※大学生風丸と美容師土門です。






 後ろ髪が引かれた。
 いや自分は後ろ髪に惹かれたのだ。そして彼の後ろ髪を引いた。
 それが始まりだったと、土門は先を歩く風丸の背中を見つめた。
 風に揺られる馬の尾は、まるで異国の海のような透き通った碧。それは午後三時の陽光などよりもずっと強く土門の網膜に突き刺さる。けれど目を細めることすらも出来ず、呼吸さえ苦しいと錯覚するのは、今も尚それに惹かれているせいだ。
 いや、寧ろ今の方が強く惹かれている。風丸という人間を知ったから――土門は雑踏に揺られる彼に向かって走り出した。
 ビルを一つ二つと過ぎて、その先にある背中に話しかける。


「風丸」


 人混みの中、唯一その名を持った彼だけが土門を振り返り、端正な顔に微笑みを浮かべた。


「土門」

「よっ!」


 こめかみの辺りで、揃えた二本の指を振る、土門お決まりの挨拶。


「珍しいな、こんな時間に会うなんてさ。今日はもう大学終わり?」

「でなきゃ帰り道を歩いたりしてないぜ。俺はサボったりするのは嫌いだからな」


 まるで宝石が嵌っているかのように輝く瞳が、勝ち気に細まった刹那、一陣の風が風丸の髪を後ろへと流した。く、と、土門は息を飲む。荘厳な絵画の前に佇んだ、名も売れぬ画家のような――圧倒され、ただただ目を見張るしかない一時。


「ははっ。まっじめ〜」


 おどけた風な口を聞く、一瞬でも見蕩れた気恥ずかしさを払拭するためだ。


「普通さ。そういうアンタはどうなんだ?」

「ん。俺も今日はもう上がり」


 自分の体の一部、命と言っても過言ではない仕事道具が入った黒のショルダーバックを、軽く持ち上げて示す。土門の細い指先は鋏を振るい、男女の髪を整える――彼は美容師なのだ。若いながらもその腕は確かだと店での評判はいい。
 その仕事が終わり、土門も帰路についていた。
 風丸と帰る道を同じくしていた理由は酷く単純だ。帰る場所が同じ、ただそれだけ。
 なのに風丸ときたら"そうか"と呟きながら、それは意味有り気に頷いて見せる。


「それなら久しぶりにアンタの手料理が食べたいな」


 そう言って土門の長身を横目で見上げた風丸の視線は、たっぷりとした愛情をその三白眼へと注ぎ込む。今この時を語れと土門に命じたのなら、きっと彼は"顔から火が出るかと思った"と、有りがちなことを言うのだろう――真っ赤な顔を隠せぬ程に狼狽えて、土門は目の前の恋人に向かって両手を突き出し、それを左右に振った。


「そそそそれは元からそのつもりで材料も昨日のうちに購入済みです…!じゃなくて!ムダな男前を発揮すんの禁止!外では!絶対!」


 ばた足をするような両手の動きは一体何を意図しているのか、全く要領を得ていない様に風丸は、くつくつ、と笑う。


「無駄な男前ってなんだよ?」


 そう問われては土門も堪ったものではなく、動揺は波のように時が立つほどに大きくうねっていく。ぶれて尚そらせずにいる目を、風丸は追い討ちをかけて覗き込む。薄く笑むそれはとても魅力的な男の表情だ。


「なあ、土門?」

「いやっ…そのっ…あのっ…!」

「ちゃんと言わないと理解してやらないぜ?ほら、早く…」

「ひっ!か、かぜ、かぜっ…!」


 ずい、と寄せられる顔の距離は、どこまでなら怪しまれないのか。定かではないが、唇まで残り十センチ余りは、土門にとってギリギリアウトの領域だ。


「す、ストーップ!」


 もつれそうになる足で二、三歩、風丸の前へと出、それから怒った表情で振り返った。


「ともかく!男前も飯も全部家に帰ってから!」

「はは。残念」


 言いながら、風丸はちっとも残念そうではない笑顔を浮かべる。狼狽える土門の様子に風丸の嗜虐欲が満たされたのか、それとも家まで後五分という短い距離を我慢しようと思ったのか、判断がつかず苦い顔をする土門の脇を、風丸は悠然と過ぎた。土門にとっては悔しいことだ。
 噛みついてやろうかとも思って後ろ姿を睨んだが、焼けつく日差しに光の輪が出来た髪を見た瞬間にどうでもよくなってしまった。職業病という言葉より尚病的な悪癖。髪の美しさは土門にとって正義だ。
 水気の枯渇も相まってへばりついた唇を舌で湿らせながら、土門は風丸を追い掛けた。





 少し洒落たマンションの、土器色をしたコンクリート壁でさえ揺らいで見える。そんな日は陽光の遮られる室内でも――いや、寧ろ熱も湿気も籠もる部屋こそ、帰る気が失せるくらいに熱せられている。扉を開けたらすぐにでもエアコンをつけて、せめて二十八度までは室温を下げたい、昨今のエコブームに乗っ取った設定温度を思いながら、土門はマンションの自室辺りを見上げる。
 土門が借りている部屋は、五階建てマンションの三階にある。上とも下とも言えない位置だ。どっちつかずなアンタらしい、と初めて連れて来た際、土門は風丸にそう言われていた。


「どうした?」


 足を止めていた土門を、風丸が振り返った。


「ん…や、暑ちーなーって…」

「だったら早く部屋に帰ればいいだろ?」

「部屋も絶対暑いじゃん…。なあ、風丸。先に走ってってエアコンつけといてくんね?」


 是と返ってくるとは微塵も思わず、土門は尋ねた。そして予想通り、風丸の眉は僅かにつり上がった。


「口を動かすよりも足を動かした方が早く涼しくなるぞ」


 落胆にため息が漏れた。


「ごもっともで……」


 再度歩みを始めた土門は、程なく階段の前に立った。これもまた億劫だ。エレベーターがあればいいと、セキュリティーすら満足にないマンションに愚痴を零す。
 しかし先を行く風丸の足取りは、その名の通り風のように軽やかだ。現役大学生と社会人の違いなのかもしれないと、土門は軽くヘコんでみる――僅かに目蓋の下がった瞳に、階段の終わりが見えた。


「はー……よい、しょ、と…」


 最後の二段を持ち前の長い足で跨ぎ、一気に終了させた。


「ははっ。親父くさいぞ」

「うるせーよ…」


 今正に気にしていたことをずばり指摘されたことにより、土門の機嫌は地に落ちた。瞬間だけ風丸を睨みつけて、目蓋を下ろす。階段を上がって二つ目、一つの階に四つある扉の内、自分の部屋へと通じるそれの前に着いたのだ(ちなみに正面から見て右から二番目の扉だ)。
 早く気を休めたい、その思いに忠実に、土門は濃緑のジーンズの後ろポケットから手早く鍵を取り出して、扉を開けた。開放した部屋からはやはり熱気が流れて来た。


「たっだいまー…」

「おかえり、そしてただいま」

「おかえり」


 初めの頃は胸をこそばゆくさせたやりとりも、日常となった今ではそこが疼くことはない。稀に再認識することもあるが、横着にも足先で踵を押さえながら靴を脱ぐ土門に、その様な心地は訪れていない。危なげなく片足で立ち、人差し指で靴を落とす風丸も同様だ。
 しかし日差しが入らない廊下でさえこの暑さ。南のベランダへと通じる大窓があるリビングは一体どうなっているのか。土門の首筋に汗が流れる。
 磨り硝子が嵌った戸を開いた。予想以上の温度に、エアコンのリモコンの置かれた机まで小走りで駆け寄った。
 これで直に涼しくなる。しかし部屋全体が冷えるまで待ち切れなかった土門は、エアコンの風が当たる場所を見極め、その前に座り込んだ。


「ふー…気持ちー…」

「は……確かに」


 自然と土門の隣に並んだ風丸も、床に鞄を下ろしながら瞳を閉じる。どうやら帰宅中終始涼しげな態度を崩さなかった彼も、普通に暑かったらしい。
 同じなんだと、たったそれだけのことに鬼の首でもとったような気になり、土門は満足げに目蓋を伏せた。
(あれ……?)
 瞬間に土門の首を傾げさせたのは、濃い夏の香りだった。
 強い日差しに何かが焦がされたような、青々しい草木の芳香が空気に抽出されたような、そんな濃い夏の香りが、余分な湿度を排された風の中に漂う。無論窓など開けておらず、玄関口も閉じて来た――では一体どこから。
 す、と注意深く息を吸って、土門は信源を探り当てた。


「どうした?」

「あ……」


 匂いがする髪の下にある双眸と視線がぶつかった。


「や…なんか匂いがしてさ」

「匂い?…ああ、汗臭かったか?」

「あー、違う違う」


 土門は緩く頭を振る。


「なんかお前の髪、夏の匂いがすんだよ」

「…夏?」 風丸が不思議そうに首を傾げると、揺れた髪からまた土門の鼻孔に香りが届いた。シャンプーの香りもする、けれどそれは確かに強い太陽の香りだ。
 確認したいらしい風丸は、自分の髪を一房掴むと鼻の下にあてがった。


「うーん…。自分じゃよく分からないな…」

「そっか。結構はっきりしてんだけどな」


 そ、と風丸が持った碧い髪に触れれば、彼は土門へとそれを譲り渡した。土門は恭しく受け取りながら、その側に寄る。


「うん。やっぱりする」


 すん、と空気を吸うだけで、いくらでも夏の香りは土門の中に入る。
 心地良い匂いだ。猛暑日に干した布団、それに近いのかも知れない。そんな風に感じながら、土門は髪をすく。
 細やかな、けれどしっかりとした強さがあるそこは、土門の指先に引っ掛かることなく、ほろほろ、と零れていく。傷一つないキューティクルの感触、しかし土門は一抹の不安を抱えた。


「なあ〜風丸っ」


 ぽふり、と風丸の肩口に頭を落として、甘えたような鼻にかかった声を出す。


「なんだよ、急に」

「今日は俺に髪洗わせてくんねぇ?後トリートメントも」


 これだけ太陽の匂いをたっぷりと纏っているということは、長い間陽に晒されていたということだ。夏の日差しは特に髪には優しくない。風丸の綺麗な髪にも平等にだ。
 それが土門が抱えた不安。


「またか……?」

「お願いします!明日もしお前の髪がバシバシになってたらとか思うとマジで気が狂いそうなんだよ〜!」

「……お前、帰ってからも仕事するようなものだぞ。せっかく早かったのに…」

「好きだからいいの!」


 髪を綺麗にすることが好き、だから土門は美容師になった。それに風丸は仕事と同じだというが、望まれるがままに、人を選ばずに切って行く仕事と今とでは土門の意気は全く違う。風丸の髪だからこそ綺麗にしたい、想いを伝えるように、土門は風丸の髪に触れた。


「……まあアンタがしたいなら別にいいさ。ただし、俺にもアンタの身体を弄り回す許可をくれるのなら、だけどな」


 最初に言っておくけど、俺は綺麗になんてしないから、その言葉に、脳の中心からぐちゃぐちゃに乱される常の感覚を思い返し、土門の頬に赤みが挿した。じく、と下半身が疼く――望む、ところだ。
 


「か、覚悟はしてる……」


 恥ずかしさで肩に埋まりながら、土門は呟いた。


「それなら俺は夜までにレポートを仕上げておくよ。アンタも何かあるなら夕飯までに済ませておくんだぞ」

「了解…」


 まだ伏せていたかったが、言葉通りにレポートに取り掛かろうとする風丸に押され、土門は未だ真っ赤に染まる顔を上げた。瞬間、風丸が笑う。
 それを怒ろうと土門が口を開けば、


「そういえばさっきは止められたよな」


 そう言ってキスをする。全くもって適わないと、土門は柔らかい感触を受け止めながら眉を下げた。
 しかしこれはただの挨拶だ。続きは夜だと聞こえてきそうな笑顔を見せ、風丸は自室へと消えて行った。土門は茹だるような熱を上げ、その場に蹲った。


「あ〜〜っ!」


 どうしようもない気恥ずかしさを発散させるために土門が発した無意味な叫びは、漸く冷えた部屋全体に響いた。それでも胸の動悸は鳴り止まない。
 このままでは何も手につかなそうだ、土門はなんとか心を落ち着けようと今夜のレシピを復習う――とりあえずサラダは海藻サラダで決まりだ。





END



私がリスペクトする壺田様から図々しくも使わせて貰いました。
大学生風丸×美容師土門パロです。
許可を下さったお優しい壺田様、ありがとうございます!
今更ですが、なんて恐ろしいことをしたんだとガタブルってます。ひいいいいっ

と、とにかく
美容師土門ハアハア美容師土門ハアハア…(*´ρ`*)
美味しすぎですよね!
うまうまうまうまうまうまハアハアハアハアハアハアハアハアハアハア……
表現しきれないのが口惜しい!
もっと素敵な話だったのです!もっとこう、土門さん素敵!風丸さん男前!みたいな!
壺田様の語りが素敵すぎて、こんな駄作でも無駄に時間を掛かってしまいました…orz
もっと!もっと表現力を…!

設定を頂いたので捧げにさせて貰いました。
かなりしょぼい駄文ですがよろしければ……。
すみません。本当に図々しくてすみませんでした。
あわわわわわ…


11.9/30







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