世界は、過去と現在と未来で構成されている。我々がいま居る時間軸が現在で、その前後が過去と未来。それらはもう過ぎてしまったもの、これからやってくるものなので勿論不可視だ。未来はなにもわからないが故に変えようと努力することが可能で、過去は歴史として書き残された分だけ知ることが出来るが変えることはできない。それは誰しもが知っていることだと、そう思っていた。


「………」


運命を、歴史を、変える。
そう言い放った騎士王は宴の席に広がる沈黙にもその凛々しい表情を保っていたが、暫くして眉をひそめた。


「……なぁ、騎士王。もしかして余の書き間違いかもしれないが……貴様はいま、運命を変えると言ったか?それは過去の歴史を覆すということか?」

「そうだ。例え奇跡をもってして叶わぬ願いであろうと、聖杯が真に万能であるならば必ずや…!」


征服王の問いに力む騎士王の言葉。反応する人物は誰も居ない。わたしでさえも開いた口が塞がらなかった。過去を変えるだなんて、そんなのは。現在に帰結する事象が変わってしまう。
(そりゃあ、わたしだって何度か過去を変えたいとは思ったけれど)
それは、やってはいけないことだとわかっていた。だって、そんなことをしたら。
(いまの自分の存在を、否定することになる)
そんなのは───いやだ。


「ええと…セイバー…。確かめておくが、そのブリテンとかいう国が滅んだのは貴様の時代の話であろう?貴様の治世であったのだろう?」

「そうだ!だからこそ私は許せない。だからこそ悔やむのだ。あの結末を変えたいのだ!他でもない、私の責であるが故に…!」


必死に弁明するセイバーの言葉を、無遠慮な哄笑がかき消した。見れば、お隣さんの英雄王が爆笑していた。失礼極まりない態度。しかしそうする所以すら何となくわかってしまう。


「…アーチャー、なにが可笑しい」


殺気を醸し出す騎士王。しかし黄金の王はそれを意にも介さず笑い続ける。呼吸困難になるんじゃないかこのひと。


「自ら王を名乗り…皆から王と讃えられて…そんな輩が、悔やむだと?ハッ!これが笑わずにいられるか?傑作だ!セイバー…おまえは極上の道化だな!」


腹を抱えて笑う英雄王は涙を浮かべながら言い放つ。セイバーの眼光が一層鋭くなった。


「ちょっと待て。ちょっと待ちおれ、騎士の王。貴様、よりにもよって、自らが歴史に刻んだ行いを否定するというのか?」


この場に居る誰もが持ったであろう疑問を投げつける征服王。セイバーはその疑問こそが解せぬといった風に頷いた。


「そうだ!何故訝る?何故笑う?王として身命を捧げた国が滅んだのだ!それを悼むのが何故可笑しい?」


盛者必衰。盛えたものはいつか必ず滅びる。未来永劫続くものなど存在しない。悔やんでも嘆いても過去は変えられない。


「おいおい、聞いたかライダー!この騎士王とか名乗る小娘は、よりにもよって…故国に身命を捧げた、のだとさ!」


相変わらず爆笑しながら英雄王は叫ぶ。楽しそうだなおい。なんか羨ましい。


「笑われる筋合いが何処にある?王たる者ならば身を挺して治める国の繁栄を願う筈!」

「いいや、違う」


セイバーの持論に征服王は即答した。


「王が捧げるのではない。国が、民草が、その身命を王に捧げるのだ。断じてその逆ではない」


強い声で、揺るがぬ意志で、征服王は断言した。騎士王はその鈴のような声を震わせて反論する。


「何を…!それは暴君の治世ではないか!ライダー、アーチャー、貴様らこそ王の風上にも置けぬ外道だぞ!」

「然り。我らは暴君であるが故に英雄だ」


迷いのない答え。征服王は続ける。


「だがな、セイバー。自らの治世を、その結末を悔やむ王が居るとしたら、それはただの暗君だ。暴君よりなお始末が悪い」


言葉に詰まる騎士王。しかし、暗君と云われて黙っては居られない。征服王の過去を引き合いに出して反論しようとするが、そんなものは彼に通じない。


「余の決断、余に付き従った臣下たちの生き様の果てに辿り着いた結末であるならば、その滅びは必定だ。悼みもしよう、涙も流そう。だが決して悔やみはしない!」

「そんな…」

「まして覆すなど!そんな愚行は、余と共に時代を築いた全ての人間に対する侮辱である!」


その言葉に高潔なる騎士王は首を横に振る。


「滅びの道を誉れとするのは武人だけだ。民はそんなものを望まない。救済こそが彼らの祈りだ」

「セイバー…」


彼女の言い分は正しい。確かに平民は救いを願うだろう。しかし、それとこれとは別だ。求められた救済を行える王は少ない。


「王による救済だと?解せんなぁ。そんなものに意味があるというのか?」

「それこそが王たる者の本懐だ!」


語気を荒めてセイバーは語る。彼女の王道を。騎士としての道を。


「正しき統制、正しき治世。全ての臣下が待ち望むものだろう」

「…で、王たる貴様は正しさの奴隷か」


呆れたように返す征服王。騎士王は頷く。


「それでいい。理想に殉じてこそ王だ。人は王の姿を通して、法と秩序の在り方を知る。王が体現するものは、王とともに滅ぶような儚いものであってはならない。より尊く不滅であるものだ」


王たる者ならば、ヒト非ざるべきだと云う。わたしには理解できない。どうして、彼女はそこまで熾烈に王道を求める?


「人間にそんな生き方はできない。セイバー、それに殉じてしまえば、貴女はヒトを棄てたも同然でしょう」

「そうとも。王たらんとするならば、ヒトの生き方など望めない」


さもそれが当たり前だというように彼女は言い放った。怖気が走る。騎士王の理想は国の理想。
(こんな───)
このような理想を、ブリテンは彼女に持たせてしまった。押しつけ、なすりつけ、あまつさえそれが己の望みだと勘違いするまでに───。


「征服王。たかだか我が身の可愛さのあまりに聖杯を求めるという貴様には、決して我が王道は解るまい。飽くなき欲望を満たすためだけに覇王となった貴様には!」


とどめだといわんばかりの剣幕で騎士王は征服王に告げる。しかし、征服王はそれに対して怒りをあらわにした。


「無欲な王なぞ飾り物にも劣るわい!」


突然の大声にびくっと身体が浮き上がる。叫び声は苦手だ。心臓を落ちつけようと息を吸って吐いたら隣の英雄王に嗤われた。


「セイバーよ。理想に殉じる、と貴様は言ったな。成る程往年の貴様は清廉にして潔白な聖者であったことだろう。さぞや高貴で侵しがたい姿であったことだろう。だがな、殉教等と云う茨の道に、一体だれが憧れる?焦がれる程の夢を見る?…聖者はな、たとえ民草を慰撫できたとしても、決して導くことなどできぬ。確たる欲の形を示してこそ、極限の栄華を謳ってこそ、民を、国を導けるのだ!」


征服王の王道と騎士王のそれは酷く正反対に見えた。欲望と潔白の対比。どちらも極端なものだ。


「王とはな、誰よりも強欲に、誰よりも豪笑し、誰よりも激怒する。清濁含めてヒトの臨界を極めたるもの。そう在るからこそ臣下は王を羨望し、王に魅せられる。一人ひとりの民草の心に、我もまた王たらん、と憧憬の火が灯る!」

「そんな治世の、一体何処に正義がある…?」

「ないさ。王道に正義は不要。だからこそ悔恨もない」


正義に縛られない王は何処までも貪欲なヒトで在り、その限界を極めようと足を進めた。しかしセイバーは正義に縛られた聖者であったがために、一点の綻びも赦せなくなってしまったのだろう。両者の決定的な違い。正しさとは何なのか。


「騎士どもの誉れたる王よ。確かに貴様が掲げた正義と理想は、ひとたび国を救い、臣民を救済したやもしれぬ。それは貴様の名を伝説に刻むだけの偉業であったことだろう。……だがな───ただ救われただけの連中がどういう末路を辿ったか、それを知らぬ貴様ではあるまい?」

「な、ん…だと……?」


セイバーの瞳が揺れる。それは誰もが見てとれる、彼女の動揺だった。征服王は容赦なく言葉を続ける。


「貴様は臣下を救うばかりで導くことをしなかった。王の欲の形を示すこともなく、道を見失った臣下を捨て置き、ただ独りで澄まし顔のまま、小奇麗な理想とやらを想い焦がれていただけよ。故に貴様は生粋の王ではない。己の為ではなく、人の為の王という偶像に縛られていただけの小娘にすぎん」

「…私は、……」


言葉をなくすセイバー。顔色が一気に悪くなる。先ほどまでの威勢はもうない。征服王の言葉は極端ではあったが正論だった。セイバーの掲げる理想は確かに正しい。しかし、それはあまりにも正しすぎるのだ。正義が万民を救うかと訊かれたら、答えはNOだ。それは往来にしてヒトを食いつぶす。騎士王という枷は彼女に正しさだけを強いてきた。


「……征服王の王道は、ちょっと強引かもしれないけれど…王の在り方としては良いとおもう」

「女神……」

「ヒトの上に立つならば、ヒトでなければならない」

「しかし、ヒトのままでは理想を体現できない。だから私は───」

「ヒトの気持ちはヒトにしかわからない。ヒトに聖者の気持ちがわからないように、聖者もヒトの気持ちがわからない」

「ッ……!!」

「セイバー。貴女は正しい。けれど、あまりにも正しすぎて───自分で掲げた理想に溺れている。それでは誰も救われない」


故国も、臣民も、セイバー自身も。そのままでは溺死してしまうだろう。
わたしの言い分に彼女は益々唇を戦慄かせて押し黙った。なんだか申し訳なくなる。セイバーにはセイバーの考え方があるのだ。それが間違ってるわけじゃない。けれど、あまりにも痛々しくて。


「…アーチャー。何故私を見る?」


不意に、セイバーが敵意に満ちた声を出した。顔を上げると、英雄王が厭な笑いを浮かべながら彼女をねめつけていた。


「いやなに…苦悩するおまえの顔が見物だったというだけさ。まるで───褥で華を散らされる処女のような顔だった。実に我好みだ」

「貴様ッ……!!」


完全に空気を読まないセクハラ発言にセイバーがキレた。殺気を纏い、不可視の剣を取り出す。いまのは英雄王が悪い。


「ないわー…」

「何か言ったか」

「いいえなんでも───ッ?!」


呆れながらもう一杯酒を飲もうとした時だった。
全身に悪寒が走る。
(っ、あ)
厭な予感がする。急激に手先が冷える。杯を手にしたまま勢いよく左側を見遣る。その先にはライダーのマスター。突然顔色を変えたわたしを不審そうに見つめている。しかし視線はそこではなく、彼の頭上へ。
そこには、髑髏の仮面を被った黒い影が存在していた。

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