2.





駅前のライトアップされたツリーを見て、そう言えばもうすぐクリスマスなのか、と静雄は思った。
今年の冬は寒いそうで、ちょうどクリスマスには雪が降るかも知れないらしい。静雄はイベントごとは興味がなかったが、雪は少し楽しみだった。寒いし電車は止まるし散々だろうけど、雪の白さは街を浄化してくれそうで好きだ。
雪。
雪と言えば静雄には、多分一生忘れ得ないだろう思い出があった。
あれは、そう。高校生の時の記憶。
もうすぐ冬休みと言うあの日、屋上には雪が降っていた。




静雄は疲れ果て、屋上に備え付けられたベンチに寝転がっていた。今日も朝から喧嘩続きで、体よりも精神の方が疲労する。体の傷は直ぐに癒えるけれど、心の疲れはなかなか回復しない。
大学を受験するクラスメイトたちのピリピリとした雰囲気が嫌で、最近はずっと自習の時間は屋上にいた。寒くても構わない。あんな重い空気の場所にいるよりは。
クラスメイトたちが自分がいない方が良いと思っているのを、静雄は知っていたから。
外は雪が降っている。
はあっと吐いた息が白い。
ふわふわと舞い落ちる粉雪は、静雄の頬にも優しく落下し、やがて溶けて消える。
雪が降るさまを寝転んで見るのは初めてだった。寒さも忘れ、静雄は暫しぼんやりと空を見上げた。
薄いグレーの空からは次々と雪が降りて来る。それらは静雄の金髪を濡らし、制服にも少しずつ積もってゆく。
このまま雪に埋もれて死ねたらいい。
そんな馬鹿なことを思っていた時、不意に屋上の扉が開く音がした。
雪がうっすらと積もっているせいか、足音はしない。けれど静雄にはその人物が自分に近付いて来ているのを分かっていた。
「凍死するよ」
からかうような声。
静雄は瞬きをし、自分を見下ろして来る酷く綺麗な顔の男を見た。
「近寄るな」
「つれないね」
臨也は黒い傘を差して立っていた。くるん、とそれを子供がするように回し、雪空を見上げる。
「今日は降り止まないそうだよ。明日の朝には積もってるのかな」
「……」
静雄は身を起こすと制服に積もった雪を振り払う。手が冷たく、指先は赤くなっていた。
「お疲れかな?」
「手前のせいだろ」
わざとらしく聞いてくる臨也に、静雄は小さく舌を打つ。文句を言っても無駄だと思っても、苛立ちは言葉になって出て行った。
「今日は人数多かったもんねえ」
臨也はちっとも悪びれずにそう言い、ケラケラと笑い声を上げた。
「死ね」
対して静雄は不機嫌だ。当たり前だろう。目の前のこの男のせいで朝から暴力沙汰に巻き込まれたのだ。毎日毎日毎日、高校生活三年間。よくも飽きないものだと思う。お互いに。
臨也は不意に手を伸ばし、静雄の髪に触れた。静雄はそれに驚き、目を見開く。
「髪に雪がついてる」
臨也は穏やかに笑い、静雄の頭の雪を払ってやった。
静雄はそれに抵抗せずに、ただ俯いて臨也の好きにさせる。もし誰かがこの光景を見ていたら、臨也が静雄の頭を撫でているように見えただろう。そして二人の関係を知っている者ならば、腰を抜かす程に驚いたに違いない。
臨也はたまに、こんな風に静雄に触れて来る。優しく穏やかに。
初めは戸惑っていた静雄も、今では臨也の好きにさせていた。臨也が何故こんな風に触れて来るのか、理由なんて考えたくない。考えてもきっと、静雄には分からないだろう。
でも多分、自分は。
きっと。
認めたくないけれど。
ひょっとしたら。
臨也のこの手が嫌いじゃないのかも知れない、なんて。
臨也は自分を恐れない。
クラスメイトたちや他の人間と違って、静雄の傍に近付いて、こうやって触れて来る。それは静雄にとっては、とても稀有な存在だった。
「雪は好きかい」
髪に触れていた手を離し、臨也は聞いてくる。静雄はその問いに、ゆっくりと顔を上げた。
「好きだ」
「掴むと消えてなくなってしまうのに?」
臨也がくるくるとまた傘を回す。その行為に風が僅かに巻き起こり、雪がふわっと飛んだ。
「俺は掴みたいと思わねえよ」
見てるだけでいい。
静雄はそう言って空を見上げる。雪は先程よりも強くなり、空はグレーと言うより真っ白だ。
「俺は好きな物は掴みたいよ」
臨也は笑ってそう言い、赤いその目でじっと静雄を見詰めた。その赤い双眸は真っ直ぐで、静雄はなんだかそれを直視出来ない。
目をあからさまに逸らした静雄に、臨也は軽く肩を竦める。
「まだここにいるの?」
「授業が終わるまではな」
教室にはまだ戻りたくない。
「そう」
臨也は口端を吊り上げ、静雄へと黒い傘を差し出した。
「貸してあげる」
「別にいい」
「ないよりマシだよ」
そう言って強引に傘を持たされてしまった。
触れた臨也の手は自分の手よりはずっと温かく、静雄はそれに少し驚いた。確かにこの手では、掴んだ雪はあっという間に溶けてしまうだろう。
「俺ならシズちゃんを厭うたりしないのに」
不意にそう告げられた言葉に、静雄は目を見開く。
その時には臨也はもう踵を返していて、静雄に背中を向けて歩いていた。その真っ黒な制服に、白い粉雪はやけに映える。
静雄は何か声を掛けようと口を開いたけれど、出て来たのは真っ白な吐息だけだった。
やがて臨也の背中が建物の中に消え、静雄は屋上に一人取り残される。
それを寂しいと感じ、そして唐突に静雄は気付いた。
自分は恋をしているのかも知れないと。




その時の事を、静雄は未だに覚えていた。
空の色も雪の冷たさも、臨也の吐息の白さも。
駅前の喫煙所で煙草を燻らせながら、静雄はぼんやりとそれらを思い出す。
臨也は旧友と親友を除けば唯一、家族以外で自分を恐れずに接して来る人間だった。
恋を自覚し、告白され、こんな関係になってからも、臨也と静雄は何度も喧嘩をして来た。自分が本気でやり合うのは臨也だけだったし、臨也はそんな自分の攻撃を器用に躱し、決してやられたりしない。
多分別れた今でも、臨也は静雄の唯一の存在だろう。これから先も、きっとずっと。
静雄は煙草の紫煙に目を細め、駅前のクリスマスツリーを見上げた。青いLEDの光が、チカチカと点滅を繰り返す。それはサングラス越しでもとても綺麗だ。
今年のクリスマスは、久々に一人だな。
静雄は冷えた頭でそう考えながら、煙草を灰皿に揉み消す。
静雄にとってクリスマスなんて、最早どうでも良いことだった。



(2010/12/12)
×