ゆらゆら、黒い闇のなかを漂っている。
緩やかな波に揺られながら見える景色もまた闇。
手を伸ばそうとしても、闇が絡み付いてうまく動かない。
(……あれ?)
いや、違う。手が動かないんじゃない。
手がないんだ。
まるで泥人形のように。
わたしの手はぼろぼろと崩れている真っ最中だった。


「────っ!」


よく見れば、脚も同じだった。
土くれのように容易く崩れてゆく身体。
それでもまだ、わたしは息がある。


「あ……あ、」


怖くなって顔を上げる。
涙が零れる。
いやだ。
こんなのは。
いやだ。


「───何故泣く。我の傍らに身を置いた愚さを、今更悔いるか」


声が聞こえる。
わたしはゆるりとかぶりを振った。
ちがう、ちがうよ。
そんなものは後悔に値しない。
ただひとつ、どうしようもなく悲しいのは。


「この僕亡き後に、誰がきみを理解するのだ?誰がきみと共に歩むのだ?
朋友よ……これより始まるきみの孤独を偲べば、僕は泣かずには居られない───」


最早かたちを為さない手を伸ばし、僕は───わたしは泣いていた。
涙で滲む視界に映る黄金の神の子は、これより絶対的な孤高を味わうことになろう。
それが寂しくて悲しくて、この身に迫る死よりも恐ろしくて。

どうか、かの者に光あれと。
願う心さえも、泥のようにかき消された。












「………夢」


ばちん、とブレーカーが落ちるように夢から醒めた。
部屋は薄暗く、蝋燭の明かりだけが輪郭を照らしている。小さな窓から見える空には月。いまは夜なのだと理解する。


「……いやな夢だった」


忘れられない寂寞と虚無感。身体が土くれになるなんて。不快感に胸を染めながらベッドから起き上がろうと身を動かす。どうやら風呂から上がってすぐに爆睡してしまったらしい。他人の家だというのに遠慮もなにもあったものではないなと苦笑しながら起き上がり、布団を剥ぐと、そこには。


「────はい?」


目を疑うような黄金の英霊が存在していました。
………………。
…………………。
……………なんでだよ。


「ん……」


布団を剥がされて寒いのか、お隣の英雄王が身じろぐ。正直寝顔は垂涎ものだった。くっ、このイケメンめ…!


「じゃなくて!」


なに考えてんだわたしは。馬鹿か。
そんなことよりなんで此処に居るんだこいつ。霊体化して休息とれよ。あの神父…言峰はなにも言わないのか。あいつ、この王様のマスター…なんだよね…?たぶん。


「……っん、…ぁ…?」


睫毛長いなとか髪きれいだなとか鼻高いなとか肌つやつやだなとか穴があくほど見つめていたわたしの視線に気付いたのか、英雄王はうっすらと目を開ける。煌めく紅は涙ぐんでいるように見えた。


「……おはよう」

「…なんだ、おまえか」


なんだじゃねーよなんであんた此処に居んだよ。ぼさぼさの髪を撫で付けながら睨むと彼は笑った。


「どうした。我の前だからと寝癖を気にしておるのか」

「別に貴方の前だから寝癖なおしてるわけじゃないんですけど。ていうか、なんで此処に居るんですか」

「何故もなにも、我が此処に居てはならぬ理由がなかろう」

「………なんかもう突っ込むのも疲れたわ…」


はあ、とため息を吐いてベッドから降りようとしたらいきなり腕を引っ張られてバランスを崩す。


「な、っ……」


再びシーツに沈む身体。せっかく撫で付けた髪がまた無造作ヘアーになる。


「なにすん…っ!」


だ、と言い掛けた口を閉じる。
わたしの眼前には得意気に笑う英雄王の美貌があった。


「……な、なな、なに。なに?!」

「喧しい。おまえは我の家畜同然だ。勝手な行動は赦さぬぞ、楪」

「───!!」


耳元で名前を呼ばれて身体中の血液が沸騰する。なんでいま名前を呼ぶんだよいままで女神とか小娘だったくせによ…!


「我の眠りを妨げた罰だ。楪、我が寵愛を受けよ」

「………は?」

「解らぬか?王である我が、おまえを愛でてやろうというのだ。感謝するが良い」


さらりととんでもないことを言いやがりながら英雄王はわたしの服に手をかけた。え、ちょっと。まじで言ってんのこの金ぴか。


「ちょっ、ちょっと待っ!」

「聞く耳持たぬ。そもそも、おまえに命令する権利等ない」

「やだ!やだってば!はーなーせー!このセクハラ英雄王!」

「むっ、なんだその呼び名は。我を愚弄するか、女神風情が」

「だってわたし貴方の名前知らないもん!」


英雄王の両手首を必死に押さえつけながらそう叫ぶと、彼は一瞬目を見開いた。


「……我に拾われておきながら、我が名を知らぬと申すか」

「教えてくれないくせになんだその言い種は」

「良かろう。おまえは特別だ。このギルガメッシュの名を呼ぶことを赦す」

「…ギルガメッシュ?」


なんともまあごつい名前だこと。英雄王ギルガメッシュ。あ、なんか聞き覚えあるかも。メソポタミアとかそのへんの王様じゃなかったか。


「…ギルガメッシュってなんか長くて言いにくいからギルで良い?」

「好きにしろ」

「じゃあ、ギルで」

「おまえが好きに呼ぶならば、我もその身を好きにするまでのこと」

「それとこれとは別だー!!」


のしかかってくるギルを押し返しながら絶叫する。まじで勘弁してくれ。初体験が強姦まがいとか洒落にならん。こんなイケメンに抱かれるなら良いかもってちょっと思ったけどやっぱ無理!


「ええい、少しは静かにせぬか!さっきから鼓膜が痛くて適わん!」

「自分の所為だろーが!」

「我が直接抱いてやると言っているのに何だその無礼な態度は!」

「抱いてくれなんて頼んでないわ!この変態王!」

「このッ、脚を蹴るな!」


唯一自由な足を振り上げてギルガメッシュの長い脚を蹴りまくる。苦痛の声をあげながらも彼はわたしの服に手を伸ばす。
その時、ガチャリと部屋の扉が開く音がした。


「ギルガメッシュ、起きているのか」


見やった先に居るのは、言峰綺礼だった。


「…………」

「…………」


押し倒されるわたしと、それを襲わんとする英雄王を見つめる言峰綺礼。部屋のなかに妙な沈黙が訪れる。
数十秒に渡るそれを破ったのは、言峰だった。


「………ギルガメッシュ。時臣師が呼んでいる」

「我はいま忙しい。後にしろ」

「何でも、急を要するとか」

「知らぬ。我にはそれより先にやることがある」

「……そうか」


さして反論もせずに言峰は部屋から出ていく。


「いや、助けろよ!!」


が、それはわたしの渾身の突っ込みによって阻止された。言峰は厭そうな顔をしながら必死に反抗するわたしを見る。


「…助けるとは、一体何のことだ」

「見てわかんないのかよ!道徳心とかないのか貴方は!」

「おまえはギルガメッシュの所有物だ。故にギルガメッシュがなにをしようと、私に止める権利はない」

「な……!」

「ほう…弁えているではないか、綺礼。ならば去ね。生憎この愉しみを他人に分けてやる程、我は落ちぶれてはおらぬのでな」

「もとよりそのつもりだ。では、失礼する」


表情ひとつ変えずに言峰はわたしたちに背を向ける。
(な……なんなの……)
なんなのこいつらは。
性格異常者しか居ないのか此処は。
ふざけんな。わたしは玩具じゃない!


「っ、ざけんな!!」

「っ……?!」


ばしん!というラップ音が響いた。
咄嗟に英雄王が飛び退く。
わたしに触れていた彼の手からは煙が上がっていた。
(………あれ)
わたし、いまなにを。


「……貴様…飼い主に向かって牙を剥くとは、良い度胸をしている…!」


自分でなにをしたのか理解するまえに目の前の王様がキレた。
…やべぇ、これは殺される。


「ちょっとストップ!わたし、いまなにをしたのかさっぱり──」

「黙れ。おまえには少し痛みを以て教えて込まねばならぬ。真なる王は誰なのかを!」


激昂したギルガメッシュが手を振り上げる。いつかのように空間が歪み、そこから武器が飛び出した。


「待った此処室内!つーかそっちが悪いんじゃん!強姦まがいのことしといて逆ギレしないでよ!」

「我の厚意を素直に受け取らぬおまえが悪い。楪よ、身を以て知るが良い!」

「ギルの横暴ー!!」


いよいよ武器が放たれようとした瞬間。
わたしとギルガメッシュの間に割って入ったのは、言峰だった。


「……綺礼。貴様、何のつもりだ」


熾烈な怒りを携えた英雄王の視線を受け流しながら、黒い男は言う。


「あれはおまえの所有物だ。故におまえがなにをどうしようが勝手だが、このような痴話喧嘩で部屋を壊されるのは困る。やるなら外でやるが良い」

「…………」


言峰の正論にギルガメッシュは苦い表情をして武器を取り下げた。


「興が醒めた。綺礼、時臣のところへ行くぞ」

「………」


振り返りもせずに部屋を出ていくギルガメッシュ。立ち尽くすわたしを見て、言峰は無表情で告げる。


「小娘。おまえは自覚が足りん。もう少し頭を使え」


ばたん。
扉が閉まって、部屋にはわたしひとり。
………助かった。色々と。


「……うん。でもやっぱりあいつは嫌いだ」


助けて貰っておいてアレだが、わたしはあの言峰綺礼という男が苦手だ。というか嫌いだ。


「…はぁ。前途多難だなぁ」


ベッドに腰掛けてうなだれる。さっきみたいな喧嘩が何回も繰り返されたら流石に体力が持たない。しかしそうなったらわたしの貞操が危ない。なんかもはや疲れた。


「……そういえばわたし、なんで英雄王の所有物になってんだ…?」


この身を捧げた覚えはないのだけれど。あの王様のことだから、案外勝手に決めたことだったりして。だとしたら、運が良いのか悪いのか。


「ま、嫌われるよりマシか」


嘆息しながら苦笑して、わたしはきれいな半月を見上げる。夜の空は何処か、さっき見た夢に似ていた。
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