「お前んちの近くの公園あるじゃん…あーそうそうゾウの滑り台の。あそこに最近変質者うろついてるんだってよ。お前みたいな色気もクソもねぇ奴でも一応女だし…一応な?あそこの道通るなよ」

ぼんやりと頭に浮かんだのは昼頃銀時に言われたことだった。うぜぇ、くらいにしか思わなかったその警告が、まさか。まさか自分の身に振り掛かるとは思いもしない。いや、さすがに公園付近まで来ると警戒心をもったつもりだったが、足音どころか気配さえ潜めて近づいてきた男はものすごい力で私を抑え込み、公園内の薄暗い茂みの中へと引きずり込んでいった。
男の腕力に勝てるはずもなく抵抗することは疎か、声を出すことさえも出来ない。涙が滲み視界が揺れる。初めては好きな人と、だなんて純粋ぶっている場合じゃなかった。こんなことになるならさっさと捨てておけばよかった。と、護りぬいてきた純潔が呆気なく奪われてしまうという現実によって、正常ではない思考で自らを責めることばかり考えていた。
私の上で馬乗りになり愉快そうな表情で息を荒げる男はベルトの金具をカチャカチャと鳴らしている。体は動かないが目は瞑ることができた。どうか早く終わりますようにとぎゅっと目を瞑り視界を遮ろうとしたその時、目の前にいた男が勢いよく横に倒れた。視線をずらすと男が倒れた逆方向にものすごい剣幕で銀時が立っていたのだ。一瞬の出来事でいまいち把握できていないが恐らく銀時が男に蹴りでもくれてやったのだろう。銀時の冷ややかな視線に息を呑んだ。


「バカかよ」


横でのびている男になのか、私に向けてなのかは定かではないがそう吐き捨て私に触れる。先程まで乱暴にされていたせいか銀時の手の感触が心地よく感じた。
体を起こされ軽々と背中に乗せられる。男らしい広くてごつごつした背中から伝わる温もりは途方もない安心感を与えてくれた。

「逃げるの?」
「そらそうだろナイフとか包丁とかもってたらやべぇし」
「まず敵ぶっ倒すでしょ」
「もうぶっ倒れてんだろ。つーかお前太った?めちゃくちゃ重たいんだけど」
「それ今言う?じゃ私も言わせてもらうけど、どうせなら高杉くんに助けてもらいたかったよね〜…高杉くんって意外と紳士的だったりするんだろうなぁ…誰かさんと違って」
「…その紳士とやらの高杉くん、さっき派手な化粧の女連れてラブホ街に消えていくの見ましたけど〜?」
「あっ……やっぱり最低…」
「あいつが最低なのは今に始まったことじゃねーだろ」
「最低ってお前のことだよこのちぢれアタマ」

まるで音にならなかった声がいつのまにか出るようになっていた。私の心無い一言を頭の上から浴びせられても銀時は走るのを止めず公園から私を遠ざけてくれている。
絶望の狭間にいた私を助け出してくれたのは感謝するとして、高杉くんが女とラブホに行ったという情報をわざわざ報告してきたのはどうしても解せない。だってこいつは私が高杉くんに惚れていることを知っているからだ。暴漢に襲われた後だっていうのに、もっと他に言いようがないものか。

「…なんであそこにいたの」
「あ?偶然だ偶然。帰る途中にたまたま通ったらお前のかばん落ちてた」
「ああそっか」
「そっかじゃねーよ、通んなって言ったろ」

銀時が小さく溜息を漏らす。まさか本当に襲われるとは思いもしないでしょ、と言い訳をすると再び溜息が聞こえた。そのまま会話は途切れてしまい何とも居心地が悪い雰囲気になっていたのだが、路地を曲がるとそこには私の家があった。

「…お前んち真っ暗じゃん」
「そういえばお母さん夜勤だわ」
「親父さんは?」
「…残業かもしれない」
「マジかよ」
「うん。たまに帰り遅いときあるし」
「…」
「…」
「親父さん帰って来るまで…俺いてやってもいいけど」

私が不在の時ですら遠慮なくうちの家族に溶け込んでは夜ご飯まで食べていたりするくせに、どうしてかそう提案した銀時は少し気まずそうにしている。こいつに気を使われるという事に免疫がないのでこっちまで調子が狂いそうだ。お互い無遠慮だったはずなのに、このときだけは男女を意識した独特な距離を感じてしまった。
中学生の時に女友達から「名前ちゃんって坂田くんと仲いいんだね。もしかして付き合ってる?」と聞かれ、咄嗟にそんなわけないじゃんと笑いながら否定したことがあった。傍から見ると付き合っているように見える銀時との関係はいつだってただの幼馴染。なぜなら私が好きになるのはいつも銀時以外の人だからだ。私がそうであるように銀時もそうなのだろうと思っていたが、その手の浮いた話はひとつも聞いたことがないので一時期、こいつもしかしてホモなんじゃねーの?と疑ったことがあるくらい、私を含め女には縁がないというか…興味がないものだとばかり思っていた。

三人掛けのソファに座る私達には妙な緊張感が漂っていた。テレビに映し出される芸人のネタも面白くもなんともない。きっとスマホを弄っている銀時も同じ事を思っているはずだ。チャンネルを変えようか迷っていると私の端末から着信音が鳴り、お父さんからのメールが届いていた。内容を見た後に銀時の方を見ると銀時の視線もこちらに向いていて、隠す必要はないのだが不自然にスマホを裏返しにしてしまった。
親父さんから?と聞かれたので首を縦に振ると多少年季のはいったソファのスプリングが軋み、ぎしっと音を鳴らして銀時は立ち上がる。チェーンも閉めとけよと言いかけたであろうその時、目を見開き困惑したような表情で銀時は私を見た。
まるで帰ることを阻止するかのよう銀時のたくましい腕を力いっぱい掴んだ私を。

「…知ってると思うけど私は高杉くんのことが好きだから、ごめん」
「は?急に何だよ…しかも何で俺が振られたみたいになってんだ」
「だって帰り道って言ってたけど、そもそもあんたんちとゾウの滑り台の公園は逆方向」
「……だから?」
「ん、いや…愛されてるんだなぁって。わたし」
「言ってろバカ」
「耳赤いけど」
「うっせ。高杉じゃなくて悪かったな」

耳を赤く染める銀時は自らの大きな掌で顔を覆い隠した。いや、赤くなってるの耳だから。

「…何でかはわかんないんだけどさ、」
「あぁ…?」
「襲われてるときにね、高杉くんなんて一回も登場してくれなかったのに銀時の声とか顔はずっと思い浮べちゃってて。ああいうのを走馬燈?っていうんだっけ?」
「…いや走馬燈じゃねぇだろ」
「じゃあなに」
「知るかよ………てか高杉のこと好きなのやめたら?」
「好きなのやめられるくらい、好きにさせてくれんの?」

答えはきっと見つからないであろう問いに表情を歪ませ不服そうな目で私を見下している。掴んでいた腕を離し、今度は茶化すように指の間に指を絡ませると銀時の下半身がソファに沈む。

「そういうのやめろって…助けた俺が、お前を襲っちゃうわけにはいかんだろ」
「襲うんじゃなくて優しくすればいいじゃん」
「…お前のそういう無防備なところが危なっかしいんだって…マジでどうなっても知らねーぞ」

再びスプリングの軋む音が鳴り、唇同士がぴったり触れた。そのうち舌が控えめに割りこんできてねっとりと唾液が混じりあう。馬鹿の一つ覚えのように初めてのキスも好きな人とが良いと思っていたのだが、今、不思議と後悔や罪悪感はない。じゃあ私達のこの関係は一体なんだろう。ただの幼馴染みだなんて、もう言えなくなってしまうのかもしれない。
お父さんが本当は残業なんかじゃなくて出張中だったってことは、銀時にはもう少し黙っていてもいいだろうか。

奪う度胸もないくせに、
赤い糸だと思ったの?


***
「坂田、高杉と三角関係」
しず様に捧げます。