「この、無能めが!!口先だけの役立たずめがッ!!」


アジトに戻ったわたしたちを待っていたのは、ケイネスさんの怒鳴り声だった。びりびりと鼓膜が痺れる。


「ただの一時、女ひとりの身を守ることもままならぬとは…度し難いにも程がある!!騎士道が聞いて呆れるわ!!」


工場全体が震撼しそうな音量でまくし立てるケイネスさんのこめかみには青筋が浮かんでいる。
アジトに戻り、ソラウさんが何者かに誘拐された旨を伝えてからのケイネスさんは明らかに冷静さを失っていた。許嫁が攫われたことへの不安感は、それを阻止できなかったサーヴァントへの怒りとなって放たれる。アジトに着く前に、主の怒りは自分が受けるから、とディルムッドはわたしに口出ししないようにお願いしてきた。だからわたしは二人の姿を壁際に立って見つめているだけだ。


「一時の代替とはいえ、ソラウは紛れもなく貴様のマスターだったのだろうが!それを守りおおせることすら叶わんで、一体何のためのサーヴァントだ?!よくもおめおめと帰って来られたな!」

「……面目次第もありませぬ」


目前に跪くディルムッドを睨みつけるケイネスさんは車椅子の車輪を握りしめて怒鳴り散らす。


「さては貴様…キャスターと戦ううちにまたしても稚気に駆られおったか?マスターへの配慮すら疎かにして、愚かな英雄気取りにうつつを抜かしておったのか!」


ディルムッドは黙って首を横に振る。しかしそれを否定してもケイネスさんの怒りはおさまらない。むしろ悪化するばかりだ。


「……恐れながら、主よ。正規の契約関係になかった私とソラウ様では、互いの気配を察することもままならず…」

「なればこそ細心の注意を払って然るべきだろうが!!」


ばんっ、と車椅子を叩きケイネスさんは叫ぶ。あまりにも大きな声と音だったので、びくっと身体が反応した。こわい。確かに怒るのは仕方ないが…この状態じゃあ、ソラウさんを助ける作戦を立てることも出来ないんじゃないだろうか。いまのケイネスさんにそんな理性があるとは到底思えない。


「嗚呼、ソラウ……やはり令呪を渡すべきではなかった……。魔術戦など、彼女には荷が勝ちすぎたんだ…」

「お諌めしきれなかったこのディルムッドの責でもあります。だがソラウ様の決断は、ケイネス殿の再起を祈願してのものでした。そうであっては是非もなく……」


いや、違う。
ソラウさんはそんなことのために令呪を貰ったんじゃない。
それはディルムッドを従わせるための詭弁だ。
(わかってしまう)
夢で感じた情熱。魅入られた者が抱く呪われた愛情。
このひとが欲しい、と喚く欲望。
あれが彼女のなかに渦巻いているのなら。
そんな殊勝な願いは生まれない。


「よくもぬけぬけと言えたものだな。惚けるなよ、ランサー。どうせ貴様がソラウを焚きつけたのであろうが」

「な…!断じてそのようなことは…!」

「ハッ、白々しい。貴様の間男ぶりは伝説にまで名を馳せる有様よ。主君の許嫁とあっては、色目を使わずにはいられない性なのか?」

「───ッ!!」


挑発するようなケイネスさんの物言いに、血液が沸騰した。
(なんだ、それ)
ディルムッドは被害者だ。魅入られているのはソラウさんだ。焚き付けているのは呪いで、悪いのはディルムッドじゃない。


「………ッ、我が主よ。どうか今のお言葉だけは撤回を」

「ふん、癪に障ったか?怒りに耐えぬか?何となれば私に牙を剥くつもりか?」


揺れるディルムッドの声に機嫌を良くしたのか、ケイネスさんは更に言葉を浴びせる。


「ようやく馬脚を露にしたようだな。無償の忠義を誓うだなどと綺麗事を抜かしておきながら、ひとたび劣情に駆られれば翻心する獣めが。貴様がしたり顔で語る騎士道なぞで、このケイネスの目を欺けるとでも思っていたか!」


違う。
違う。
頭にどんどん血がのぼってくる。視界がちかちかと白む。怒りがじわじわと滲み出す。
(違う、ディルムッドは)
前世を繰り返したく等ない、と。
今度こそ叶わなかった道を、と。
あの月の下で言っていた。
(ただ、信じて欲しくて)
自分の主君に忠義を尽くす。そう決めたからこそ、此処に居るのに。


「ケイネス殿……何故…何故解ってくださらない?!」


相容れない魔術師と騎士。
不信感を拭えぬ者と、信じられることでしか道を往けぬ者。
致命的な相違が生むのは。


「私はただ、ただひとえに誇りを全うしたいだけのこと!貴方と共に誉れある戦いに臨みたかっただけのこと!主よ、何故騎士のこころを解してくださらぬ!」

「利いた風な口を叩くな、サーヴァント!」


誇りを否定された悲痛な叫びを、同じく誇りに塗れた歪んだ声が切り捨てる。


「身の程を知れよ傀儡め!そうとも、所詮貴様はサーヴァント。魔術の技で現身を得たというだけの影ではないか!貴様の語る誇りなど、亡者の世迷い言でしかない。あまつさえ主に対して説法するなど、おこがましいにも程がある!」


人間と英霊は、あまりにも違う。
趣味嗜好にはじまり、考え方や価値観、生き方や理想までもが桁違いだ。
(でも、だからこそ)
違うからこそ、理解できることがある。
理解しあえぬまま進めば、待っているのは破滅だけ。
ただの道具ならそれは必要はない。だが、彼らは意志がある。魔術で現界しているからといって、黙って人間の言う事に従うわけじゃない。
彼らだって、いまを生きているのだ。


「悔しいと思うなら、そのご大層な誇りとやらで我が令呪に抗ってみせるが良い。……ふん、叶うまい。それが貴様の正体よ。その意地も矜持も、令呪を前にすれば屑同然。それがサーヴァントという傀儡のカラクリだろうが」


ぷつん、と頭の中で音がした。
もう限界だ。これ以上は黙って居られない。
力なく主の名を呼ぶディルムッドの横を通り過ぎて、ケイネスさんの前で止まる。


「──ご大層な誇りを言い訳にしてんのは、」


わたしを見上げるケイネスさんが何か言っているようだが耳に入らない。
右手を振り上げて足を一歩後ろへ。


「あんたもだろうが!」


そのまま反動をつけて、わたしはケイネスさんを思い切りぶん殴った。
もちろん、グーで。


「───な、」


ぼこっという鈍い音。振り抜いた右拳。目を見開くケイネスさん。
人生初の右ストレートは割ときれいに決まった。


「………な、なにを…」

「見てわかりませんか?今しがた、頭でっかちな馬鹿野郎をぶん殴ったんです」


驚愕に声を震わせるケイネスさんに腫れた右手を突き付ける。今日ぶち切れるのは二回目だなぁとか頭のなかで考えながら。


「口出しするなって言われたから黙ってたけど、もう限界。いい加減にしろよ馬鹿野郎共」

「…ッ、魔術の基礎も知らぬ素人が…口を出───」

「出すよ、巻き込まれたんだもん。関係してるもん。つーか、それ言われたの今日で二回目ですよ。何なんですかね、ほんと。魔術師って馬鹿ばっか」

「き、きさま…」

「きさまもなにもないでしょう。ウェイバーといい貴方といい、なんでそんなに馬鹿なんですか?見てて苛々します。サーヴァントが傀儡?影?なにを言ってるんだか。どう見たって生きてるでしょうが」

「そ、それは魔術の恩恵で──」

「なにが原因とかそういうのどうでもいいんですよ。いまこの目に映ってるものが真実でしょう?それもわからないとか貴方の目はクレーター級の節穴ですか、ケイネスさん」


ガッ、と胸ぐらを掴みあげながら、あくまで冷静に言葉を紡ぐ。


「ソラウさんが攫われたのは、ディルムッドだけの所為ですか?違うでしょう。情欲に駆られて令呪を貴方から奪ったソラウさんも、それを止められずに嫉妬に狂っていた貴方も悪い」

「な……そ、ソラウは情欲に駆られてなどいない!それはそこのサーヴァントが焚き付けたのだ!」

「焚き付けたのは呪いでディルムッドの意志じゃない。伝説を知っているなら、彼のチャームの呪いだって解っていたはずでしょう」

「だがソラウは由緒あるソフィアリ家の女性だ!こんな下等な呪い等に惑わされるはずはない!」

「それを、敢えてソラウさんは受け入れたんじゃないですか?」

「……なに…?」


ケイネスさんの瞳が揺れる。


「ソラウさんは、チャームにかかる前からディルムッドに恋をしていたのかもしれない。その恋心の隙に呪いが付け込んだなら、きっと拒む理由はない」

「……そん、な…はずは…」

「呪いを受けた女性が彼に対して抱く感情は普通じゃない。それに気付いていながら、見てみぬフリをしたのは貴方でしょう」

「わ、私は…!」

「素人のわたしにもわかったことを、よもや魔術師である貴方が気付かないとでも?」

「───っ…!」


チェックメイトだ。
わたしの言葉にケイネスさんは声をなくす。


「っ、楪!どうかそれ以上は…!」


未だケイネスさんの胸ぐらを掴むわたしの肩を引きながら、ディルムッドが割って入ってくる。自分の主を庇うように。必然的にわたしの手はケイネスさんから離れる。
こんな状況になっても、まだ。
まだわからないのか、この馬鹿は。


「……どいて、ディルムッド」

「それは出来ない」

「……」

「楪、俺は貴女に頼んだはずだ。口出しはしないで頂きたいと。なのに何故──」

「……じゃあひとつ聞くけど」


怒鳴りはしない。
もはやこの怒りは、そんなことをしてもおさまらない。


「ディルムッド、本気で信じてたの?ソラウさんがケイネスさんの再起を祈ってマスターになったって。彼女が自分のチャームに呪われてることに気付きながら、見え透いた嘘を信じたの?」

「……っ、それは…」

「過去を繰り返したくないって。そう言ったのは貴方だよ」

「……ソラウ様のお言葉を信じるしかなかったのだ。騎士の誇りを貫くためには、忠義を尽くすと決めた主を救うことが──」

「この大馬鹿者」


ばしん、と音が響く。
今度は左手でディルムッドの頬を平手打ちした。


「騎士の誇り?忠義?そんなの言い訳だ。貴方もケイネスさんと同じく、気付いていながら見てみぬフリをしていただけでしょうが」

「楪……」


赤くなった頬を押さえてわたしを見つめるディルムッドの眼差しは驚きと恐怖に満ちている。


「わたしには、魔術の心得とか騎士道とやらはよくわからない。でも、見ていてわかることはある」

「………」

「貴方たちはただ自分の理想を押し付けあってるだけの馬鹿野郎共。誇りを言い訳にして自分の考えを譲らない、頑固者の意地の張り合い。そんなもの、永続きするわけないでしょうが。二人一緒に自滅するのが関の山だ」

「なんだと…」

「サーヴァントも、マスターも。別々の生き物なんだから。理解もせずに仕えたり、利用したり出来ると思うなよって言ってんの。それで方針に従わないとか信じて欲しいとか…虫の良い話なんだよ」


黙り込むふたつの影。腫れた拳を握って呟く。


「わたしは、そんなことで二人に消えて欲しくない。馬鹿みたいな理由で死んで欲しくない」

「……楪、貴女は…」

「頭が冷えたら、ソラウさんを助ける方法を考えてください。わたしはちょっと外に出てますから」


それだけ言い残して、わたしは灰色の部屋を出た。砂利を踏み締めながら外へ出て、朝靄のなかでしゃがみこむ。


「………やっちゃった…」


両手で顔を覆って呟く。右手がめちゃくちゃ痛い。左手もじんじんする。ああ、なにしてんだろわたし…口出しすんなって言われてたじゃん…。


「はぁ………馬鹿野郎はわたしだっての…」


ディルムッドのお願いを聞き捨て、ケイネスさんを殴った。ディルムッドも叩いた。暴力反対、なんて。わたしが言えたことじゃない。


「……嫌われた、よね…やっぱり」


ただでさえプライドが高いケイネスさんのことだ。顔を殴ったとなれば、もはや怒り心頭。此処を追い出されるのもやむを得まい。はぁ…やっちまったなぁ…。


「……せっかく戻って来たのになぁ」


まさか戻って来て数時間で此処を追い出される羽目になろうとは。人生とは中々に波瀾万丈である。


「楪!」

「っ、わあ!」


いきなり名前を呼ばれて心臓が跳ねる。思わず尻餅をついてしまった。


「いだっ!」

「楪…!」


腰を強打したわたしの頭上にさす影。顔を上げたら心配そうなディルムッドが居た。呆けるわたしを後ろから抱き上げて地面に立たせてくれた。


「怪我はないか」

「うん、大丈夫…」


応えながら距離をとる。なんかもう申し訳なさすぎてディルムッドの顔が見れない。


「……?楪、何故俺から離れる」

「…いや、だって……」

「…だって?」

「さっき、色々非道いこと言っちゃったし…」


怒ってるでしょ、と言いながらまた一歩後退。ディルムッドだけじゃなく、彼の主まで殴ってしまったに救いはない。俯いたわたしの視線は彼の爪先を見ている。


「……確かに、先程の楪の言葉は非道かった」

「う……」

「だが、俺はそれが嬉しかった」

「………え?」


予期せぬ言葉。ディルムッドを見やる。彼は穏やかに微笑んでいた。


「あれは、俺とケイネス殿を本気で心配しているからこそ出た言葉。楪なりの優しさだったことを、俺もケイネス殿もわかっている」

「……っ!」

「楪の言葉で、自分の過ちに気付けた。ありがとう、楪。今日は貴女に救われてばかりだ」


そんなこと、言われるなんて。
夢にも思ってなくて。


「……っ、ぅ……」


たくさんの感情が爆発したあとにくる空っぽが満たされてゆく感覚。
気付けばわたしはぼろぼろと涙を零していた。


「……っ、わ、わたし……誰も、失いたく、ない…」


巻き込まれた聖杯戦争。
理解の及ばぬ戦い。
そのなかで手にしたものは、少ないけれど何よりも大切で。


「ケイネスさんも…ソラウさんも…いけすかないけど、死んでなんか欲しくないし…」

「……ああ」

「ディルムッドには、もう……寂しい死に方して欲しくない、の…」


夢でみた英雄の死に顔。
憂いに満ちた瞳。
あまりにも空虚な最期。
思い出すだけで涙が出る。


「だから、だからわたしは───」


なにかを言い掛けて、やめた。
ディルムッドの胸板に頬が触れる。
抱きしめられているのだと、気付いた。


「───失わせはしない。誰も、何も」


強い言葉。
瞬きをしたら涙が一粒。


「俺が守る。貴女も、主も、すべて」

「……ディルムッド、」

「楪。貴女を、決してひとりにはさせない」


だから泣かないでくれ、と。
優しい英雄はわたしの頭を撫でた。
失うことが怖いなら、自分が守るのみだと。
その勇敢な姿勢に、敬意を。


「───うん。ありがとう、ディルムッド」


わたしも貴方を守るよ。
わたしの力で守るよ。
失いたくないの、絶対に。
そんな想いを込めて背中に触れる。


「───!!」


一呼吸した後に訪れる違和感。
(──なん、だ?)
耳鳴りがする。悪寒がする。
頭のなかで信号が。


「………これは…駆動音…?」


ディルムッドが唸る。やはり、危険が迫ってきているのだ。


「…ディルムッド」

「…何者かが此処に近づいて来ている。ケイネス殿に指示を仰ごう」


頷いたわたしを抱えて、ディルムッドは室内へと戻った。薄暗い部屋のなかでケイネス再び対峙する。


「主よ」

「何だ。まだ何か言いたいことでもあるのか」

「否、そうではなく。何かが此処に近づいて来ます。おそらく、自動車なる装置と駆動音かと」


ディルムッドの言葉にケイネスさんは黙る。それから笑みを浮かべて指示を出した。


「ランサー、出向いて蹴散らせ。容赦は要らぬ」

「御意」

「それから…楪」

「は、はい…」

「きみはいつも通り、ランサーの加護をしてくれたまえ。いざとなったら切り札を使っても構わん。必ず勝利を手に入れろ」

「………はい」


本当にいつも通りの指示で、なんだか少し安心してしまった。ディルムッドがわたしを抱えて敵が来る場所へと向かう。


「…楪、ひとつ言っておくが」

「……な、なに?」

「部屋を出て行った貴女を追えと指示したのは、ケイネス殿だ」

「……えっ?」


言われたことの意味がわからなくて戸惑う。ディルムッドは愉しそうに笑った。


「ケイネス殿も、貴女を失いたくないのだ」

「……これ、喜ぶところ?」

「勿論」


圧倒的なイケメンスマイル。わたしは照れ隠しに苦笑いをする。


「駆動音は此処に近づいてくる」


辿り着いたのは廃工場の入り口。わたしが結界を破れなくて何度も右往左往した場所だ。


「…楪、貴女の加護を」


ディルムッドから降りて彼と向き合う。跪いた翡翠色の英雄は、丁寧にわたしの左手を握り、そこに口付けを落とす。


「ディルムッド・オディナに勝利の加護を。
───fiat lux(光あれ)」


赤い光がディルムッドを包み込む。加護は終わった。あとは、引き上げた力を彼が発揮するだけ。


「……ディルムッド。頑張ってね」

「ああ。女神の加護を無駄にはしない」


赤い槍を握り不敵に微笑むディルムッド。わたしはその背中を忘れないように網膜に焼き付けて、迫りくる時限を待った。

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