魔法のことば






臨也の顔が近づいて来るのに、静雄はゆっくりと目を伏せた。
長い長い学校の廊下。
どこか遠くの方で、部活動に励む生徒たちの声がする。
微かなピアノの音と、合唱部の歌声。野球部がボールを打つ音。居残っている生徒たちの笑い声。
こんな、いつ誰が通ってもおかしくない学校の長い廊下で、二人は触れるだけのキスをした。
手も足もどこもかしこも触れ合ったことがないのに、唇だけで相手の温もりを初めて知る。
数分なのか、数秒なのか、時間の流れが分からないまま口づけは終わった。
至近距離だった体が離れ、二人はお互い見つめ合う。
「…っ、」
先に顔を逸らしたのは静雄の方だった。唇を手の甲で押さえ、頬を赤く染める。
なんで。
どうして。
こんなこと。
キスをして来た臨也にも、それを黙って受け止めた自分にも。
何故、どうして。
そんな疑問が頭を占めるけれど、静雄は何も口にはしなかった。
もうこれ以上臨也の傍に居たくなくて踵を返す。臨也が口を開くのが怖かった。何か言葉を聞いたら、何かが変わってしまう気がして。
そんな風に逃げ出そうとする静雄の手首を掴み、臨也はその体を引き寄せる。
それに驚いた静雄が抵抗する前に、臨也はそのまま静雄を抱き締めてしまった。
「っ、…いざ、」
「逃げないでよ」
珍しく真面目な臨也の声。
静雄の心臓が、どくんと音を立てた。首に感じる臨也の吐息と、微かな臨也の香水の匂い。
どくん、どくん、どくん。
臨也の心臓の音が、自分と同じくらい早いのを知る。
知りたくなかった。
温もりもこの鼓動の音も。
自分と臨也が同じだなんて、何もかも知りたくなかったのに。
臨也が耳元に何かを囁く。
静雄はその言葉に、また鼓動が早くなった。
ひょっとしたら、臨也はこんなことを言って自分の心臓を止めるつもりなのかも知れない。だって自分は今、臨也の言葉でこんなにも胸が苦しい。
だから自分も言ってやろう。
臨也も同じ目に遭えばいいのだ。自分と同じように。
静雄はそう思い、同じ言葉を口にした。ずっとずっと、心の奥底に閉じ込めていたその言葉を。

その言葉に臨也は優しく笑ったけれど、その心臓の鼓動はまた静雄と同じくらい早くなった。


2010/12/13 15:39
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