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※スパコミで無料配布した話。


「いらっしゃい。」
 戸を開けて暖簾をくぐると、寿司屋の店主の声が直ぐ掛かった。臨也はそれに笑顔を浮かべるだけで応え、店の奥へ入ってゆく。
「あ、やっと来た。」
 ひらひらと手招きをする白衣の腕がカウンターに見える。いつも通りの白衣姿の新羅は、臨也の姿を見てにっこりと笑う。その右隣には金髪の見知った顔が見えたが、こちらは臨也の方を見向きもしない。
「ごめん、遅れた。」
 臨也は素直に謝罪し、新羅の左隣の席に腰掛けた。もう一人の男の横に座れるほど、臨也は命知らずではない。
「まあ20分ほど。でも静雄もさっき来たばっかりだよ。」
 ね?と、同意を求めるように新羅は隣の静雄を見やった。静雄はそれに、ふん、と鼻を鳴らして答える。見るからに不機嫌そうな態度だが、この無愛想な顔が普段の静雄のデフォルトだ。更に臨也がいることで機嫌は下降の一途を辿っている。そんな顔を見られたくないのか、彼は室内だというのにサングラスを掛けたままだった。
「取り敢えず何か飲み物を頼もうよ。僕はウーロンハイで、静雄はレモンサワーなんだけど、臨也はどうする?」
「ビールでいいよ。」
「あはは、サラリーマンみたいだねえ。」
 二人の会話を聞いていた店主が、「生ビールですね。」と頷く。臨也もそれに頷いて、目の前に出されたお茶を一口飲んだ。普段紅茶かコーヒーばかりで、緑茶は随分と久し振りだ。
「1ヶ月振りだね。」
 三人で会うのは。
 新羅は嬉しそうにそう言って笑う。以前会ったのは1ヶ月前で、その前に会ったのは3ヶ月と少し前だ。他にも頻繁に会っているように感じられるが、ちゃんと約束をして会うのは一年に三回だけ。
「1ヶ月じゃちっとも久し振りな感じがしないよ。シズちゃんには昨日も会ったし。」
「会いたくて会ったわけじゃねえけどな。」
 両手を上げて大袈裟に嘆く臨也に、静雄は舌打ちをして答える。昨日、偶然池袋の街で遭遇したのはお互いに不幸な出来事だったろう。ゴールデンウイークに池袋を歩いていた人々にとっても。
「君達ってほんと仲良いよねえ。」
 ギスギスとした二人の間で、新羅は声を上げて笑う。他の人間なら直ぐに逃げ出すような雰囲気の中で、新羅は敢えてその空気を読まない。仲が悪い臨也と静雄、その間でのらりくらりとしている新羅。もうこの関係もそろそろ十年だ。
 運ばれて来たビールを受け取りながら、臨也はほんの少し昔を思い出した。あの、若くて青かった高校生の頃。今思えばあの頃は子供だったとは思うが、かと言って現在の自分がちゃんと大人になれているのかは分からない。自分はどこか変わっただろうか。新羅は、静雄は、どこか変わっているのだろうか。
「せっかくだし乾杯でもする?」
「そんなの別にいらねえだろ。」
 新羅がグラスを手にしてそんなことを提案するのに、静雄は思いっきり顔を顰めた。
「俺はこいつを祝う気なんてねえしな。」
「また静雄ってばそんなこと言って。」
「シズちゃんは素直じゃないもんねえ?」
 二人のやり取りを見て、臨也は口端を吊り上げる。本当に静雄に祝う気がないのなら、この場には来ないだろうに。
「俺は別に…、」
 ムッとした顔で唇を尖らせる静雄を、臨也は面白そうに見つめていた。今はまだじゃれ合い程度だけど、このまま行くと喧嘩になりかねない──新羅は慌ててグラスを掲げる。
「取り敢えず乾杯しようよ。ほら、カンパーイ!」
 新羅だけが声を張り上げ、自身のグラスを臨也のグラス、続いて静雄のグラスへと軽く当てる。新羅の両隣の臨也と静雄は勿論、お互いにグラスを傾け合ったりはしなかった。
「誕生日おめでとう、臨也。」
 これで同い年だねえ、と、1ヶ月前に一足先に歳を取った新羅は笑う。
「ありがとう。」
 臨也はそれに素直に答え、手にしたビールに口を付ける。苦い泡が唇の端に残り、舌先でそれを舐め取った。
 静雄は相変わらず不機嫌な顔をしたまま、何も言わずグラスを傾けている。たまには素直におめでとうでも言えばいいのにと臨也は思うが、これも毎年のことだった。

 毎年毎年毎年──。

 1月28日、4月2日、そして5月4日。
 この三日間だけ三人で酒を飲むようになったのは、一体いつからだったろう。多分、高校を卒業して二年後の、成人した年からだったろうか。
 「成人したんだからお酒でも飲みに行こうよ。」──なんてことを言い出したのは新羅だったか。いや、ひょっとしたら自分が言い出したのかも知れない。
 成人したての歳であっても、今の歳の自分から見れば二十歳はまだ子供だ。例えば話す内容や、考え方、行動、何もかも二十歳の自分は子供だった。あの頃の自分がどうしてこの二人と誕生日を過ごそうと思ったのか、もう臨也自身覚えていない。何にしてもその年からずっと、お互いの誕生日にはこうして三人で集まっている。例えどんなに仕事が忙しくても、彼女や家族がいても、この日だけは臨也も時間を空けた。新羅が医者のくせに(闇医者だけど)携帯電話の電源を切っているのを知っている。いつもこの集まりに文句を言う静雄が、この日だけは仕事をさっさと終えているのを知っている。いつの間にか自分たちが最優先しているお互いの誕生日が、臨也には何だか不思議だった。



「静雄、顔赤いよ。大丈夫?」
 どうでもいい会話を続け、散々飲み食いをして大分時間が経った頃、新羅が気遣わしげに静雄に声を掛ける。
 それに釣られて臨也が顔を上げると、静雄がほんのりと頬を赤く染めているのが目に入った。アルコールのせいで眠いのだろう、目がとろんと潤んでいる。静雄はあまり酒が強くないのだ。
「平気だ。もう酒はこれで止めるから。」
 静雄はそう言って、手に持っていたお猪口をぐいっと一気に飲み干してしまった。時間が経ったせいで、人肌よりも温くなった熱燗。寿司にはやっぱり日本酒だろうと、さっき臨也が頼んだものだ。
「オレンジジュース、飲む?」
 僅かに首を傾げて臨也が問えば、「飲む…。」と珍しく素直な言葉が返って来る。酔っているせいだろうなあと臨也は内心苦笑して、静雄の為にジュースを頼んでやった。
 そういえば昔と比べて、静雄とは随分と会話が成立するようになった。以前は会話するより前に、自動販売機が降って来るような有り様だったのに。
 これも大人になったと言うことなのだろうか──。臨也は思わず口角を吊り上げ、低く笑い声を漏らした。
「思い出し笑いとか怖いよ、臨也。」
「ちょっとね…シズちゃんのことを考えてた。」
 新羅の言葉に顔を上げ、臨也は新羅の頭越しに静雄の顔を見る。静雄の方はまさかそんなことを言われるとは思わず、目をまんまるにして臨也を見返していた。
「え、なに臨也。気持ち悪い…。」
 本気で引いてるような新羅に、臨也はくくっと更に愉しげに笑う。
「シズちゃんも大人になったんだなあって思って。」
「手前それ絶対馬鹿にしてるだろ。」
 眉根を寄せる静雄の顔は、剣呑に歪められていた。それを見て、ああ、残念だなあと臨也は思う。さっきまで珍しく、可愛らしい顔をしていたのに。
「だってシズちゃん、俺とこうやって会話出来るようになったじゃない。」
 カラン、とグラスの氷を揺らしながら臨也は目を細める。
「高校生の頃だったら、君は口より先に手が出ていただろう?」
 睨み合って、傷付け合って。あの頃の自分たちは殆ど会話をした記憶がない。臨也は静雄がただひたすらに気に入らなかったし、静雄の方も臨也を憎悪していた筈だ。
 そう、あの頃の自分は静雄が気に入らないだけだと思っていた。思えばやはり自分も子供だったのだろう。世界には好意か無関心しかないと思っていた、あの頃。
 今だって会えば問答無用で自販機や標識が振り下ろされるが、会話がないなんてことはない。臨也が何か言えば静雄は一応は耳を傾けるし、直ぐに暴力を振るうことは少なくなった。
「そうだねえ、僕も静雄に殴られる回数は減ったと思うよ。」
 ペロリと鯛の刺身を平らげながら、新羅はうんうんと頷く。
「昔の静雄はいつもコメカミに青筋浮かべていたよね。」
「うるせえよ。」
 酔いの回った赤い顔をして、静雄は運ばれて来たオレンジジュースを飲む。これが高校生の頃なら既に手が出ていたことを、静雄は分かっているのだろうか。
 臨也はそんな静雄を横目に見ながら、内心で深く溜め息を吐く。
 粗暴であった静雄のそんな変化は、臨也にとっては少し複雑だった。化け物の癖にと、言いようのない焦燥感を抱いていたのも記憶に新しい。静雄が人間的に成長だなんて──笑えないジョークだと思っていた。
 けれど静雄と話すのは嫌いじゃない。静雄とこんな風に酒を飲み交わすのも、静雄の色んな表情が見られるのも、臨也は嫌ではなかった。寧ろ何やら胸の奥が不整脈のようにざわついたし、こうして毎年三回会うことも楽しみにしている。それがどういう感情から来ているのか、臨也は考えないようにしているけれど。
「俺が変わったってのもあるのかも知れねえけどよ、」
 オレンジジュースを一気に飲み干して、静雄はグラスを些か乱暴にカウンターに置いた。そのままふらつく足取りで席を立つ。
「お前だって変わったんじゃねえの。」
「俺が?」
 臨也は訝しげに眉を顰め、立ち上がった静雄の顔を見上げた。
「昔のお前なら、俺の為に飲みもん頼むなんて絶対にしなかった。」
 空になったグラスを見つめ、静雄は僅かに目を眇める。
「お前、俺に優しくなったよな。」
「は、」
 ──なにを、
 何を言い出すんだろう、この男は。
 臨也はじわりと体が熱くなるのを感じた。決してアルコールのせいではない、胸の奥深くから滲み出る熱さ。
 何かを暴かれたような気がした。臨也が必死に抑えつけていた何かを、引きずり出されたような。
「先帰るわ。」
 財布から札を数枚取り出して、静雄はさっさと出口へと歩く。その耳がほんのりと赤いのは、きっと酔いのせいだけではない。
 戸を開けて暖簾を潜り、そのまま出て行こうとしたところで──静雄は不意にこちらを振り返った。その目はまだ唖然としたままの臨也を捉え、少し肉厚な唇がゆっくりと開かれる。

「誕生日おめでとう。」

 ピシャッ。
 そんな祝いの言葉と共に、戸はそのまま閉められた。
 ぽかん──。
 後に残された臨也は目を丸くし、馬鹿みたいに口を開けていた。思考停止とはこういうことを言うのだろう。臨也は文字通り、凍ったみたいに体が動かなかった。
 その隣では新羅が肩を竦め、残り少ない酒を口に運ぶ。
「追い掛けなくていいの?」
「…何が。」
「追い掛ければまだ間に合うよ。せっかくの誕生日なんだし、少しは素直になったら。」
 茶化すでもなく、揶揄するでもなく、至極真面目に言う新羅に、臨也はやっと思考を取り戻す。
「…なんのこと?」
「毎年この日に会っているのに、静雄が君におめでとうと言ったのは今が初めてだ。」
 ぽん、と臨也の背中を押して、新羅は扉を指差した。その顔にはほんの少し、愉しげな笑みが浮かんでいる。
「君が追い掛けるか否かで関係は更に変化する。ほら、早くしないと逃げてしまうよ。」
 君は静雄を捕まえたいんだろう──?
 新羅はそのまま腕を引いて、臨也の体を無理矢理に立たせてやった。強引なその動作に、ふら、と臨也の体が傾く。
 いつも傍観に徹する新羅が、こんなことを言うなんて──。
 自分たちと同じく新羅もいつの間にか変わっているのだと、臨也は今更ながら気付く。
 そんな新羅の顔を見ながら、臨也は無意識に扉に向かって足を向けていた。
「ありがとうごさいましたーっ。」
 店員の挨拶を背中に、臨也は店を出る。真っ黒な空に、明るいネオンやイルミネーション。ゴールデンウイークで浮かれる街を、臨也は人の流れに逆らって走り出した。
 『俺に優しくなった』って──、
 俺が変わったから、君も変わったって言うの?
 自分があの頃にもっと静雄とちゃんと向き合っていたら、こんな風に捻れた関係にはなっていなかったということなのか。
 自分がもっと早くこの感情に気付いていたら。この感情をもっと素直に認めていたら。

 ──今からでも、間に合う?

 人がごった返したメインストリートを、臨也は全速力で走る。臨也の必死な様子に、街を歩く人間が何人も振り返った。いつも大好きな『人間たち』なのに、今の臨也には邪魔な雑踏でしかない。
 やがて人の波に紛れ、金髪の男の背中が見えた。どんなに雑踏の中にいても、目立っているその存在。

「シズちゃん!」

 小さくなって行く背中に、臨也は声を張り上げる。その呼んだ名前に、ざわっと周囲の空気が変わった気がした。今更そんなこと、臨也は気にしない。
 名前を呼ばれた静雄の肩が跳ね、ゆっくりとこちらを振り返る。サングラスの奥の目が臨也を捉え、驚きで見開かれた。
「──臨也?」
「シズちゃん。」
 人を押し退け、腕を伸ばして、臨也は静雄の手を掴む。細くて骨が目立つ、けれど温かな手。

 ──捕まえた。

 臨也は低い声でそう呟くと、静雄の体を思い切り抱き締めた。




(2012/05/04)
朝にこれ書いてコピーしてたせいで当日遅刻しました。実にすいません。
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