冷え切った風が髪を揺らす。 はためくコートの裾と、3人分の足音だけが響く新都のオフィス街。 まだ20時過ぎだというのに、そこに人気はない。
「…人避けの結界か」
舌打ちをしながらランサーは目の前のセンタービルを見上げた。 普段ならまだ賑わっている筈の此処に、明かりはない。
「此処にキャスターが手を出してるのは間違いないみたいだね」
閑散としたエントランスへ向かう。自動ドアは難なく開いた。まだこのビルは閉められていないのだ。
「…行こうか」
闇に包まれたロビーを睨む。人ひとり居ない。
「魔力が濃い。手分けして探したほうが良さそうだな」
「じゃあ、ランサーは上から探してきて。わたしは下から探す」
「おう。んじゃあ楪はディルに任せたぜ。いいな?」
「…ああ」
「待って。万が一ってこともあるから、加護だけでもしておく」
階上を目指そうとするランサーを引きとめて、ディルムッドと並ばせた。彼らに両手を翳して意識を集中させる。久々の加護はちょっと緊張する。
「ディルムッド・オディナ、及び、クー・フーリンに勝利の加護を。 ───fiat lux(光あれ)」
ほの赤い光が二人を包み込む。どうやら成功したらしい。自分のランクが上がったのを感じたのかランサーは愉しそうに手を握ったり開いたりしている。
「おー、こりゃすげえな。マジでランクが上がってら」
「加護自体は数時間持つけど、あんまり無理はしないでよ」
「わかってるって。ありがとな」
そう言ってわたしの頭をわしゃりと撫でてから、ランサーは先を行く。青い背中が暗がりに浮かび上がって消えた。霊体化したのだろう。対するディルムッドはおなじみの翡翠色の戦闘服を身にまとってわたしの隣を歩いている。しかし、その表情は何処か陰りを帯びていた。 原因はわかっている。 この首筋につけられた、王様の所有印だ。 あれから家に帰ったわたしを出迎えたディルムッドは、すぐにその強力な魔力の残滓に気付いた。一応キスマーク自体は隠しておいたのだが、それでもわかってしまったらしい。けれど彼は表情を曇らせただけで何も言及してくることはなかった。なにか言いたいことがあればはっきり言ってくれて構わないのに。…自分から言わないわたしも酷いんだろうな。だけど、あの王様は自分から気付いた。フェアにするための所有印ならば、わたしの口から語ることはなにもない。
「……っ、!」
なんてぼんやりと考えて歩いていたら、不意に悪寒が走った。 (…なんだ、この匂い…) 胸やけしそうな悪臭。思わず口元を手で押さえる。
「…楪?」
立ち止まったわたしの背後から聞こえる声。それすらも揺らぐ、揺らぐ。
「ぁ、う───」
脳裏に浮かぶのは、不吉な半月。 (だめだ) 直感が告げる。ここはだめだ。 (ここにいては、だめだ) 闇の中に浮かぶ、濃密な気配。 (わらっている) あの女が、わらっている───!
「ッ、ディルムッド!」
咄嗟に振り返り、目の前の英霊の腕を掴む。その勢いにまかせて身体を反転させ、彼を背後に追いやった。 同時に襲ってくる、無数の光。
「絶対神盾(アイギス)!」
右手を翳して防護壁を作る。跳ね返った魔力の塊が狭い廊下で炸裂した。 焼けつく壁。薄い煙。その奥に佇む、黒いローブ。
「…キャスター…」
ゆらめく闇のなかで、女は嗤った。
「あら、どうしてそうと解るのかしら?私はまだ正体を告げてなくってよ」
「こちとら伊達に聖杯戦争やってないからね。貴女みたいな姑息な手口は、魔術師のサーヴァントしか使わない」
「ふふ、随分と口の悪いお嬢さんね」
殺気を放ちながら女は宙に手を翳した。一言の呪文だけで、再び膨大な魔力を含んだ光が飛来する。
「く、っ───!」
ディルムッドに当たらないよう、腕を広げて攻撃を弾く。衝撃で足元の床が削れた。傷は負わなくても殴られたような痛みは身体中に残る。浅い呼吸をしながら攻撃を防ぎ続けるわたしを見てキャスターは尚も嗤っていた。
「何処まで耐えられるかしら?女神の名をもつお嬢さん───」
瞬間、周りの重力が変わった。
「…っが、!」
ずん、と質量の増した空気。 わたしの周りだけ、数値が操作されている。 普通なら押しつぶされている強度のそれを、わたしの絶対神盾は必死に防いでいた。 身体に異常はない。ただ、周りの空間を固められているため、身動きがとれない。 (っ、くそ…いま攻撃されたら盾が間に合わない!) 歯を食いしばってそれを撥ね退けようとしたら───ふっと身体が軽くなった。
「…え?」
突然のことにうまくバランスがとれず、かくりと膝が折れる。 そのまま倒れこみそうになったわたしを、温かい腕が受け止めた。
「……ディル、ムッド…」
私を抱きよせて微笑む彼の手には、赤い長槍がある。 『破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)』 全ての魔術防御を打ち破る、呪いの槍。
「我が主よ、どうか貴女は休んでいてください」
「っ、でも」
「御安心を。貴女のことは、俺が必ず御守り致します」
そう言って、ディルムッドはキャスターに向かって走り出した。 キャスターは三度目の光を放つ。眩いそれは真っ直ぐにディルムッドを狙う。 彼はそれを赤い槍で弾き落としながら着実にキャスターへと近づいていく。
「くっ…この!」
ついに間近まで迫った槍兵を倒そうとキャスターが何かを唱える。しかし、それを魔力放出で弾いたディルムッドは迷いなく槍を女の身体に突き刺した。
「ッ、うぐ…!」
だが、吹きでる筈の鮮血はなく。 そこにはただ、薄らいでゆく魔術師の英霊の姿があった。
「何…?!」
ディルムッドが槍を振るう。しかしそれは空を切るだけ。もう既に、あの女の実体は此処には居ないのだ。
「ふふふ、思った以上に面白かったわ。例外のマスターとサーヴァントさん」
「…は、成る程。手を出しに来たのはそっちも同じだったってこと」
「ええ、そうよ。この街で起きている出来事はすべてわたしに筒抜けなの。だから幾ら隠しても無駄」
「覗きが趣味とはまた悪質なサーヴァントだね」
「これも戦略のうちよ、お嬢さん。くれぐれもその美丈夫から目を離さないことね。油断すると、貴女のサーヴァントが奪われてしまってよ?」
「うちのディルムッドに手は出させない。絶対に」
「そう。ならいずれまた逢うわ。その時はもっと愉しませて頂戴な」
不吉な笑い声を残しながら、キャスターは消えて行った。 あれは幻。本体はきっと何処かでまだ嗤っている。
「…ディル、」
静寂をかき消すように声をあげて立ち上がる。少しふらつくが歩けないほどではない。ゆっくりと脚を踏み出したら、一瞬で駆け寄ってきたディルムッドに抱きしめられた。
「ぇ、うわ!」
「ッ、楪!」
「は、はい!」
耳元で名前を叫ばれて身を硬直させた。彼は尚も強い力で身体を絞めつける。
「貴女は一体なにを考えている!サーヴァントである俺を守るなど、そんな…貴女の身に危険が及ぶことを、どうして!」
「えっ…いや、だって…ディルムッドが怪我とかしたら困るじゃん…」
「貴女が怪我をする方がずっと困る!」
「は、はい!ごめんなさい!」
がばっと身体を離されてお互いに向き合う。ディルムッドは泣きそうな顔で怒っていた。
「…頼むから、もう二度とあんなことをしないでくれ。貴女が傷つくのは、見たくない」
「……うん。ごめんね」
涙を一粒流すディルムッドの頬に触れながら、あまりにも考えなしな行動だったと今更になって反省する。そうだね、二人で闘わなきゃいけないんだから。独りよがりな行動は駄目だよね。
「今度から、危険を感じたらすぐに言うよ」
「ああ。必ずだ」
「うん、約束する」
笑って頷いたらディルムッドも漸く微笑んでくれた。頭を撫でると優しいキスをされる。なんだか大型犬を手懐けた気分になった。
「おい、無事か!」
それから数分後にやってきたランサーは、所々傷だらけだった。
「わ、ランサーどうしたの!」
「どうしたもこうしたもねえよ。上の方で使い魔に襲われた。奥に行ったら事務員みてえのが大量に倒れてたぜ」
「本当?じゃあ、通報しなくちゃ。ええと、救急車は…」
「そっちは何があった。まさかキャスターが来てたのか?」
「いや…キャスターの映し身のようなものだった。攻撃はされたが、撃退した」
「そうか…やっぱりあの女は気に喰わねえな」
唾を吐き捨てるランサー。こらこら、公共の場でそんなことしたらいかんぞ。携帯片手に目線で諌める。
「…よし、通報はしたからオッケー。今日のところは帰ろうか」
「だな。キャスターの使い魔も映し身も消したんなら、今日はこれ以上被害でねえだろ」
「ああ」
欠伸をしながら歩き出すランサーに緊張感はない。そんな彼の背中を眺めて苦笑していたら、不意に隣のディルムッドが話しかけてきた。
「あの、楪」
「ん?」
「…ひとつ、尋ねたいことがあるのだが。その…」
歯切れの悪い言葉。ディルムッドの視線はわたしの首筋あたりをうろうろしている。言いたいことは大体わかった。
「大丈夫だよ」
「…え?」
「わたしはディルムッドの傍から離れたりしない。絶対に」
「………」
「だから、安心して。ね?」
微笑んで彼を見遣る。ディルムッドは一瞬だけ目を見開いて、それから柔らかく破顔した。
「…ああ。俺も、貴女から離れはしない」
「うん」
一度失った悲しみを、もう二度と繰り返さないために。 同じ痛みを知っているわたしたちが繋いだ手は、誰にも解かせはしない。
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