つかまえた






匂い、と言うのは語弊がある。正確には雰囲気とか気配とか、多分そう言うものだからだ。
静雄は飲んでいたシェークをゆっくりと啜り、最後まで飲み干すと、傍にあったごみ箱へと容器を捨てた。
人がごった返すファストフード店を出、やはり人だらけの通りを歩く。いつの間にか大股で早足になっていて、人の波をくぐるように進む。どこへ、かは分からない。目的なんかなく、ただ闇雲に歩いているだけだ。
それ、の空気が強くなる。
ああ、うざい。これも自分の特殊能力なのか。いや、今だけはこの能力に感謝すべきなのかも知れない。感知出来ることで先に行動を起こせるからだ。
信号が青になるのももどかしく、反対側の横断歩道を渡る。静雄に気付いた何人かが道を空けた。畏怖と羨望の眼差し。静雄にはもうそんなものは慣れっこで、どうでもいいことだった。
早く早く早く。
ここに居てはまずい。相手は意外にすばしっこいのだ。一箇所に留まっては直ぐに見付かってしまう。歩き続けなければ。
メインストリートを逸れ、路地裏に入った。昼間だと言うのにネオンが点灯している風俗店の前を歩く。通行人もぐっと減り、逃げやすくなった。
逃げる?何から?誰からだ。
静雄はますます早足になる。
家には帰れない。相手に場所がばれている。旧友の家ももちろん駄目だ。なら池袋を出た方がいいのか。しかし駅に行くには今来た道を戻らねばならない。
ぐるぐると考えを巡らせていると、それの匂いが強くなった。
「見ー付けた」
不意に横から腕を掴まれ、廃ビルの入口に引きずり込まれる。強引で乱暴なそれに、静雄は思い切り体を扉にぶつけた。はっと気付いた時にはもう抱き締められていて、静雄は驚きで目を見開く。
「捕まえた」
臨也は赤い双眸を細め、口端を歪めて笑う。抱き締めて来る腕は強く、静雄はそれに身を捩った。
「離せっ」
「逃げるなんて酷いなあ、シズちゃん」
「別に逃げてるわけじゃ、」
「人に告白だけして返事は聞かないの?」
臨也の言葉に、静雄ははたと黙り込む。一瞬で頬が熱くなった。きっと今の自分の顔は真っ赤になってる筈だ。心臓がバクバクと音を立てる。
「…返事なんていらねえし」
そう、いらない。
拒絶の言葉なんて聞きたくなかった。どうせ分かっているし、はなから期待なんてしていない。ただもう辛くて苦しくて溢れそうで、想いを伝えてやめてしまおうと思ったのだ。告白すれば、諦められると思って。
臨也の腕から逃れ、閉められた廃ビルの扉を開ける。外に逃げ出そうとして、後ろから肩を掴まれた。
「!」
強引に振り向かされて、壁に背中を押し付けられる。顔を上げれば、臨也の赤い目と合った。
臨也の顔は珍しく真顔で、真っ直ぐに静雄を見詰めて来る。
「俺はね、返事をしに来たよ」
「……」
ズキン。と心臓が強く痛む。深く長い傷が出来て、そこからじわっと痛みが広がってゆくみたいだ。
静雄は目を逸らし、顔を伏せる。臨也のことだ。きっと酷い言葉を言うに違いない。この男は自分のことが大嫌いだから。
「本当はからかってやろうかな、とかも少し思ってたけど、」
ズキン。
ああ、もう。息が苦しい。指先が震えてる。立っている足も。情けないったらありゃしない。
「でも勿体ないからやめたよ」
臨也はまるで自嘲するみたいに笑い声を漏らす。それに酷薄さは全く無くて、静雄は思わず顔を上げる。
何を言っているのだろう。勿体ない?どう言う意味だ。
「要するにさ、」
キョトンとする静雄に、臨也は口端を吊り上げて笑った。


俺も君が好きなんだけど。


2010/12/17 10:23
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