陳腐な言葉




「シズちゃん」
そう呼ばれるのに、静雄は顔を上げた。
休み時間にざわついた教室の入口で、臨也がこちらへ手招きをしている。目が合うと、口端を吊り上げて笑ったようだ。
「その呼び方やめろ。なんだ」
静雄は臨也に近付くと不機嫌な顔を作る。こいつからの呼び出しなんて、ろくなことはない。
「数学の教科書貸して」
「は?」
にこにこと愛想よく笑う臨也に、静雄は目を丸くした。
「忘れちゃったんだよね。シズちゃんのクラス、今日数学あるだろう?」
頼むよ、と珍しく臨也が手を合わせて来るので面食らってしまう。
「…別にいいけど…汚すなよ」
「そんなことしないよ」
静雄は渋々と自分の机に戻り、数学の教科書を取り出した。新羅から借りればいいのに、と思ったが、新羅は生憎と席を外している。
「次の時間が数学だから、終わったら直ぐに返せよ」
「分かったよ」
臨也は口端を吊り上げて笑い、教室に戻って行く。それを何となしに静雄が見送っていると、ちょうど予鈴が鳴った。


次の休み時間に静雄がトイレから戻ると、新羅が数学の教科書を差し出した。
「臨也から。ありがとうだって」
「ああ」
静雄はそれを受け取る。別に変なところはないようだ。
「臨也が静雄にありがとうとか、気持ち悪いったらないね」
新羅はなかなか酷いことをサラリと言って笑う。静雄はそれに苦笑するしかない。

数学の授業中、静雄は教科書に臨也が解答を書いているのに気付いた。右上がりの綺麗な字。どうやら臨也のクラスは静雄のクラスよりも進んでいるらしい。
臨也の字を見るのは初めてだな。
ぼんやりと眺めていると、空白に小さく何か書いているのに気付く。
静雄はそれを読み、かあっと一瞬にして顔が赤くなった。
あいつ…嫌がらせか。
うざい。本気でうざい。人の教科書に愛の告白を書くなんて、神経を疑う。
静雄は消しゴムを取り出して消そうとするが、何故か手は動かなかった。
これから先、数学の授業の度に思い出すかも知れない。なのに静雄は消せない。この小さな二文字を。
…くそっ。
静雄は舌打ちをし、消しゴムを筆箱にしまった。
この教科書はもう誰にも貸せない。


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