夜を駆ける。作り出された魔力の霧を裂いて進む。ランサーの脚は着実に戦場へと向かう。
「……ねえ、ランサー」
「なんだ?」
「わたしが居ない間、何か変わったことはあった?」
「ケイネス殿の両手が使えるようになった」
「え?!再起不能じゃなかったの?」
予想外の答えにびっくりするわたしをみてランサーは苦笑する。
「完全に治癒したわけではない。優れた人形師によって、使えるようにして貰ったのだと云う」
「人形師…?」
聞き慣れない単語に首を傾げる。人形を作る人か何かなのだろうか。
「…だが、魔術の行使は二度と出来ないそうだ」
暗い顔で呟くランサーの長い睫毛が揺れる。ケイネスさんはセイバーのマスターにやられた傷の所為でもう魔術師ではなくなってしまった。ランサーはそれに責任を感じている。 (……ランサーは悪くない、なんて) そんな気休めを言うつもりはない。これは片方の責任ではない。二人の連携の悪さが原因だ。だから、言ってしまえば…どちらも悪い。
「……ランサー、ソラウさんはいま何処に?」
「ソラウ様には、安全な場所で待機して頂いている」
「…そっか」
彼女は戦場に出てこない。ケイネスさんみたいに魔術で戦える訳でもない。自分の身を守ることすらままならないのだ。そんなマスターを抱えてはランサーの負担が増えるだけだ。…なにもできないのはわたしも一緒なんだけど。 ある程度、自動的に身を守れるこの身が、いまは少しだけ頼りになる。
「居た。ライダーと…あれは、セイバーか」
「……!」
河辺を見やりランサーはスピードを上げた。振り落とされないようにしがみつく。征服王の声が聞こえてきた。
「成る程な。奴が岸に上がって食事をおっ始める前にケリをつけなきゃならんわけだ。しかし……当のキャスターはあの分厚い肉の奥底ときた」
さて、どうする?という征服王の問いに、涼しい顔で着地したランサーが応えた。
「引きずり出す。それしかあるまい」
ふわり。風が遅れて身体を撫でる。到着した河辺には、征服王とウェイバー。そしてセイバーとあの銀髪の女性が居た。ランサーから降りて地面に立つ。少し目眩。き、きもちわるい。近くに来たらさっきよりキャスターの放つ魔力が濃くなったもんだから、吐き気が…。
「奴の宝具さえ剥き出しにできれば、俺の破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)は一撃で術式を破壊できる。…無論、奴がそうやすやすと二度目を許すとも思えんが」
「…ランサー。その槍の投撃で、岸からキャスターの宝具を狙えるか」
セイバーの言葉にランサーはにやりと笑って頷く。
「モノさえ見えてしまえば雑作もないさ。槍の英霊を舐めんでもらおうか」
そう言い切ったランサーは腹が立つほどイケメンだった。眩しい。そのイケメンオーラが眩しいよ、ランサー。
「良し。ならば、先鋒は私とライダーが務める。いいな?征服王」
「構わんが……余の戦車に道は要らぬから良いとしても、セイバー。貴様は河の中の敵をどう攻める気だ?」
征服王の疑問をセイバーはランサーを上回るイケメンスマイルで一蹴した。
「この身は湖の乙女より加護を授かっている。何尋の水であろうとも、我が歩みを阻むことはない」
「ほう!それはまた希有な奴!ますます我が幕下に加えたくなったのう!」
現代人では到底信じられない発言に征服王はさらりとそう返す。まじですごい。セイバーはファンタジーの世界の方ですか?水の上走れる英雄とか初耳です。
「放言のツケはいずれまた払ってもらう。いまはまず、あの化け物の腑からキャスターを暴き出すのが先決だ」
「然り!よし、此処はひとつ、景気付けに女神の加護とやらを頂こうではないか!」
ランサーの傍で棒立ちしていたわたしを示す征服王。え、まじで。此処でやるの。
「そうですね。我々はいま、協力関係だ。あの化け物を倒すには相応の力が必要となる。お願い出来ますか、女神」
恭しく手を差し出すセイバー。ちらりとランサーを見上げると小さく頷かれた。…よし。
「わかりました。じゃあ…」
3人の英雄を前に立ち、手を翳す。目を閉じて意識を集中させる。力を3つに分散させるイメージをして口を開く。
「ディルムッド・オディナ、アルトリア、イスカンダル。そなた達に勝利の加護を。 ───fiat lux(光あれ)」
最早見慣れた赤い光が3人を包み込む。加護は一瞬だ。手を降ろすと征服王が愉しそうに喚いていた。
「わはは、こりゃすごい!身体が軽くなったわい!女神の名は伊達ではないな!」
「無論。我が女神の力は本物だ」
「ランサー、おまえさん、良い華を持っておるな!」
……褒められてる、のか?喜んで良いのかわからずに立ち尽くす。ひとしきり騒いだあと、征服王は手綱を握り河に鎮座する海魔を睨んだ。
「ならば、一番槍は戴くぞ!」
叫びと雷鳴。王の戦車は勇敢に河へと突き進んで行った。それを追うように、セイバーが疾風の如く駆け出す。 2つの影は臆することもなく巨大な化け物に斬り掛かっていた。
「……っ、あ」
吐き気が強くなる。一歩、後ろに下がろうとした瞬間に身体が傾いだ。 (う、わ) 脚に力が入らない。かくん、と玩具みたいに折れ曲がる。
「楪!」
戦場を見つめていたであろうランサーがすんでのところでわたしを受け留めてくれた。慌てて立ち上がろうとしたがバランスを崩して更にランサーに寄りかかってしまった。
「わ、あ…ランサー、ごめ、ん…」
「大丈夫か」
心配そうにこちらを覗き込む英雄はまるでわたしのお兄ちゃんみたいな顔をしていて、なんだかすこし安心した。へへ、と力なく笑う。
「大丈夫、ちょっと気が抜けただけ…」
「違うわ」
凛とした声が響く。振り向くと、いつもセイバーと一緒に居る女性がわたしを見ていた。
「え…」
「魔力を一気に使い過ぎて、防壁バランスが崩れたの。キャスターの魔力にあてられてるんだわ」
つかつかと近寄ってくる女性はぞっとするほど美しかった。白い肌は雪のようだ。ランサーに抱えられたままのわたしに手を伸ばす。
「まだ魔術回路が不完全なのね。…少し活動範囲を広げてみましょう」
「え…」
そっと、小さな手のひらをわたしの首筋にあてる。 瞬間。 身体に電流が走った。
「────ッ、が…!」
ばちん、と頭の中の使ってなかったブレーカーが強制的にオンになる感覚。 びくん、と身を跳ねさせるわたしを見てランサーが目を見開いた。
「貴様、楪になにを…!」
「魔術回路の一部を解放したのよ。このままじゃ魔力不足で防壁が低下して、この娘、死んでしまうわ」
「なに…?」
くらくら、目眩。 (あ、なんか) 身体が熱い。血液が熱い。脳が熱い。心臓が熱い。 (自分の身体じゃないみたい) 力の入らない脚が崩れる。ランサーがわたしを呼ぶ。熱い。左肩が、溶けそう。
「いくら『勝利の女神』と云ったって、一度に出来る魔力配給量は限られているわ。魔術師ならばサーヴァントの3体くらいどうってことないんでしょうけれど…この娘は魔術を使えるだけの素人よ。いきなりあんなことをさせれば、魔力が足りなくなるのは当たり前よ」
「では、楪は…」
「むやみに加護をしていれば死ぬわ。この娘の持つ『絶対神盾』とやらも、結局は彼女の中にある魔力を使っているんだから。魔力が減れば盾の力も弱まる。まだこんな未熟な魔術回路じゃ余計にね」
女性の声が、脳みそのなかを、ぐるぐると廻る。 (───死ぬ…?) 誰が? わたしが? 何故? (───だめ、だ) まだ死ねない。 まだ死なない。 だって、わたしは。
| ───勝敗を、見極めなければ。 | ───勝敗を、見極めなければ。 |
誰のものかわからない声が意識を埋め尽くした。
「───ッ、は…!」
咄嗟に身体に力を入れた。 視界が戻る。世界が戻る。
「楪、大丈夫か!」
心配そうなランサーと、真剣な表情の女性。 (いまのは) あたまのなかに響いた声は、誰のものだったのか。 わからぬままに立ち上がる。
「………あれ」
きもちわるく、ない。 さっきまでの吐き気が嘘みたいに消えている。
「気分はどう?」
にっこりと、悪意なんて微塵も感じられない笑顔で女性が問いかけてくる。わたしはぎこちなく応えた。
「あ、…だいぶ良い、です」
「そう、良かった。貴女の中にある魔術回路を少し開かせて貰ったわ。それでもまだ閉じている回路があるのだけれど…それは貴女自身が開かなくちゃいけないから」
「…はぁ…あの……えっと…」
「アイリスフィールよ、楪さん」
「えっ」
「ふふ、ランサーが何回も名前を呼ぶから覚えてしまったの。良い名前ね」
「…ありがとうございます…」
「礼なんていいわ。お互い様でしょう?貴女はセイバーに加護をかけてくれた。前にキャスターと戦ったときも協力してくれたのよね」
「………」
曖昧に頷くと、アイリスフィールさんは綺麗に微笑む。
「さっきも云ったけれど、貴女の魔術回路はまだ本来の半分くらいしか開いていないわ。素人がいきなり全て開くのは難しいから仕方がないのだけれど…いまの状態でむやみに加護をしていれば、貴女は自分の身を守る盾が消えて死ぬでしょう」
「っ、…」
「だから、使い方をよく考えなさい。誰かを守ることだけじゃだめよ。自分も守ってあげなくちゃ。魔力をバランスよく使うの」
「は、はい」
「貴女を失って悲しむひとが居るのなら、尚更よ」
優しい声で、眼差しで、アイリスフィールさんはわたしに忠告した。 (誰かを守ることだけじゃなく) この身を守る盾は無限じゃない。戦場に立つためには、自分のことも守らなくちゃいけない。 (大切なものがあるのなら) まもりたいものがあるのなら。 わたしは選ばなくちゃいけない。 敵と味方。 勝利を願うものを。
「大丈夫よ。貴女はきっと、間違えたりしないわ。守るべきものが何かわかっているんだから」
だから大丈夫、と笑って、アイリスフィールさんは戦場を駆けるセイバーに視線を映した。 その横顔が酷く儚くて、わたしは息をのむ。
「楪…」
振り向くと未だ心配そうな顔をしたままのランサーが。 (守るべきものは) わかっている。わかったつもりでいる。だから、きっと大丈夫。
「ランサー、迷惑かけてごめん」
「…俺の方こそすまない。貴女に、無理をさせた」
「ランサーの所為じゃないよ」
「…っ、しかし…!」
「大丈夫だって。ほら、セイバー達が頑張ってくれてるんだから、ランサーもタイミング逃さないようにあっち見てないと!」
笑顔で逞しい腕をひく。それで安心したのか、ランサーの表情が戦士の貌へと変わった。
「貴女の加護を受けたからには、必ず勝利を掴んでみせる」
「うん」
最初見たときから少しも衰退していない化け物を睨み付けながら、わたしはまだ熱を残す左肩をそっと右手で握りしめた。
|