吸い込む空気が淀んでいる。
10分程経っても、戦況は変わらなかった。セイバーと征服王がひたすら海魔を攻撃してはいるが、化け物は付けられた傷を一瞬で治してしまうのでキリがないのだ。
(このままじゃ───)
産まれる焦り。あれを野放しにしたら最後、冬木市は壊滅するだろう。あれは人を喰う。あんなのに襲われたら住民は一溜まりもない。


「……っ、」


最悪の結果を想像して身震いをする。
(だめだ。そんなこと、あってはならない)
ランサーの勝利を信じているのなら、最悪の結果なんて考えちゃいけない。握ったままの左肩に爪が食い込む。
(落ち着け…!)
既に大橋や河川敷には人だかりが出来ている。あの化け物にとって状況は酷く有利にある。此処で食い止めなければ終わる。
(なにができる。わたしには、なにが)
立ち尽くすだけなら容易い。けれどわたしはそんなことをする為に此処に来たわけじゃない。守るべきものがあるなら、それを守るだけの力がなくちゃいけないんだ。


「……あ、」


そうだ。
わたしにはあるじゃないか。
切り札というやつが。
(あの雷を落とせば───!)
前にキャスターと戦ったとき、化け物を焼き尽くした雷。あれを使えば、きっと───!
目を閉じて意識を集中させる。熱を持った左肩から手のひらへ力を移し、雷を操ったとき現れたあの杖をイメージする。
(確か、翼のモチーフが付いていた…金色の杖…)
意識の深遠へ踏み込む。
不意に、耳鳴りがした。


───貴様は、狂ってる!!
───貴様は、狂ってる!!


(っ、───?!)
脳髄に直接響く声。
目を見開く。
世界は真っ暗だった。


───俺は貴様らを許さない…。薄汚い魔術師どもめ!
───俺は貴様らを許さない…。薄汚い魔術師どもめ!


身に巣食う有りったけの怨嗟を含んだ叫び。
(この、声は)
聞いたことがある。
(誰の───)
嘆きと怒りがない交ぜになった、かなしい声。


───殺してやる……!臓硯も、貴様も!一人残らず殺し尽くすッ!!
───殺してやる……!臓硯も、貴様も!一人残らず殺し尽くすッ!!


怒号で視界がちかちかした。
揺れる意識。
(──どうして)
この声の主のことはなにも知らない。
たぶん会ったことすらない。
けれど、その叫びから漏れるかなしみだけは。
何故か知っているような気がした。


───蟲どもよ、奴を喰らえ!喰らい殺せえぇぇっ!!
───蟲どもよ、奴を喰らえ!喰らい殺せえぇぇっ!!


(──ああ、)
酷く頼りない意識の足場で揺れながら、醒めた頭で思う。
(そんなことをしても、貴方は救われないのに)
見知らぬ誰か。見覚えのある哀しみ。なにを責めるでもなく、ただひたすらに。



───救われるひとなんて、居ないのに。
───救われるひとなんて、居ないのに。



氷のような自分の声で、目が覚めた。







「……あ、れ」


手にはなにもない。見れば、いつの間にか河辺にはセイバーと征服王が戻って来ていた。


「良いか、皆の衆。この先どういう策を講じるにしろ、まずは時間稼ぎが必要だ」


余裕のない征服王の言葉にみんな頷く。そう、いまは時間がない。あれは早急に片付けなくてはいけないものだ。


「ひとまず、余が王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)に奴を引きずり込む。……とはいえ、余の精鋭達が総出でも、あるを殺し尽くすのは無理であろう。せいぜい固有結界の中で足止めをするのが関の山だ」

「その後はどうする」

「…わからん」


ランサーの問いかけに一言で応えた征服王の顔には焦りが見えた。
同じなのだ、皆。
あれを早く倒さなければ未来はないと、わかっている。


「あんなデカブツを取り込むとなれば、余の軍勢の結界が持つのはせいぜい数分が限度。その間にどうにかして…英霊達よ、勝機を掴みうる策を見出だして欲しい。坊主、貴様もこっちに残れ」

「お、おい!」

「いざ結界を展開したら、余には外の状況が解らなくなる。坊主、何かあったら強く念じて余を呼べ。伝令を差し遣わす」

「………」


戦車から降ろされたウェイバーは渋々頷いた。征服王は英霊二人を振り返りながら紡ぐ。


「セイバー、ランサー。後は頼むぞ」

「うむ」

「心得た」


その返答を聞くや否や、征服王は戦車を化け物に向かって走らせて行った。数秒もせずに化け物が征服王ごと視界から消え去る。
(良かった……まだ間に合う…)
だが、それは所詮一時的な危機回避。急拵えの防衛線に過ぎない。はやく次の策を考えなくては。


「………どうする…?」


沈黙を破ったのはウェイバーだった。戦々恐々といった風な顔をしている。


「時間稼ぎとか言われても、その間に僕らが何も思いつかなかったら結局は元の木阿弥だ!なぁおい、アインツベルン!何か良い手はないのかよ!」

「そんなこと言われても……」


半ばパニックのように喚くウェイバーとたじろぐアイリスフィールさん。セイバーとランサーは難しい表情のまま動かない。


「ウェイバー、気持ちはわかるけどアイリスフィールさんを責めるのは違うよ」

「責める?!僕はただ、魔術師としての考えが訊きたくて質問してるだけだ!素人が口出すなよな!」

「な…っ!確かにわたしは魔術については素人だけど、無関係じゃないもん!」

「なぁにが、もん、だ!そこまで言うんなら、何か良い案だしてみろよ『勝利の女神』様!」

「こんのぉぉ…!言わせておけば!もやしみたいにヒョロヒョロしてるくせに!」

「なんだと!」

「大体なんなの魔術師って!みんなウェイバーやケイネスさんみたいに卑屈なナルシストばっかりなわけ!?」

「なんで僕とケイネス先生が一緒のくくりに入るんだよ!あんな格式ばっか大切にする奴と一緒にすんなよな!」

「お二方、我が主についての侮辱はそこまでにして貰おうか」

「ランサーは黙ってて!」

「な…!そんな、楪…!」


小さな苛々がぶつかって大きな亀裂を産む。今にも飛び掛かりそうな勢いで睨み合うわたしとウェイバー。ランサーはとばっちりを浴びておろおろしている。
(ああもうなんなの魔術師とかほんと意味わからん!)
マジでキレる5秒前。そのとき、わたしと彼の間からピロリロリンという間抜けな音が響いてきた。


「は…?」


思わずおかしな声がでた。
見れば、真ん中に立っているアイリスフィールさんが何か黒い物体を持ってあたふたしている。


「……あの…」


怒りも忘れて声をかけると、彼女は恥ずかしそうに笑って物体をわたしに差し出した。


「えぇと……あの、これ……どうするのかしら?」


手渡されたのは携帯電話だった。どうやら本気で使い方がわからないらしい。わたしも持ってこそ居ないが、こういうのは大体家の電話の子機と変わらない。通話ボタン的なところを押して耳をあてる。


『……アイリか?』

「…っ、!」


途端、電波越しに男性の声が聞こえてきて電話を手放しそうになる。慌てて握りしめてから恐る恐る口を開いた。


「ち、違います」

『………そうか。きみは、女神か』

「……はい」


わたしはこの声を知っている。
これは、セイバーの本当のマスターの声だ。
あの時───ケイネスさんを助けに行ったとき向き合った『魔術師殺し』の男。
おそらくあちらもそのときに聞いたわたしの声を思い出したのだろう。心なしか、声音が強張っていた。


「…いま、かわりますね」


この人はきっと、戦術について何か言いたいことがあるのだろう。魔術師を殺す魔術師。あの昏く濁った瞳が蘇る。はやくアイリスフィールさんにかわらなくちゃ。


『……ひとつ、忠告をしておこう。かわいい女神さん』


声は無機質なようで、何処か生ぬるい。
(え───)


『死にたくなければ、早めに家に帰ることだ。これ以上戦いに関わると、きみは確実に死ぬ』

「────!」


心に、鋭利なナイフが突き刺さる。
飲み込んだ酸素はやけに甘く、現実みたいに濁っていた。

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