風邪をひいた。
危機管理以前に体調管理ができていない、というのはわたしが魔力供給をしているサーヴァントの言葉である。


「だって……あっちと気候が違うから…」

「腐っても日本人のおまえが何言ってんだ」


濡れタオルをわたしの額に乗せながらランサーは嘆息した。ご迷惑をおかけしております。
今朝起きたら体調が頗る悪かったので家主である神父に相談したら、問答無用で部屋のベッドにくくりつけられた。暴力反対の抗議をすれば「風邪をうつされては困る」とか真顔で言ってきた。あいつほんとに聖職者か。しかし、こっちに戻ってきて数日で風邪をひくとは…なんだか歳を感じる。
ピピッという電子音。どうやら体温計が役目を終えたようだ。脇から取り出したそれをひょいと持ち上げてランサーは唸る。


「38度か…結構熱あるな」

「おなかすいた…」

「ったく…オラ、おかゆ持ってきてやったから食え。んで薬飲んで寝ろ」

「うう……」


よろよろと起き上がって出されたお椀を受け取る。湯気を上げるおかゆからはほのかに梅の香りがする。食べてみると予想以上に美味しかった。


「…ランサー、料理うまいね…」

「それ言峰が作ったやつだぞ」

「ぶっ!」

「うわっ汚ねえ!」


思わず口にしたおかゆを吐き出した。こ、言峰が作った、だと!!おいおい冗談きついぜ。


「う、うそだ」

「残念ながら本当だ。俺は見てた」

「幻覚じゃないかな」

「俺もそう思いたい」


はあ、と今度はふたりで溜息を吐く。なんだろう、ランサーとは気苦労する場所が似ている気がした。


「…そんなに美味いのか?」

「…食べてみる?サーヴァントなら、風邪うつらないし」


興味津津といった感じでおかゆを覗きこむランサー。気持ちはわかる。


「……じゃあ、一口」

「どうぞ」


スプーンでおかゆを掬って差し出すと、ランサーは間髪いれずにそれを口に含んだ。もごもご、スプーンが動く。なんか、犬に餌あげてるみたい。


「……マジで美味い」

「ね。なんか一服盛られてそう」

「おい、ひとに食わせといてそれ言うか」

「だってあの言峰だよ」

「…否定できねぇのが悲しいところだな」


スプーンが解放される。わたしは頷いておかゆの消費を進めた。言峰は実は本当に聖職者なのかもしれない。


「はー。ごちそうさまー」

「お粗末さん。ほれ、薬」


手渡された薬と水を一緒に飲む。苦味が口の中で広がった。


「あとはとにかく寝とけ。次起きたときに身体拭いてやる」

「はーい…ランサー、ありがとう」

「礼には及ばねえよ。おまえが回復しなきゃ俺にも支障が出るしな」


はやく寝ろ、と頭を撫でられる。兄がいたらこんな感じなのだろうか。


「じゃあ、おやすみ」

「おう」


ベッドにもぐりこんで目を閉じる。少し息苦しいが薬が効いてきたようで、すぐに睡魔が襲ってくる。
(はやく治さなきゃ…)
聖杯戦争はもう始まっている。立ち止まっている暇はないのだ。
無意識に左手首の髪留めに触れながら、わたしは意識を手放した。




















歩いている。
歩き続けている。
何処へ続くかもわからない荒野。
焼け落ちた世界の中心で。
わたしは、目の前を行く背中を追っている。


「   、」


声を出す。誰かを呼ぶ。誰を呼んだのかはわからない。


「       !」


なにかを叫ぶ。背中が一瞬だけ止まる。わたしも足を止める。


「  楪  」


優しい声がわたしを呼んだ。
けれど、それが誰の声かわからなくてわたしは涙をこぼした。
どうして、と呟く。
とても大切なのはわかっているのに。
どうして、名前を呼べないのだろう───。


伸ばした手は虚空に揺れる。
小さくなってゆく背中は、はち切れそうなくらいに悲しかった。





















「………」


目を開く。紅い瞳と視線がかちあった。


「起きたか。汗かいただろ、身体拭いてやる」


少しだるい身体を動かして起き上がる。ベッド脇に立つランサーは、寝る前より幾分かくたびれてみえた。


「…ランサー?」


不思議に思って彼を呼ぶ。手にした濡れタオルを弄びながらこちらを見る猛犬。


「どうしたよ」

「…それはこっちの台詞だよ。ランサーこそ、どうしたの」

「なにがだよ」

「……さっき見たときより、魔力減ってる」

「───!」


わたしの言葉に動きを止める英霊。もしかしてわたしの所為か。


「…いや、楪の所為じゃねえよ」

「じゃあ、なんで」

「ちょいと闘ってきただけだ。気にすんな」


ぶっきらぼうに言い放ってタオルをわたしの顔面に押し付けてくるランサー。こころなしか不機嫌そうだ。


「…闘ってきたって」

「偵察に行ったらアタリを引いたみてぇでな。何処の英雄かわかんねえアーチャーと、見えねえ剣を持ったセイバーに会ったぜ」

「……見えない、剣?」


聞き覚えのあるキーワードに顔を上げる。
(…そんな馬鹿な)
サーヴァントは、消滅すれば座に還る。同じモノが召喚される確率はほぼ皆無だと、そう聞いている。
それこそ、何処ぞの英雄王のように受肉して現世に留まらぬ限りは───。


「…どうした?」

「……なんでもない」

「…心配すんな、死ぬほど魔力を使った訳じゃねえ。ほら、身体拭いてやるから背中見せろ」


頷いて衣服を持ち上げたところで、部屋のドアが開いた。
扉の奥から闇にまぎれて漆黒の神父が現れる。


「漸く起きたか。おまえは昔からよく眠るな」


まるでランサーなど居ないかのように言峰はこちらに近づき、溜息を吐いた。


「…大半は貴方に眠らされてるんですけど」

「そうだったか。悪いが、いちいちおまえにしたことを覚えている程私は酔狂ではないのでな」

「…………」


あっいますごいむかっときた。でも身体がだるくて怒る気にもならない。ランサーは無言でわたしの背中を拭いている。なにこの微妙な空気。


「弦切楪、おまえに朗報があるぞ」


歪んだ笑顔を浮かべ、歪んだ神父は告げる。



「衛宮士郎が、聖杯戦争に参加することになった」



その言葉はまるで、悪魔の宣告のようで。


「───は…?」

「先ほど、弟子が彼を連れてきたのだ。衛宮士郎はセイバーを召喚し、マスターとして此度の聖杯戦争に参加することを決めた」

「…せい、ばー……?」


あたまが、まっしろになった。
士郎が聖杯戦争に参加する?セイバーを召喚した?
一体、なにがどうなっている。


「彼とは初対面だったのだが…まさかあれほどまで、内面が衛宮切嗣に似ているとは思わなかった。正直驚いている」

「…言峰、貴方は……」

「10年前の大火災の生き残りが、こんな形で関わって来ようとは。まったく…人生とは酷く皮肉に満ちていると思わないか?」


悪意に満ちた笑顔でわたしを見遣る男は、本当に人間なのか。
それを確認する前に、身体は動き出していた。


「あっ、おい!馬鹿!何処行───」


ランサーがなにか叫んでいたけれど右から左にスルー。ドア前に佇む巨漢を押しのけて部屋を出る。身体がだるい。首筋に残った汗が冷えてゆく。それも無視して走る、走る。


「は、っ…はぁっ……は…!」


パジャマだとか風邪ひいてる最中だとかもうなんか色々すっ飛ばして、わたしはとにかく疾走する。
教会を出て、もつれる脚を必死に動かしながら坂をくだる。教会のなかで、この背中を見送った言峰が不吉に微笑んでいるような気がした。


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