卒業





立入禁止、なんて書かれた札を飛び越えて、静雄は屋上の扉を開けた。
途端に目に飛び込んで来る真っ青な空。それが眩しくて思わず目を眇れば、ちょうど突風が通り過ぎてゆく。春一番だろうか。暖かい南風だ。
静雄は真っ白なコンクリートの床に一歩踏み出した。
ぐるり、と周囲を見回して、目的の人物を探す。思えばこの三年間、追い掛けて、探してばかりだ。殺したい、殴りたい、なんて単純な理由じゃないことも、とっくに静雄は気付いていた。教室に、廊下に、校庭に、中庭に、屋上に。いつだって自分はあの男の姿を探しているのだ。授業中も登校中も、いつだって。
目的の人物は、屋上のずっと奥にいた。どうやって飛び越えたのか、フェンスの向こう側に立っている。
「臨也」
静雄は小さく相手の名前を呼んだ。きっと小さ過ぎて、この声は相手には聴こえていない。
「やあ」
近付いてきた静雄に、臨也はいつもの笑みを浮かべる。形の良い唇を吊り上げて、嫌な笑い方だ。
「何してんだよ」
自殺でもすんのか。
静雄は呆れたように言う。臨也がそんな人間ではないことぐらい、分かっていたけど。
「シズちゃんこそ、どうしたの」
臨也の赤い目が揶揄するように細められる。
「卒業式、もう始まってるよ」
「手前も出てねえだろーが」
静雄は舌打ちをし、フェンスに寄り掛かった。カシャン、とフェンスの金属音が屋上に響く。体育館の方からは、仰げば尊しが聴こえて来た。
「卒業する前に見てみたくてさ」
「何を」
問い返しながら、静雄は空を見上げる。白く薄い雲が、ちょうど頭の上にぽかりと浮かんでいた。
「フェンス越しじゃない風景」
臨也はそう言って、遠くの風景に目を向ける。二人はフェンス越しに背中合わせになった。
「ふうん」
静雄は小さく相槌を打ち、白い雲を見詰めたままでいた。フェンスがあってもなくても風景は変わらないと思うのに、臨也の気持ちは何となく分かる気がする。
「シズちゃん」
名を呼ばれて振り返れば、臨也の指がフェンスの隙間から伸びてきた。
「なんだよ」
反射的に手を差し延べれば、渡されたのは鈍い光を放つボタン。
「第2ボタンだよ」
ははっ、と臨也は笑い、フェンスに額を押し付けた。
静雄の目が驚きで見開かれる。
「それあげるから、俺にはこれをちょうだい」
「これ?」
訝しげに眉を顰める静雄に、臨也は手招きをする。
静雄はフェンスに手を掛け、恐る恐る体を近付けた。
そんな静雄の手に、臨也の手が重なる。フェンス越しに手と手が触れ、静雄の体がビクッと跳ねた。
「もっと近付いて」
「もっとって…、」
「このままじゃ届かないよ」
臨也が笑い声が上げる。いくら鈍い静雄でも、臨也が何をしたいのか予想がついた。
「…っ、」
顔を赤くし、目を反らしながら、静雄はゆっくりと顔を近付けた。鼻先にフェンスの鉄の匂いがする。ムードも何もあったもんじゃない。
ちゅ、と軽く唇が触れた。
重なったままの手が震え、臨也が強く握り返して来る。
目を閉じて、感じるのは唇の感触と風の音だけ。遠くで聴こえていた卒業式の歌は、いつの間にか止んでいる。
「卒業おめでとう、シズちゃん」
臨也の赤い目が穏やかに細められた。重ねられた手の温もりが消え、静雄はゆっくりと目を開く。
「そして、さよなら」
臨也はそう言い、フェンスの向こうに消えた。
「臨也!?」
驚いた静雄は、慌ててフェンスに駆け登る。見下ろした先で、臨也は校舎の屋根に立っていた。静雄を振り返り、口端を吊り上げる。
「またね、シズちゃん」
そして手を振ると、また校舎から飛び降りてどこかへ行ってしまった。
静雄は追い掛ける気も起きず、ただ唖然とそれを見送る。
まるで白昼夢だ。
臨也に会ったのも、キスをしたのも、全て幻だった気がする。

静雄の手に握らされたボタンの冷たさだけが、これが現実だと知らせていた。




2011/03/02 22:30
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