To be continued.



 すうっ、と珍しく自然に目が覚めた。
 うっすらと瞼を開ければ、ぶら下がった電気の紐が視界に入る。続いて煙草で煤けた白い壁と、木目の古い天井。いつものアパートの風景。
 今、何時だ──。
 今日は久し振りの休みで、昨夜は珍しく夜更かしをしてしまった。何だか温かくて心地良くて、随分と熟睡してしまった気がする。
 静雄は枕許の目覚まし時計を見ようとして顔を横に向け、ぴたりと体の動きを止めた。
「──は、」
 決して広くない布団の横に、真っ黒な髪の男が寝ころんでいた。まるで抱き枕を抱くみたいにして、静雄の肩に腕を回している。妙に体が温かいと思ったら、この男のせいだったらしい。
「臨也──、」
 と、その名を呼ぼうとして、静雄は咄嗟に口を噤んだ。この状態でこの男を起こしたら、面倒くさいことになりそうだ。
 ──なんでこんなとこに。
 何時の間に忍び込んだんだ。そしてそれに気付かなかった自分に、静雄は頭を抱えたくなる。多分、殺気とか悪意とか、そんなものを感じなかったせいだろう。
 臨也は静雄の肩をしっかりと抱いて、すやすやと規則正しい寝息を立てていた。すっかり熟睡しているようだが、静雄が身を起こせば間違いなく起きる筈だ。
 ──なんの拷問だ、これ。
 温かな吐息と、肩に感じる温もりが照れくさい。真っ黒な睫毛は伏せられて、意外に長くしっかりしているのが分かる。殆ど日に焼けていない肌と、乾いた赤い唇。目を開けば人を侮った視線を送り、口を開けば辛辣な言葉を紡ぐ癖に、今はこんなにもおとなしい。
 静雄は小さく吐息を漏らし、また布団の中へ潜り込んだ。どのみち自分の肩を抱く臨也のせいで、体を起こすことは叶わなかった。今が何時なのか気になったが、遮光カーテンの隙間から見える光はそう明るくはない。
「ん、」
 静雄が動き過ぎたのか、臨也が僅かに身動ぎをする。ヤバい、起きたか──静雄はびくっと身構えるが、臨也の目は開くことがなかった。
 臨也はいまだに眠ったまま、静雄の頭に手を伸ばして来る。突然のことに思考が止まった静雄を、ぎゅうっとしがみつくように抱き締める。
「…は?」
 だらだらと静雄の背に汗が流れた。なんだこの体勢。こいつ本当は起きてるんじゃないのか。実は起きていて、動揺している自分をからかっているんじゃないのか。
 臨也は静雄の頭を胸に抱き込むと、その髪の毛に顔を埋めてしまった。
 体が殆ど密着して、寝ている臨也の体温が心地良い。香水なのか石鹸なのか、臨也からは良い香りがした。それらの全てに慣れなくて、静雄はあたふたと落ち着かない。
 ──これは、起こした方がいいんじゃないのか。
 自分の心臓の為にも。
 Tシャツの胸元を右手で強く握り締め、静雄は体を強ばらせる。ドキドキドキドキ…頼むから少しは鼓動静まれよ、と思うのに、体は静雄の命令を無視する。このままではドキドキし過ぎて、死んでしまうかも知れない。
 静雄は意を決して、臨也の背中に怖ず怖ずと腕を回した。真っ黒なシャツに指先で触れ、それを弱々しい力で掴んだ。後はこれを引き剥がせばいい。引いて、起き上がり、そのまま放り投げる。至極簡単なことだ。
 なのに静雄はそれが出来ない。顔の前には臨也の胸があり、トクントクンと穏やかな鼓動が聞こえている。これは間違いなく寝ている。起きていてこの平常心なら、この男は多分人間じゃない。
「い、臨也。」
 引き剥がす代わりに名前を呼ぶ。しかし小声のそれでは効果がなく、期待した臨也からの返事はない。臨也の腕は相変わらず静雄を抱き込み、時折聞こえる寝息が耳許を掠める。
「臨也、…起きろよ。」
 頼むから起きてくれ。起きて俺から離れてくれ。これ以上、俺に何かを植え付けないでくれよ。
 ぽん、と静雄にしては珍しく優しい力で、自分を抱き込む臨也の背中を軽く叩いた。んん、と鼻にかかった声が頭上で聞こえ、いよいよ臨也が覚醒することを静雄に伝える。静雄はそれ以上無理に引き剥がすことはせず、臨也の腕が回されたままの状態で体を起こした。
「──…、」
 その衝撃に臨也の睫毛が揺れ、瞼がゆっくりと開かれる。中から現れた綺麗な瞳が、ぼんやりと静雄の姿を捉えた。
「いざ──、」
 や、と名を呼ぼうとした静雄の声は、突然肩を掴まれたせいで言葉にならなかった。肩を押され、そのまま再び布団に押し倒される。マットも何も敷いていない煎餅布団は、倒れた衝撃を顕著に体に伝える。
「っ、」
 何するんだ──と、文句も言えやしない。組み敷かれ、両手をシーツに縫い止められて、唇を柔らかなもので塞がれたせいだ。
「んっ、」
 驚いたせいで開いた唇に、直ぐに舌が入り込んで来る。キスをされてる──なんてもんじゃなかった。噛み付かれて喰われる、そんな感じの口付けだった。臨也の舌は散々静雄の口腔で暴れまわり、息継ぎが出来なくて目に涙が滲む。こいつ寝ぼけて他の誰か──女とか──と間違えてるんじゃないだろうか。そう思えば悔しくて、静雄は臨也の体を突き飛ばした。勿論、加減した力で。
「っ!」
 ごろんと間抜けにも壁際まで吹っ飛ばされた臨也は、ぶつけた頭を押さえてその場に蹲る。
「痛たたた…ちょっと酷いんじゃないの、シズちゃん。」
 大袈裟に痛そうにする癖に、その顔は愉しげに笑っている。実際はちっとも堪えてないのだろう。本当に嫌な男である。
「寝ぼけてんじゃねえよ、くそが。」
 ゴシゴシと乱暴に唇を拭い、静雄は臨也から目を逸らした。動揺している自分を知られたくはなかった。たかがキス一つで、こんなにも。
「別に寝ぼけてなんかないよ。目覚めの挨拶。」
 臨也は何事も無かったように立ち上がると、布団に座り込む静雄の方へと戻って来る。ふわあ、と欠伸を一つして、静雄の傍らに腰を下ろした。
「昨日、家に帰るのが面倒くさくてね。 」
「…だから?」
「シズちゃんちをホテル代わりに。」
 あっさりとここに来た理由を言われ、静雄は呆れ返る。ここから新宿までは、電車で十分もかからない。終電を逃したのならタクシーでも使えばいい。最悪、あの闇医者の家だって構わない筈だ。なのにどうして、わざわざ天敵である自分の家を選ぶのか。
「お前頭おかしいんじゃねえの。」
「でも結構悪くなかったよ。」
「何が。」
 唇にはまだ感触が残っている。臨也の温もりも、石鹸のような香りも、暫く静雄は忘れられそうにない。
「シズちゃんの隣で眠るのは、意外にいいね。」
 臨也の手が伸びて、そっぽを向いたままの静雄の顎を掴む。驚いた静雄が目を丸くしてる隙に、また唇に触れるだけのキスを落とした。
「こんなに熟睡したのは久し振りだ。」
 焦点が合わないくらいの至近距離でそう言って、臨也はべろんと静雄の唇を舐める。「ん、この感触も悪くない。」なんて、さらりととんでもない言葉を続けられて、静雄の思考は今度こそ停止した。
 固まったままの静雄からあっさりと身を離すと、臨也は畳に放り投げていたコートを手に立ち上がる。それに袖を通しながら、スタスタと玄関の方へと向かった。静雄はそれをただぽかんと見送るしかない。
「また来るよ。」
 次はキスの続きでもしよう。臨也は一度振り返ると、口端を吊り上げてニヤリと笑った。そしてそのまま扉を開け、さっさと部屋を出て行く。足取りも軽やかに。

 ──は?

 暫く扉を見て固まっていた静雄は、数分後にやっと思考が戻って来た。
 舐められた唇はしっとりと濡れている。顎を掴まれた手の温度も、間近に感じた吐息も、唇が重なる瞬間の瞳も、ばっちりと静雄の体に覚え込まされていた。夢にまで出て来そうだ。
『次はキスの続きでもしようか。』
 ──次?
 次ってなんだよ。続きってなんだ!
 脳内で甘ったるいテノールが再生されて、静雄は今更ながら絶叫したのだった。


----------------------------------
アンケートお礼小説でした。
回答いただいた方々、ありがとうございました!
(2012/03/19)
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -