『昨夜、新都のオフィス街で発生したガス漏れ事故の被害者は30名を越えており───これに関して警察は市民に夜間の外出を控えるように警告しています───』
無機質なアナウンサーの声がニュースを読み上げる。テロップには『またガス漏れ事故か』の文字。どうやらガス漏れ事故はここ数週間で頻繁に起こっているらしい。
「…センタービルあたりかな」
10年前は建設中だった冬木センタービルは既にこの街のシンボルになっている。冬木で一番高いオフィスビル。あそこなら沢山の人が働いているから、人命のストックは大量にあるだろう。…尤も、キャスターは命までは取っていないようだけれど。
「場所の目処はついたかよ?」
「うん、大体ね」
「ならば、今夜にでも動くのだな」
「そうだね。夜になったら、新都のセンタービルに行こう」
リビングのソファーに座りながらテレビを見つめるわたしの背後からはランサー、横からはディルムッドが顔を覗かせた。世界はもうすぐ午後へと足を踏み入れる。昼食の残り香を感じながらわたしたちはキャスターに手を出すためにニュースをチェックしていたのだった。欲しい情報は案外すぐに手に入った。これで今夜の予定は決まりだ。
「しかし、死者は出してないんだね。このガス漏れ事故」
「殺せばもっと騒がしくなる。半分だけ生かして、大量の生命力を溜めこんでんだろ」
「回復すればまた再利用するというわけか」
「恐らくな」
洗ったばかりの皿を拭きながら私服のディルムッドは眉を顰めた。ちなみに服は昨日ランサーと選んだものである。ざっくりとしたブイネックのセーターに黒いインナー。そしてカーゴパンツというラフな格好。他にもジャケットとかブーツとか色々買った。正直買いすぎた。でも正直に言うと選ぶのはとても楽しかった。いまの服だってすごく似合ってるし、買って良かったとおもう。
「…楪?どうかしたのか?」
じいっと自分を見つめるマスターが不思議だったのか、ディルムッドは首を傾げながら問いかけてくる。かわいいなー。やっぱわんこだなー。
「んーいや。その服、似合ってるなあって思って」
「…そ、そうだろうか」
「うん。やっぱ買って良かった。いつもの戦闘服もいいけど、私服も素敵だね」
「…ッ、」
かあっとディルムッドの顔が赤くなる。あれ、照れちゃった。かわいいな。女子か。
「昼間っから人前でイチャイチャすんのはどうかと思うぜ、お嬢さん方」
呆れたようなランサーの声。別にいちゃいちゃしてたつもりはないんだけど。
「いいじゃん、わたしとディルムッドはちゃんとした主従関係なんだし。羨ましかったらランサーも自分のマスターといちゃいちゃしてくれば?」
「全力で断る。だれがあんなクソマスターと…」
「案外お似合いかもよ」
「ふざけんな」
青筋を立てながら反論するランサー。結構必死だ。まあ、わたしがランサーだったら厭だな。言峰といちゃいちゃするのなんて絶対無理。殺し合いになりそう。
「つーか、おまえ午後から用事あるとか言ってなかったか?時間、いいのかよ」
「あ、そうだった」
言われて思い出す。そういえばそうだ。わたしは午後からちょっと出かける予定だったのだ。ちらりと時計を見遣る。本当は待ち合わせ時間なんてないけれど、早いに越したことはない。
「ちょっと出てくるね」
「楪、では俺も…」
「あ、ごめん。これはわたし一人じゃないと駄目なの。だから留守番頼んでもいい?」
「しかし…」
「もし危険が迫ったら令呪を使う。絶対に」
「………わかった。くれぐれも道中に気をつけて下さい、我が主よ」
「…ありがとう。ランサーも暇なら留守番お願いね」
「おう。気をつけて行ってこい。勝手に死ぬんじゃねーぞ」
「頼まれたって死なないから安心してよ。じゃあ、行ってきます」
ふたりの槍兵に見送られ、我が家を出る。空は快晴。冬木の寒さにも慣れてきた。くたびれたコートを翻して坂を降りる。目指すは大橋の麓にある、海浜公園。 (…居るかなあ) これはあくまでも勘でしかないのだけれど。なんとなく、あそこに行けば逢えるような気がするのだ。 誰と? 決まっている。 わたしの、王様とだ。
「…ビンゴ」
大橋の真中あたりまで来て、わたしはその勘が正しかったことを知った。 深山から新都へ向かう橋の欄干からは、海浜公園がよく見える。 憩いの場として市民から慕われているそこには休息用のベンチや子供用の競技場などが存在する。 その、競技場と遊歩道の境目くらいで。 きらきらと輝く金ぴかは子供たちに囲まれてわいわいと騒いでいた。
「ぎるー!見てよ、俺レアカード出したんだぜ!」
「なにッ!まだ我も見たことがない奴ではないか…くっ、一体どういうことだ。何故それが我の手元にない!」
「ぎるー、ジャンプ読んでいいー?」
「ねえねえ、ぎるは恋人いるのー?」
「そのジャンプは我が読破済み故、閲覧することを赦そう。小娘、我にそのような質問をするのはもう少し成長してからにせよ」
「……………」
いや。 確かに、海浜公園に居そうだなぁとは思ったけどさ。 まさかこんな光景を見ることになるとは予想だにしませんでしたよ、流石に。 あの、傍若無人な英雄王が…子供と戯れているなんて。 白昼夢にしてもいっとう性質の悪いモノだろう、これは。
「……はあ」
10年前とはまるで違う、いまではすっかり世俗に染まった英霊の姿を見遣り溜息を吐く。 わたしの王様はもっとこう、威厳があった筈なんだけどなー。 公園へ続く階段を降りる。とぼとぼと段差を踏みしめていたら、下から声が聞こえた。
「…!楪ではないか」
「あ、」
顔を上げる。子供たちの輪の中でわたしを見遣る英雄王(庶民派)がひとり。
「雑種ども、そのジャンプはおまえたちに授けよう。我は用事が出来た。また今度戯れてやっても良いぞ」
「えーぎる行っちゃうのー?」
「次は絶対サッカーするんだからな!」
「ねえ、あのひとだれ?」
「しらなーい」
わあわあと騒ぐ子供たちを掻きわけ、こちらへ向かってくる金ぴか。 白シャツにライダースジャケットを羽織った外見だけはイケメン代表はずんずんと近づいてきて、なにも言わずにわたしの腕を握り歩き出した。
「えっ、ちょっと、なに?」
「黙れ。王に無断で城を抜け出す不貞者の意見を聞く必要等ない」
「う、わ!」
勢いよく腕を引っ張られてバランスを崩す。そのまま公園の奥にある緑地の芝生に尻もちをついた。鈍い衝撃が身体を駆け巡る。
「いったー…」
「…………」
腰打った…うおお…。鈍痛の走る場所を手で撫でていたら、何故か英雄王は無言でわたしの上に跨ってきた。待って、此処公共の場!子供も居たじゃん!
「ちょ、ぎ、ギル!重い!」
「体重をかけているのが解らぬか、馬鹿者め。この場で斬り伏せなかったことを感謝しろ」
「……ッ、」
ぎらり、と目の前にある紅蓮の瞳が鋭く輝く。 何の遠慮もない殺気。 ああ、逆らったら殺される。 咄嗟に理解した。
「……もしかしなくても、怒ってる?」
「当たり前であろう。おまえは誰のモノだ、楪」
「え…っと……」
「他ならぬこの英雄王ギルガメッシュの所有物であろうが。それが何故、下賤な狗共の匂いをつけてうろうろして居る」
「…ご、ごめんなさい」
「謝って済めば王は要らぬわ」
「っ、ぐ!」
片手でわたしの顎を掴み、ギルガメッシュは更にのしかかってきた。長い脚がわたしの胸部を圧迫する。重さに耐えきれず手の力を抜くと、必然的にわたしは彼に押し倒されるカタチとなった。
「答えろ、楪。おまえは何故、教会を出た」
「…それ、は…言峰に言った通り…」
「戯け。そのような虚言で我を騙せると思ったか?」
「ぅ、あ…!」
みしり、と。脚が乗せられた胸部が軋む。王様の双眸は見惚れてしまいそうなくらい、真っ赤に燃え盛っていた。
「あの狗だけならまだしも、他の雑種の匂いまでつけているとは一体どういうことだ?」
「……っ、…ん、むぅ…!」
顎を掴んでいた手の指が、素早く咥内に侵入してきた。 ぬるぬると蠢く細く長い指先たちが、縦横無尽に口の中の粘膜を蹂躙する。 つい数日前にも同じことをされたなあ、と他人事のように思った。
「…ぁ、あ、は…ぅ、」
ぐちゅり、とひと際つよく舌を弄られた。 裏筋を撫でられ、表面を擦られ、ぞくぞくとした感覚が背筋を走り抜ける。飲み込めない唾液が口端から零れていく。 ギルガメッシュはわたしの頬を伝う唾液をゆるりと舐めとりながら、耳元で囁く。
「ほう───雑兵が、おめおめと還ってきおったか」
「───ぅ!」
「この魔力の残滓…間違いない。10年前と同じだ。おまえにつき従っていた、あの雑種の香り」
呼吸が乱れる。 ばれた。 最悪だ。 こんな早くに。 よりにもよって、この王様に。
「一体どのような方法で呼び戻したのだ?禁術でも使ったか?」
「ん、んっ…!」
「…成る程。自らサーヴァントを召喚したとなれば、言峰も黙ってはいまい。それで教会を出たか」
納得したように笑って、ギルガメッシュはわたしの咥内から手を引き抜いた。絡みついた唾液が糸をひく。呼吸を整えようと息を吸い込む。手についた液体を舐めながら黄金の王は問いを投げる。
「して、楪。おまえはどうするつもりなのだ?」
「…っは…どうする、って…」
「己のサーヴァントを手に入れたのだから、聖杯戦争に参加するのは決定事項だろう?おまえは正面から闘うチャンスを得たのだ」
「それは…」
「全てのサーヴァントを倒し、聖杯を手に入れるか。女神よ」
嗜虐的な微笑みを浮かべ、魔性の王はわたしの唇を濡れた指先でなぞった。
「…権利を得たんだもん、聖杯戦争には参加するよ。でも、願いは以前と変わらない。わたしは勝ち残って、この闘いを終わらせる」
「おまえが叶えたかったのは、その雑兵が消滅したが故の後悔によるものだったのだろう?だが、浅ましくも敗者は復活した。ならばおまえはもう叶える望みなどない筈だが?」
「…彼が復活したからって、望みは消えない。これはもう、わたしたちだけの望みじゃないから」
その願いを託したセイギのミカタはもう、居ないけれど。 それに…ディルムッドが還ってきてくれたから後悔が消える、って訳でもない。 あの後悔は、嘆きは。ずっと消えない。胸の奥に残ってる。
「…やはりおまえは面白い。その無様で不器用な生き様は、我を興じさせるのに丁度良い」
「………」
「良いぞ、闘いに参加することを赦そうではないか、楪よ。おまえの好きにするがいい」
「…え、いいの?」
予想外にあっさり折れてくれた英雄王に拍子抜けする。瞬きを繰り返すと彼は太陽のように微笑んだ。
「ああ。なに、案ずるでない。おまえはどうせ、我の元へ帰って来るだろうよ」
「……なにその自信。そんなのわかんないじゃん」
「いいや、これはもう決定事項だ。聖杯戦争に参加するということは、いずれ我とも剣を交えるということ。そうなればあの雑兵に勝機はない。おまえを敗者に賜わせておくほど、我は甘くはないぞ」
「窮鼠猫を噛むってこともあるとおもうけど」
「あり得ぬ。我は人類最古の王にして、最強のサーヴァント。雑種如きに敗れるはずもない」
「…慢心は怪我のもとだよ、ギル」
「何を云うか。まあ、待っていろ。すぐにおまえを我の傍に置いてやる」
そんな自信満々発言をしながら王様はわたしの上から退ける。やっと圧迫感が消えた。立ち上がる長躯。そっと、手を伸ばす。
「っ、待って、ギル。あのね、わたしがサーヴァントを召喚したってことはまだ…」
「わかっておる。言峰には言わん。あやつが知ればまたつまらん策を立てておまえを潰しにかかるだろうからな。楽しみは最後まで取っておかねばなるまい?」
「…あ、ありがとう…」
「礼は身体で払って貰おうか」
意外な優しさに安堵のため息が出た。と同時に、完全に油断したわたしの胸倉をつかみ、ギルガメッシュは首筋に唇を寄せる。
「え、ぅ───っん、ぁ!」
ぴりりとした痛みが走った。 突然の刺激に驚くわたしを見下ろし、王様は不遜に言い放つ。
「簡略なものだが、所有印だ。有難く受け取っておけ」
「…は、はい?」
「言ったであろう?おまえは、我のモノだと」
「………」
慌てて噛まれた場所に手をあてる。すこし腫れているのがわかった。虫さされのような感じだ。
「あの狗共にわからせるには、これが一番だと思ってな」
言葉を失ったわたしと、得意げに舌舐めずりをする王様。 所有印って、つまり。 き、きすまーく?だよね?
「…な、なんてことを…」
「当然のことをしたまでだ」
「こんなのあったらギルがまだこの世に居るってばれちゃうじゃん!いいの?!」
「構わぬ。我も雑兵の再臨を知っているのだ、それくらい情報をやっても良かろう」
「優しいんだか身勝手なんだかわかんねえ…」
「王とはそういうモノだ」
ギルガメッシュがにまりとわらう。全く、この王様はどんなときでも王様なんだな。
「…楪」
「なに?」
「くれぐれも気をつけるのだな。我と相まみえるまで敗退することは赦さぬぞ」
「うん。わかってる」
頷いたわたしを満足そうに見遣り、英雄王は踵を返す。
「期待しているぞ、楪。失ったものを取り戻したおまえの、その望みの先を───」
青空も霞むような黄金は、そう言いながら去っていった。 芝生に座り込んだまま、わたしはしばらく空を眺める。
「…闘いは、必ず終わらせるよ。どんなことがあっても」
言い聞かせるように呟いて立ち上がる。 まだ少し冷たい風に吹かれながら、わたしは待っているひとが居る我が家へと脚を向けた。
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