夕暮れの赤い光を受けながら、静雄はベンチに腰を下ろした。さすがにこの時間になると寒さも増して、汗を掻いた体には殊更空気が冷たい。
 公園は幸いにも誰もいなくて、静雄は気が抜けたように体重を背もたれに預けた。古い木のベンチは、それだけで軋んだ音がする。普段あまり使われていないのか、砂埃が目立つ。
 ここはどこだろう──。池袋に生まれ、池袋で育ってきた静雄でも、今いるのは知らない場所だ。遠くに滑り台が見えるから、児童公園なのだろう。けれど、遊ぶ子供なんて1人もいない。
 いざとなかったら親友にメールでもしようか、と思いながら、静雄は鞄の中を開けた。今頃は新羅が家に帰宅しているかも知れない。とすれば親友はチョコレートを渡して、ふたりでいちゃいちゃしているのだろうか。静雄にはそれを邪魔する気にもなれなかった。
 貰ったたくさんの包みを掻き分けて、鞄の奥底から赤い包装紙に包まれたそれを取り出す。仄かに香る、甘ったるいチョコレートの匂い。静雄は甘いものは好きだけれど、今は少しだけ胸焼けがする。
 親友と作った、渡せなかったチョコレート。
 自分にもこんな女々しい部分があったのだな、と自嘲しながら、静雄は赤い紙をそっと剥いでゆく。親友が包んでくれたそれを、乱暴に破く気にはなれなかった。留めていたシールを剥がして、中の箱を取り出す。蓋を開けると一口大のチョコレートトリュフが五つ並んでいた。少しだけブランデーの香りもする。
 捨ててしまおうか──なんて考えが頭をよぎるが、やはりそれは出来なかった。自分ひとりで作ったのならそうしたのかも知れないが、親友の手も借りているのだ。静雄は暫く手の平でそれを転がし、やがて口の中に入れた。
 甘くて少し苦い、カカオの味。噛み砕けば直ぐにそれは口腔内で溶ける。美味しい。美味しい筈なのに、静雄には何だか苦くて重く感じられた。『重い』、これは重いもの。
 指についたチョコレートを舌で舐めた。唇も甘い。もう一つ食べようと、静雄はまた手を伸ばす。少しだけ歪なそれを手に取ったところで、急に目の前に影が差した。

「こんなところでおやつ?」

 揶揄するような声が降って来る。
 静雄はチョコレートを手にしたまま顔を上げ、相手の顔を見てぽかんと口を開けた。
「いざ──、」
「探したよ。」
 目が合うと臨也は笑い、そのまま静雄の隣に緩やかに腰掛ける。二人分の体重が掛かり、ベンチはギシリと音を立てた。
「何してるの、こんなところで。」
「…それはこっちの台詞だろ。なんでここに。」
 ここは繁華街から大分離れた場所だ。ひょっとしたら池袋の街でもないかも知れない。緑が多く、いやに静かな住宅街だった。時折公園の外に、ペットを散歩する人間がいるくらいの。
「シズちゃんを探して来たんだよ。急に走っていなくなるから。」
 臨也は口端を吊り上げてそう言うと、静雄が持つチョコレートへ視線を向ける。その赤い双眸が微かに眇められるのに、静雄はどきりと心臓が高鳴った。
「それ、美味しそうだね。」
「…お前だってたくさん貰ってんだろ。」
 何となく見られたくなくて、静雄はチョコレートを無造作に口の中に突っ込んだ。甘くて苦い、重い味。
「──ここに来る前に新羅の家に寄ったのだけれど、」
 臨也は少しだけ楽しげに言葉を紡ぐ。
「同じようなチョコレートが家にあったよ。あれは首無しの手作りなのかな?」
「…へえ。」
 素っ気なく相槌を打ちながら、静雄は口の中のチョコレートを咀嚼する。溶けたチョコレートが唾液と混ざり合い、静雄の口の中はドロドロに甘い。
「シズちゃん、数日前に学校休んだよねえ?」
 静雄は答えない。臨也のそれは問いではなく、確認だった。この男は静雄がセルティの為に学校を休んだことを、多分知っている。
「首無しは料理の腕が壊滅的なんだって?」
 そしてそれが、セルティがチョコレートを作る手伝いだったことも。
「…だから何だよ。」
 静雄は不機嫌な低い声でそう呟くと、また箱からチョコレートをひとつ手に取った。作るのは大変だと言うのに、食べるのは本当にあっという間だ。
 そんな静雄の手を、不意に臨也の冷たい手が掴む。手の甲を強く握られ、静雄は驚きで目を丸くした。
「どうして自分で作ったものを、こんなところで食べてるわけ?」
「っ、」
 狼狽する静雄を無視し、臨也は静雄の指ごとチョコレートを口に含む。ガリッと、わざと静雄の指に強く歯を立てた。そのまま桜色の爪に唇を這わせ、赤い舌先でささくれを舐める。
 その瞬間、ぞくりと静雄の体が電気が走ったみたい震えた。思わず掴まれた手を引こうとするが、臨也はその手を離さなかった。
 ピチャ、と唾液のぬめった音がする。溶けたチョコレートが静雄の指を汚すのに、臨也はそれを丹念に舐め取って行った。散々舌を這わせ、指に歯形を付けて、静雄が羞恥に居たたまれなく頃、やっと臨也は唇を離した。
「悪くないね。」
 ぺろ、と自身の上唇を舐めて、臨也は目を細めて笑う。その仕草も表情もまるで猫みたいで、静雄は頬に熱が集まるのを感じた。
「な…っ、」
 口に含まれていた指が熱く、痺れているみたいだ。どくどくと心臓の音がやけに煩くて、頭はクラクラと眩暈がする。
「お前…自分のチョコがあるだろうが。」
「食べちゃ駄目だった?」
 臨也は薄く笑って首を傾げる。その笑みは人の悪い種類のもので、静雄は嫌な予感がした。
「だってそれ、俺にくれるつもりだったんでしょ?」
「は、」
 さらりと言われたその言葉に、静雄は絶句して臨也を見返す。熱くなっていた頬が、更に急激に熱を帯びるのが分かった。
「ち、違え!誰が!」
「違わない。」
 臨也は静雄が持つ箱からチョコレートをひとつ取って、それをまた口に入れる。柔らかなトリュフは、臨也が歯を立てても砕く音が一切しなかった。これで箱の中には、チョコレートがあと一つ。
「ねえシズちゃん。俺は甘いものは嫌いだけど、例外もあるんだよ。」
 舌舐めずりするかのように自身の赤い唇を舐め、臨也は静雄の顔を横から覗き込む。赤く見える臨也の瞳は意外にも優しげで、静雄は困惑して何度も瞬きをした。
「貰っても重くないものもあるんだ。」
 臨也は低い笑い声を洩らしながら、最後のチョコレートを摘み上げる。それを素早く口に含んで舌先で転がしながら、静雄の細い顎に手を掛けた。
「例えば好きな相手から、とかね。」
 その言葉に、静雄の目が大きく見開かれる。何かを言おうと口を開くのに、近付いて来た臨也のそれに塞がれてしまった。
 途端、口の中に広がる甘ったるい味。そのまま歯列を割って、肉厚な臨也の舌が口腔に入り込む。トロトロに溶けたチョコレートが、唾液と共に静雄の口に流し込まれた。
「…ふ、…っ、」
 舌を絡ませ、吸ったり舐めたりして、チョコレートが徐々に口の中で溶けてゆく。噛み付くようなそれが苦しくて、臨也の肩を何度か叩けば、低く愉しげな笑い声がした。手を後頭部に回され、引き寄せられて、更に深く口付けられる。歯も舌も口の粘膜も全て舐められて、チョコレートはやがて二人の間で消えてなくなった。
「ん…っ、」
 最後にちゅっ、とリップ音を立てて、臨也は静雄の唇をやっと解放する。薄茶色の唾液が静雄の顎を伝い落ちるのに、臨也は舌を這わせてそれを舐め取った。
「ん、やっぱり美味しい。」
「…な、なななな、なん──、」
 慌てて臨也から身を離し、静雄は勢い良くベンチから立ち上がる。耳裏も、目許も、白い首筋も、可哀想なくらい真っ赤になっていた。羞恥のせいか、息苦しかったせいか、目には涙までも浮かんでいる。その顔で臨也を強く睨み付けて来ても、残念ながらちっとも怖くはなかった。
「今度渡す時は素直に手渡しなよ。」
 臨也はゆっくりと立ち上がり、チョコレートが入った自分の鞄を軽く叩く。
「来年はシズちゃんからのしか貰わないことにするから。」
「は…、」
 あっさりと告げられた言葉に、静雄の目が驚きで見開かれる。いくら静雄が鈍くても、その言葉の意味することは理解が出来た。
 好きな相手からなら──。
 あまり好きではない物も食べられるし、押し付けられる感情も重くはない。
 つまりはそういうこと。
「だからまた作ってね。」
 臨也はそう言って、僅かに口端を吊り上げる。その顔はいつものように意地悪だったけれど、目だけが穏やかに細められていた。

「好きだよ、シズちゃん。」

 そして降って来たその言葉に、静雄は死んでもいいと思った。


2012/02/16
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