短編 | ナノ


▼ 1

 ランドゥー家長男、ジェパード・ランドゥーには幼少期の頃から親が決めた婚約者がいる。
 彼女の名前はナナコ・シチェルバン。ヤリーロの雪原のような白銀の髪に、蜂蜜を溶かしこんだかのような琥珀色の瞳を持つ彼女は容姿端麗で心優しく優秀な女性であった。その様は、まさにミス・パーフェクトと呼ばれるに相応しい女性である。

 そんなミス・パーフェクトこと、ナナコがひとたび歌を歌えば某お姫様のように可愛らしい小鳥が彼女の周りに集まり、絵を描かせればプロ顔負けの腕前を披露し、彼女の選ぶ私服のセンスも良く、ジェパードの武器のメンテナンスも器用にこなすのだ。
 普通だったら、このように殆どの事をそつなく完璧にこなす彼女の事を疎ましく思ったり、嫉妬したりするのだが――ナナコの婚約者であるジェパードは全くそうではなかった。
 ジェパードはむしろ完璧な自分の婚約者を誇りに思っていた。

 ジェパード・ランドゥーは仕事以外の事についてはポンコツ人間である。だからこそ、ナナコはそんな日常生活がポンコツなジェパードを婚約者として支えるために、今までたくさん努力してきたのだ。そして、ジェパード自身もそんなナナコの努力を知っているからこそ、彼女をより一層大切にしていた。
 互いを尊重し、慈しみ、信頼し合うその様子はまさに理想形に近いと言えるだろう。そんな二人の様子に、周りの人間はお互いを補完する彼らの事を「お似合いな夫婦」と呼んでいた。
 ジェパードはそんな周りの評価に照れるように少しだけ頬を染め、ナナコは「光栄です」と花のように微笑んだ。そんな未来あるおしどり夫婦の結婚式を待ち遠しにしている人たちを尻目に、彼らは中々結婚に踏み切らなかった。

 それもそのはず、現在ベオブルグは裂界の侵食とか、なんやかんやでてんやわんやであった。
 ナナコはジェパードよりも4つ年下だ。そのため、両家の間ではせめて結婚はナナコが成人してからにしようという話になっていたのだが――ナナコの成人間際から裂界の侵食が進み、シルバーメインの戍衛官であるジェパードが大忙しになってしまったのだ。ランドゥー家としては、ちょっとポンコツなジェパードのために早くナナコを捕まえてしまいたかったが、シチュルバン家もこんな状況で結婚を急いでもしょうがないという言葉を言われてしまえば……娘を持つランドゥー家もその気持ちが分かるため強くはいえなかった。ランドゥー家はナナコを捕まえるために固唾を呑んでその時を待つこととなったのだ。
 さてそんな現状の中、異邦人である「開拓者」が現れ、色んなことが起こりつつもようやく星核が封印されたのだった。そうすることによって、裂界の侵食が緩やかになり、シルバーメインもようやく一息つけるようになったのだ。
 新しい大守護者様が活躍する最中、ジェパードは密かにある決意を固めた。

 それは――ナナコにプロポーズをする事だった。

 ジェパードにとって、ナナコは幼少期より決まっていた婚約者だった。共に人生を歩むパートナーとして青春を過し、ここまで来たのだ。小説のように燃え上がるような恋とは言えないが、結婚することに異論を持つことも無く、むしろ共に歩むことが当たり前だと思っていた。だから、ようやく一旦裂界のことなどが落ち着いた今がプロポーズのチャンスだと思ったのだ。親同士が決めた婚約関係ではあるが、せめて人生で一度きりであるプロポーズくらいは自分の手でしたい。ジェパードはそう思ったのだ。
 
 さて、そんな決意を固めているジェパードに気づいた人物が一人居る。その人物こそがジェパードの姉、セーバル・ランドゥーだった。
 ジェパードはポンコツ人間である。そんなこと、姉であるセーバルは痛いほど知っていた。そんなジェパードが張り切ってプロポーズしたら……恐らくそのポンコツ具合は遺憾なく発揮され、改めてナナコの前でお披露目されるだろう。そこで苦笑いされながら受け入れられればそれでいいのだが、もしやっぱり前生の僧侶としてこんなポンコツな人はちょっと……となった瞬間、ランドゥー家は阿鼻叫喚に包まれるだろう。セーバルにとってナナコは血こそ繋がっていない物の、実の妹のように思っていた。そんなナナコには幸せになって貰いたいし、ナナコのことが好きな弟にも幸せになって貰いたいのだ。
 だから、セーバルはここで一肌脱ぐことにしたのだ。
 

 そのお節介が――さらに厄介な現象を引き起こしてしまうとは夢にも思いもせずに。

 ***

 その日、ジェパードは午後のおやつ時にセーバルから彼女の工房へと呼ばれた。仕事の合間に抜け出してきたジェパードは、慣れたように工房へと足を踏み入れた。工房特有の匂いと共にセーバルが出迎え――という訳ではなかった。工房はがらんとしており、その場にセーバルの姿はなかった。

「……姉さん?」

 ジェパードを呼んだのはセーバルの筈なのに、呼んだ張本人は不在である。その事に首を傾げるジェパードであったが、すぐに隣接する部屋の方から話し声が聞こえてきた。ジェパードは扉の方に向かい、ドアノブを回すか否かの事を迷っていた時、ふと扉の向こうから聞こえてくる会話にピタリと手を止めた。

「ナナコちゃん、最近はどう?」
「特に変わりはありません」

 セーバルに「ナナコ」と呼ばれているのは、自分の婚約者であるナナコであった。つまり、今この扉の向こう側には最近ろくに会えていない婚約者のナナコがセーバルと共にお茶をしているという事。ジェパードはナナコの声を聞いただけで嬉しくなり、思わず頬を緩ませた。だが、直ぐにこんなだらしのない顔を見せる訳にはいかないと表情を引き締め、ドアノブを回そうとしたその時――。

「ところで、ナナコちゃんはいつジェーちゃんと結婚するの?」

 セーバルからの問いかけに、ジェパードはピタリとその手を止めた。

(もしかして……姉さんはナナコの気持ちを聞かせるために今日ここに僕を呼んだのか?)

 お節介焼きなセーバルであるならば、弟のために一肌脱ごうとするのは納得の話である。つまり、ここで聞き耳を立てていればセーバルがナナコの望むサプライズプロポーズの要望を聞き出してくれるという事。ジェパードはその事に気づき、息を潜めて二人の話に聞き耳を立てた。
 さて、そんなジェパードの考えとは裏腹に、ナナコは爆弾発言を投下した。

「私――ジェパード君とは結婚するつもりはありません」

 その言葉を聞いた瞬間、ジェパードは頭をバットで殴られたときのような衝撃を受けた。何故? どうして? その二つの疑問が頭の中でぐるぐると回り、その思考が身体の自由を奪っていく。

(……い、今……ナナコは……、僕、と……結婚するつもりはない……って、言ったのか?)

 辛うじて少しだけ残った理性が、先ほどの言葉を否定したいと叫ぶ。だがしかし、そんなジェパードに追い打ちをかけるように扉の向こうの婚約者はさらに言葉を続けた。

「私、ジェパード君の事を弟のように思ってるんです」
(お……弟……)

 ジェパードはナナコよりも四歳年上である。つまり、彼はずっと年下の婚約者から弟のように思われていたという事実が発覚したのだ。

「ジェパード君の事は好きです、でも多分私は彼のことを異性として意識したことはないのです」

 ナナコはジェパードの事が好きだと言った。だけど、それは家族愛のようなものであって、恋愛感情ではない。だから、ナナコはジェパードと結婚はしないし、恋人になることもないだろう。ナナコははっきりとそう言い切ったのだ。
 その言葉は、ナナコと結婚する気満々だったジェパードにとって残酷なものだった。

「きっとジェパード君も私と同じ気持ちだと思います」

 そんな訳ないだろ! ジェパードは大声で彼女の言葉を否定したかった。だがしかし、先ほどの言葉が衝撃過ぎて声すら上げられなかった。

「あ……えっと、もしジェパードを男として意識できるようになったら結婚はする?」

 困惑するセーバルは、恐る恐るナナコにそう投げかける。

「そうですね、ジェパード君は可愛い人ですし、正義感に溢れた人なので結婚相手には最適だと思います」

 ピクリ。ジェパードはその言葉に反応した。

(……つまり、僕がナナコに男として意識されれば――僕と結婚してくれるっていうこと……か?)

 暗雲立ちこめるジェパードの胸の中に、一筋の光が差し込む。それは、まるで天から舞い降りた希望の光のように思えた。

(……こうしてはいられない。何としても僕を男として意識させなければ――!)

 ジェパードはグッと拳を握りしめた。そして、そのまま衝動的にセーバルの工房を飛び出した。工房の扉が悲痛な音を立てたが、今は一杯一杯なジェパードにはその音は耳に入らない。
 そして、ジェパードはそのまま猪のような形相で本屋へと赴き、一冊の本をカウンターに叩きつけた。

『ドキッ! 女性が意識してしまう、異性の行動5選』

 こうして、ランドゥー家のポンコツ長男の嫁取り戦争が始まったのであった。



prev / next

[ back to top ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -