生ぬるい風が頬を撫でる。胸焼けしそうなきもちわるさ。瘴気は濃くなってゆく。吐き気を必死に押さえつけながら戦車に揺られる。征服王の操るそれは夜空を軽々と駆けていた。星が近い。手を伸ばせば届きそうだ。


「…おい、大丈夫かよおまえ」

「え……」

「顔、真っ青だぞ」


隣に佇むウェイバーが苦い表情でこちらを見やる。そんなに具合悪そうなのかわたし。


「大丈夫。たぶんあれだよ、乗り物酔い」

「………」

「あと、キャスターの気配がきもちわるいだけ。だから大丈夫」


苦笑いを返すわたしに何か言おうとしたウェイバーだったが、突然停止した戦車の反動で身体が吹っ飛ばされてそれどころじゃなくなっていた。そっちが大丈夫か。


「っ、てえぇ…!いきなり止まるなよばかぁ!」

「いや、こればかりは仕方なかろうよ。女神、」

「……?」


ちょいちょいと手招きされたので征服王の傍に寄る。そうしたらいきなりパーカーのフードを掴まれた。あれ、デジャヴ。


「な、なんですか?!」

「いいから大人しくしておれ。すぐにわかる」


にまりと笑った征服王にはあまりにも敵意がなくて渋々黙り込む。一体なんだってんだ。そんなわたしの頭上で彼の大声が響き渡る。


「おぉーい、ランサー!」

「……え、」


いま、なんて。
咄嗟に反応するわたしを片手で制し、征服王は言い放つ。


「ほれ、落とし物だ」


ひょいっと。
まるで子猫を渡すかのように、征服王は戦車の中からわたしを持ち上げ、空中に放り投げた。
地面とわたしとの距離は約5m。その高さをわたしは飛んだ。


「……っ!!」


悲鳴を上げる間もない。
びっくりしたまま落下するわたしの身体を、素早く受け止める感覚。


「っ、楪…!」


懐かしい声に視線を動かす。
見れば、目の前には心臓が鼓動を忘れるくらいの美貌が在った。


「……ラン、サー」


目前にある現実が信じられなくて、瞬きを繰り返す。
これは、現実ですか?


「…ランサー、なんで…」

「楪ッ!!」

「うわぁはい!」


なんで此処にランサーが居るのか問い掛けようとしたら、それを遮る大声が彼の口から放たれた。抱き上げられたまま身を凍らせる。


「今まで何処へ行っていた!」

「え…えと…」

「俺がどれだけ心配したか貴女はわかっているのか?!」

「ひいっ!ごめんなさい!」


初めて見たランサーの剣幕に気圧されて謝ると、彼はみるみる情けない顔になっていく。そのままわたしをぎゅうと抱きしめて呟いた。


「貴女が無事で良かった…!」


ともすれば、泣きそうな声。
肩口に埋まったランサーの表情は見えない。それでも、どんな顔してるかなんてわかる。
(ばかだなぁ、わたし)
ほんとにばかだ。
ランサーの笑顔が見たくて頑張るって決めたのに、泣かせちゃうなんて。
女神失格だね。


「……心配かけてごめんね、ランサー。もう大丈夫だから」

「…っ…楪…」

「昨日はちょっと道に迷っちゃって帰れなかったんだ。でも、征服王が拾ってくれたから助かった」

「……怪我はないのか?」

「うん。無傷だよ」


だからそんな顔しないで。
そう言ってわたしはランサーの頭を撫でた。涙目の槍兵は鼻をすすって頷く。


「…見苦しいところをみせてすまなかった。騎士にあるまじき行為、どうか許して頂きたい」

「いやいや、全然許すよ。だってランサーがわたしのことすっごい心配してくれてたのわかって嬉しかったもん」

「……!」


かあ、と顔を真っ赤にして瞬きをするランサー。ああもうかわいいなあ。
わたしがランサーを笑わせたいように、ランサーもわたしのことをそれなりに大切に想ってくれてるって。
すこしくらい、自惚れても良いですか?


「…楪、貴女は意地が悪い…」

「一枚上手と言って頂きたい」


ばつが悪そうにわたしを見るランサーに笑いかける。久々に笑った気がした。


「おーい、お二人さん。仲睦まじいところちょいと失礼するぞ」

「…っ、な、ライダー…!」


今の今まで間近で我々のやり取りを見ていた征服王が手を挙げた。ランサーは真っ赤な顔のまま慌てて距離をとる。


「まあ、そう警戒するでない。女神をちゃんと届けてやったではないか」

「楪を届けてくれたことには礼を言う。しかし我々は敵同士。警戒するなと言う方が無理というもの」

「それなんだがなぁ。ランサー、ここはひとつ共闘する気はないか?」

「なに…?」


協力してキャスターを打ち負かそう。そう提案した征服王の言葉にランサーは眉を寄せる。


「この身はもとより我が主のためだけに在る。貴様の臣下には降らん」

「いや、そういう意味じゃなくてな。純粋に共闘をせんかと言っておるのだ。ほれ、見てみよランサー」


征服王の指差す先。濃霧の未遠川の河口付近に突如何かが出現した。


「……はぁ…?」


霧を纏い現れたのは、巨大な化け物。先日戦ったときとは比べものにならないでかさと魔力量。キャスターの操るモンスター。


「な、なんだよあれ…」


ウェイバーが零す。まるで蛸のような長脚を何本も河のなかでのたうち回らせ、大橋を軽く凌駕する大きさでぬらぬらと光る化け物。あんなの現実に居るものなのか。どんなSFよりも趣味が悪い。


「あれはキャスターの海魔だ。あんなものを個別に攻撃しても埒があかんだろう。ここは協力してキャスターを打ち倒した方が得策と見るがのう」

「…良かろう。魔力源を絶てばあれは消えるだろう。故に、キャスターの持つ本さえ剥き出しにすれば我々に勝機がある」

「む?なんだ、貴様。キャスターと戦ったことがあるのか?」

「ああ。以前はセイバーと共闘した。あの時はすんでの所で逃げられてしまったが……今度こそトドメを刺す」


河に居座る異物を睨んでランサーは紡いだ。征服王は頷く。


「うむ。ならば余は先に行って協力者を探しておこう。ランサー、貴様は女神を連れて後から来るが良い」

「ああ。了解した」

「では、行くぞ!」


征服王が手綱を鳴らせば戦車は再び走りだす。


「…っ、征服王!ありがとうございました!」


動き始めた戦車に叫ぶ。すると彼は満面の笑みを返してくれた。


「なに、礼は要らぬ。戦場の華は愛でるものだ!」


後程会おう、と言い残して戦車は去った。霧が轍となり晴れていく。


「楪」


名前を呼ばれてランサーを見る。彼は優しい笑顔を浮かべていた。


「どうしたの、ランサー。にやにやして」

「いや…またこうして貴女と戦場を駆けられるのが嬉しくてな」

「…そうだね。わたしも嬉しい」


ふたりで笑いあう。たった数日間で築いたちっぽけな絆。それがなによりも大切で。


「今度こそ、勝とう。勝ってアジトに帰ろう」

「無論だ。楪が居る限り、俺は負けない」

「うん。信じてるよ、ランサー」

「ああ」


前を見て、息を吸って、地面を蹴る。
風をきる速度。腕に伝う温度。もう二度と離れないように強く願って、わたしたちは戦場へ向かった。

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