この距離、測定不能 (七代秋良様より)



高校時代の思い出に、修学旅行というものがある。散々騒動を起こした臨也の代であってもそれは例外でなく、二泊三日の旅行を思い出した。
高校2年の秋、やはり今と同様、臨也と静雄は学校のみならず周辺を騒がしていたけれど、この旅行ではさらに周りを震撼させた。
ついうっかり、くじ引きによる班構成で臨也と静雄が同じ班になってしまったのだ。
そこに新羅が加わって、巻き込まれて班長にさせられた門田には悪いけれど、臨也は最大限に楽しんだ気がする。
何しろ、そのくじ引きを仕組んだのは、他ならない臨也自身だったのだから。

「思い出し笑いなんて、気持ち悪いわね」

思い出に浸っている臨也を、波江はいつものように冷たくはねつける。不意に意識を引き戻された臨也は、口角を上げて楽しそうに笑った。

「ちょっと懐かしいことを思い出してね。用ができたから、今日はもう帰っていいよ」
「そうさせてもらうわ」

これ以上関わるつもりはない、とさっさと帰り支度する波江を後目に、臨也はまた、思い出の中の静雄を探した。


*****


旅先の宿は温泉だと、新羅がにこにこと笑って告げる。それを静雄は不思議そうに見ていた。
修学旅行なのだから、楽しそうにするのは普通だけれど、新羅の場合はどうかしたのかと思ってしまう。
何しろ、最愛の想い人と二泊分離れ離れになるのだから、極端な話、欠席してもおかしくはない。
そんな静雄の視線に気付いたらしい新羅は、これまた嬉しそうににっこりと笑う。

「セルティとね、約束したんだ。いつかふたりでおんせんにいこう、って!」
「別に聞いてねぇ」
「うん、僕が言いたかっただけだよ」

そんな二人のやりとりを見ながら、臨也はこっそりと笑みを浮かべる。
修学旅行という行事のせいか、静雄はいつもよりおとなしい。とは言っても、臨也がちょっかい出さなければ、静雄は物静かにしていることの方が多い。
班編成でクラスどころか学校中を騒がせたこの旅行だが、臨也はそれなりに楽しむつもりだった。

「臨也、絶対に騒ぎを起こすんじゃないぞ」
「やだなぁ、俺がいつ騒ぎを起こしてる?」
「いつもだ。静雄に変なちょっかい出してるのはお前だろう」

隣の座席から釘を刺される。臨也は笑った。
臨也、静雄、新羅という個性的なメンバーが集まったこの班をまとめるのは、臨也にも静雄にも強い言える門田だけだろう。
早速苦労をかけているようで、ほんの少しだけ悪く思いながら、しかし臨也は悪びれた様子もない。

「ドタチンにも悪いし、修学旅行中は普通に楽しませてもらうよ。あれでいて、シズちゃんも楽しみにしてるみたいだしね」
「その言葉を信じとくぞ」
「もちろん!」

折角の修学旅行なのだから、臨也だって楽しく過ごしたい。何より、みんなが楽しみにしている行事を潰そうと思うほど、臨也は歪んでいなかった。


***


旅館の部屋割りは班と同じ。クラスメイトたちのどこか安堵した様子に、臨也はやれやれと肩を竦める。
日頃自分がしてきたことを忘れているわけではないが、あからさますぎるだろう。
もっとも、臨也にとってそれは大した問題ではなく、むしろここからが楽しみどころだった。

「シズちゃん、ここって温泉らしいよ」
「あぁ?んなもん知ってるんだよ。話し掛けんな」
「つれないなぁ。背中、流してあげようと思ったのに」
「余計なお世話だ、しね!」

静雄とお風呂だなんて、こんな機会でなければ絶対に入れない。
あり得ない力を発揮するその体を、実のところ、臨也は少し興味があった。新羅のように解剖したいだなんて思わないけれど。
ぱっと見は細身の静雄なのに、自動販売機さえも持ち上げてしまうその力。一体どうなっているのかと、観察してみたい。
今を除けばそれはできなくなってしまうし、生憎、仲良しと言える間柄ではないから、この修学旅行でしかチャンスはない。

「二人とも仲良さそうにしてるし、先に行ってようか」
「あれを仲良く見えるのか……眼鏡、換えた方が良いぞ」
「いいからいいから!」

新羅はさっさと門田を連れていってしまうし、うまいこと誘い出さなくては。
旅行特有の気持ちの高ぶりで、臨也自身、よく分からないけれど意地になっていた。

「折角の温泉だし、今入ればご飯の後にも入れるよ」
「お前に言われると行きたくなくなんだよな」
「あのねぇ……親子の会話じゃないんだから。っていうかシズちゃん、もしかして恥ずかしいの?」
「はぁ!?」

静雄の性格はよく知っている。臨也は静雄の嫌う笑みを浮かべた。

「みんなの前で裸になるのが恥ずかしいんだ?やだなぁ、シズちゃん。それならそうと先に言ってよ」
「んなわけねぇだろ!ざけんな!」
「そう?なら俺は先に行くけど」

だから堪らないんだ。臨也はそう思う。
罠にかけようとしてもうまいこと嵌ってくれないくせに、こうやってすぐに乗せられる。それが嬉しいだなんて、大概だ。
ちらりと静雄の方を見れば、ムスッとした顔をしながらも風呂の準備をしている。その姿が可愛く見えるだなんて、どうかしている。

「そうだ、シズちゃん」
「……んだよ」
「あとで卓球やろうか。温泉と言えば卓球だよね。シズちゃんが勝ったら、この旅行中はなるべく大人しくしてるよ」
「上等じゃねぇか。ぶっ潰してやるよ!」

にやりと強気に笑う静雄と目を合わせて、臨也はふっと口元を緩めた。


臨也と静雄、二人が姿を見せて浴場は少々こおりついたものの、臨也は静雄に別段ちょっかいを出すこともなかった。
何しろ、このあとは卓球の約束をしているのだ。余計なことを言って騒動を起こすつもりは毛頭ない。
それが新羅と門田の目には不思議に映ったのか、そろって首を傾げていた。

「臨也、静雄にちょっかい出さなくていいのかい?」

何とも人聞きの悪い。新羅の楽しそうな声に顔を向けると、臨也は肩を竦めた。
きっと新羅にはバレているのかもしれない。この旅行中、臨也が静雄に些細なことを除いて、ちょっかいを出すつもりがないということに。
班長である門田はそういうわけでもなく、騒ぎを起こすなよ、と釘をさすだけだけれど。
本当に新羅は侮れない。できれば、敵に回すのは得策ではないと臨也は笑った。

「あとで卓球やるしね。新羅とドタチンもどう?」
「僕は見てるだけでいいよ」
「俺も遠慮しておく」
「そう?残念」

臨也はすっと温泉から上がると、足だけつけてぼーっと空を眺めている静雄の方へと足を向けた。
途端、周りからひそひそと声が聞こえる。不本意で、少しだけ不快になった。
周囲を巻き込んだ騒動なんて、臨也は起こすつもりはないし、臨也が行動に出なければ静雄だって起こさない。

「シズちゃん」
「あ?」

いつもよりずっと無防備な顔を向けられて、臨也は目を細めて自然と笑みを浮かべる。

「のぼせないようにね」
「ああ。なんだ、お前もう出るのか?」
「どうせならあとでゆっくり入ろうと思ってね。人は少ない方がいいし」
「ふーん、そうかよ」

温泉に何か気分的に緩和させる効果でもあるのだろうか。
きっとあるに違いない。無防備に足を揺らす静雄を見て、臨也は勝手にそう決めつけた。
いつもはボリュームを持たせている金色の髪が、お湯に濡れてぺたりと頭の形に沿っている。上気した頬はいつもより緩んでいるし、いつもは服の下に隠れている二の腕や足だって、惜しげもなく晒されている。
困ったなぁ、と臨也は思った。ほしい、だなんて思うつもりは、これっぽっちもなかったのだから。

「じゃあ先に上がるよ。ごゆっくり」

返事はなかった。けれども、それでいい。臨也はふう、と息を吐いた。


***


食事も終わり、腹ごなしに、と臨也は静雄に卓球勝負を持ち掛ける。これはぴんぽんだなんて生易しいものじゃない。本気の勝負だ。
審判として、と新羅はそんな二人を眺めて呆れたように笑った。

「ぶっ潰してやるよ、臨也君よぉ!」
「シズちゃんに潰されるなんて、そんな軟に見える?」
「絶対殺す!」
「はいはい、物騒なこと言ってないで。めんどくさいから静雄のサーブからね」
「行くぞ!」

声とともにバコン、と物凄い音がしてピンポン玉が飛んでくる。思わず、臨也は顔をずらして避けた。
どう考えても、あれは顔を狙ってのサーブだ。見れば、臨也が避けたことに静雄は舌打ちをしている。

「ちょっとシズちゃん、卓球とドッヂボール、勘違いしてるんじゃないの?」
「潰すっつったろ」
「本当に物騒だなぁ」

あの目は本気だ。楽しむつもりでいた臨也だけれど、どうやらお遊びでは済みそうにない。
だから静雄が良いのだ。おもしろい。ちょっかいを出さずにはいられない。

「しね!」
「やだよ!」
「殺す!」

旅先でテンションが上がっていることもあり、パコパコと白い球が二人の間を行き来する。
まるで競技のような激しさに、間に立っていた新羅は困り顔で笑った。

「二人とも、ピンポン玉とラケット割らないでよ?あと、卓球台も壊さないようにね」
「あ……」

そんな新羅の忠告もむなしく、静雄の放ったスマッシュはピンポン球を真っ二つに割り、なおかつ卓球台にラケットが突き刺さるという結果に終わった。
少しの沈黙ののち、最初に動いたのは臨也だった。

「何これ、人間業じゃないよ!さすがシズちゃん!」

大爆笑、のち、写メのおまけつき。これは滅多に見られるものではない、と笑いながら。
そんな臨也につられて新羅も笑い出し、静雄はため息を吐いた。
どちらにしろ、これでは勝負にはならない。引き分けということにして、騒がれる前にさっさと部屋へと引き上げた。

それから、何度か小さなやり合いはあったものの、短くて長い修学旅行は無事に終わりを迎えたのだった。


*****


あの旅行は楽しかったと思えて、臨也は窓の外を見た。
今、臨也と静雄の仲はあの頃よりもずっと、溝が深くて。あんなふうに温泉に行くなんて考えられない。
そう仕向けたのは臨也なのだけれど、ほんの少し、それが淋しく思えて自嘲的な笑みを浮かべた。

「また行きたいな」

そうやって懐かしみながら、臨也は立ち上がる。
行く先は、池袋。静雄にでもちょっかいを掛けに行こうと決めると、先程までの笑みは消え、にやりと不敵な表情になった。
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