男の子であるからして
※門田と静雄
その姿を見つけたのは偶然だった。たまたまその日は仕事が早く終わり、門田は暗くなり始めた街をゆっくりと歩いていた。秋の気配が近付いて、長袖でも少し涼しいくらいの夕方。ビルの隙間に見える、西の空がほんのりとオレンジ色だ。
池袋の街は朝も昼も夜も騒がしい。深夜だけはさすがのメインストリートも静かだが、この時間には帰宅途中のサラリーマンや学生でごった返している。街を行き交う雑踏には未だに半袖姿の人間がいて、見ているこちらが寒いくらいだ。
そんな人混みを避けるようにして、門田は薄暗い路地を歩いていた。いくら都心といえども、賑やかな通りから離れればシャッターが下りた店がいくつもある。そのせいか通りは少し薄汚れて見え、薄暗さも相まって随分と廃れた様子だった。
それでも暗くなり始めた路地には街灯があり、コインパーキングの看板は24時間眩しい光を放っている。一本向こうの通りには風俗店のネオンもあるし、この街が本当の意味で暗くなることなんてないのだ。
──ふと気配を感じて顔を上げる。ゴミ箱や酒瓶のケースが積まれた細い路地。薄暗いその場所から、風に乗って僅かに煙草の匂いがする。良く見ればそんな狭い場所に、男が座り込んでいた。
「──静雄?」
うっすらと見える髪の毛は金色だ。顔はサングラスで隠れ、衣服は白と黒のコントラストの特徴的なもの。そんな姿で煙草を吸う存在を、門田は他に知らない。
静雄は顔を上げ、片手をひらりとこちらに上げた。挨拶を返したつもりなのだろう。この寡黙な男は、あまり口を開かない。
「…何してるんだ、こんな所で。」
なんだか放っておけなくて側に寄った。近くに立って見下ろすと、その姿にぎょっとする。
静雄の白いワイシャツには、ところどころ血が付着していた。髪も乱れているし、黒のベストは埃だらけだ。一目で喧嘩をしていたのが分かる風貌である。
「怪我をしてるのか?」
「いや。」
訊ねれば素っ気なく否定が返って来る。と、言うことはこの付着した血は喧嘩相手の者か。どうせ多勢に無勢だったのだろうが、門田は相手に同情した。
「取り敢えず、汚れを落とせ。」
門田はバッグからハンドタオルを取り出すと、静雄の方へと差し出す。あまり使っていないタオルだし、埃を払うぐらいなら問題ないだろう。
そんな風に差し出したタオルを見つめ、静雄はきょとんとした顔になった。目を丸くしたその表情は、実年齢よりも幼く見える。あまり間近で見る機会はないが、芸能人である弟と少し似ていると思った。
「サンキュ。」
静雄はタオルを受け取ると、短く礼を言う。サングラスの奥の目が細められ、口許を僅かに綻ばせる。
──笑った。
普段は怒気を含んだ顔か仏頂面しか見せないので、これはかなり貴重だ。狩沢あたりが見たら、騒ぐかも知れない。
「一応、岸谷のところにでも行ったらどうだ?」
「いや、本当に怪我はしてねえんだ。あっても掠り傷だし、どうせ──、」
静雄はそこで言葉を切る。吸っていた煙草を地面に投げ捨てると、立ち上がって踵で踏み潰した。辺りに漂っていた紫煙が消える。
──どうせ、直ぐ傷は治る、……か。
なんとなく、静雄が口を噤んだ理由が分かる気がした。
静雄が暴力を嫌っていることは門田でも知っている。その理由が『暴力』そのものより、自分の力を忌み嫌うせいだということも。静雄は力が強いが、身体も普通の人間よりずっと丈夫だ。ナイフが刺さらないだの、麻酔薬がなかなか効かないだの、情報屋や闇医者から愚痴を聞いたこともある。
静雄が喧嘩などを嫌がるのは、そんな忌み嫌う自分の力を実感してしまうせいだろう──と門田は思っている。なら喧嘩をしなければいい、とも思うが、相手が静雄を放っておいてはくれないだろう。池袋最強という静雄の通り名は、もう広く知れ渡ってしまっている。
──多分、あの情報屋のせいだな。
脳裏に浮かぶのは、静雄の天敵である情報屋。真意は分からないが、静雄がこうやって襲われるのは、大抵はあの男が絡んでいる筈だ。高校生の頃から二人の喧嘩を見て来た身としては、成人してもいがみ合っている二人に呆れるやら笑うやらだ。
「これ、洗って返すわ。」
ハンドタオルをポケットに仕舞う静雄に、門田は顔を上げる。
「そこまでしなくても、」
「血がついちまったしな。」
悪かったな、と言って静雄は笑う。喧嘩をしていた割に、機嫌はそう悪くはないらしい。
そんな静雄に釣られて門田も笑みを浮かべた。付き合いの長さはそれなりだが、自分たちはそう親しい間柄でもない。こんな風に話すのも、随分と久し振りだ。
「大変だな、お前も。」
「ん?」
「いつも……絡まれて。」
その原因となる男の名前は出さなかったが、静雄には伝わったようだ。笑顔だったのが、一瞬で不機嫌なそれへと変わる。言葉を間違えたか──と門田が内心焦っていると、意外にも静雄は顔を伏せて小さく笑った。くぐもった低い笑い声は、僅かに自嘲気味にも聞こえる。
「俺は暴力は嫌いだけどよ、」
地面に落ちている煙草の吸い殻を拾って、静雄は門田を見る。サングラス越しの視線はやけに強くて、門田は目を見開いた。
「殴り合う男の喧嘩ってのも、たまには悪くないと思ってる。」
少しは苛々も発散されるしな──。
静雄はそう苦笑して、門田に背を向けて歩き出した。先程よりも暗くなった路地に、少し猫背気味の後ろ姿が小さくなってゆく。じゃあな、と、小さな別れの挨拶が聞こえた気がした。
「喧嘩、ってよりは闘争だろう。」
その姿を見送って、門田は僅かに苦笑する。薄暗い通りには、ぽつぽつと店の明かりが灯り始めた。もう直ぐこの街に、完全に夜の帳が落ちる。夜になれば街にカラーギャングの姿も増えるだろう。そうすれば街はまた違う顔を見せる。
ボロボロになって、血を浴びて、身体も心も傷付いて──それでもたまに楽しい、だなんて。
「ま、男ってのはそんなもんだよな。」
門田はぽつりとそう呟くと、静雄が消えた方向とは逆に歩き出す。さすがに静雄のような喧嘩はやり過ぎだが、男にはある程度暴れることも必要な気がした。拳で語る、なんて言葉もあるくらいだし。
少しは苛々も発散される──。
ふと先程の静雄の台詞を思い出し、門田は不意に足を止める。頭の片隅に眉目秀麗の男の顔がチラついた。いつも静雄を陥れようと画策する、新宿の情報屋。
「…まさか、な。」
あいつのはただの嫌がらせだろう。そんな殊勝な男ではない──筈だ。
門田は頭を振ると、再び暗くなった街を歩き出す。昔からあの二人の考えや行動は自分には理解出来ないのだ。考えるだけ無駄というものだろう。
それよりもいつもの仲間に連絡して、夕飯でも食おうか。いつものように露西亜寿司でいいかも知れない──なんて考えながら、門田の姿は繁華街へと消えた。
(2012/09/28)
前にリクエストいただいた、ドタちんとシズちゃん。