ふらふら、朝焼けの街をあるく。 人気のない新都はまるで死んだように動かない。夢の中みたいな浮遊感。いまなら空も飛べるはず。
「…おなかすいたなぁ」
ぽつり、呟いた声は自分でもびっくりするほど小さかった。 セイバーと別れて、廃工場地帯から出て一時間程。 寝不足と空腹による虚脱感でわたしは未だに新都から抜け出せずに居た。はやく家に着かないとこのままでは行き倒れになる。しかしこんな早い時間にバスは走っていないから必然的に大橋を徒歩で渡って深山に行かねばならない。つまり体力的に死亡フラグが立っているのだった。
「………」
もはや地面に脚がついているのかすらわからない。出来ることなら、このまま座り込んで泣き叫んでしまいたい。しかしそんなことをしても誰も助けてくれないし何も戻ってこないことをなけなしの理性は解っていた。それはおばあちゃんが死んだときに学んだ。失ったものは返ってこない。待っているくらいなら先に進まないと、過去に呑み込まれてしまう。
「………ディルムッド」
立ち止まって亡き者の名前を呼んだって、応える声はあるはずがない。おろかもの。 止まった脚。薄く伸びる影。両手を広げたら、赤黒いものがたくさんこびりついていた。よく見たら服も同じ。 ああ、ディルムッドの血か。 なんて、他人事のように把握する。彼は消えてしまったのに血は遺るんだね。へんなの。
「おかしいなぁ」
零れる声はどこまでも乾いていて現実味がない。なにがおかしいって、わたしが生きていることがおかしい。守るべきものを失ったくせに、なんでまだのうのうと生きてるんだろう。 (なんで、だっけ) なにか、わたしは重大なことを忘れている。
「……っ、う…!」
ずきり、頭が痛む。 震える手を額に押しあてた。鼓動が煩い。耳鳴りがする。
「────」
「──、────」
薄く目を開く。 わたしの前に数人の人間がいた。 だれだろう。しらないひとだ。なにか言っているみたいだけど、わたしには聞こえない。
「───!────」
「…────……」
なに、だれ、なんなの。 外の音が聞こえない。 内の音だけが、響く。
| ───この戦いの、勝敗を。 | ───この戦いの、勝敗を。 |
「──っ、!」
いつか聞こえた声が、ざわざわと頭のなかで反響しあう。 うるさい。 うるさい。
| ───役目を果たせ、戦神よ─── | ───役目を果たせ、戦神よ─── |
血液が沸き立つ。 世界が消える。 わたしの目の前に広がるのは、無数の残骸。
「─────ひ、」
喉が引きつって声が出ない。 この世の地獄。 散りゆく者たちの末路。 戦いに導いたのは───。 (やめ、ろ) 理性が崩壊する。知性が溶解する。人生が、倒壊する───。 (やめろ…!) こわれる。そう直感して、助けを求めるように手を伸ばした。
「救いを求めるか、女神よ」
内の声を、外の声が弾き出した。 まばゆいひかりにわたしは頷く。 途端、伸ばした手が勢いよく引っ張られて───。
「良かろう。ならばその生命、我が拾ってやろうではないか」
気付けば、目を疑うような黄金に包まれていた。 ぷつん、と世界が切り替わる。いつの間にか地獄は消えて…替わりに、光輝く金糸の髪が見えた。
「………あ、れ…」
瞬きを三回。 泳ぐ視線が、紅玉の瞳とかち合う。
「地獄の味はどうだった、女神」
そう嘯く眼前の男こそ、最強のサーヴァント。
「……サイアクだったよ、英雄王」
王の中の王が、わたしの腕を握って笑っていた。
「そうか。それはまた極上ではないか。地獄こそ最も悪しき場所。貴様は正真正銘の地獄を見れたということだ」
「…極上にサイアクだったからもう二度と見たくない」
「ならば自身の神性に引き込まれぬことだな。体内の聖遺物に呑まれているようでは話にならん」
「………」
意味がよくわからないが、とりあえずさっきのは幻覚だったのだろう。なんで見たかはわからない。この金ぴか王様はわかっているらしいが。
「……で、なんで英雄王がこんなところに居るんですかね。しかも実体化までして」
わたしの前に仁王立ちする英雄王はいつもとは違うラフな格好をしていた。身体を実体化させて私服を纏い、髪まで下ろしている。一言で云えば、まあ…かなりのイケメンだった。
「時臣めの采配のお陰で時間が余って仕方がないのでな。夜な夜な街に出でて現代の享楽に興じているのだ」
「つまり夜遊びしてたんだね…」
まあこんだけイケメンなら誰でも寄ってくるだろうから暇潰しには事欠かないだろう。女を侍らせる英雄王を想像してなんだかげんなりした。
「…で、貴様はなにをしている。まさか路上に女神が落ちていようとは、流石の我でも予想だにしなかったが」
「落ちてたつもりはないんですけど…」
いちいち失礼だなこのひとはもう。ため息を吐くわたしを紅蓮の視線が見据える。
「……その血痕から流れる魔力の残骸…あの雑兵が消えたか」
「………!」
「図星か」
こちらの表情からすべてを悟った英雄王はふっと微笑み紡ぐ。
「そうか、あれだけ貴様に付き従っていたくせに…呆気のない退場だな」
「な…!ディルムッドを悪く言わないで!」
「口を謹め。王に逆らうことは赦さぬぞ」
「……っ、痛…!」
ぎり、と掴んだままの腕を捻りあげられてわたしは痛みに呻いた。英雄王の眼には先ほどとは打って変わって寒気がするような殺気が宿っている。
「貴様は我が拾った。故にその身はすべて我のモノだ。解るか?貴様に、逆らう資格等ない」
「…っ、……」
反論をしようにも腕が痛くて出来ない。このままだと折られる。そう思ったわたしは咄嗟に頷いた。
「それで良い。謙虚な女神は嫌いではないぞ」
「…そりゃどうも」
「よし、貴様を我が住みかに連れて帰ってやろう。来い、女神」
「え、うわ…!」
またわたしのパーカーのフードを掴んで歩きだす英雄王。ずんずん進んで行くので首が締まる。窒息死しないように小走りにその背中を追い掛けて路地裏に入る。一体何処へ行くのかと思った瞬間、浮かび上がる身体。
「振り落とされるなよ」
そう告げるや否や、英雄王はわたしを抱きかかえたまま空中を駆け抜けた。
「………ぃ…!」
ディルムッドとはまた違う感覚。本当に振り落とされそうだったので文字通り必死に英雄王にしがみついた。
「付いたぞ」
そうして連れて来られたのは、この町唯一の教会だった。
「此処は……」
丘の上の教会。 キリスト教信者ではないわたしにとっては縁のない場所だ。何故英雄王はこんなところに来たのだろう。というか、教会まで巻き込んでたのか聖杯戦争。恐ろしい。
「なにを呆けている。行くぞ」
ぐいぐいとわたしの腕を引っ張って英雄王は教会に入って行く。重い木の扉を開けて礼拝堂へ。朝の光を受けて輝くそこは酷く空虚に見えた。
「居るのだろう、綺礼」
英雄王は誰も居ない礼拝堂へ向けて声をかける。すると、祭壇の後ろからひとつの黒い影が現れた。
「…朝から何の用だ」
不機嫌そうな巨漢は英雄王を睨み付けてからわたしを見た。胸元に十字架を下げているということは、聖職者なのだろうか。
「………アーチャー、その娘は…」
「そう警戒するでない、綺礼よ。これは我が拾ったモノだ。なに、路上に捨て置くには少々惜しい力を持っているのでな。我が宝物庫に加えるのも悪くないと思い持ち帰った」
「しかし彼女はランサーの」
「案ずるな。あの雑兵は今朝がた散った。この娘についている血痕が証拠だ。おまえなら残った魔力から事態を感じ取れるであろう、綺礼」
「………」
男は険しい表情のままわたしを数秒見つめて、静かに口を開く。
「それで。何故この娘を此処へ連れて来た」
「こやつは、暫く此処に留まらせる。保護ではなく飼育だがな」
「な…!」
なんだかトンデモナイ単語が飛び出したぞいま。これは割とピンチなのでは!
「飼育ってなんですか!わたしは動物じゃないんですけど!」
「ん?何だ、調教の方が良かったか?」
「そういうことじゃない…!」
誰かこのおめでたい思考回路をぶん殴ってくださいお願いします。英雄王相手にぎゃあぎゃあと喚くわたしを呼ぶ声がする。振り向くと英雄王と話してた男性がこちらを見ていた。
「弦切楪。ランサーが消えたのは承知した。だが、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトはどうした。確かおまえは彼の傘下にあったはずだが」
「………死にました」
「…なに?」
「正しくは、殺されました。セイバーのマスターに」
「────!」
男の瞳が見開かれる。何に対して反応したのかは解りかねた。
「御託はいい。綺礼、この小娘を風呂に入れろ。このままでは血生臭くて適わん」
「…アーチャー、うちは託児所ではないぞ。マスターでもない小娘を預かる道理等ない」
「王の決定に逆らうというのか?」
冷ややかな視線に神父らしき男は眉を寄せる。って、なに?風呂?
「小娘、その小汚い身を清めて来い」
「いきなり?!」
フードを掴まれて押し出される。よろめいて前のめるわたしを受け止めたのは、深い黒だった。
「……え」
恐る恐る顔を上げる。 目の前の男は不機嫌オーラマックスな感じでわたしを見た。こわい!
「………」
「こやつは言峰綺礼と云う。風呂の案内や着替えの用意はこやつに任せる故、存分に頼るといい」
「………」
英雄王の声は右から左にスルー。 わたしはただ、見上げた男の瞳の空虚に見入って居た。 (───なんて) 底無しの奈落。この眼はきっと、なにも映さない。 (なんて、おぞましい) ただひたすらにそう思った。
「……来い。風呂に案内する」
「あ、」
歩きだした長身。慌ててその背中を追う。礼拝堂を抜けて、曲がりくねった廊下を歩く。たどり着いたのは簡素な部屋。
「此処が風呂場だ。着替えはこちらに置いておく。汚れた衣類はこのカゴへ入れておけ」
「……どうも」
「…………」
あとは自分で出来ます、と礼をして追い出そうとしたら、言峰とかいう男はわたしを黙って見下ろしてきた。こわい。絶対怒ってるでしょ、これ。
「………弦切楪」
「…はい」
「よもや、ギルガメッシュともあろう者がおまえのようなじゃじゃ馬女神を拾ってくるとはな」
「…なっ…!」
「精々、王の機嫌を損ねぬように努力しろ」
無表情のままそんなことを言い残して、言峰は去った。 な………。 なんなんだ、あいつ…!!
「うわもうめっちゃあいつ嫌いだ…!」
所謂、第一印象から決めてましたってやつだ。半切れしながらわたしは風呂に入った。こびりついた血の跡を石鹸で洗い流す。赤く濁ったそれはくるくると回りながら泡と一緒になって排水溝へと消えていった。
「………」
そっと、洗いたての手のひらを嗅いでみる。 ほのかに香る鉄のにおい。 (………まだ、大丈夫) 一瞬にしてすべてを失ったけれど、その名残はまだ在るから。 わたしはまだ歩いていける。 左手首につけたままの髪留めを見て思い出す。 そう、生きなければ。 だってわたしは。 ディルムッドの祈りを、叶えなくちゃいけないんだから。
「……待っていて、ディルムッド」
わたしが貴方にしてあげられることはこれくらいしかない。だから、頑張るよ。
「きっと、叶えてみせる」
きれいになった手のひらをそっと握り締めて、わたしは静かに呟いた。
|