21歳






池袋のカフェは休日の午後と言うこともあり、空席がないほどに混んでいた。
このカフェは客の殆どが女で、静雄はさっきから少し居心地が悪い。オープンカフェにはなっているが、さすがに外の席に座る勇気は静雄にはなかった。店内の太陽が当たらない席で、頬杖をついて窓の外を眺めている。メインストリートから離れた場所にあるとは言え、外の席に自分が座っていたら目立つだろう。
静雄は苛々と左腕に嵌めた時計を見た。長い針は3、短い針は2を差している。つまりは相手は15分の遅刻だ。大体待ち合わせ場所をここに指定して来たのはあちらなのだし、それで遅刻とは納得がいかない。
飲んでいたコーラはとっくに空になり、静雄は手持ち無沙汰にストローで中の氷をつつく。後5分待って、来なかったら帰ろう。静雄にしては15分も待っていたのは奇跡的だ。
「待った?」
そんなことを考えていたら、待ち合わせの相手が来た。静雄はその声に顔を上げ、眉根を寄せる。
「おせえ」
「ごめんね」
臨也はちっとも悪びれずに、笑って謝罪を口にした。向かいの席に腰を下ろすと、やって来たウエイトレスに「エスプレッソ」と告げる。運ばれてきた水を一口飲んで、ふうっとこれみよがしに溜息を吐いた。
店内の女性客の目がこちらに注がれているのが分かり、静雄はそれにうんざりとする。臨也の無駄に良い顔は、どうしても注目を浴びてしまう。顔に性格の悪さが何故出ないのか、静雄には不思議だった。
「ちゃんと身につけて来たんだね」
苛々とした静雄を見て、臨也は笑う。静雄の腕時計とサングラスの事を言っているのだろう。
「お前がつけて来いって言ったんだろ」
ち、と舌打ちをして静雄は目を逸らした。きっと顔は赤くなっているに違いない。本当に忌ま忌ましい。
やがてエスプレッソが運ばれて来て、二人は暫く黙り込んだ。臨也がゆっくりとコーヒーを飲む間、静雄は頬杖をついて窓の外を見る。空は嫌になるくらい青く、陽光がオープンカフェの席を照らしていた。
「何の用だよ」
沈黙に堪り兼ね、静雄が口を開く。今日、この場所にわざわざ呼び出されたのは何が目的なのだろう。のこのこやって来た自身にさえ、静雄は腹が立っていた。
「誕生日だからデートしようと思って」
「……」
しれっと答える臨也に、静雄はぽかんと間抜けな顔をした。半ば予想していたことだったが、あっさり言われると唖然としてしまう。何故普段殺し合いにも似た行為をしている自分たちが、デートなんて馬鹿げたことをしなくてはならないのだろう。
「帰る」
席を立とうとした静雄の手を、臨也の冷たい手が掴む。
「まあ待ちなよ。待ち合わせが何でこのカフェだったか知りたくない?」
片手で静雄を掴み、片手はカップを離さない。臨也は静雄を見上げたまま、優雅にエスプレッソコーヒーを一口飲んだ。
静雄はそんな臨也を睨み付け、渋々とまた席に腰を下ろす。二人の異様な雰囲気に気付いた客が、チラチラとこちらを見ていた。
「ここねえ、ケーキ美味しいんだって」
「はあ?」
「モンブランとかチーズケーキとか。ガトーショコラもいいね」
臨也はメニューを手にし、パラパラとページをめくってゆく。
「奢ってあげるから、好きなものを頼んでいい」
はい、と臨也は口角を吊り上げて笑い、静雄の方へメニューを差し出した。
「…そんなことの為に呼び出したのかよ…」
差し出されたそれにチラリと視線を向け、静雄は臨也を睨む。
「シズちゃんケーキ好きだろう?」
臨也はその美しい唇に弧を描いた。赤い瞳も糸のように細められ、にっこりと微笑まれる。
馬鹿にされてるのだろうか。
その胡散臭い笑みを見ながら、静雄はうんざりと舌打ちをした。しかし珍しく目の前の男からは悪意を感じない。去年も一昨年も、1月28日だけ臨也は優しい。おめでとうと言われるのも、プレゼントをくれるのも、普段の臨也からは考えられない。そして気味が悪いと思いつつ、静雄がそれを受け入れてしまっているのも事実だ。
静雄は小さく溜息を吐くと、諦めたようにメニューを受け取った。華やかに飾られたケーキはどれもこれも美味しそうで、静雄は真剣に悩む。静雄は甘いものが好きなのだ。簡単にどれか一つを選ぶことはできない。
眉根を寄せてメニューを睨む静雄を、臨也はコーヒーを飲みながら見ていた。自分が贈ったサングラスのせいで、静雄の目がはっきりと見えない。綺麗な薄茶色の目をしているのに、見れないのは残念だった。それでも自分が贈った物をつけているのを見るのは悪くないな、と思う。こんな風に思うのなら、高校の時ももっと何か準備しておくんだった。あんな安い牛乳パックなんかじゃなく。
臨也にはあの時の静雄の目が忘れられない。甘ったるいコーヒー牛乳の匂いや、澄んだ青い空や、白い吐息。三年も前のことなのに、今でもはっきりと思い出せる。
あの時。
自分は静雄にキスをするつもりだった。誰もいない、静かな屋上で。
二年生の時も、頬ではなく唇が目の前にあったなら、そこにしていただろう。
普段やり合っている時は、そんなことを思ったことがなかった。自販機や標識を投げられながら、さすがにそんな不埒なことは考えられない。憎しみや嫌悪や、鬱陶しさの方がずっと勝っている。
なのに何故、静雄の誕生日にだけそんな風に思ってしまうのだろう。さすがに毎年のことになると、一時の気の迷いとは思えない。ひょっとしたら普段は抑え込んでいるだけなのだろうか。一年に一度のこの日だけ、その抑制が緩むのだろうか。
──…馬鹿馬鹿しい。
臨也はそこで考えるのをやめた。考えても答えは出ないし、欲求には素直になることにした。
それが去年のことだ。
臨也は去年、とうとう静雄にキスをした。
酒を飲みながら、ずっとしたいと思っていた。酔いで赤くなった頬も、潤んだ瞳も、少しだけ開いた唇も、とても魅力的に見えたし、多分臨也自身も酔っていたのだろうと思う。互いに酒はあまり強い方ではなかった。
「うーん」
目の前で、静雄はまだメニューを悩んでいる。あまり物事を悩んだりしない彼には珍しい。余程食べたいケーキが多いのだろう。
臨也が飲んでいたコーヒーは、いつの間にか空になっていた。
「すいません」
手を挙げて、ウエイトレスを呼ぶ。ウエイトレスは直ぐにやって来た。
「コーヒーふたつと、ケーキ全種」
「は?」
臨也の注文に、驚きの声を上げたのは目の前の静雄だった。
目を丸くする静雄の手からメニューを引ったくると、臨也はそれをウエイトレスに返却する。ウエイトレスは戸惑いながらも、畏まりました、と下がって行った。
「全種ってお前、」
呆れたような静雄に、
「悩み過ぎ。奢りなんだから別にいいだろ」
と、臨也は淡泊だ。
「そんな何個も食えねえよ」
静雄はこう見えて少食だ。大好きなケーキでも、せいぜい3個ぐらいしか食べれない。
臨也はそれに声を上げて笑う。
「残ったらテイクアウトすればいい。とにかくもう頼んじゃったんだから」
「…馬鹿が」
静雄は低い声で悪態を吐いた。しかし内心は言葉と裏腹に、喜んでいるのを臨也は知っている。静雄は頬を僅かに赤らめ、そっぽを向いてしまった。
頬杖をつくその左手首には、臨也が贈った腕時計が嵌められている。実はその腕時計は、臨也の物とお揃いだった。しかし臨也は普段あまり腕時計をしない。だから静雄がそれに気付くのは当分先だろう。
運ばれて来たケーキは何皿もあり、テーブル一面に並べられる。臨也は一口も食べる気はなかったので、静雄が食べる様を黙って見ているだけだ。
静雄は一口ずつ慎重に食べていた。口にする度に嬉しそうに顔が緩む。ひょっとしたら自分でも笑顔になっているのに気付いていないのかも知れない。
「美味しい?」
「うん」
臨也は静雄が素直にそう返事をするのを初めて聞いた。それも笑顔つきだ。
知り合って、殺し合って来て六年間。静雄が臨也に笑顔を向けるのは恐らく初めてのことだろう。
臨也は何となく落ち着かなくて、砂糖も何も入っていないコーヒーをスプーンで掻き混ぜた。カチャカチャと音がし、焦げ茶色の液体には白い泡が立つ。
高校時代、普段無愛想な静雄が笑うと直ぐに噂になっていた。笑顔くらいで馬鹿馬鹿しいとは思うが、それくらい珍しいことだったのだ。
三年生の時の1月28日。
静雄が門田に笑ったと言う話を聞いて、臨也は酷く不機嫌になった。朝から避けられていたのも分かっていたし、受け取ったのが牛乳パックだと言うのも余計にムカついた。一年の時も二年の時も、自分があげていたのに。
だからあんなことを言って、傷付けてしまったのかも知れない。今思えば青くて滑稽だが、臨也もその頃は子供だったのだろう。
「食う?」
気を使ったのか、静雄が上目遣いに聞いて来る。臨也はそれに首を振った。
「俺はいいよ」
「そうか」
頷いた静雄の唇には、僅かに生クリームがついている。
臨也は手を伸ばすとそれを指の腹で拭ってやった。
「俺はこれでいい」
そう言って指についた生クリームを舐めて見せる。甘くまろやかな生クリームの味が、口の中に広がった。
静雄はそれに体を硬直させ、ぽかんと口を開ける。
「甘い」
やがて口端を吊り上げて呟いた臨也に、
「死ね!」
と静雄は真っ赤になって怒ってしまう。
そんな静雄を見ながら、今日はいつキスしてやろうか、なんて臨也は考えていた。


(2011/02/08)
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