事だなぁと内心思う。一応は賃金を貰っているわけだから何だか申し訳ない。マンションのセキュリティーが高いだろうから外出しない限りは護衛なんて要らないんだろうか。
「俺って昼だけでいいのか」
「え?」
「夜とかいなくていいのか?」
静雄の問いに、臨也は酷く驚いた顔をする。
「夜もそりゃあ居てほしいけど、シズちゃん嫌でしょ?」
逆に問われて口を噤む。確かに嫌だ。24時間一緒ってのは精神がもたない気がする。
「まあとりあえず今日はいいよ。」
黙り込む静雄に臨也は笑う。「シズちゃんも慣れないと大変だろうし」
玄関まで見送りに来て、静雄が靴を履く間、臨也は変な顔をしていた。
「?、なんだよ」
「あのさ…ここ、見えてるよ」
首筋を指差して。
静雄ははっと手で隠した。
そう言えば先程暑くてはだけたままで。
そして首筋には一昨日臨也につけられた跡がある。
静雄は舌打ちをすると赤くなってボタンをとめた。
「じゃあ明日ね」
臨也はにっこりと笑って静雄を見送る。
静雄はそれに頷いてマンションを出た。
…なんか調子狂うな。
新宿の町並みを歩きながら、静雄は軽く溜息を吐く。
臨也が見せる気遣いや笑みは、あまり見たことがないもので、少し気持ちが悪い。
まだ会話が成立していた高校時代さえも、あんな風に笑う臨也を静雄は知らない。
あんな、悪意や皮肉のない笑み。
静雄は再び溜息を吐きながら、無意識に首筋を触っていた。
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