*大学生設定です。






 『私たちきっと近くに居すぎたのね。人間なんてものはきっと隔たりが無くなってしまえば破滅するんだわ。なのに近づきたいと願う。
 ねえ、私たちとイカロスに、何か違うところはある?』
 字体をなぞるだけだった小説の、その一文が何故か心に突き刺さって、木野は続きを瞳で手繰り寄せた。
 午前一時を少し過ぎた頃。夏の寝苦しさを晴らすための読書だった。
 ベッドに肘をついて、寝転がりながら読む。そんなだらしなさを一人で貪る夜には、蝉の声もつきまとわない。側に寄るのは生ぬるい風くらいのもので、髪を揺らすそれに、木野は少しだけ落胆している。
 『そうだね。きっと違わないね』
 そう、きっと変わらない。 
 呼吸のように彼はそこにいた。
 いつでも出来るその気安さに、私は忘れていたらしい。それが、どんなに大切なものかということに。
 一人の人間だという隔たりを忘れた時、人は過剰に甘え、期待し、傷つける。
 だから、あんなに些細なことで喧嘩出来るんだわ。
 木野は心の中で頷いて、一粒の涙を落とした。完全な白ではない紙に、灰色の水玉が浮かぶ。
 また一つが落ちないようにと、目と鼻の下を同時に擦り、ページを捲る。
 『でも僕たちとイカロスの違いは、やり直せるところさ。だって僕たちは生きている』
 本当に、そうなのかな?例えばこの裏にまで染みてしまった涙の跡は、きっといつまでもしわくちゃなままだ。
 無意識に、木野は唇を噛み締めていた。
 『生きていたらなんでもやり直せるの?』
 そうなの?
 『そうだよ。――まあこの場合は、二人が同じ気持ちっていう条件が必要になるけれど』
 同じ、気持ちなのかな?木野の爪先が、シーツを引っ掻く。
 『確かめる勇気はいらないの?
 ああ。それも必要だね』
 足の甲でベッドを叩いたら、側で小さな音が鳴った。
 携帯のストラップ。日本とアメリカの国旗と、それに挟まれたサッカーボールのメタルチャームは、彼と揃えて買ったものだ。所々鍍金も剥がれていて、傷もあるけれど、それでも大事な宝物。


「土門くん…」


 側に居すぎて、私にとっての酸素になってしまった男の子。
 大好きで、大切で、なのに、その気持ちを見失ってしまった。透明な想い。
 木野は酸欠になったように、大きく息を吸った。それでも胸が苦しいのは、やっぱり君が居ないからなのかな。
 栞すら挟まずに閉じた本をベッドの隅に押しやった木野の瞳からは、透明な雫が溢れていた。
 次々と落ちるそれは、今度はシーツに水玉を作っていく。
 あのね…あのね……。
 木野の手が携帯に伸びる。
 開いた機械を操って、彼のアドレスを手繰り寄せる。二、三回の深呼吸。ボタンを押しかけて、止める。それを二、三回してからまた一つ深呼吸。
 ようやく耳に届いた呼び出し音は、木野の鼓動を酷く走らせた。
 一回目のコール、二回目のコール、三回、四回。
 もう寝ちゃってるかな?
 五回目のコールと、電源ボタンに掛かる指。
 ブツリと途切れる音。


「もしもし?」


 掠れ気味に響いたその声に、木野は唇を震わせた。


「土、門、くん…あのね…」

「――うん?」

「あのね…」

「うん」

「あの、ね……」


 言葉は、頭の中では洪水になるのに、出てくるのは涙ばかりで、木野の口は必死に動くのに、声帯の振動は、意味を持たない音しか紡がない。
 好きだよ。好き。側に居るのが当たり前なくらいに。 大事だよ。空気みたいに、空気以上に。


「土門…くん…っ」

「――秋」


 つられたように水気を帯び始めた土門の声に、秋は携帯を握り締めた。


「あのね…好き…」

「――ああ」

「だからね、今度はもっと、ちゃんと、大事にするから」


 携帯の向こう側でも、空気が震えた。


「貴方の胸で、泣かせて…?」

 よく着る黒いシャツにでも、フィールドを駆けるユニフォームでも、今着てるはずのパジャマだってなんだって、水玉模様を付けたいのです。好きなんです。とても。
 まだ抱きしめて欲しいよ。
 まだ好きでいて欲しいの。
 震える十本の指が携帯に絡みつくけれど、一本として電源には掛かっていないのは、無意識の祈りなのだろう。木野の頭がベッドに崩れ落ちる。


「――いいよ」


 言葉にいち早く反応した人差し指が、ぴくり、と跳ねる。


「胸ならいくらでも貸してやるし、泣いてもいい」


 スプリングに弾かれたように、木野は立ち上がった。


「だから、お願いだから最後には笑ってくれよ?」

「うん…っ」


 勢いよく扉を開けた音は、土門の耳にも届いただろう。
 そのまま走り掛けて、あ、と思い、戻って寝間着の上だけを脱ぎ、ワンピースに身体を通す。 奇しくもそれは、紙と同じでくすんだ白のワンピース。
 私の服に水玉が出来るなら、きっと肩かな?別に、染みになったっていいけど。
 廊下に出直した木野の耳に、チャイムの音が届いた――二つ。


「実は俺も眠れなくてさ…」


 そんな照れくさそうに微笑する土門の声を聞いた瞬間、木野は階段を三段飛ばしに掛け降りた。





囀人でいたい










この二人はお互いに傷を晒しあえる関係になると思います。
恋というより愛の方がしっくりくる。好き。




12.10/3








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