正統派を選りすぐったような人間である桂小太郎くんは学級委員長だ。彼の責任感に反して半ば、いや完全にやましい気持ちで副委員長に立候補した私は彼との繋がりを手に入れたのだが、精一杯好意を剥きだしたとても桂くんはこういう事に知恵を巡らすことは難しいらしい。
恋がしたかった。正確に言うと桂くんに愛されたかった。しかし言いようのないくらい好きになってしまった人の視線の先は、私ではなく別の誰かに向けられていたのだ。私が桂くんを見ているように、桂くんは幾松さんを。

放課後の教室はとても静かだ。開いている窓から野球部の掛け声がいつもより大袈裟に聞こえる気がする。あまりロマンチックじゃないけれど告白するには十分な状況だったはずなのに、どうしてだろう。伝えようと思っていたはずのことを全て忘れてしまったのだ。私達が同じ気持ちをもっていないとしても、伝えたい言葉があったはずなのに。

「桂くんの好きな人、当ててみようか?」

直前まで作っていたであろう笑顔を消し、妙な顔をしながら桂くんは私の方をじっと見つめてくる。心臓が高鳴った。その美しい凛とした表情は全ての女性が勘違いを起こしてしまいそうなくらい美しい。

「………な、何だ急に」
「顔赤いよ」
「いちいち言うな」
「でも桂くんってすぐ表情にでるから」
「そうなのか?そんなこと言われたのは初めてだが」
「見てたら…わかるよ」

深い意味を込めた私の発言にほんの少しだけ困ったような表情を見せたが、否定や肯定はしない。しかし今の状況で何かが確実に、より決定的になってしまったことで私の心臓が不快な音で鳴り始めたのだが、桂くんは何事も無かったかのように黙々とプリント同士をホチキスで繋ぎ合わせている。目を合わせることなく黙々と作業をする姿を見て寂しい気持ちになった。
幾松さんの方を見ている時の、強く意思のこもった視線が好きで、好き故にどうしても妬みや嫉みが湧き上がってしまう。幾松さんのように、美しく生まれたかった。美しい女性はずるい。私だって、桂くんに愛されたかった。そんな自虐以外の何物でもないことを考えているうちに、桂くんが積極的に手伝ってくれたおかげで束になっていたプリントを纏める作業はあっという間に終わってしまった。そのまま担任のデスクの上にプリントを置いて私達は校舎を後にする。数歩前を歩く桂くんの後姿をじっと見つめながら歩いていた。そして校門を抜けるときに足を止め、また明日、と桂くんが言う。委員会がある放課後はこんなやりとりが毎度続いていた。
いつもなら、の話だ。

「私も桂くんと同じで、片想いしてるの」

私は彼の腕を強く掴み、引き込んだ。
線引きのはっきりした人だから、こういった事を汚らわしいとか、みっともないとか。それこそ軽蔑するタイプだと思っていたけれど、案外すんなりと私と同じ方向に足を踏み出してくれた。しかし桂くんはどこか気まずそうにしている。お互いだんまりを決め込んだまま私の部屋に入ってすぐに、ベッドに雪崩込んだ。
ブラウスの中に差し込まれた手が熱くて、思わず身体が反応してしまう。桂くんと目が合った。いいのか。そう口にしながらも器用にボタンを外して、髪の毛や瞼、頬そして唇と順を追って唇が触れていく。その唇に吸い寄せられるよう私の体は桂くんにぴったりと密着する。桂くんからふわりといい匂いがした。見た目よりも雄っぽい逞しい背中はじっとりと汗ばんでいて、今だけは幾松さんではなく私だけをを見てくれている。幸せなはずなのに目の奥からじんわりと熱が込み上げていた。
幾松さんにしたいこと、全部していいよ。
嫌な女だと思ったのだろうか、私がそう言うと桂くんは何も答えず黙ったままだ。
ごめんね。繋がっている体を離そうと、胸板を押し返して身を捩らせる私の腰を掴んで桂くんが言う、

「まだ、触っていたいんだ」

それが幾松さんに対してなのか、それとも私に対してなのか、聞くに聞けない。桂くんの鼻先が、優しく私の鼻筋に触れて唇を探るように、甘えるように何度もキスをした。



***



「なぁ、あれってヅラと幾松じゃね」

窓際に立っていた坂田くんがわざとらしく、からかうように言う。咄嗟に目を逸らしたが、坂田くんに腕をぎゅぅと掴まれて窓際まで無理矢理連れて行かれてしまう。二階から見下ろした先にいた二人は楽しそうに、でもどこかぎこちなく寄り添って肩を並べていた。多分、どちらかが手を握って、それを握り返せば彼らは簡単に付き合える。桂くんの片想いは報われる。

「いつから、あんないい感じなわけ?」
「…知らない」
「ふーん」

はぐらかしたとして、だいたいのことは察しているかのように大きく骨張った手が私の後頭部をやんわりと包みこむ。温かく優しい仕草だ。普段なら絶対に甘やかしてはくれないはずなのに、その優しい仕草に驚いて、目の奥に堪えていた涙がぼろぼろ零れ落ちてしまう。手の甲で雑に拭うと坂田くんは公衆の面前だっていうのに容赦なく私を捕まえて、強く抱き締めた。

「泣くなよ」
「……坂田くんが泣かしたんだよ」
「だってチャンスだろ。今、」

坂田くんの心臓の音が更に大きく脈打つ。体が熱い。耳が真っ赤に染まっている。このままこの大きな背中を抱き締め返せたら涙なんてすぐに止まって乾いていくかもしれない、そう頭ではしっかりわかっているつもりなのに、坂田くんの腕の隙間から桂くんと幾松さんの姿を横目で探してしまう。
俺にしとけ、
頭の上から甘い誘惑が囁いた気がした。
片想いとはこんなにも罪悪感が纏わりつくものだっただろうか。