おにごっこ。






かちかちとボールペンの頭を何度も押し、ペン先の出し入れを繰り返す。
その音は静かな図書室にいやに響いていて、静雄は先程から苛々していた。
「新羅」
「はいはい。なんだい」
新羅は尚もかちかちとペンを弄る。どうやら無意識のようだ。
「それ煩い」
「えっ」
新羅は静雄の指摘にやっと気付いた。くるっと指でペンを回して見せる。
「あ、ごめん。なんか考え中の癖かなあ」
そう言って肩を竦めた。その様子はちっとも悪びれていない。
静雄はもう何も言わず、目の前に広げられた課題に目を落とした。静雄はこの学科が苦手で、新羅に教えて貰っている最中だ。
放課後の学校の図書室。
堂々と午後から登校した静雄は、教師に課題を出されてしまった。遅刻したのは自分なので仕方がない。例え理由があろうとも。
静雄は成績は悪くはないが出席日数があまり良くないので、課題を出されることが多い。留年なんて御免だったし、これは学校側に感謝している。もっとも学校側も何年も静雄に学校にいられると困るのだろう。
遅刻するぐらいなら休めば良かった。静雄は後悔する。
起きた時から体調も良くなかったし、会いたくない相手もいた。早く学校を去りたいのに、課題のせいで帰ることもできない。
「臨也だ」
新羅の言葉に静雄は顔を上げた。静かで人が少ない図書室に、学ラン姿の男が入って来る。
臨也は直ぐにこちらに気付いたようだ。静雄を見詰め、口端を吊り上げる。静雄はそれと同時に目を反らした。
臨也は二人がいる机まで歩み寄って来る。
「二人で勉強?」
「そうだよ。臨也はどうしたの」
臨也に答えるのは新羅の役目だ。静雄は無視を決め込んで、教科書を目で追っている。頭に入らないだろうに。
「俺はシズちゃんに会いに」
揶揄するように臨也が言うのに、静雄は顔も上げない。
いつもなら直ぐに憎まれ口か手が出る癖にどうしたのだろう。新羅は不思議に思って静雄を見た。静雄は完全に臨也を無視している。
図書室にいた生徒たちはいつの間にかいなくなっていた。静雄と臨也が顔を合わせた瞬間から一人、また一人と避難して行ったらしい。図書委員まで逃げ出しているのだから相当だ。
臨也は静雄の隣の席に腰を下ろした。静雄がそれに僅かに舌打ちをするのに、口端を吊り上げて笑う。
「シズちゃん成績いいだろうに。新羅に教えてもらってるの?」
「静雄はこの教科が苦手なんだよね」
新羅は答えながら、内心臨也に苦笑する。臨也が静雄の苦手な学科を知らないなんて有り得ないからだ。静雄本人よりも良く知っているくせに。
静雄はずっと黙っている。眉間に皺を寄せて。あの短気な静雄が天敵を前に、良く我慢できているものだなと新羅は感心した。
「ケンカ中?」
普段から殺し合いをしている二人に間抜けな質問だ、と我ながら新羅は思った。
「喧嘩なんてしていないよ。寧ろラブラブ。シズちゃんラブ。俺はシズちゃんを愛してる」
臨也のわざとらしい笑い声が図書室に響く。
「黙れくずが」
静雄は顔を上げ、臨也を睨みつけた。それはきつい眼差しで。
その視線を正面から受け止め、臨也は唇を歪める。静雄の睨みを平気で受け止めるのは臨也くらいだろう。
「本当にケンカ中なんだ。どうしたの」
そしてそんな二人の間で平気なのは新羅くらいだろう。
新羅は臨也と静雄を交互に眺め、首を傾げた。
「喧嘩じゃないよ。シズちゃんが一方的に怒ってるだけ。いや、照れているのかな」
「黙れ」
臨也の言葉に静雄は素っ気ない。握り締めた拳がプルプル震えている。これは爆発寸前だ。逃げた方がいいかも知れないな、と新羅は思った。
「昨日はあんなに可愛く俺の下で泣いていたのにね」
ばきっ
臨也のこの台詞に静雄の持っていたシャーペンが折れた。
「えっ、なに。どうゆうことっ?ええっ!?」
新羅の混乱した声が図書室に響く。
見れば静雄の顔は真っ赤になっていた。怒りの為か照れているのか。恐らく両方だろう。
「どう言うことってそのままだよ」
臨也は机に頬杖をついて静雄の顔を覗き込んだ。
静雄は臨也のそんな視線から逃れるように顔を逸らす。歯軋りの音が聞こえているのは気のせいではないだろう。
静雄の脳裏に、昨日の事がありありと甦る。
冷たい指先、荒い息遣い、優しい口づけ。
眩暈がしそうだ。
「シズちゃん」
臨也は優しく甘ったるい声で静雄の名を呼ぶ。静雄の体がびくりと跳ねるのが、新羅の目からでも分かった。
「あれは合意だったよね?」
「……」
静雄が臨也へと視線を移す。何だか酷く怯えたような目だった。恐らく怯えているのだろう。何かに。
「俺の非力さじゃ君を強姦なんて無理だからさ。合意じゃなきゃセックスなんて成立しないよ」
臨也は赤い双眸を細め、そう言って笑った。悪魔みたいに。
「俺に抱かれたかったんだろう?」
「…誰が」
「認めればいい。俺に愛して欲しかったって」
ガタンっ。
静雄は突然立ち上がった。その顔は赤く、肩が微かに震えている。
「静雄、」
「帰る」
新羅が呼ぶのを無視し、静雄は鞄を手にして出て行く。課題をほうり出したまま。
臨也はそれを見て笑い声を上げた。図書室に響くくらい高い声で。
「臨也」
新羅は咎めるように臨也の名を呼び、眼鏡の奥の目を細める。
「やり過ぎなんじゃないかな、今の」
「そうかな。はっきり分からせなきゃダメだろう?」
手を組んで、臨也は口端を吊り上げる。その赤い双眸が笑っていないことに、新羅は気付いた。
「逃げてないで考えればいい」
臨也は静雄の残した課題のノートを閉じて、立ち上がる。
「もっともっと、俺のことを考えればいい。俺のことだけを」
頭の中を、それでいっぱいにして。
そして、
「何で俺がシズちゃんを抱いたかを、気付けばいい」
臨也は独り言のようにそう呟き、静雄のノートを手にして出て行く。唇を歪めて。
あれを口実に、追い掛けるんだろう。
逃げてもまた、追い掛ける。どこまでも。
「鬼は手強いよ、静雄」
新羅は誰もいなくなった図書室で一人、溜息を吐いた。

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