途端、銃声が鳴り響いた。
顔を上げると、ケイネスさんが車椅子から転がり落ちて血を流す姿が見えた。ソラウさんはもはや穴だらけで生者の姿ではなくなっている。


「っ、が……殺せ……っ、殺して…」

「悪いが、それは出来ない契約だ」


苦悶の声をあげるケイネスさんを見もせずに、『魔術師殺し』は煙草をふかした。瞬間、わたしの傍を疾風が駆け抜ける。賢明な騎士王の慈悲によって悲痛な叫びはすぐに掻き消えた。介錯によって跳ねとばされたケイネスさんの首が転がる。
(ああ、そうか)
やけに醒めた思考で理解した。
たった今、わたしはひとりぼっちになったのだ。


「衛宮、切嗣───!」


空虚な廃屋に響くセイバーの声は怒りに震えていた。


「いま漸く、貴様を外道と理解した。道は違えど目指す場所は同じだと…そう信じてきた私が愚かだった…!」


騎士王の言葉に、男は応えない。それを意にも介さず彼女は続ける。


「私はこれまで、アイリスフィールの言葉であれば信に足ると、そう思って貴様の性根を疑うことはしなかった。だが今はもう…貴様のような男が聖杯を以て救世を成すなどと言われても、到底信じるわけにはいかない!……答えろ切嗣!貴様は妻すらも虚言で踊らせてきたのか?万能の願望機を求める真の理由は何だ!」


セイバーは敵意に満ちた眼差しで自分のマスターを睨み付けた。


「たとえ我が剣が聖杯を勝ち取ったとしても、それを貴様の手にも託す羽目になるのだとしたら、私は……」


セイバーの願いは、故国の再建だ。騎士王の悲願。全てのことわりを無視した一方的な望みを知ってか知らずか、男は言葉を発しようともしない。


「答えて、切嗣。いくらなんでも今回は貴方にも説明の義務があるわ」


そんな両者を見兼ねたようにアイリスフィールさんが声を挟んだ。すると男は先程とは打って変わって、少し寂しそうに応える。


「そういえば、僕の殺し方を直にきみに見せるのは、これが初めてだったね。アイリ」


わたしは初めて、この男が人間らしい言葉を発した姿を見た。セイバーと比べて、アイリスフィールさんに対する態度は違いすぎる。


「ねえ、切嗣。私ではなくセイバーに話して。彼女には貴方の言葉が必要よ」

「いいや、そこのサーヴァントには話すことなど何もない。栄光だの名誉だの、そんなものを嬉々として持て囃す殺人者には、何を語り聞かせても無駄だ」


男には、自分を理解して貰う気も、セイバーを理解する気もなかった。此処にも、理解を怠った一方的な契約が存在している。


「我が眼前で騎士道を穢すか、外道!」


誇りを穢された騎士王が激昂した。しかしそれに怯むこともなく、男は語りだす。


「騎士なんぞに世界は救えない。過去の歴史がそうだったように、今これからも同じことだ。こいつらはな、戦いの手段に正邪があると説き、さも戦場に尊いものがあるかのように演出してみせる。歴代の英雄どもがそういう幻想を売り込んで来た所為で、一体どれだけの若者達が武勇だの名誉だのに誘惑されて血を流して死んでいったと思う?」

「幻想ではない!たとえ命のやり取りだろうと、それが人の営みである以上、決して犯してはならない法と理念がある。なくてはならない!さもなくば戦火の度に、この世には地獄が具現する羽目になる!」


死神のような男は、まるで戦場を見てきたかのような物言いをする。王として戦場を駆けた英雄の反論を、男はいとも簡単に切り捨てる。


「ほら、これだ。聞いての通りさ、アイリ。この英霊様はよりにもよって、戦場が地獄よりマシなものだと思ってる。…冗談じゃない。いつの時代も、あれは正真正銘の地獄だ。戦場に希望なんてない。あるのは掛け値なしの絶望だけ。敗者の痛みの上にしか成り立たない、勝利という名の罪科だけだ。その場に立ち会った全ての人間は、闘争という行為の悪性を、弁解の余地なく認めなきゃならない。それを悔やみ、最悪の禁忌としない限り、地獄は地上に何度でも蘇る」


戦場を地獄と評し、それを憎むように言葉を重ねる男。わたしはその姿に違和感を抱く。
何よりも地獄を恨みながら、この男がやっているのは絶望を抱くことばかりだ。
矛盾している。


「なのに人類はどれだけ死体の山を積み上げようとも、その真実に気付かない。いつの時代も、勇猛果敢な英雄様が華やかな武勇譚で人々の目を眩ませてきたからだ。血を流すことの邪悪さを認めようとしない馬鹿どもが余計な意地を張る所為で、人間の本質は石器時代から一歩も前に進んじゃいない!」


何故その愚かしさに気付かないのか、と。
戦いの醜さを憎み、英雄に怒りを抱く彼の眼差しは地獄を見ている。
しかしセイバーに屈辱を与えるのは、その私情があるからではない。最も相応しい手段で戦いに挑んでいるからだと、男は言った。


「…攫ったソラウさんを生かしていたのは、ケイネスさんを殺すためだったんですね。エミヤキリツグ」

「…驚いたな。まだ正気を保っていたのか。お気に入りの玩具を奪われて、てっきりもう壊れたかと思っていたよ」

「生憎、そこまで純情に出来ていません」

「…そうか」


わたしの物言いに、ふっと薄く笑って男は頷く。


「そうだ。ケイネスが再びサーヴァントと契約する危険性があったからな。出る杭は早めに打っておくべきだろう」


それが、彼の殺し方。
最も効率的な手段で、戦いを制する。
エミヤキリツグという『魔術師殺し』の遣り方。


「今の世界、今の人間の在りようでは、どう巡ったところで戦いは避けられない。最後には必要悪としての殺し合いが要求される。だったら最大の効率と最小の浪費で、最短のうちに処理をつけるのが最善の方法だ。それを卑劣と蔑むなら、悪辣と詰るなら、ああ大いに結構だとも。正義で世界は救えない。そんなものに僕は全く興味ない」


きっぱりと、そう言い切った男はしかし、矛盾に満ちていた。
本当に正義を憎み、悪に染まるのならば───今のような言葉は出ないはずだ。
もしかしたら…この人は、誰よりも正義を求めているのではないか。
だがそれに殉じることができぬが故に悪を容認することで救われているのではないか。


「衛宮切嗣。かつて貴方が何に裏切られ、何に絶望したのかは知らない。だがその怒りは…嘆きは、まぎれもなく正義を求めた者だけが抱くものだ。…切嗣、若き日の本当の貴方は───『正義の味方』になりたかった筈だ。世界を救う英雄を誰よりも信じて、求め欲していた筈だ。…違うか?」


その矛盾を感じ取ったのか、騎士王はあくまで冷静な口調で男に語り掛けた。それを聞くや否や、男は深い怒りを携えた視線をセイバーへと向ける。


「切嗣、わかっているのか?悪を憎んで悪を為すなら、後に残るのも悪だけだ。そこから芽吹いた怒りと憎しみが、また新たな戦いを呼ぶだろう」


男は騎士王の忠言を無視して歩きだす。そうして誰に言うでもなく呟いた。


「終わらぬ連鎖を、終わらせる。それを果たし得るのが聖杯だ」


黒い痩身がわたしの前に立つ。その瞳は酷く虚ろだった。


「世界の改変、ひとの魂の変革を、奇跡を以て成し遂げる。僕がこの冬木で流す血を、人類最後の流血にしてみせる。…そのために、たとえ『この世の全ての悪』を担うことになろうとも構わないさ。それで世界が救えるなら、僕は喜んで引き受ける」


そう、静かに決意を紡ぎながら、エミヤキリツグはわたしに向けて銃口を突き付けた。
冷たい鐵の感触が脳天に伝う。


「……ッ、やめろ切嗣!」


セイバーの制止を黙殺して、彼はこちらを見つめる。わたしは目をそらさない。


「…それで、きみはどうするんだい。『勝利の女神』様」

「……残念ながら、家に帰って布団で震えて結末を待つ気は毛頭ありません」

「そうか。じゃあ仕方ないな。──きみは、争いを助長するモノだ」


引き金に指がかかる。このまま少し人差し指を動かせば、わたしの生命は真っ赤に吹き飛ぶだろう。でも、それはない。


「…貴方にわたしは撃てません」

「……なに?」

「そんな銃弾でわたしを殺せると思ったんですか?見縊らないでください。貴方の銃弾じゃ、わたしに傷もつけられない」

「………」


詰まるところ、この男は優し過ぎるのだ。
みんなを救いたくて、救えなくて、自分の無力さを知ってしまった。
理想に心を殺された、正義の味方。
そんな男が、聖杯を求めている。


「………きみはきっと、後悔するぞ」

「わかっています。でも、わたしは逃げない」

「……勝手にするといい」


それだけ言い残して、エミヤキリツグはこの場から去った。遺された静寂をゆっくりと陽が照らす。


「切嗣は、もう行ったわね…?」


アイリスフィールさんのか細い声。見れば、彼女は酷く具合が悪そうだ。セイバーが名前を呼ぶと、がくりと身体が傾いだ。


「アイリスフィール!気を確かに!」


セイバーの呼び掛けにもアイリスフィールさんは応えない。苦しそうな表情で目を閉じているだけだ。わたしはゆっくりと立ち上がる。


「…セイバー」


アイリスフィールさんを抱えたセイバーを呼ぶ。彼女はわたしを見てから気まずそうに目を伏せた。


「…女神、申し訳ない。私は貴女に二度も救われたというのに…このような…」

「ううん、いいんだ。セイバーは悪くないよ。それに、わたしなら大丈夫だから。はやくアイリスフィールさんをアジトに連れていってあげて」

「…しかし、それでは貴女が…」

「わたしは、一旦自宅に戻る。今度のことはそのあと考える」

「…そうですか。では、お言葉に甘えて」

「うん。じゃあ、セイバー。元気で」


彼女とは、きっともう会うことはないだろう。わたしと彼女の道は、あまりにも違うから。
朝焼けの中を歩きだす。一度だけ、数日間の思い出が詰まった廃工場を振り返る。


「…さようなら」


ちいさく震える声で別れを告げて、わたしはひとりきりで足を踏み出した。

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