0センチメートル



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階段を物凄い勢いで駆け降りる。キュッと内履きが音を立てた。
踊り場の窓から見える太陽が眩しい。けれど今の臨也にはそんな余裕はなく、ただひたすらに廊下を走る。
「いざやあぁああぁぁぁっ」
後ろから獣の咆哮が聴こえた。ああ、恐ろしい。足を止めたら確実に息の根を止められる。
放課後の廊下には人っ子一人いなかった。居残っていた生徒たちも、臨也と静雄の喧嘩が始まると逃げるように帰宅して行く。ひょっとしたら今校舎には二人しかいないかも知れない。
去年まで喧嘩を止めてくれていた獅子崎先輩は卒業してしまい、三年生になった今、二人の喧嘩を止める者は学園では居なくなってしまった。臨也にはそれは忌ま忌ましくもあり、ほっとしてもいる。静雄があの先輩に少し懐いているのが気に入らなかったから。
ああ、そうだ。本当に気に入らない。金髪を勧めたと言う中学時代の先輩や、彼の唯一の弟や、首がない親友や、下手したら眼鏡の旧友まで、臨也は気に入らないのだ。
臨也は足を止め、振り返った。静雄が廊下の向こうで同時に足を止める。
「シズちゃん」
「死ね」
会話する気はないらしい。コメカミには筋が浮かんでいる。バキバキと鳴らされる手の指。
足を止めた途端に殴られるかと思っていた。臨也はそれを意外に思いながら一歩前に出る。
すると静雄は一歩下がった。臨也の目をきつく睨みつけて来る癖に。
臨也はまた近付く。静雄が下がる。縮まらない距離。臨也は口端を吊り上げる。
「追い掛けて来る癖に、逃げるの」
「逃げてなんかねえよ」
吐き捨てるように言い、静雄は尚も臨也を睨んで来る。
臨也は肩を竦めて笑い、また近付いた。今度は一歩なんかではなく、明確に静雄の傍を目指して。
静雄は身じろいだものの、後退はしなかった。ただ警戒するように臨也を見返す。ギリッと歯軋りの音が口から漏れていた。
「シズちゃん」
「…なんだよ」
至近距離で見る静雄の目は動揺で揺れている。きっと心音も高いのかも知れない。聴こえないのが残念だな、と臨也は思った。
吐息が触れる程に近付いて、臨也は静雄の耳元に唇を寄せる。ふわりと静雄のシャンプーや汗の匂いがするのに、臨也は体温が上がった気がした。
「俺、シズちゃんのことが――――、」


「臨也」
声は静雄によって遮られた。
静雄は臨也の肩を押し、体を離す。
「…もう帰る」
その顔は悲しそうな怒っているような、複雑な表情をしていた。恐らくは怯えだろう。
踵を返し、静雄は廊下を歩く。臨也はそれに赤い目を細め、ただ一言、
「弱虫だね」
と呟いた。笑い声を上げて。

静雄は振り返らなかった。


201011191409
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