これの続き。

С Новым годом



 暖かな炬燵の中で、除夜の鐘を聞きながら、紅白歌合戦を見る。それは良く漫画やドラマで見られる光景である。静雄は昔からそれに憧れていた。
 けれども実際は近所に寺など無いし、除夜の鐘など聞こえるはずもない。狭い静雄の部屋には炬燵なんてものもなく、放映中の紅白歌合戦も知らない歌ばかりだ。
 実家に帰るか、飲みにでも行けば良かったな──と、今更悔やまれる。とは言っても弟は正月でも仕事だろうし、数少ない友人や先輩たちも今日は家族と過ごしていることだろう。流石にそれを邪魔したくはない。
 今日はもう寝てしまおうか──。大晦日の夜を、起きて過ごさなくてはならない決まりなどない筈だ。今晩はアパートの外も酔っ払いで騒がしいかも知れないが、寝てしまえばそれすら気付かないだろう。
 静雄は風呂上がりでまだ濡れた髪の毛のまま、冷たい布団へと潜り込んだ。
 チクタクチクタク…。時計の音が部屋に響く。外を歩く人々の笑い声、車のエンジン音、犬の遠吠え。静雄は頭の半分が隠れるように布団の中に潜り、体を胎児のように丸くする。エアコンを消した部屋の中は、空気がひんやりとしていた。
 ──そういえば去年の元旦は、臨也と明治神宮に行ったんだったな。
 人が多い電車に乗り込み、臨也の真っ青なマフラーを借り、はぐれそうになって──手を繋いだ。
 今思い出しても恥ずかしい思い出だ。静雄は熱くなりかけた頬を、抑えるように手で押さえる。あの時に貰った年賀状は捨てれず、まだ引き出しの中に入っていた。あの時借りたマフラーも、結局そのまま貰ってしまった。
 薄暗い闇の中で、静雄は眠れずに目を開ける。閉じていた右手を開き、またぎゅうっと握り締めた。こうしていると、あの時の臨也の温もりをまだ思い出せそうな気がする。
 あれからもう一年が経つなんて、時が経つのはなんて早いのだろう。人の一生は長いようであっという間だ。自分の中身は子供の頃から変わらない気がするのに、身体はちゃんと成長して老いてゆく。『若い』時代は短いのだと、大人になってから自覚した。
 その時、静かな部屋に扉をノックする音が響いた。トントントン。静雄はそれに驚き、慌てて布団から上半身を起こす。
「誰だ。」
 こんな日のこんな時間に訪ねてくる知り合いなんて、思い付くのは一人しかいない。
 少しの期待と不安を抱き、静雄はゆっくりと立ち上がる。電灯から吊された長い紐を引っ張り、部屋の灯りをつけた。
 トントン。その間にもまた短いノックがされ、今度は返事を待たずに扉が開かれた。ギイっと、古い扉が軋んだ音がする。
「不用心だなあ。」
 揶揄を含んだ甘い声。
「鍵くらいは閉めようよ。盗まれる物なんて何も無いだろうけど。」
 カツン。靴音を響かせて、全身真っ黒な男が部屋に入って来た。
「…ノミ蟲。」
 予想通りの人物だ。静雄は眉間に思い切り皺を寄せ、不機嫌と警戒をアピールする。
「手前…何しに来た。」
「もう寝てたの?、早過ぎだよ。うわあ、髪の毛がまだ濡れてるじゃない。」
 臨也はその質問には答えず、静雄を見て呆れたような声を出す。「ほら。」と、臨也は無理矢理部屋の真ん中に静雄を座らせ、テーブル脇に転がっていたドライヤーを手に取った。
「乾かしてあげる。」
 ブワアアアア、と熱風が静雄の髪の毛を揺らし、静雄はそれにうんざと舌打ちをする。こんな時、臨也には何を言っても無駄だ。どうせ大晦日に独りでいる静雄を笑いに来たか、揶揄をしに来たのだろう。
 臨也の長くて華奢な指が、静雄の髪の毛を緩やかに梳いてゆく。時折耳に指先が掠め、その度に静雄の肩がぴくりと跳ねた。それに臨也が気付かなきゃいい。
「シズちゃんと年を越そうと思って、」
 静雄の髪を乾かしながら、臨也が口を開く。髪の毛を乾かす風は、いつの間にか冷風になっていた。
「お酒とか持って来たから、一緒に飲もうよ。」
 ドライヤーの風が煩くて、臨也の声は途切れ途切れに聞こえる。それでも言わんとしていることは分かり、静雄はそれに素直に頷いてしまった。拒絶や嫌悪を抱かないのは、ちょうど去年の臨也のことを考えていたせいかも知れない──なんて、自分に言い訳をして。



 日本酒を少し熱すぎるくらいに温め、臨也が買って来たつまみを食べながら、静雄は臨也とテレビを見ている。テレビでは派手な衣装を着ている女が演歌を歌い、もう後何組かで歌合戦の決着が着こうとしていた。
 酒があまり強い方ではない静雄は、コップに入れられた熱燗をちびちびと飲む。それでももう既に酔いは回っていて、頬も熱いし、視界も何だか狭い。静雄自身、酔っている自分を自覚していた。
「もう飲むのやめたら?」
 横から伸びて来た臨也の手によって、飲みかけのコップを取り上げられてしまう。静雄はそれにムッとし、眉根を寄せて臨也を睨んだ。
「そういうお前は平気なのかよ。」
 確か、臨也もそんなに酒には強くなかった筈だ。顔をまじまじと見れば案の定、臨也の頬はほんのりと赤くなっていた。
「俺もそろそろやめるよ。酔って、起きたらシズちゃんと布団にいました、なんてなったら大変だからね。」
「何言ってんだ、死ね。」
 くだらない臨也の冗談に、静雄は顔を思い切り顰める。臨也はそんな静雄の態度に愉しげに笑い声を上げ、残りの酒を一気に飲み干した。
 暖かな炬燵の中で、除夜の鐘を聞きながら、紅白歌合戦を見る──それはずっと静雄の憧れだった。しかしここには炬燵もないし、除夜の鐘も聞こえることはない。それでも静雄は満ち足りた気分だった。大嫌いで殺したかった筈の相手とこうして酒を飲み、年が明けるのを待つだなんて──、高校生の頃なら考えられなかっただろう。
「俺だってそうだよ。」
 臨也が笑って肩を竦める。
「まさか化け物のシズちゃんと、年を越すことになるなんてね。」
「うるせえ、なら帰れ。つーか、人の心の声を読むな。」
「だってシズちゃん、声に出してたし。」
 あはは、とまた楽しげに笑う臨也は、やはり酔っているのだろう。静雄の頭に手を伸ばし、そのままぐしゃりと優しく髪を撫でる。そしてその手を嫌がらない自分も、やはり酔っているのだと静雄は思う。
 目許が赤い、頬が熱い。去年は繋がれていた臨也の手が、撫でていた静雄の頭から頬へと移る。その手はアルコールのせいか温かく、手を繋いだことを思い出してドキリとした。
 テーブル越しに顔が近付き、静雄は驚いてパチパチと目を瞬いた。そのまま首の後ろに手を回され、ゆっくりと頭を引き寄せられる。何するんだ──と言おうとした唇は、近付いて来た臨也の唇に塞がれた。
 薄く、柔らかな唇と、頬に触れる温かな吐息。黒く長い睫毛が震え、至近距離で目と目が合う。飲んだアルコールの匂いが鼻につき、それに混ざって臨也の香水の香りがする。戯れるように下唇を食まれ、上唇を舌先が舐めてゆく。息が苦しくて、頭がくらくらとした。静雄は酸素を求め、身を捩った。
「いざ──、」
「黙って。」
 抗議の声を上げようとした静雄の唇を、一度離れた臨也の唇がまた塞ぐ。いつの間にか間のテーブルは退かされ、静雄の体は畳の上に押し倒されていた。
 付けっぱなしのテレビからは、紅組の勝利の歓声が聞こえる。やがて歌番組も終わり、少しの静寂の後に、梵鐘をつく音が聞こえ始めた。
 ──もう直ぐ今年もあと数分で終わるというのに、自分たちは一体何をしているのだろう──。
「…っ、あ、」
 臨也の手が体中を這い回り、静雄は熱い吐息を吐く。自分を見つめる赤い瞳を見ていられなくて、相手の背中に必死にしがみついた。腰を掴まれ、揺さぶられて、息も絶え絶えになってゆく。髪の毛からはぽたりと汗が落ち、熱に浮かされた視界がぐにゃりと歪む。
 テレビの音も、転がったアルコールの瓶も、肌寒い部屋の空気も、静雄にはもう何も感じることは出来なかった。静雄がいま感じるのは、臨也の荒い息遣いと、臨也の眼差し、臨也の熱い体温だけ。静雄の体はまるで馬鹿になったように、与えられる快感だけを求めてる。
 ──最悪な年越しじゃねえか。
 大嫌いな天敵に抱かれながらの年越しなんて。
 胸の内で盛大に舌打ちをし、静雄は腹立たしく臨也の肩に歯を立ててやったのだった。





『あけましておめでとうございまーす!』
 チャンネルを変えてみれば、どこの局も新年を迎えてお祝いムードだった。バラエティーや歌番組が多く、テレビの画面では静雄でも見たことがあるアイドルグループが歌っている。紅白が終わってからも違う歌番組とは、正月早々ご苦労なことだ。
 静雄は体の怠さをなるべく気にしないようにしながら、のろのろと衣服を身に付ける。まだ下半身には受け入れていた時の違和感があり、暫くはこの感触が忘れられなそうだった。
 テレビから視線を部屋に移せば、布団の中ではまだ臨也が眠っている。衣服を身に付けているところを見ると、後始末は一応したのだろう。その唇からはすうすうと静かな寝息が聞こえ、その眠りが深いことが分かる。
 静雄が臨也の寝顔を見るのは、これが初めてだった。寝首を掻くなんて卑怯なことはしないが、この男は普段から静雄には決して隙は見せない。きっと今こんなに無防備なのは、元々疲れていたところに酒が入ったせいなのだろう。──そう、酔っていたのだ。お互いに。
 小さく息を吐き、静雄は臨也から目を逸らす。酔いがまだ残っているせいで、頭がズキズキと軽く痛んだ。
 後悔しているのかと問われれば、即座にそうだと答えるだろう。酔っ払って同性と体を重ねたなんて、浅はかにも程がある。
 静雄は片手で目を覆い、再び深く溜め息を吐く。幸い臨也はまだ眠っているが、起きたらどんな反応をするだろうか。──いや、案外覚えてないかも知れない。夢だと誤魔化せたなら、どんなにいいか。
「…ん、」
 小さな声を上げ、臨也が横に寝返りを打つ。静雄はそれに心底驚き、びくりと肩を跳ねらせた。心臓がバクバクと音を立て、嫌な汗が背中を伝う。どうやら臨也の目覚めが近いらしい。
 ──どうしようか──…。
 上手く誤魔化せるだろうか?あの臨也が納得するだろうか?それともこちらは覚えてないと、しらを切るしかないのか。…ああ、頭が混乱してぐしゃぐしゃだ。新年早々、最悪な気分だ──。
 頭を抱える静雄の横で、臨也の瞼がゆっくりと開かれる。それに気付いた静雄は体を強張らせ、臨也の端正な横顔を怯えるように凝視した。
 長い睫毛が縁取る瞼の中から、赤く美しい瞳が現れる。いつも冷酷さや傲慢さを見せる瞳は、今だけは寝ぼけ眼であった。臨也は何度か瞬きを繰り返すと、静雄にその赤い双眸を向ける。
「──シズちゃん?」
 静雄は絶望的な気持ちになりながら、その赤い目を黙って見返すしかなかった。

2012/01/03
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -