10. 「やあ」 新羅は扉を開けて、全身真っ黒な出で立ちをした男を中に招き入れた。にっこりと微笑んで。 「昨日熱出たんだってね」 来客用のスリッパを出してやりながら、「静雄はいないの?」と首を傾げる。 「振られちゃったよ」 臨也は淡々と答えた。眉間に皺を寄せ、大層不機嫌に。 「だからそんな酷い顔してるの」 新羅は僅かに苦笑する。リビングへと臨也を通し、取り敢えずソファーに座らせた。 「静雄に何をしたんだい」 カップにコーヒーを注ぎ、臨也に渡してやる。ふわりと白い湯気が立ち上った。 「好きだって言った」 「うん、それで?」 「嘘つくなって言われた」 「あはは」 新羅は笑い、コーヒーを一口飲む。 「笑い事じゃないよ。新羅って本当にこういうの空気読まないよね」 臨也は旧友の薄情さに、溜息を吐いて天井を仰いだ。 「端から信じてくれないならどうしようもない」 「信じるまで頑張るしかないんじゃない」 「……」 「臨也、」 新羅がキッチンから移動して、臨也の前のソファーに腰を掛ける。 「君、高校の時静雄に何て言って別れたの?」 「何って…」 「静雄ってさ、あんまり愛情知らないみたいじゃない?」 臨也の返事を待たずに、新羅は話し出す。 「まああの力のせいで小さい頃から忌み嫌われていたからだろうけど」 でもさ、 「静雄ってスーパーヒーローじゃない」 「…急に話しが飛ぶね」 「まあ聞きなよ。静雄はあの力のせいで周りから畏怖されているけど、同時に憧れられてもいる。池袋最強なんて通り名がいい例で、『池袋最強って呼ばれてみたい!』って言う憧れも感じない?」 「否定はしないけど、それが?」 「けど静雄はそれを知らない。自分は怖がられてるだけだと思ってる。知らないというか気付かないんだ。自分で自分が嫌い過ぎて」 こんな自分は嫌われて当然だから。 「要するに愛情には慎重かつ臆病ってことかな」 「そうだね」 新羅の話しを聞きながら、臨也はぼんやりと別れた時の事を思い出していた。 「君が別れの時、何を静雄に言ったのかは想像がつくよ。静雄はずっと僕に言ってたからね、臨也は俺のことは別に好きなわけじゃないってさ」 「ねえ、」 新羅の表情を見ながら、臨也は口を開く。 「なんだい」 「ひょっとして、新羅まだ怒ってるの」 「まあ少しは」 コーヒーを一口飲むと、新羅は軽く息をついた。 「あの後の静雄、落ち込んでたし」 「煙草も吸いはじめたし?」 「…これ以上はアウト」 「何アウトって」 「静雄を傷つけた臨也には教えてやらない…ってこと」 にっこり。 超がつくほどの笑顔で新羅は言った。 治療を受けて新羅のマンションを出た臨也は、ふと感じた違和感に眉を顰めた。 …跡を付けられてる。 面倒臭いなぁ。 こないだの連中だろうか。 あの時シズちゃんにこっぴどくやられたってのに懲りない連中だ。 袖に隠してあるナイフを確認し、人目がつく通りに行こうとした時――…、 自販機が空から降ってきた。 ガシャン、と。臨也をつけていたであろう、男達の前にそれは落ちた。沸き上がる悲鳴。 半ば呆然としている臨也の目の前で、カラーギャングらしき若者達が次々と倒れていく。 ものの数分で十数人を倒した金髪のバーテンは、息一つ切れることなく立っていた。 遠くで警官の姿が見え、臨也は慌てて静雄の手を取る。 「シズちゃん逃げよう」 静雄は驚いた顔を見せたが、素直に臨也に引かれるまま走り出す。 握った静雄の手は温かく、華奢だ。この手であの重い自販機を投げているだなんて、誰も信じないだろう。 やがて人通りが少ない路地裏を通り、廃墟と化したビルの入口まで来ると臨也は手を離した。イタタタと、傷口がある腹を押さえる。傷は痛いし微熱はあるし、体調はあまり良くない。 「そんな体で走るなよ」 静雄が慌てて臨也の体を支えた。 「ありがとう、シズちゃん」 臨也は静雄の腕に体を預け、僅かに苦笑する。少し額に汗が浮かんでいるのは、疲労よりも傷口のせいだろう。 「俺はボディーガードだから」 静雄はそんな臨也の顔から目を逸らす。その顔は僅かに赤い。 「でも来てくれるとは思わなかったよ」 「殆ど偶然だけどな」 静雄はそう言うが、恐らく嘘だろう。静雄は臨也を見付ける能力が優れているのだから、ついて来たに違いない。 「シズちゃん」 臨也は静雄の体をそのまま抱き締めた。細く温かい体。甘い香りがする。これはひょっとしてフェロモンなんだろうか。 「なんだよ」 突然抱きしめられて、静雄は体を硬直させる。茶色に近い瞳が、驚きで丸くなった。 「好きだよ」 臨也が告げれば、またその体がぴくりと動いた。 「シズちゃんが好きだ」 「……」 静雄は答えない。サングラスの奥の目は揺れている。 「俺は、」 「臨也」 尚も続けようとする臨也の言葉を、静雄は遮った。 「もうあれから6年近く経つんだぞ。何で今更そんな事を言う?」 「忘れたことはなかったよ」 臨也は静雄の体から離れると、じっと顔を見上げる。静雄もそれに、逸らしていた視線を向けた。 「俺は怖くてさ。シズちゃんから離れられなくなっていたのが分かってた。最初はからかい半分だったのにいつの間にか本気になってて、そんな自分が気持ち悪かった」 あの頃の自分を殺してやりたい。 「試しに他の女と付き合ってもシズちゃんと比べてしまうし、本当にこのままだと抜け出せなくなるんじゃないかって怖かった。だから俺は卒業式の日、シズちゃんからも卒業しようと思っていた」 臨也の告白を聞きながら、静雄はただ黙って顔を伏せる。手が震えてるのが自身で分かっていた。 「でもシズちゃんは、俺が好きじゃないのを分かってたって言ったね」 「ああ」 静雄ははっきりと、あの夕陽で赤かった教室を思い出す。窓から見えるビル、装飾された教室、扉に佇む臨也。 「でも俺はあの時、君が本当は好きだった」 だからシズちゃんのそれは外れだ。臨也はそう言って微かに笑う。 静雄は目を何度か瞬かせ、そんな臨也の顔を見つめ返す。臨也はなんだか吹っ切れたような顔をしていた。 「シズちゃんが信じてくれないのなら、信じてくれるまで頑張るよ。君を傷付けた分、俺を殴ってくれても構わない」 だから。 また俺とあの頃みたいに、一緒に居てくれないかな。 ×
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