吹きすさぶ風が肺を満たす。入り口に立ったわたし達と向き合う敵。
それは──つい先程、忘れ難い輝きを放った騎士王。セイバーであった。


「よくぞこの場所を見破ったな、セイバー」

「私の…味方が調べ上げて報せて来た。此処が貴方の所在だと」


少し言葉を濁したセイバーの物言いが、妙にひっかかった。彼女は清廉潔白な人物だ。故に言葉を濁すなんてことは滅多にない。
(…何かを、隠してる?)
確信はない。しかし違和感が拭えない。


「……我が主の許嫁がいま何処に居るか…セイバー、よもやおまえに心当たりはあるまいな?」


それはディルムッドも同じだったのか、単刀直入に疑いを晴らそうと問いを投げる。しかしセイバーはきょとんとした表情を見せた。


「知らないが……それが何か?」

「いいや、忘れてくれ」


ほっとしたように胸を撫で下ろすディルムッド。どうやらセイバーは本当に何も知らないようだ。先程言葉を濁したのは何か別の理由があったのだろう。


「ところで…良いのか、セイバー。よもや世間話に興じに来たわけでもなかろうが…キャスター相手にあれだけの大技を放ったおまえには、それ相応の消耗があるのでは?」

「それは他のどのサーヴァントも同じこと。もう今夜は、誰もがこれ以上の荒事を控えて守りに入っている筈だ。…だからこそ、こと今夜に限っては余計な横槍が入る心配もない」


爽やかな闘気と共にセイバーは銀色の甲冑を纏ってディルムッドに向き直る。


「既に夜明けも程近いが…残り少ないこの夜を逃せば、我ら二人が心置きなく雌雄を決する好機が、次にいつまた訪れるか知れたものではない。今を逃す手はないと私は思う。…どうだ?ランサーよ」


その鮮やかなる騎士王の言葉にディルムッドは微笑む。


「セイバーよ。おまえの曇りなき闘志は、この胸の内に涼風を呼び込んでくれる」


決意も顕に、ディルムッドは武器をセイバーに向けて構えた。セイバーも頷いて、不可視の武器を解き放つ。黄金の剣と赤い槍。まるで1日目に戻ったかのような錯覚に陥る。


「……ディルムッド、武運を」

「──ああ」


不敵な笑みを浮かべて、英雄達が睨み合う。
瞬間、空気が破ぜた。
どこまでも澄んだ空気のなか、人間には捉えられない速さで火花が散る。それはただ苛烈なだけでなく、観る者全てを魅力するような美しさがあった。


「……っ、」


数分もないうちに何度打ち合ったのかわからない剣劇を中断し、ディルムッドが間合いを取る。


「セイバー、おまえは…」


その表情は苦い。視線の先を追うと、辿り着いたのはセイバーの左手。
(あ───)
彼女は、左手の親指を握り込み、剣には残り四本の指を添えているだけだった。
(そうか、セイバーは)
ディルムッドにやられた傷を再現しているのだ。それに気付いて彼は身を引いたのだろう。


「勘違いは困るぞ、ランサー」


対するセイバーは涼しげな顔で首を横に振った。


「いま此処で左手を使えば、きっと慚愧が私の剣を鈍らせる。貴方の槍の冴えを前にして、それは致命的な不覚となるだろう」

「セイバー…」

「故に、ディルムッドよ。全力で貴方を倒すための、これが私にとって最善の策だ」


その言葉に、嘘はない。
セイバーは真っ直ぐな眼差しをディルムッドに向けて剣を構える。
(騎士道。彼女の、彼の、信じる道)
わたしは未だにその価値がわからない。しかし、これはディルムッドにとって何よりも嬉しいことなのだと理解できる。


「…騎士王の剣に誉れあれ。俺は、おまえと戦えて良かった」


長槍を構えなおし、ディルムッドは騎士王と対峙する。二人の表情は晴れ晴れとしている。


「フィオナ騎士団が一番槍、ディルムッド・オディナ───推して参る!」

「応とも。ブリテン王、アルトリア・ペンドラゴンが受けて立つ。───いざ!」


再び激突するふたつの光。明星よりも眩しく、何よりも気高く、時代を越えてぶつかりあう英雄達。
両者共に互角。必殺の刃を押し込みながら弾き返す技量は正に神業。
───死闘。
そう呼ぶに相応しい闘いを、わたしはいま目の当たりにしていた。
(どうか、どうかディルムッドに勝利を…!)
両手を握り締めて祈る。わたしが信じた英雄に勝利を。望む未来をこの手に、と。
宝具が触れ合い、風を生む。鋭い涼風は朝靄すらも斬り伏せる。


「────っ、」


不意に、殺気を感じた。
勢いよく振り向けど、そこには何もない。
(……気のせい、か?)
でも何かが引っ掛かる。いまの殺気は、何処かで感じたことのある冷たさを持っていた。
いま目の前で闘う英雄達とは違う、機械的で冷たい殺気。
(これは、確か───)
ふわり。
気持ちの悪い風が、首筋を撫でた。


「……っ、う…!」


身の毛がよだつ。
ディルムッド達の剣劇から流れてきたものではない。こんな、造られたような風はあそこから吹かない。
(……いや、だ)
凄く厭な予感がする。
それはもはや、第六感のような。
虫の報せと同じレベルの。
でも、決して無視は出来ない確信に近いものがある───!


「──ッ、ディルムッド!」


呼ばなければ、と思った。
いま彼の名を呼ばなければ、わたしはきっと。
名を呼ばれ間合いを取ったディルムッドはこちらを見て静かに微笑む。大丈夫、心配は要らないと言わんばかりに。
その刹那。
ざくり、と。
何かが肉を断つ音が、響いた。




「────え?」


当惑の声は、わたしだけのものではない。
セイバーも、アイリスフィールさんも。
そして当事者であるディルムッドでさえも。
いま何が起こったのか、理解出来なかった。


「……っ、ご、ぼっ…」


槍が。
赤い槍がディルムッドの胸に刺さっている。
左寄りの胸部。
そこは。
心臓がある場所───。


「……な、ん…で」


血を吐き出しながらディルムッドがよろめく。
まさか、自殺を図ったのか。否、そんなはずはない。だって彼はいまの今までセイバーと戦っていた。
ならば、どうして。


「あ……」


セイバーと、という言葉で気付いた。
セイバーのマスターはいま、何処に居る?
アイリスフィールさんは正規のマスターじゃない。それはわかってる。だってわたしは、あの時──ケイネスさんがやられた時に、出会っているのだ。
『魔術師殺し』と呼ばれる、彼女の本来のマスターに。


「……そんな、」


振り向いた先。
わたしたちの背後に、そいつは居た。
必ず死ぬことになる。
そう忠告した『魔術師殺し』と、ケイネスさんがこちらを見ている。
佇む男の腕にはすっかり青ざめてしまったソラウさんが抱えられていた。


「貴様らは……そんなにも……」


どさり、とディルムッドは自ら作り上げた血の海のなかに膝を付きながら叫んだ。


「そんなにも勝ちたいか…!そうまでして聖杯が欲しいか!この俺が、たったひとつ抱いた祈りさえ踏み躙って……!貴様らは、何ひとつ恥じることもないのか?!」


激情を露にして、ディルムッドはいつか聞いた声のように怨嗟をぶちまける。血の涙を流しながら、ただただ悲痛に。


「赦さん……断じて貴様らを赦さん!名利に憑かれ、騎士の誇りを貶めた亡者ども…!その夢を血で穢すが良い!」


血泡を吐きながらディルムッドは怒鳴り続ける。その声は朝焼けすらも紅く染めてゆく。
(───ああ、)
夢と現実が、重なる。
彼の過去といまが交差する。
もう二度と、繰り返さないと。
そう誓ったのに。


「聖杯に呪いあれ!その願望に災いあれ!いつか地獄の釜に落ちながら、このディルムッドの怒りを思い出せ!!」


慟哭にも似た叫びに、誰もが言葉を失う。
(こんな───)
こんな結末は、望んでいない。
わるいゆめだ。
そう思いたかった。
でも、無理だった。


「…ディルムッド……」


血溜まりのなかで世界を睨み付ける英雄に近づく。
地面に跪いて、そっと手を伸ばして、彼の頬に触れる。
その温度は紛れもなく本物だった。
これは夢なんかじゃない───避けようのない、現実なんだと。
実感してしまったら、もう。


「ディルムッド、」


怒りに瞳を燃やした英霊を、そっと抱きしめる。
身体にたくさん血がついた。でもそんなのは関係ない。生ぬるいそれを無視しながら、必死に彼の名を呼ぶ。
荒い呼吸を繰り返す肩が揺れる。数秒の沈黙の後、力なくわたしの名を呼ぶ声。


「……楪…」


身を引いて、彼の顔を見る。
そこには先程のような形相はなく、ただ悲しみに染まった男の涙が在った。


「…楪、俺は……」


擦れた声に生気はない。
それでもディルムッドはその手を持ち上げて、わたしの頬を撫でてくれた。
温い血潮が肌を伝う。


「すまない……貴女を、守ると…誓ったのに……勝利を手に、すると…」


悔恨と悲哀に染まった言葉。頬に触れるディルムッドの手を握り、わたしはかぶりを振る。


「いいの、ディルムッド。わたしは、わたしはね……」


勝利とか、本当はそんなのどうでも良くて。
願いはたったひとつだけなんだよ。


「ただ、貴方に笑っていて欲しかっただけ。貴方の笑顔が見たかったから、貴方を信じた。共に戦おうと決めた。なのに、それすら出来ないで、貴方に守ってもらってばかりで───謝るのは、わたしの方だよ…!」


ぼろぼろと、涙がとめどなく零れる。透明な滴はディルムッドの指先を濡らしてゆく。視界が万華鏡みたいに滲む。
ごめんね、ごめんね。
弱いわたしでごめんね。
貴方を守れなくてごめんね。
懺悔のように繰り返す言葉。
わたしは、無力だ。


「……楪…俺、は──」


ずるり、とディルムッドが力なくわたしに寄りかかる。その身体は段々と、透明になってきていた。咄嗟に彼を支えて向き合う。痛みに耐えながら、ディルムッドは言葉を紡ぐ。


「俺は───いつだって、貴女に救われていた。貴女が居なければ、きっと…早々に道を見失っていただろう…」

「……ディル…」

「貴女の言葉が、笑顔が、優しさが。その全てが…俺の救いだった」

「……っ、」

「だから、どうか───泣かないでくれ。俺も…貴女の笑顔が見たくて、勝利を追っていたんだから…」


ディルムッドの身体はもう半分以上消えてかけいる。それでも彼は、わたしに向けて、笑ってくれた。


「楪、どうか───この呪われた戦いを、終わらせて……幸せに、なってくれ…」

「……うん…」

「……出来ること、なら…俺は、貴女に…共に笑って過ごせる未来を、あげたかった……」

「──っ、…!」


ぎゅう、と胸が締め付けられてまた涙が溢れたけれど、ディルムッドが笑ってくれたから、わたしも笑った。ぐちゃぐちゃの泣き顔のまま、酷い笑顔を浮かべる。


「大丈夫だよ、ディルムッド。その未来は、きっと叶う」


握った手の感触が薄れてゆく。彼の右手首には、わたしがあげた髪留めが輝いている。


「言ったでしょ?わたしは、ディルムッドを信じてる。この髪留めに誓った」

「……ああ。俺も、楪を信じている」

「うん。だから、大丈夫。貴方が願っていてくれたなら、その未来はきっとやってくるよ」


貴方も、わたしも、幸せに笑える未来がきっと。
そう言って、わたしはもう一度ディルムッドを抱き締めた。
もう感覚なんて存在しなくて、空気に触れているような気がしたけれど、ディルムッドはそこに居る。


「……我が勝利の女神───楪に、幸多からんことを」


最期に聞こえた言葉は、優しい祈り。
腕のなかに在った温もりは消え失せて、残響のような残り香だけが現実を彩る。
朝日が差し始めた空のした、わたしは両手の血潮に涙を一滴、零した。

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