知りたくはなかった。







静雄は折原臨也が大嫌いである。
どこが嫌いなのかを聞かれれば、総てだと答える。あの顔もあの性格も声も。何もかも嫌いだ。態度も行動も喋る内容も嫌いなのだから、どうしようもなかった。
今こうして自分の上に覆いかぶさっているその表情も、腕を押さえ付ける冷たい手も、揶揄するような声も、静雄は総てが大嫌いだった。

「…退けよ」
低く、唸るような声を出し、きつい眼差しで睨みつけてやる。
けれど相手は楽しげに笑って、静雄の体を床に押さえ付けていた。
誰もいない、放課後の教室。椅子は倒れ、机は乱雑に散らかっている。
力を出せば、相手の華奢な体なんて直ぐに退けられる。なのに、静雄はそれが出来なかった。目の前の臨也の目はとても真剣で、体が何故か動かない。
臨也の手がゆっくりと静雄の首筋を撫でる。指の腹でスーッと、喉仏を行き来した。その指先は冷たい。
「臨也」
「黙って」
咎めるように名を呼んだ静雄を、臨也は拒絶する。
静雄は黙り込み、眉を顰めて臨也を見上げた。
臨也の冷たい指先は顎を伝い、唇に触れる。乾いた静雄の唇を、まるで形を確かめるかのように撫でた。
「誰かとキスをしたことある?」
「ねえよ」
静雄は臨也の赤い目を、真意を確かめるかのようにじっと見ていた。
臨也が何をしたいのか分からない。意図が分からないその行動が、何だか怖い。
静雄は困惑して臨也を見ていた。
臨也は笑う。
「怖がらなくていい」
「怖がってなんか、」
「そうかな」
くぐもった低い笑い声。けれどもそれは、いつものように人を馬鹿にした笑いではなかった。
臨也の顔がゆっくりと降りて来る。漆黒の髪の毛が鼻先を擽り、頬に吐息が触れた。静雄の色素の薄い茶色の目が、驚きで丸くなる。
「い、」
ざや、と呼ぶ声は、臨也のそれで塞がれた。
ズキン。
何故か心臓が痛む。
臨也の唇は温かく、直ぐに離れて行った。
驚きでまだ動けない静雄から身を離し、臨也は立ち上がる。
「…今のなんだよ」
静雄の声は掠れていた。
「キス」
「んなことは分かってんだよ」
臨也は屈み、静雄へと手を差し延べる。
「キスしてみたかった」
「…意味わかんねえよ」
臨也の手を無視し、静雄は立ち上がった。今の自分の顔は赤いのだろうか。怒りで?それとも違う感情で?
臨也は肩を竦め、手を引っ込める。
「唇はシズちゃんみたいな化け物でも普通なんだね」
「死ね」
「ははっ」
睨みつけて来る静雄の視線を受け止めて笑い、臨也は背を向けた。
乱れた机を掻い潜って教室を出て行こうとする臨也を、静雄は黙って見送る。
臨也は教室の扉に手をかけ、振り返った。
「またさせてよ」
「殺す」
「会話になってないよ」
臨也は大袈裟に手を上げると、笑って教室を出て行く。
やがて遠ざかる足音を聴きながら、静雄は唇を拭った。拭っても拭っても、臨也の唇の感触は消えない。
キスは酷く優しかった。
あの忌ま忌ましい赤い目も、いやに穏やかだった。
あんな臨也は知らない。
知りたくはなかった。

知らなかったそんな面でさえ、静雄は大嫌いだと思った。


2010/12/28 08:32
×