5. 粉雪が降っていた。 吐く息は白く、静雄の頬を冷たい雪が掠めてゆく。 街は土曜日のクリスマスと言うこともあってカップルだらけだ。雪で電車やバスが遅延しても、恋人達には関係ないらしい。 静雄は積もった雪で滑らないように注意しながら、ゆっくりと街を歩く。金の髪が時折吹く強い風で揺れ、たまに視界は雪で白くなった。街中からクリスマスソングが流れて来て、何故だか気分が落ち着かない。チカチカと光る、色とりどりのLEDも眩しかった。 横断歩道を渡り、角を曲がると、国道へと出る。そのまま進むと徐々に人通りが減って行き、マンションが立ち並ぶ通りへと出た。 その中のマンションの一つに入り、静雄は体の雪を払う。頭が僅かに雪のせいで濡れ、金の髪が色濃くなっていた。 エレベーターを降り、目的の部屋のインターホンを押す。中から「はぁい」と間延びした返事が聴こえて来て、何故か静雄はホッとする。 扉が開いて、眼鏡姿の旧友が顔を覗かせた。子供の頃から変わらない笑顔で。 「やあ。遅かったね」 「仕事があったからな」 「土曜なのに大変だ。どうぞ、中入って」 促され、部屋の中に入った。コートを脱ぐと、出迎えた親友がそれを受け取ってくれる。 『静雄の私服姿なんて久し振りに見たよ』 セルティのその言葉に、静雄はただ笑ってソファに座る。今日は珍しく私服だった。仕事を終え、家で着替えて来たのだ。 部屋は甘い生クリームの匂いがし、テーブルの上にはケーキがホールで置いてあった。5号くらいのサイズだろうか。結構大きい。 「静雄が来てくれて良かった。僕一人じゃ食べ切れないよ!」 大袈裟にそう言って、新羅はコーヒーを淹れる。ふわりと湯気が上がり、コーヒーの香ばしい匂いが部屋に広がった。 「俺は甘いの好きだけど、量はそんなに食えねえぞ」 静雄は釘を刺しながら、新羅の手からカップを受け取る。 食べれないなら何故ホールなんかでケーキを買ったのだろう。セルティは首がないから食事は出来ないし、新羅は別段スイーツが好きなわけではない。 ひょっとしたら自分は気を使われているのかも知れないな、と静雄は思う。クリスマスに一人で過ごすであろう自分を呼ぶ口実か。 臨也と別れたと伝えた時、新羅は何も言わなかった。ただ少しだけ悲しそうな顔をして、「そう」と頷いたのを、静雄は覚えている。寧ろセルティの方が嘆き悲しみ、何故、どうして、と頻りに繰り返していた。臨也に何かされたのか、と怒ってもくれた。 何故。 どうして。 静雄はそれに答えられない。 寂しかったからだ、と言っても、多分理解しては貰えないだろう。セルティにはいつも一緒に住んでいる新羅がいるからだ。 新羅は子供の頃からセルティを愛し、一緒にいる。きっとこの先も二人は一緒に居るのだ。死が二人を別つまで。だからきっと、寂しいなんて分からないに違いない。この二人は何年経っても、気持ちが揺るがない気がした。 セルティがケーキを切り、皿に取り分けてくれる。真っ白な生クリームに真っ赤な苺。甘い砂糖で作られたサンタクロースの飾り。一口食べて見ると、それは甘くて美味しかった。 「ケーキ食べたの久し振りだ」 向かいのソファに座り、新羅がにこにこと笑う。セルティにも食べさせてあげたいなあ、と言うのに、セルティは笑ったようだ。 仲が良いのだな、と静雄は二人を見て思う。純粋にそれが羨ましいけど、少しだけ擽ったい。恋人同士と言うのは皆こう言うものなのだろうか。 自分と臨也はどうだったのだろう。 また臨也の事を思い出してしまいそうになり、静雄は慌てて頭を振る。 自分から別れようと言ったくせに、傷付いている自分に嫌気がさした。 怒らせるように仕向けたのは自分だったけれど、あっさり別れを了承されたのも悔しかった。臨也はきっともう冷めていたのだろう。だから会わなくても平気だったのだろうし、寂しいなんて思わないのだ。想いはいつか冷えるもので、相手の心を縛るわけにはいかない。それは自分ではどうしようもない。 「静雄」 名を呼ばれ、ハッとした。結局臨也のことを考えてしまっていたらしい。顔を上げると、新羅が笑ってこちらを見ていた。 「ケーキだけじゃなんだし、何か食べるかい?」 出前でも取ろうか、と言う眼鏡の奥の目は優しくて、静雄は申し訳ないような気持ちになる。 「俺は何でもいい」 「寿司にしようか。露西亜寿司混んでるかなあ」 新羅は電話帳を片手に受話器を取った。気を使わなくて良いのにと静雄は思ったが、それは口には出来なかった。 「なんかさ、今混んでるんだって。配達大変らしいから取りに行って来るよ」 電話を終えた新羅が言うのに、静雄は立ち上がる。 「俺が行って来る」 『私がバイクで行こうか?』 「雪降ってるし歩いた方がいいだろ。ケーキ食わせて貰ったし、そんぐらいさせろ」 セルティが名乗り出るのを制し、静雄はコートを手にした。 玄関口まで見送ってくれるのに手を上げて応え、静雄はマンションを出る。外は先程よりも雪が強くなり、もう粉雪とは言えない天候だ。心なしか街を歩く人も少なくなっている気がした。 「静雄」 背後から知った声が聴こえ、振り返る。新羅が大きな傘を片手に、駆け足でやって来るところだった。 「新羅?」 「傘くらい差しなよ。風邪ひいても診察してやらないよ!」 新羅は笑って静雄に傘を差し出した。静雄は素直にそれを受け取る。 「わざわざその為に来たのかよ」 「ま、それもあるけどさ。静雄と二人で話しをしようと思って」 相合い傘をしながら、二人は歩き出す。静雄と相合い傘とか、高校生の時以来だ!と新羅は笑った。 相合い傘どころか、新羅と二人で歩くことが高校生以来かも知れない。静雄はそんな事を思いながら空を見上げる。空は雪のせいで真っ白で、唇から漏れる息も同じくらい白かった。 「どうして別れたか、聞いてもいいかい?」 新羅の問いは直球だった。 臨也のことを聞かれるのだろうとは思ってはいたが、静雄は一瞬言葉に詰まる。 新羅は答えを急かしたりせずに、ただ待ってくれた。二人の間に沈黙が落ち、どこからかクリスマスソングが聴こえて来る。 「…堪えられなかったから」 やがてポツンと、静雄は口にした。 「何に?」 「寂しさとか、そんなんだな」 口にすると、何だか少しだけ軽くなった気がした。 寂しい。 会えなくて寂しい。悲しい。辛い。 そんな、気持ちが悪い嫌な感情。 「そっか」 新羅は頷き、再び黙り込む。 雪がハラハラと舞い、二人の傘に積もってゆく。静雄はスン、と鼻水を啜った。寒さのせいで、頬や鼻先が冷たい。 「別れて寂しさは解消された?」 新羅が歩きながら問う。 「別れて悲しさはなくなった?」 静雄は新羅の言葉に思わず足を止める。 同じく足を止め、新羅は真っ直ぐに静雄を見た。眼鏡が雪のせいで少しだけ濡れている。 「…っ、」 何かを言おうと思うのに、静雄の口からは言葉が出て来ない。ただ真っ白な吐息が空へと上がるだけだ。 「だって静雄、寂しそうな顔をしてるじゃないか」 道を擦れ違う人びとが、立ち止まっている静雄と新羅を何事かと見て行く。それが静雄だと気付くと、あからさまに驚く人もいた。 「…別れたばっかだからだろ」 静雄はやっとそう口にする。まるで言い訳みたいだと自分でも思いながら。 「時間が経てば忘れられる?」 新羅は首を僅かに傾げた。 「却って思いが募る場合だってあるんじゃないの」 この言葉にチクリと静雄の胸が痛み、傘を握る手に力が入る。静雄には新羅のその言葉を否定することが出来なかった。 本当は忘れられる自信なんて無くて、寂しさは日に日に積もってゆく。後悔なんて全くしていないと言えば嘘になり、毎日ふとした瞬間に臨也を思い出してしまう。 新羅は静雄が持つ傘から出ると歩き出した。雪が新羅に降り懸かり、静雄は慌てて新羅の後を追う。 「寂しいなんて、誰でも抱く感情だよ」 ぽつり、と新羅が呟く。半歩前を歩く新羅の表情は、傘を差し出す静雄からは見えない。 「例えどんなに幸せな人でもね」 「…お前にもか」 あんな、いつもセルティと一緒にいるのに。 「そうだよ。人間は結局独りだから」 振り返った新羅の顔は、穏やかな笑みを浮かべていた。 臨也もか。 と思ったけれど、静雄はそれを口にしなかった。口にしなくても、新羅の答えは分かっていた。 やがて露西亜寿司に着くと、新羅だけが寿司を受け取りに入る。静雄はその間、外に立って街を行き交う人々を見ていた。 カップルや若者の団体が、クリスマスで浮かれて騒いでいる。チカチカと光るライトの明かり、どこからか聴こえて来る鈴の音。雪はハラハラと舞い落ちて、街を真っ白に染めてゆく。 雪に埋もれて死ねたらいいのに。 そんな風に願ったのは高校の頃だ。屋上で見上げた薄いグレーの空。真っ白な粉雪。温かい臨也の手。 恋をしていると気付いたのはその時だ。あの時に感じた切なさや愛しさを、静雄は今でもはっきりと胸に抱いている。色褪せることなく。 「お待たせ」 新羅が寿司を手に出て来た。 「忙しそうだったよ。クリスマスに寿司を食べる人は結構いるんだね!」 笑って歩き出す。静雄は傘を差し出して、新羅の横に並んだ。 二人は暫く無言で歩く。繁華街を抜け、住宅街へ入ると、通りには途端に人が居なくなった。 「…なあ、新羅」 「うん?」 サクサクと、雪を踏み締める音がする。雪は明日も積もるのだろうか。 「俺はきっと、まだ」 臨也のことが、 静雄はそれを口にした。 ふわり、と同時に白い吐息が空へと溶ける。 新羅はそれを聞くと、にっこりと微笑んだ。分かっているよ、と言って。 「じゃあ素直になったご褒美に」 スッと、新羅は前方を指差す。 「僕からのクリスマスプレゼントだ」 静雄が顔を上げると、新羅のマンションの前に臨也が立っていた。 続 (2010/12/23) ×
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