身体が重い。だるさが抜けない。


「う……」


かすれた呻き声をあげて起き上がる。ひがな一日中寝ていた筈なのに肉体が言うことを聞かない。床についた手でさえ頼りなく震えている。
(なんで…)
どうしてわたしはこんなに疲れているのだろう。這いつくばるようにその場から動き、壁づたいに立ち上がる。くらりと眩暈がした。
(水……)
なにか飲まなければ声すら失ってしまいそうだ。薄暗い廃墟のなかを歩く。壊れた窓から見える空は漆黒。月明かりが内部を慎ましく照らしている。ふらふらと夢遊病さながらに歩を進める。そこで目に入ってきたのは、簡易ベッドとそれに縛り付けられた人影。


「ぁ───」


小さな声が漏れた。ぎし、とベッドが鳴く。


「……楪か」


ケイネスさんの声が広く寂しい灰色の室内に反響する。消えそうな声で「はい」と答えながら近づく。包帯まみれの彼は酷く弱弱しい。それは比喩などではない。先の戦闘で瀕死の重傷を負ったのだ。生きているのは奇跡だとソラウさんが言っていた。治療を施すまえにわたしは疲れ切って眠ってしまったので、実際こうして無事を確認するのは初めてだ。


「…生きてたんですね」

「奇跡的にだがな」

「身体のほうは…」

「臓器の方はソラウの治療で何ともない」

「他、は」

「手足の感覚がない。それに…魔術回路も壊滅した」

「………」


言葉通り、生きているのが奇跡。黙り込むわたしにケイネスさんは続ける。


「この身体では…もう───魔力行使は出来ない」


素人のわたしから見ても、明確な事実。魔術どころか普通に生活することさえ危ういだろう。


「…聖杯戦争は、どうするんですか」

「どうするもこうするも、続けるに決まっていよう」

「でも…」

「令呪はソラウに譲り渡した」

「っ…?!」

「きみは今まで通り、ランサーの援護をしろ」


圧倒的なまでに感情を消した声でケイネスさんは言う。その瞳は虚ろだ。


「…ケイネスさん」

「なんだ。私はもうランサーのマスターではない。故にきみが従う必要もない。援護の指示はマスターから、」

「それでもわたしを巻き込んだのはケイネスさんです。マスターだろうがなかろうが、ちゃんと責任とってもらわなきゃ困ります。令呪がないからって放置しないでください」

「…………」

「大体、どうしてソラウさんに令呪を…っ…、」


がくり。脚にうまく力が入らなくなって床に崩れ落ちる。体力どころか筋力まで低下しているというのか。浅い呼吸をしながら自分の両手を見つめるわたしに降ってくる声。


「…そうか。あの光…やはりきみがやったことか」

「…へ?」

「アインツベルンの森で、雷を呼んだだろう」

「……かみ、なり?」


言われてみれば、なにかをしでかした気がする。なんだったっけ。そうだ、確かキャスターを起点にいろんなことにキレたら、すごい音がしてあの変な生き物たちが焼け焦げて…。ああ、そうか。あれは落雷の音だったのか。…って。


「えっ…あれが落雷だったとして、わたしがやったってどういうことですか…?」

「だからそれがきみの能力、切り札だ。神の雷を操ることができる宝具───神の雷霆(ケラウノス)」

「あ……」


その名前には聞き覚えがある。あの時───堪忍袋の緒が切れて叫んだとき、出て来た単語がそんなかんじのやつだった。


「宝具とは一般的にサーヴァントの持つ伝説の象徴を云う。伝説を形にした『物質化した奇跡』だ。ランサーで云えばあの槍、セイバーならばあの不可視の剣のことだな」

「はあ…でも、そんなものがどうしてわたしに…」

「例外的に、宝具を有する人間も居るのだ。まあ、きみは人間と云うには些か特殊すぎるがな」

「…確かに、加護とか障壁とか…色々現実味ありませんから反論はできませんけど」

「原因はきみではなく、きみの中にある聖遺物のなのだがな。そればかりはどうしようもできん。なにせ、きみのおばあさんが特別な方法できみの中に埋め込んだものなのだから」

「おばあちゃんが、埋め込んだ?」


咄嗟に左肩にある刻印に目がいった。これは聖遺物とやらが体内にある証拠にもなるとかなんとか。こんな刻印が浮き出るものをわたしの身体のなかに埋め込んだなんて…おばあちゃんまじ勇者…。


「…って、そうだ。訊き忘れてましたけど、ケイネスさんとおばあちゃんって本当に知り合いなんですか?」

「当たり前だろう。最初に言った筈だが」

「あんまりにも胡散臭かったので信じてませんでした」

「…………」

「だって、おばあちゃんからケイネスさんの話なんて聞いたことなかったし」

「それはそうだろう。魔術師は好んで自らの交友関係を語ったりはしない」

「はあ。でも、ケイネスさんってイギリスに住んでるんですよね?どうやっておばあちゃんと───」

「彼女は私の恩師だ。随分前に退職なさってからはあまり会う機会はなくなったが、それでも1年に1度は時計塔に顔を見せていた」

「……あ」


そういえば、おばあちゃんは昔留学していたとか聞いたような。それに1年に1度、慰安旅行とか言ってどっか外国に遊びに行ってたような。ああ、それなら納得がいく。


「…おばあちゃんって、そんなにすごい魔術師だったんですか?」

「ああ。彼女の血統は魔術師の家系としてはかなり実力があった。まさか日本人と結婚するとは思わなかったがな」


そうなんだ。おばあちゃんの方の親戚とは疎遠だから知らなかった。しかしおじいちゃんはどうやってそんな魔術師エリートなおばあちゃんと懐柔したのか。なんかすごいな。愛の力ってやつか。


「でも、おばあちゃんの息子であるお父さんは魔術師じゃなかったですよ。なのにどうして孫のわたしなんかに聖遺物を?」

「きみには素質があったのだろう。実際、魔力を無意識に行使できる才能がある」

「おばあちゃんは、聖杯戦争のことを知っていたんですか?」

「ああ。彼女曰く、『戦争にも華がないといけない』だったか。とにかく、何かサブウェポン的なものを送り込みたいようだった」

「うわあ…まじ傍迷惑…」


なんか頭痛くなってきた。溜息まじりに立ち上がると、覇気のないケイネスさんが薄く笑った。


「折角恩師から贈られた情報を頼りにきみを手に入れたと云うのに、私がこのザマでは話にならんな」

「…役立たずでごめんなさい」

「言っただろう。加護はあくまでも主力ではなく援護だと。それで勝敗が決する訳ではない」

「……令呪をソラウさんにあげちゃって、これからケイネスさんはどうするつもりなんですか」

「わからん。ただ───」

「ただ?」

「我々はまだ負けた訳ではない。聖杯を勝ち取るチャンスはまだある」


こんな状況になっても尚、ケイネスさんは戦うつもりらしい。全く、魔術師というのは理解できない。こんな怪我をしてしまったら、普通は戦線を離脱する筈なのに。


「きみも自身の宝具を扱えるようだしな。引き続きランサーの援護を頼む」

「…できるだけ頑張りますけど」

「ああ、だが宝具をみだりに使うなよ。見たところ、魔力消費が激しいようだからな。あまり使えば死ぬこととなる」

「死…?」

「魔力は生命力だ。それが尽きれば死ぬのは当然だろう」

「………」

「とりあえず、充分に休息を取りたまえ。きみには役に立って貰わなくては困る」


なんのために、ここまでして戦うのか。聖杯というのはそれほどまでに求めるべきものなのか。わたしにはわからないし、わかりたくもない。愚者と聖者は紙一重。わたしはどちらでもない、傍観者で居る。


「それと…ランサーからあまり目を離すな。あれはきみに懐いているようだからな」

「懐いてるって、そんな、犬みたいに…」

「あやつはどうも信用できん。ソラウに何かあったとなれば、私は…」


ぎり、と唇を噛んで唸るケイネスさんの目に宿るのは嫉妬と恋慕。わたしに向けられるソラウさんの視線と一緒だ。なんだかんだで似た者同士なのだろう。


「ソラウ……」


一方的に愛する者の名を呼びながら、ケイネスさんは目を閉じた。目じりからは透明な雫がこぼれる。
(どんどん捩れるばかりだ)
ぐらりと身体を翻し、わたしはその場を離れた。

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