Can you celebrate?





 今日の空は、朝から曇りであった。
 今朝に見た天気予報では、夕方から雨が降るらしい。1月は雨が降ることが少ないので久し振りだ。
 静雄は空を見上げながら、口許を手の甲で拭った。ピリリと痛みが一瞬走り、眉根を寄せる。口腔内は血の味がした。
 チッ、と小さく舌打ちをして、静雄は血の唾をアスファルトに吐く。どうやら殴られた時に口の中を切ったらしい。喧嘩慣れしていると言うのに、殴られる瞬間に奥歯を噛み締めなかったのだろう。
 喧嘩で疲労した体を引き摺って、静雄はとあるマンションのエントランスをくぐる。旧友である闇医者志望の部屋を訪れたのは、治療と言うよりは休憩の為だった。静雄の忌々しい体は、傷は直ぐに塞がってしまうのだ。
 マンションの最上階に行き、インターホンを鳴らすと、幼なじみの男は直ぐに扉を開けてくれる。
「また喧嘩?」
 呆れたような、けれどどこか楽しげな声を上げ、新羅は静雄を部屋の中に招き入れた。
 新羅はまだ学校の制服を着ていて、トレードマークであるいつもの白衣を着ていない。聞けばちょうど今帰宅したところらしかった。
「静雄は途中で学校抜け出したから知らないだろうけど、今日は委員会がある日だったんだよ。」
 あー疲れた、と大袈裟に愚痴りながら、新羅は肩をポンポンと叩く。静雄とて好きで学校を抜け出したわけではないので、その言葉にむっとして黙り込むが、新羅はそれに気付かずに(もしくは気付かない振りをして)棚から救急箱を取って来た。
「手を出して。」
「治療すんのかよ。」
 もう傷は既に塞がっているのに。
 静雄は不機嫌に眉根を寄せるが、新羅は構わずに救急箱を開けて準備をし始めた。
「一応、消毒くらいはね。安心しなよ、治療費は臨也につけておくからさ。」
 そう言って笑いながら、新羅は箱から消毒液を取り出す。
 静雄は臨也の名前が出た事に思い切り顔を顰めるが、渋々と傷だらけの手を差し出した。日に焼けて健康的な手の甲には、自身の血と相手の血が付着している。
 新羅はひとつひとつ丁寧にそれらを拭き取ってゆき、傷口に絆創膏を貼っていった。その慣れた手付きは、高校生ながらもさすが闇医者志望だ。
「良くもまあ毎日毎日喧嘩出来るよね。」
 飽きもせずにさ、と新羅は笑う。
「俺の方は好きで喧嘩してんじゃねえぞ。」
 ぶっきらぼうな静雄の言葉に、新羅はまた笑って肩を竦めた。新羅は静雄の友人であり、臨也の友人でもあるが、どちらの味方もしない。彼が動くのは、愛しい彼女が絡んだ時だけだ。
 全ての傷の治療が終わると、静雄はそのままソファーに寝転がった。それに対して新羅が何か文句を言うが、静雄は聞こえない振りをして体を丸くする。
 今日も他校の生徒に絡まれ、喧嘩をして、心身共に疲れていた。どうせ今日の相手も臨也がけしかけたに決まっている。あの男と知り合ってから毎日毎日、静雄は大嫌いな暴力をふるわされ続けているのだ。
 ──もう、いい加減にしてくれ──。
 一体どうしたら、臨也は自分を解放してくれるのだろう。一体どうしたら、臨也は自分への執着をやめるのだろう。
 そんなことを考えながら、静雄はいつしか眠りに落ちて行った。




 目が覚めると、外は雨が降っていた。随分と長く仮眠したような気がするが、時計を見るとそう時間は経っていないらしい。
 短時間の眠りでも、静雄の疲れは随分と取れた。目を擦りながら起き上がれば、腹に毛布が掛けられていたことに気付く。恐らく新羅が掛けてくれたのだろう。幼なじみのあの男は、意外に面倒見はいいのだ。
 傘を貸すと言う新羅を断り、静雄はマンションを後にした。どうせもう家に帰るだけだし、翌日傘を返すのが面倒臭い。
 メインストリートを過ぎ、横断歩道を渡って、静雄は人が疎らな道へと出る。街を歩く人々は殆どが傘を差していて、雨に濡れた静雄は少しばかり目立つ。1月の雨はひんやりとしていて、上は制服のワイシャツだけの静雄には寒かった。口から出る吐息も真っ白で、それはまるで綿菓子みたいだ。
 遠くの空では稲妻が青く光り、このままだと雨脚はもっと強まりそうだ。静雄はそれにうんざりとしつつ、濡れた前髪を気怠げに掻き上げる。早く帰らねば──そう思った瞬間、雨は土砂降りになった。
「くそっ。」
 思わず悪態を吐きながら、静雄は慌てて近くのコンビニの軒下へと避難する。突然の豪雨に、同じ高校の制服を着た女生徒たちが悲鳴を上げていた。街を出歩くサラリーマンも、皆一様に帰路を走り出した。
 静雄はコンビニの店内に入ると、雨の外を眺めて溜め息を吐いた。雨はどんどん激しさを増し、とても弱まりそうにない。このコンビニで傘でも買うか、どうせ濡れているし走って帰るか──そんな風に悩んでいると、突然後ろから声を掛けられた。
「風邪をひくよ。」
 笑いを含んだ甘いテノール。静雄がこの声を、聞き間違える筈がない。その声を聞いた瞬間、静雄の全身の毛が逆立つ気がした。
「…ノミ蟲。」
 振り返ると案の定、静雄がこの世で一番大嫌いな男がそこに立っていた。真っ黒な学ランに緋色のシャツ。ムカつくくらいに整った顔と、赤みがかった不思議な色の瞳。静雄の顔が不機嫌に歪むのに、臨也は低く笑い声を洩らした。
「傘、ないの?上着も?」
「うるせえ、死ね。俺に話し掛けんな。」
 ギリギリと歯軋りをし、静雄は臨也の顔を睨み付ける。制服の上着や鞄は教室に置きっぱなしだ。その原因となったいざこざは、この目の前の男の差し金なのだった。
 それらを全てお見通しな癖に、臨也は口端を吊り上げて笑ってみせる。怒る静雄の反応を楽しんでいるようでもあった。
 そんな臨也の揶揄するような視線が、ふと静雄の手元に落ちた。なんだ?、と静雄が怪訝に思う間もなく、臨也の纏う空気が急に不機嫌なものに変わる。
「…へえ。それ、治療してもらったの?」
 静雄の手にいくつも貼られた絆創膏を見て言っているのだろう。静雄は僅かに目を見開き、直ぐにまた臨也を睨み返した。
「だから何だ。」
「新羅にしてもらったの?」
「手前には関係ねえだろ。」
 静雄には臨也が不機嫌になる理由が分からなかった。それでもなんとなく臨也の目に晒されているのが嫌で、咄嗟に絆創膏だらけの両手を後ろに隠す。
「ふうん。」
 明らかに不機嫌な声。
「…なんだよ。」
 いつもの臨也とは違う空気に、静雄は内心で少し戸惑う。新羅に治療なんて、いつものことじゃないか。
「いや、別に?…ただ、」
 臨也の赤い目が、スッと剣呑に細められた。口端をいつものごとく歪め、人を馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「どうせ直ぐ治癒する化け物みたいな君に、治療は不要なんじゃないかと思って。」
 その言葉を聞いた途端、静雄は体中の血が沸騰するような怒りを覚えた。こめかみには血管が浮かび上がり、握り締めた拳が今にも殴りかかりそうにピクリと動く。
 一気に不穏な空気になった二人に、コンビニにいた他の客が何事かとこちらを見やる。けれども今の静雄には、そんなことを気にする余裕は少しも無かった。
「…てめえはどうしても死にてえらしいなぁ…?」
 両手の拳を胸の前で合わせ、静雄はポキポキと関節を鳴らす。怒りで視界が狭まり、血が上った頭は微かに耳鳴りがした。
「やだなあ、シズちゃん。本当のことじゃない。」
 静雄の睨みを真っ正面から受け止め、臨也は笑って肩を竦める。けれどもその体は既に臨戦態勢に入り、右手には隠し持っていたナイフを握っていた。

 外は相変わらずの雨だったが、二人の喧嘩は今始まったばかりだった。


(2012/01/19)
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