memoire precieuse

※R18表現があります。






 痛かったし、苦しかった。
 触れてくる手は珍しく優しくて、そんな壊れ物でも扱うみたいにしなくていいと思った。
 もっと。
 もっと、ぐしゃぐしゃに。

 酷くして、いい。




 静かな午後だった。
 車のエンジン音も、鳥の囀りも、風の音も聞こえない。パソコンの稼動音も、加湿器の水の音も、外でヘリコプターが飛ぶ音も、何一つ耳に届かなかった。まるで自分の耳が、おかしくなったのかと思うほど。
 静雄はゆっくりと瞬きをし、真っ白な天井を見上げた。シミ一つない壁紙と、シンプルな照明器具が視界に入る。
 ここは何処だろう──。
 そう考えて、静雄はのろのろと体を起こした。ギシリと寝ていたベッドが音を立て、肩に掛けられていたタオルケットが腰までずり落ちる。
「あ、」
 そんな自分の体を見下ろして、静雄は初めて自分が裸なことに気付いた。陽の当たらぬ箇所は白く、青い血管が透き通るように見える。
 ──あれ?
 身体のあちこちに散らばる、鬱血の痕。そして腰と臀部に残る、鈍痛のような違和感。
 一番驚いたのは、見慣れた自分の身体が成長しているように見えたことだ。筋肉の付いた腹と、太くなった太腿。
 ふと視線を上げれば、サイドテーブルに置かれた時計が目に入った。デジタル時計の数字は、午後二時過ぎを差している。
「やべえ、学校!」
 今日は何曜日だったろう。静雄は慌ててベッドから出る。こんな時間に起きるだなんて、遅刻というよりはもう欠席扱いだ。

「寝ぼけてるの?」

 その時、呆れたような声が部屋の後ろから聞こえた。静雄が良く聞き慣れた、嫌いな男の声。
「は…、」
「なんなの、学校って。」
 臨也は真っ黒なシャツを身に着け、ドアの前に立ってこちらを見ていた。その顔もその姿も、静雄が知る折原臨也よりも大人に見える。
「え?」
「君が学校になんか行ったら、生徒たちは阿鼻叫喚だろうね。」
 臨也はふうっと深く溜息を吐いて、部屋の中へと入ってきた。ぺたぺたという足音をさせ、フローリングを裸足で歩いてくる。真っ黒なスラックスから覗く白い足。はだけられたシャツはボタンを留めておらず、臨也の意外に鍛えられた上半身が晒される。
「あ…。」
 ──そうだ、これが折原臨也だ。
 顔立ちも、出で立ちも、あの頃よりも精悍さが増した、折原臨也。
「夢でも見てたの?」
 苦笑しつつも、臨也のその表情は優しく穏やかだ。昔なら、侮蔑と揶揄ばかり浮かべていた赤い双眸。今は静雄を映し、柔らかく細められている。
「…高校の頃の夢、見てた…。」
 静雄はぼんやりとした頭のまま、掠れた声でそう答えた。その途端に喉奥が僅かに痛む。恐らく朝まで嬌声を上げさせられ続けたせいだ──この、目の前の男に。
「へえ、どんな夢だったの?」
 興味を引かれたのか、臨也は笑ってベッドの端に腰掛ける。それに倣って、静雄ものろのろと再びベッドに腰を下ろした。
「どうって…お前が出て来たよ。」
 高校生の頃の折原臨也。そして夢の中の自分も、まだ成長途中の高校生だった。
 夢の内容を思い出そうと目を閉じれば、脳裏に浮かぶのは臨也の白い肌だ。脱ぎ散らかされた制服と、額に滲む塩辛い汗。今よりもまだ少し丸かった頬。もっと細かった腰と、華奢な手足──。
「──っ、」
 それは高校生の頃の自分を抱く臨也の姿で、静雄は思わず手の平で顔を覆ってしまった。なんて夢を見たのだろう。きっと今自分の頬は盛大に赤くなっているに違いない。
「いやらしい夢?」
 愉悦を含んだ臨也の笑い声。勘の良い臨也のことだ、静雄の赤い顔を見て悟ってしまっている。
「高校生なのに、そんないやらしいことしてたの?」
「ち、ちがっ、」
「ああ。でも初めてシズちゃんを抱いたのは高校生の頃だったね。」
 顔を覆う静雄の手を、臨也の手がやんわりと外させる。吐息と共に顔が近付いてきて、そのまま耳朶を甘く齧られた。
「…んっ、」
 尖らせた舌を耳に捻り込まれ、静雄の身体は大袈裟なぐらいに跳ねてしまう。濡れた音が鼓膜に直接響き、ゾクゾクと肌が粟立つ。
「ねえ教えて。どんな夢だったの?」
 低く甘いテノールが、熱い吐息と共に囁かれた。その間にも悪戯な手は、静雄の背や脇腹を妖しく撫でてゆく。
「高校生の俺は、どんな風に君を抱いた?」
 小さく震える静雄の身体を抱き込むと、臨也は静雄の顔を下から覗き込む。熱に浮かされたような瞳は、はっきりと情欲を映し出していた。静雄を欲しがって揺れる、赤い双眸。その目は静雄を捉えて離さない。
「俺は夢の中の『俺』にも、嫉妬してしまいそうだけど。」
 低くくぐもった笑い声。けれどその眼差しは強くて、臨也が本音を言っているのだと静雄は知る。
「嫉妬、って…、」
 あれは、多分──初めて抱かれた時の夢だ。
 優しく触れてくる手。肌をなぞる指先。震える唇。どくどくと激しく鼓動する心臓の音は、どちらのものか分からない。
 痛かったし、苦しかった。
 今だに押し入られる圧迫感には慣れないけれど、あの時は身体が引き裂かれるような鋭い痛みを覚えたものだ。
 ──そんな静雄に触れてくる臨也の手は優しくて。
 もっと。
 もっと、酷くしていい。
 もっと、もっと、自分を欲しがって。
 もっと、もっと、もっと──。

「…初体験に嫉妬なんて、してもしょうがねえだろ。」
 頬を赤くしてそう言えば、臨也の目が僅かに見開かれる。さすがに臨也も静雄の見た夢が、初めての時のものだとは思わなかったのだろう。
「覚えてるの?」
「そりゃあそうだろ。」
 もう十年くらいも前のことなのに、昨日のことのようにはっきりと覚えている。
 荒い息遣い、濡れた眼差し。絡めた指の震えと、甘く切ない胸の痛み。
 多分一生忘れられないだろうと静雄は思う。
 そして忘れたくないとも。

「お互いあの時はあんま上手く出来なかっただろうし…そんなのに嫉妬する必要は──、」
 そう続けようとした言葉は最後まで発せられなかった。
 頤を上げさせられ、後ろ髪を掴まれて、強引に口付けられる。驚きで目を丸くする静雄に構うことなく、臨也は唇の隙間から舌を差し入れて来た。
「…ふ、」
 上顎の粘膜をぬるりと舐められ、奥に縮こまった舌を探し出された。柔らかくて肉厚な臨也の舌は、まるで違う生き物のように静雄の口腔を犯してゆく。
 呼吸さえも奪い尽くそうとするそれに、静雄は抗議の意味を込めて臨也の胸板を軽く叩いた。が、それでも臨也の口付けは終わらない。
「ん、…んんっ、」
 口付けをされたまま、いつの間にか静雄の身体はベッドに押し倒されていた。その間にも臨也の手は静雄の胸を撫で回し、赤く尖ったそれを時折摘まむ。その度に静雄の唇からは嬌声が洩れそうになるが、口を塞がれていては満足に声も出せやしない。
 胸を愛撫する臨也の手は、やがて静雄の臍から下肢へとゆっくりと下りてゆく。臨也は既に緩く立ち上がった静雄のそれには触れず、臀部の奥へと指を滑り込ませた。
「…っ、」
 朝方まで臨也を受け入れていたその箇所は、まだ柔らかく熱い。入り口を確認するように指の腹で撫でられ、指先をゆるゆると差し入れられれば、否が応でも静雄のそこは期待でひくついてしまう。
「や、…バカっ…、」
 何でこんなことになってるんだ。
 朝まで散々やっておいて、今度は昼間から盛るなんて。
 やっと解放された唇で抗議の声を上げれば、静雄の身体に覆い被さった男は口端を吊り上げる。
「だって誘ったのはシズちゃんだろう?」
「誰がいつ誘ったんだよ!」
 夢の話をしただけだろう。少なくても静雄には他意はなかった。
「初めてした時のことをずっと覚えてるって…、男としては煽られないわけがないと思わない?」
 臨也は舌舐めずりするように己の唇を舐めると、静雄の胸元に顔を埋める。赤くぷくりと膨れたそこに舌を這わせれば、静雄の身体は電力が流れたかのように強く跳ねた。
「あっ、ん…やめろって…っ、」
 尚も抵抗しようとする静雄の身体を押さえ込み、臨也はそれはそれは綺麗な顔をして笑う。
「初めての時と今と、どれだけ進歩したか身を以て体験しなよ。」
 何を今更──!
 そう抗議しようとした静雄の唇は、噛み付くようにされたキスで塞がれてしまったのだった。




(2012/11/05)
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